2006年9月30日土曜日

映画『美しき運命の傷痕』

2005年 監督:ダニス・タノヴィッチ
at ギンレイホール


美しき運命の傷痕

母の傍から走リ出した少女の脚を追うカメラ。"すぐ後ろにいたはずのない"母により後ろからすっと目隠しされる少女。
そしてカッコーの雛鳥が卵を落としていく姿の万華鏡。
流れる音楽といいオープニングでもう不穏な空気を放ちまくっていてホラー映画かと思うくらい怖い。

少女の頃に同じ傷を負った三姉妹は今、それぞれ愛の苦悩に耐えている。
長女ソフィ(エマニュエル・ベアール)はファッションフォトグラファーと結婚して子供がいるが、夫がクライアントの女と浮気をして自分への愛が冷めていることにどうしようもない不安を感じている。
次女セリーヌ(カリン・ヴィアール)は恋人もおらず、施設(病院?)にいる車椅子生活で口が聞けなくなっている母(キャロル・ブーケ)の看病をしている。
セリーヌは自分に話しかけてくる見知らぬ男セバスチャン(ギョーム・カネ)を不審に思いながらも密かに恋心を抱き始める。
しかしセバスチャンがセリーヌに近付いたのはセリーヌに興味があったからでなくて、ある真実の告白をするためだった。
三女アンヌ(マリー・ジラン)は大学生だが、老齢の教授フレデリック(ジャック・ペラン)と不倫関係にある。
家族を大事に思うフレデリックはアンヌと関係を持ったことに後悔し、関係を切ろうとする。
フレデリックへ盲目的に愛情を向けていたアンヌは止められない感情に従ってフレデリックを追い続ける。

嫉妬や怒りや愛情が昂ぶったときの常軌を逸した行動にぞくっとする。
夫をストーカーまがいに追って浮気の証拠と自分への冷めた愛を一つ一つ確認していくソフィ。
夫の浮気相手の寝姿にそっと近付いて顔を近づけていき、匂いを嗅ぐという悲しくて冷たい視線の恐ろしさ。
三女アンヌは感情を抑えきれずにある家に乗り込む。
家の娘はアンヌの親友で、誰かに話さないと気が狂いそうなアンヌは既婚者との恋と別れについて相談する。
程なく母帰宅。アンヌとも知り合いらしく、アンヌにアドバイスを与える。
そして父帰宅。この父がなんとアンヌの愛人のフレデリックだった。
何これ、アンヌは親友の父親と恋仲だったわけで、その家族とも付き合いがあるというのにその家に乗り込んでいったということか。
親友が父に既婚者との恋愛と別れについて無邪気に質問を投げかける。
すがるように視線を送るアンヌ。
「それは相手の気持ちによるんじゃないのかな・・・」

書きづらい。もういいや。ネタばれで。
三姉妹の傷跡っていうのは、父の事。
全ては映画冒頭の少女が見た光景から始まる。
少女セリーヌは学校の先生である父のところに行くと、父は裸の少年と向き合っていた。
母により目を覆われるセリーヌ。
父は母により訴えられ、出所した父は家族に会いに来るが、母により追い出される。
ドアを蹴破り進入した父は母と取っ組み合い、母は鏡に頭を打ちつけて大怪我を負う。
娘達にも会えないまま絶望して父は窓から飛び降りた。
母はそのまま不自由な体となり、娘達はそれぞれトラウマとして傷を負う。
長女ソフィは父に裏切られた傷が今、夫の裏切りと重なって過剰反応を起す。
次女セリーヌは自分が見つけたせいで、と罪悪感にかられて恋人も作らず一心に母の世話をする。
三女アンヌは父ほども年齢の離れた男に愛情を注ぎ、幼少の頃に得ることの出来なかった父の愛情に飢える。

そしてセリーヌに言い寄ったセバスチャンという男は実は真実を告白するためにセリーヌを探していたのであり、セバスチャンは父と一緒にいたあの裸の少年だった。
彼の話では自分が三姉妹の父である先生を好きすぎて裸になったが先生は拒否したとのこと。
先生は妻に訴えられても生徒であるセバスチャンを護るために真実を隠し通した。
先生が救ったカッコーの雛鳥セバスチャンは結果的に家族を地獄に追いやった。
三姉妹は母に真実を告げるために集った。
母が父を訴えたことは全て誤解で間違いだったことを。
すごい残酷です。
母は長年会っていなかった長女と三女を交えて三人が揃ってやってきたことに喜ぶ。
筆談しかできない母が書く。
「会いに来てくれるなんて、愛されている証拠だね」
戸惑いながらもセリーヌが真実を母に話す。
間を置いて母が書く。
「それでも私は何も後悔していない」
意味が全然分からん。
それでもこの言葉から感じる超越した壮絶さと万華鏡に変わっていく映像と音楽で泣ける。
後悔していない。
例え間違いであろうと精一杯生きてきたし、これからもそうだ。それに後悔するには時は流れすぎ、残された時間も少ない。何より今こうして三人の娘に囲まれていることの方が重要だ。ってこと?
それとも元々夫と不仲だったのかな。

今までほとんど重ならなかった三人の姉妹がラストで集ってワンショットに収まったときが一番感動的。
いつもセリーヌが一人で乗る列車の座席に三人が揃う。
三人はそれぞれの恋に一先ずのけりを付け、呪縛から解き放たれた表情は晴れがましい。
セリーヌがいつものように一人だと思ってやってきたセリーヌに片思いする車掌も面白い。

ところどころ入るユーモアが面白かったり悲しかったり。
セリーヌが母に読んで聞かせる話はギネスブック。首を切断した鶏の最長生存記録は18ヶ月だかとか。本当かね。
本当らしい。
セリーヌがセバスチャンを自分に好意を寄せている男と勘違いするシーケンスも切ない。
ソフィの夫の仕事現場はモデルがうける。
アンヌが親友に相談しているとこで当のフレデリックが帰宅してくるところも会場から思わず笑いが漏れたしなぁ。
いつも切符でなくセリーヌの寝顔を拝見していた車掌が意を決して、列車などの音を集めたテープと共に電話番号をプレゼントしようとしたのにタイミング悪く三姉妹が揃っていたり。
この監督の前作『ノー・マンズ・ランド』でもそうだたけど、のっぴきならない状況にユーモアを交えるっていうのが非情に上手いよな。
今回はより複雑に様々なシチュエーションや転換点にユーモアが挿入されるのだけど、中にはセリーヌとセバスチャンの関係、フレデリックの家でのアンヌとのやりとりなど、ストーリーの本核に切ない形で食い込んでいるものもある。
このセンスがなかなか好きです。

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