2018年4月15日日曜日

映画『婚約者の友人』

2016年 監督:フランソワ・オゾン
製作国:フランス/ドイツ
at ギンレイホール




これは面白いね。
モノクロとカラーのしっとりとした映像の美しさ。
モノクロとカラーを使い分ける映画って、回想や過去シーンをモノクロとか、主人公が壁を乗り越えたらカラーになるとか、なんらかのストーリーに連動してこれみよがしに切り替わる映画が多いと思うけど、これはそういうのが無い。
いや、あったのかもしれないけど気づかないくらい違和感なくモノクロとカラーが使いこなされている。

ストーリーも面白く、ミステリーと恋愛、戦争、贖罪、家族ドラマ等々、常に惹きつけてくる。
舞台は第一次大戦後のドイツで、婚約者フランツを戦争で失くしたアンナ(パウラ・ベーア)が、失意の毎日を送っている時、フランスからフランツの友人を名乗るアドリアン(ピエール・ニネ)が訪ねてくる。
アドリアンからフランツの事を聞くうちに元気を取り戻していくアンナ。
しかしアドリアンはある秘密を抱えていた。
っていうのが前半。

アドリアンの秘密って絶対フランツの恋人だったとかそういうオチでしょ、オゾンだし、と思っていたら全然違かった。
そもそもこれってエルンスト・ルビッチの『私の殺した男』(1932) の脚本がベースになっているらしい。

映画『エタニティ 永遠の花たちへ』

2016年 監督:トラン・アン・ユン
製作国:フランス/ベルギー
at ギンレイホール




幸せと悲しみが絵巻物のように綴られていく。
映像は見応えあるんだけどなんだろう、ひっきりなしに流れる音楽がうるさい。
ストーリーよりも映像に重きを置いていると思うけど、あんなに音楽流されたら映像に集中できないし眠くもなる。
子沢山だから登場人物が多くて時代も豪快に飛んで役者が変わるから顔で覚えることができず、名前をちゃんと記憶していないと誰が誰だかわからなくなる。
そしてさっき生まれた子がすぐ大人になってかつお亡くなりになってもなんも悲しくない。
というか死にすぎて感覚が麻痺してくる。
絵巻物、またはプロが撮影した家族アルバムといった感じで、音楽が気にならなければ楽しめると思う。

トラン・アン・ユンはたぶん初めてかな。『青いパパイヤの香り』は見たいと思いながらも結局見ていない気がするので。

2018年4月1日日曜日

映画『ダンケルク』

2017年 監督:クリストファー・ノーラン
製作国:イギリス/アメリカ/フランス
at ギンレイホール




フランス北部にある港町ダンケルク。
大戦中、英仏連合軍の兵士約35万人がドイツ軍によりダンケルクに追い込まれていた。
チャーチルはイギリスから軍艦、民間船を総動員して彼らを救出するダイナモ作戦を発動する。
このダンケルクの救出劇を扱った映画。

どんくらい金かかっているんだろう。
とんでもない数のエキストラ、そしてどでかい戦艦やら船やら戦闘機が惜しげもなく沈んでいく。

主人公は若い少年兵で、救出を待つ大量の兵士が海岸に集まる中、少年はあの手この手を使って救出船に乗り込もうとする。
すぐそこにドイツ軍が迫る中、真剣にせこいことをしているのはコミカルでもあるが、なんとしても生き延びて故郷に帰るという確たる意思は伝わってくる。
というかそれしかないから。
少年はほとんど喋らないし過去が描かれることもないから、主人公のパーソナリティはつまり「なんとしても生き延びて故郷に帰る」ということになる。

陸(1週間)海(1日)空(1時間)の異なるフィールド異なる時間軸を交錯させながら、緊迫した脱出劇が描かれる。
セリフは多くないけど(特に陸)、それぞれにちゃんとドラマがあるしなかなか面白かった。


空中戦は後ろをとったら勝ちみたいな紅の豚知識は近代の戦闘機でもそのままなのか。
戦闘機の機関銃を後ろにも撃てるように取り付けておいて、照準は難しいけどミラーごしに撃ったら、後ろを取って安心した敵はびびるだろうな。

映画『ドリーム』

2016年 監督:セオドア・メルフィ
製作国:アメリカ
at ギンレイホール




1960年代のアメリカとソ連の宇宙開発競争の時代が舞台で、主人公はNASAに勤める3人の優秀な黒人女性。
人種差別が色濃く残る中で3人が奮闘する姿がコミカルに、そして時に熱く描かれる。

つまらなくはないのだけど、なんだろう、いまいち乗れない感じがする。
予告編見た時に
「1961年のハイウェイで白人警官に先導される黒人女性3人 奇跡だわ」
っていう言い方がいかにもアメリカ人!って感じで嫌な感じを受けたのを引きずっているのかな。
嫌な感じっていうのはここのオーバーアクションな表現が嫌いってだけじゃなくて、予告編全体から映画の内容自体差別されている黒人側が白人側を馬鹿にしているように思えたから。
差別受ける側が心の中で差別仕返すくらいいいじゃないかという気もするけど、一方方向でも嫌なのにお互いがお互いを下に見るっていう構図はあまり気持ちよくない。
まあ、実際は3人の中でもこの映画の中心となるキャサリン・G・ジョンソン(タラジ・P・ヘンソン)は人を馬鹿にするようなこともなく純粋に一生懸命だったけど。
って書くと後の二人は性格悪いみたいになっちゃうか。別にそそれほどでもなく、制限された環境でなんとか道をこじあけようとする姿は素直に感動していい気もする。

というような何が言いたいかわからないようなもやもや感。
虐げられている人たちがあからさまな悪役(白人)をギャフンと言わせるっている痛快エンターテインメントに寄りすぎて、差別もキャラクターも彼女たちの功績もなんか中途半端になっているのかな。