2006年8月29日火曜日

映画『鞄を持った女』

1961年 監督:ヴァレリオ・ズルリーニ
BS2 録画


クラブ歌手のアイーダ(クラウディア・カルディナーレ)はマルキーニという男に騙されて仕事を失う。
マルキーニ(←偽名)の弟ロレンツォ(ジャック・ペラン)16歳は兄の罪を償うため、というか年上のアイーダに一目ぼれしてあれやこれやと世話を焼く。
金を貸したり、ドレスをプレゼントしたり。
金持ちのぼんぼんロレンツォのひたむきな純情が幼くて滑稽でありながら、なんでしょう、この汚しちゃいけない大きな聖性は。
アイーダを追ってビーチにやってきたロレンツォは白のスーツ姿。場違いな格好と幼さが滑稽なんだけど、白の無垢さが痛々しく輝いている。
ロレンツォを演じるのは美青年ジャック・ペラン。
王子様といった感じの青年ジャック・ペラン(『ロバと王女』ではそのまま王子役)は最近では『コーラス』(2004)で親子出演している。
ロレンツォの純粋な視線を一身に受け止めるアイーダはというと、経済的に貧窮した生活とふりかかる災難に人生を絶望しながらも、健気なまでにまっすぐ生きている悲しい運命の人。
アイーダはイタリアのCC、クラウディア・カルディナーレ。

クラウディア・カルディナーレの強いまなざしが好きなんだけど、ラストの方でロレンツォへの感情が恋に変わっていった後の視線が強烈。
憂いをたたえた強い視線で無言でじっと見つめられたらたまらない。
悲しい思いばかりする人生を歩みながらも時に少女のように無邪気な心優しいアイーダの喜怒哀楽をよく演じている。
アイーダがバンドに戻ったときに強がって「私にもここで働く権利があるわ」とつんとした顔で主張すると、間髪入れずに元恋人のバンドマンにはたかれるシーンがあるのだけど、はたかれた瞬間のアイーダの驚きの表情は面白かったな。というか上手い。

ストーリー自体は大きな起伏もなく淡々と進むけど、ここぞというポイントで使われる無言のアップショットは情感の機微を見事に捉える。
ラストの海辺での二人のシーンなんて、広大な海の背景、光の当たり具合といい、名シーンです。

ところでロレンツォが男を殴るシーンがあるのだけど、殴られた方と反対側の頬の揺れ具合からパンチが本当にかすっているっぽい。

2006年8月27日日曜日

映画『アイ・ラブ・北京』

2000年 監督:ニン・イン
BS2 録画


イチローに雰囲気の似たあんちゃんが主人公。
主人公ファンは金持ちをターゲットにしたタクシードライバーで(中型のタクシーは料金設定が少し高いらしい)、日夜北京を疾走する。
タクシーの疾走と共に急速に発展していく北京の街並みがスケッチされていく。
結婚しているファンは愛人持ち。家にもろくに帰らない。妻は怒って悩んで切れ気味に離婚をつきつける。
ファンは止めようとするが、結局離婚。
ファンは傷心もせず、愛人と遊ぶ。
愛人と別れたのかなんか知らないが、図書館書士の女を口説いて付き合いだす。
女好きだがどの女も本気では愛していない。
彼は金が全てだと思っている。でも彼は金持ちではない。ただ、普通の人よりかは小金を持っている。
富豪層の顧客と同じ高級バーに入って楽しんでみても、金持ちの振りしてポンと大金を支払ってみても、彼は決して富豪層ではない。
精一杯背伸びし続ければ本来あるべき目線で物が見えなくなる。

特に大きなストーリーがあるわけでもなく、小さなエピソードの積み重ねというわけでもなく、今の北京(新しいもの変わらないもの)のそのままのスケッチといった感じ。
ニン・インは女性監督。女性監督はどうも苦手です。感覚が合わないというか面白くないというか。

ラストにちょろっと出て超重要な演技をした女優さんは誰だろう?
若い頃のフェイ・ウォンに似た感じの美人。
この人の微笑はこの映画きっての名シーン。

2006年8月20日日曜日

おれおれ

映画見ているときに入ったメールを見ると、姉からで、
携帯の番号変えたんだってね、父さんから聞きました。どこにしたの?
といった内容。
全く意味不明です。番号なんて変えていません。私はWILLCOM一筋です。
問いただしてみると、電話番号変わったからよろしくという電話が父に入って、父は信じて登録番号を変えたとのこと。
偽私は風邪引いていて声がおかしいとも言ったらしい。
まあ、オレオレ詐欺の導入でしたって話です。
危うく家族が皆私と連絡とれなくなるところでした。私の方からはあまり電話しないし。

映画『子ぎつねヘレン』

2005年 監督:河野圭太
at ギンレイホール


子ぎつねヘレン

僕はどんな映画でもそこそこ楽しく見れます。
と思っていましたが、無理です。この映画はひどく苦痛でした。
CG使う意味も必要性もほとんどわかりません。むしろむかつきます。
ガキが嫌いです。かったるいです。いや、むしろむかつきます。

大沢たかおの娘役の子がどっかで見たことあると思って映画そっちのけで考えていたら思い出した。
「女王の教室」で主役の子をいじめていた子だ。
でも小学生役だったのにこの映画じゃ中学生で背も高くなっている。成長したな。って撮影は同じ時期くらいじゃない?
うーんと思って家で調べてみたら全然違かった。
ガキは顔が似ているから嫌いです。

映画『THE 有頂天ホテル』

2005年 監督:三谷幸喜
at ギンレイホール


THE 有頂天ホテル スペシャル・エディション

ながい!

登場人物が多い。
幸い有名どころの役者ばかり集めているから誰が誰と認識は付く。外国映画だと顔の特徴をいちいち覚えないと誰が誰だか分からなくなるしな。
にしても、登場人物がこれだけ多いとごたごたしちゃう。
分散されているためか各人々のエピソードがあんまり響いてこない。ふーんって感じで。
ストーリーを概観すると、香取君もまあ無理だろうけどもうちょっと頑張ってね、役所広司も今の仕事に誇り持ってこれからも頑張ってね、YOUも久しぶりに歌えてよかったね、麻生久美子もじいちゃん津川と頑張ってね、松たか子もシングルマザーで頑張ってね、佐藤浩市も悪徳政治家で頑張ってね。
なにか温まるエピソードってあったっけ?と思い返すと、松たか子が佐藤浩市に切った啖呵のかっこよさしか思い出せない。
松たか子はいい女ですね。
脚本は上手いのだけど、例えばラッキーアイテムの人形の使い方とか「上手い」で終わってしまいそれ以上にもそれ以下にもならないところが悲しいところ。

あんまり大きな爆笑もなかったしなぁ。

どうでもいいことかもしれないけど、携帯のバイブレーションの音が非情に耳障り。
それと劇場の設備によるのかもしれないけど、フレームの外にいる人物の声を遠近感を持たせた音にしていていてこれも耳障り。
『みんなのいえ』でも確か同じ印象受けたな。

2006年8月19日土曜日

映画『大喧嘩(でいり)』

1964年 監督:山下耕作
BS2 録画


「おう!道理のわからねーのもてーげーにしてくれぃ!俺はやくざの筋道を立てて話をしてるんでぃ」
「そんなもんで飯はくえねぇ」
大川橋蔵の啖呵に対する遠藤辰雄の台詞。ロボットみたいな動きで機敏に振り向いて言う遠藤辰雄が笑える。
ラストの大喧嘩では刀を持った大勢の渡世人が田んぼになだれ込んできて、それを見た田植えの百姓達が慌てて逃げ出すシーンがある。
喧嘩の当事者達は生きるか死ぬかの必死の形相だけど、汗水垂らして米を育てている百姓から見るといい大人がこんなに大勢で「あんたら一体なにやってんの?」っていう滑稽さが漂って思わずふんっと鼻で笑ってしまう。
農夫達のおかげで一瞬だけ我に返った瞬間。

主演大川橋蔵。ヒロイン十朱幸代。
ライバル丹波哲郎。恋敵穂高稔。
橋蔵のおやびんに加藤嘉。敵のおやびんに遠藤辰雄。
最終的にうじむし筆頭になったおやびんに金子信雄。
いてもいなくてもよかった河原崎長一郎。
お調子者で相棒が亀でキーパーソンになりそうでならずに影の薄いまま消えた西村晃。

ラストの大喧嘩では村全体が戦いのフィールドで、結構盛り上がる。
橋蔵も味方も敵も刀傷だらけの上、走って場所を変えながらの戦闘のためにもうふらふら。
まだ丹波との決闘が残ってますよ~。
丹波は無傷で元気です。
渡世人を全てうじむしとしてこの世から全て斬り捨てる覚悟のわけあり浪人丹波との決闘の結末は納得いくようないかないような・・・

2006年8月18日金曜日

終電間に合うかなぁと勤務先のビルを出たところで、「すいませーん」と、か細い声が聞こえてくる。
暗がりに自転車を引いたおばさんらしき人影がこちらを向いているのに気づいたところで、音としか認識していなかった言葉が「すいませーん」だと理解する。
道でも尋ねてくるのかと思っておばさんに近付く。
汚いものでも触るかのようにして不安定な体勢で自転車を引いたおばさんが言う。
「かごの蝉。取れますか?」
僕はおばさんに向かっていた歩を止め、
「すいません。僕虫が駄目なんです。」
と即答。
「そうですか。(ふぅ)」
「申し訳ないです」
すたこらさっさと駅に向かう。

子供の頃はとんぼや蝉採りが大好きだったのだけど、今じゃあ虫が大っ嫌いです。
その中でも特に蝉が嫌いです。
なんですか、あの大きさは。ゴキブリの何倍もでかいです。
姿はゴキブリの方が蝉よりかっこいいと思います。

2006年8月12日土曜日

映画『関の彌太ッぺ』

1963年 監督:山下耕作
BS2 録画


関の彌太ッぺ

長谷川伸原作の人情もので山下耕作の監督による名作。
主演中村錦之助。
情に篤い渡世者、関の彌太郎は生き別れた妹を探して旅を続けている。
道中関わった男の死に際の頼みを受け入れ、彌太郎は11歳の少女をある旅籠に連れて行く。
この旅籠は少女の母親の実家なのだが、そのことは少女も彌太郎も知らない。
旅籠の人間、おじおばとばあちゃんもこの少女が何者か知らない。
彌太郎は少女を預かってくれと頼み込む。
素性の知れない渡世人がどこの誰の子とも知らぬ少女を預かれと言って来る。
旅籠の者はもちろん断る。
ここの両者の押し問答が絶妙です。
可愛い顔立ちじゃないが少女の愛くるしさというか馬鹿なんじゃないかと思う無邪気さも問答にアクセントを加える。
彌太郎の人柄と、少女から感覚的に感じる血のつながりに心を動かされ始めていた旅籠の者達だが、彌太郎はこのままでは埒があかないと思ったのか、向こう10年の預かり料として50両渡そうじゃないかと切り出す。
50両は彌太郎が妹のために稼いだ金だった。
ぽーんと渡して名も告げずに去っていくのであった。

そんな情に篤い彌太郎のエピソードの後にいよいよ妹探しです。
と思ったらあっという間に消息が判明。
盛り上がる前に突然知った消息だけど、女郎の長回しの語りが悲しみを誘う。
さて、彌太郎さんはもうやることがなくなってしまった。
ストーリーも進まなくなってしまった。
ということで10年後にひとっ飛びします。

彌太郎を「あにい」と呼ぶ箱田の森介(木村功)という男が楽しい。
登場時は非情なやつだったけど、彌太郎の50両をちゃんと預かっておくいいやつだったりして性格が不明。
彌太郎、森介、田毎の才兵衛(月形龍之介)の3人が酒を酌み交わすシーンでは強く個性的な渡世人が揃ったかっこよさがある。
3人で何か面白いことが始まりそうな予感も。
でも3人はここで別れ別れ。
そして善行を、と思ってやっていた才兵衛の人探しが不幸を呼び込み、森介は純粋だけどわがままぼっちゃんのひどくて悲しい男だと判明。

つまり面白かったってことです。