2019年 監督:中野量太
製作国:日本
at ギンレイホール
蒼井優演じる芙美と一緒に暮らしているらしき男性が中学生っぽいのだが、息子役でも弟役でもなんだか年が合わないと思って悩んでいたら、まさかの恋人役だった。
中学生じゃなくて社会人らしい。
父親(山崎努)が認知症になった。
妻(松原智恵子)は献身的に夫を支え、二人の娘(蒼井優と竹内結子)もサポートする。ただし姉の方はアメリカ暮らしだけど。
中野量太監督って、光に溢れてはっきりくっきりした映像の中で力強い人達を描きながらも、同時に人間の外観やら内面の醜い部分をさらっと映像に載せるっていう印象がある。
今回もそんな感じ。
万引で捕まった時のスーパーの店員は殴りたいくらい腹立つ。
お母さんたちみたいな夫婦になりたかったと言う長女の夫(北村有起哉)は一体何が悪いのか。
少し冷たい感じはするが(部屋はいつも薄暗い印象だし)、父親(山崎努)が気さくだったとも思えない。
結局は妻が我を捨てて、というか何より夫が第一で夫を支えることが生きがいという昔ながらのスタイルであれば、よほどひどい夫でない限りは夫婦円満ってことに帰結するのではないかと思った。
2019年11月17日日曜日
映画『洗骨』
2018年 監督:照屋年之
製作国:日本
at ギンレイホール
冒頭の棺の縁に腕と頭をもたれかけさせてる喪服の女性、ってだけでかなり気に入った。
この女優さん水崎綾女、いいね。
ちゃんと沖縄って顔立ちだし。
と思って検索してみたら沖縄出身じゃなかった。
粟国島等に残る風習「洗骨」のために集まった家族の再生の物語。
ちゃんとした家族ドラマに程よく笑いが盛り込まれていてなかなか楽しい。
シリアスの後に笑いでオチをつけるのもやりすぎると邪魔になるけど、むしろシリアスを重層的なものに変容させるから凄い。
深夜の家族の真剣なぶつかり合いの後の「よそでやってくれよ~」なんか、客観的な視点を突如放り込むことでしらけさせるどころか当人たちに閉じていた世界がこの笑いで一気に広がりを見せていく。
吉本が制作に関わっているから笑いが多いのかと思っていたけど、監督の照屋年之ってガレッジセールのゴリだったんだね。
しかもぽっと出で映画監督やってみました、とかじゃなくて、この十数年で短編をいくつも撮ってきた上でのこの映画、ってことらしい。
ちゃんとしている。
脚本も書いているし。
覇気の無いしょぼい親父役に奥田瑛二を持ってきたところは誰が決めたんだろう。
奥田瑛二のイメージと違うのに、映画では本当にしょぼくれまくっていてどハマリしていた。
骨は髪とか肉っぽいものが付いていて、美術すごいなぁ。
製作国:日本
at ギンレイホール
冒頭の棺の縁に腕と頭をもたれかけさせてる喪服の女性、ってだけでかなり気に入った。
この女優さん水崎綾女、いいね。
ちゃんと沖縄って顔立ちだし。
と思って検索してみたら沖縄出身じゃなかった。
粟国島等に残る風習「洗骨」のために集まった家族の再生の物語。
ちゃんとした家族ドラマに程よく笑いが盛り込まれていてなかなか楽しい。
シリアスの後に笑いでオチをつけるのもやりすぎると邪魔になるけど、むしろシリアスを重層的なものに変容させるから凄い。
深夜の家族の真剣なぶつかり合いの後の「よそでやってくれよ~」なんか、客観的な視点を突如放り込むことでしらけさせるどころか当人たちに閉じていた世界がこの笑いで一気に広がりを見せていく。
吉本が制作に関わっているから笑いが多いのかと思っていたけど、監督の照屋年之ってガレッジセールのゴリだったんだね。
しかもぽっと出で映画監督やってみました、とかじゃなくて、この十数年で短編をいくつも撮ってきた上でのこの映画、ってことらしい。
ちゃんとしている。
脚本も書いているし。
覇気の無いしょぼい親父役に奥田瑛二を持ってきたところは誰が決めたんだろう。
奥田瑛二のイメージと違うのに、映画では本当にしょぼくれまくっていてどハマリしていた。
骨は髪とか肉っぽいものが付いていて、美術すごいなぁ。
2019年11月3日日曜日
映画『芳華-Youth-』
2017年 監督:フォン・シャオガン
製作国:中国
at ギンレイホール
この予告編見たら、軍の歌劇団“文芸工作団(文工団)”に所属する若者たちが時代に翻弄されながらも力強く生きる壮大なドラマ、、と思うじゃん。
当たらずも遠からずなんだけど、結構期待を裏切ってくる。
語り部であるスイツ(チョン・チューシー)が冒頭に主人公はリウ・フォン(ホアン・シュエン)とホー・シャオピン(ミャオ・ミャオ)の二人である、というのが後々までジャブのように効いてくる。
誰からも愛されて頼りになり"善人"認定されている模範兵リウ・フォンと、農村の貧しい出自で文工団に入団したシャオピンが、この歌とダンスに溢れた文工団でどんなドラマを見せてくれるんだろう。
なんて考えてしまうと、お前そっちかい!とか抜けるんかい!とか脇役だと思っていたスイツが出しゃばりすぎて実は主人公お前なんじゃないんかい!とかいろいろ突っ込むことになる。
中でも文工団での悲しみの大宴会シーンは、主人公であるシャオピンが見切りを付けた団体というレッテルを貼った上で見ることになるので、寂しい悲しい以外にお前らシャオピンちゃんをよくも、っていう冷めた視点も加わって面白い。
それにしても若者たちの青春の場(醜い面も含め)みたいな平和な所にいたはずのリウ・フォンとシャオピンが辿る道のりの落差がすさまじい。
シャオピンはよく復活したよなぁ。
戦闘シーンはばりばりのCGだけど結構残酷で迫力があった。
予告編見て楽しみだったダンスシーンだけど、あまり多くなかった。
最初の方はダンスというかこれはもしや美脚をひたすら愛でる映画なのかと思ったけどダンスシーンがなければ美脚の出番も無い。(水着シーンはある)
ダンスシーンの少なさの不満はあるけど、予測し難いストーリー展開や、いじめや恋愛や時代や戦争やらの様々な残酷が詰まっているところとか、そんな中で主人公二人のラストの温もりにはほっこりさせられたりして、面白い映画だった。
製作国:中国
at ギンレイホール
この予告編見たら、軍の歌劇団“文芸工作団(文工団)”に所属する若者たちが時代に翻弄されながらも力強く生きる壮大なドラマ、、と思うじゃん。
当たらずも遠からずなんだけど、結構期待を裏切ってくる。
語り部であるスイツ(チョン・チューシー)が冒頭に主人公はリウ・フォン(ホアン・シュエン)とホー・シャオピン(ミャオ・ミャオ)の二人である、というのが後々までジャブのように効いてくる。
誰からも愛されて頼りになり"善人"認定されている模範兵リウ・フォンと、農村の貧しい出自で文工団に入団したシャオピンが、この歌とダンスに溢れた文工団でどんなドラマを見せてくれるんだろう。
なんて考えてしまうと、お前そっちかい!とか抜けるんかい!とか脇役だと思っていたスイツが出しゃばりすぎて実は主人公お前なんじゃないんかい!とかいろいろ突っ込むことになる。
中でも文工団での悲しみの大宴会シーンは、主人公であるシャオピンが見切りを付けた団体というレッテルを貼った上で見ることになるので、寂しい悲しい以外にお前らシャオピンちゃんをよくも、っていう冷めた視点も加わって面白い。
それにしても若者たちの青春の場(醜い面も含め)みたいな平和な所にいたはずのリウ・フォンとシャオピンが辿る道のりの落差がすさまじい。
シャオピンはよく復活したよなぁ。
戦闘シーンはばりばりのCGだけど結構残酷で迫力があった。
予告編見て楽しみだったダンスシーンだけど、あまり多くなかった。
最初の方はダンスというかこれはもしや美脚をひたすら愛でる映画なのかと思ったけどダンスシーンがなければ美脚の出番も無い。(水着シーンはある)
ダンスシーンの少なさの不満はあるけど、予測し難いストーリー展開や、いじめや恋愛や時代や戦争やらの様々な残酷が詰まっているところとか、そんな中で主人公二人のラストの温もりにはほっこりさせられたりして、面白い映画だった。
映画『僕たちは希望という名の列車に乗った』
2018年 監督:ラース・クラウメ
製作国:ドイツ
at ギンレイホール
ベルリンの壁が築かれる前の1956年の東ベルリン。
エリート高校の仲のいいテオ(レオナルド・シャイヒャー)とクルト(トム・グラメンツ)は度々列車で西に行っていたが、ある時西の映画館でハンガリー動乱のニュース映像を見る。
多くの市民が犠牲になり、その中に有名なサッカー選手も含まれることを知り、クラスの皆に呼びかけて2分間の黙祷を捧げる。
テオはどちらかというと遊び半分だったのかな。
いずれにしろこの黙祷が大問題に発展し、国家による首謀者探しと、仲間や恋人の裏切りやら家族の事情やらいろんなもんが絡んだ人間ドラマが展開される。
まあまあ面白かったけどすぐ忘れそうだな。
クルトとその父親が民族レベルで似ていないのでこれはなんかあるな、と睨んでいたが何もなかった。
テオの親父役ロナルト・ツェアフェルトがいかした親父だった。
穏便に済まそうとしていたのに事を大きくした原因を作ったやつがメガネの真面目そうな小男っていうのはそれっぽい。
それにしても皆すぐ激昂する。怖い民族だ。
原作はディートリッヒ・ガルスカって人が書いた『沈黙する教室 1956年東ドイツ―自由のために国境を越えた高校生たちの真実の物語』で、実話らしい。
製作国:ドイツ
at ギンレイホール
ベルリンの壁が築かれる前の1956年の東ベルリン。
エリート高校の仲のいいテオ(レオナルド・シャイヒャー)とクルト(トム・グラメンツ)は度々列車で西に行っていたが、ある時西の映画館でハンガリー動乱のニュース映像を見る。
多くの市民が犠牲になり、その中に有名なサッカー選手も含まれることを知り、クラスの皆に呼びかけて2分間の黙祷を捧げる。
テオはどちらかというと遊び半分だったのかな。
いずれにしろこの黙祷が大問題に発展し、国家による首謀者探しと、仲間や恋人の裏切りやら家族の事情やらいろんなもんが絡んだ人間ドラマが展開される。
まあまあ面白かったけどすぐ忘れそうだな。
クルトとその父親が民族レベルで似ていないのでこれはなんかあるな、と睨んでいたが何もなかった。
テオの親父役ロナルト・ツェアフェルトがいかした親父だった。
穏便に済まそうとしていたのに事を大きくした原因を作ったやつがメガネの真面目そうな小男っていうのはそれっぽい。
それにしても皆すぐ激昂する。怖い民族だ。
原作はディートリッヒ・ガルスカって人が書いた『沈黙する教室 1956年東ドイツ―自由のために国境を越えた高校生たちの真実の物語』で、実話らしい。
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