at ギンレイホール

父が父を辞めると宣言しました。
母は今一人で暮らしています。母は別に父が嫌いになったわけではありません。
兄は高校一の秀才だったのに大学進学せずに農業やってます。
私には彼氏っぽい男ができました。最高に幸せです。
北乃きいという少女が主演。
恋人役の勝地涼が年齢不詳のため、北乃きいは漠然と中学生の役だと捉えていたのにこの男によって、あれ、二人とも高校生?と思う。
「西高受験」とか言っているから中学生らしい。
えー!
こんなにふけていて胡散臭い中学生いるかよ。
北乃きいはあまりに幼い顔立ちが中学生だけど勝地涼って人はどう見ても大学生くらいでしょ。
この同い年という設定の二人がなんだかこっぱずかしい恋愛劇を繰り広げる。
そしていつのまにか二人は付き合っている。
まあ、このノリで告白シーンなんて見せられてはたまらないが。
幸せ絶頂の二人だけど、それじゃあ話が進まないよね。
ああ、もうこの幸せなまま普通に終わってくれればいいものをあんまりしち面倒くさい展開になったら疲れるな、と思っていると、
「俺達絶対長生きするからあと80回はクリスマスができるな」
みたいなことを勝地涼が言う。
この傍から見たらバカップルにしか見えない発言がその後の展開を決定づける。
で、そのシーンはあっけなくやってくる。
演出の放棄のようなシーンの飛ばしはもう少しでギャグになっているところ。
しかもその後は残った一方が立ち直るための物語であり、そのまま家族の大切さと再生の物語になる。
幸せな二人の描写も悲しいことになった方の人生も、全て家族再生のためのダシに使われたように見えてしまうのはなぜだろう。
残された方が立ち直って前向きに歩き出すというか存在自体記憶から消し去っているように見えるのはなぜだろう。
家族の再生といってもそんなに崩壊していたわけじゃないでしょ。
皆仲のいい家族だし、ただある事件をきっかけに少し信頼関係が崩れていたってだけじゃん。
そんなどうでもいいことに命をかけたわけ?と思うと悲しいことになった方の人生がひどくちっぽけに見えてくる。
幸福な食卓というタイトルである以上家族の物語っぽいので、やっぱり奴の人生はこのどうでもいい家族が再生するためのダシなのだ。
悲しい事件は家族再生の物語にすりかわって忘れ去られる。
まあ要は登場人物に全然思い入れができなかったってことだな。
存在自体忘れ去って、ミスチルの歌声にのって前向きに歩こうぜ。
あ、そうだ。ラストひどいよ。ミスチル。
なんであんなに延々とミスチルの曲を流すの?エンドロールで流せばいいじゃん。
悲しみを胸に秘めて前向きに歩く姿を映すのであれば明るい曲調のインストかそれが嫌ならいっそ無音にしてしまえばいいのに。

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