2008年5月17日土曜日

映画『4分間のピアニスト』

2006年 監督:クリス・クラウス
at ギンレイホール




刑務所でピアノレッスンをする老教師クリューガーは、類まれなピアノの才能を持ったジェニーと出会う。
クリューガーはジェニーの才能を開花させることが残されたわずかな自分の人生の使命だと思う。
ジェニーにピアノレッスンをしたいクリューガーだが。
癇癪持ちで看守の一人を半殺しにするほど凶暴な一面を持つジェニー。
潔癖症で厳格でクラシック以外の音楽は全て下劣だと思っているクリューガー。
曲者同士、というか嫌われ者同士。
ピアノレッスンを通じて次第にお互い打ち解ける、わけでもなく、いがみ合いの中に次第に絆が生まれる、わけでもなく。
「次第に」よくなっていく、という過程なんかなくて、「次第に」と思わせてすぐ振り出しに戻ったりと行ったり来たり。
社交性のかけらも無い二人。
ただ音楽に込める熱量だけでなんとか関係性が保たれるが、その音楽も二人の嗜好が違うから危うい。
さらに二人がそれぞれ抱える過去の傷が二人を前に進ませない。

ラストシーンに笑顔を持ってくる映画が好きなんだけど、この映画のラストの笑顔は上位に入る素晴らしさ。結構ぐっとくる。
ジェニーを演じたハンナー・ヘルツシュプルングがいいな。
綺麗可愛い不細工繊細無感情凶暴などなど様々な演技を見せてくれる。
この映画に出るまでほとんど無名の女優だったらしい。


この映画の本編が始まる直前、会社らしき番号から電話が入る。
即効切って電源も落としたんだけど、映画の鑑賞中ちょくちょく気になってしょうがなかった。
休日に電話来るなんて緊急以外ないだろうし。
見終わってから電話してみるとやっぱり会社からだったんだけど大した用事じゃなかった。
くそぅ。電話かかってきた時に出てすっきりさせておいたほうがよかったな。

映画『僕のピアノコンチェルト』

2006年 監督:フレディ・M・ムーラー
at ギンレイホール




スイス。
IQが高すぎて計測不能という少年ヴィトス。
彼にはIQだけでなくピアノの才能もあった。
6歳でシューマンの「勇敢な旗手」を弾きこなす。レッスンをはじめてたった半年で。
両親はこの時天才児をピアニストとして育てる決心をする。
6年後、12歳になったヴィトスは飛び級で高校生になっていた。
しかも高校の授業ですら退屈なので授業中に新聞を読みふける。
同級生からは「教授」というあだ名をつけられ、嫌われる。
友達なんかいやしない。
ヴィトスが唯一心を許しているのはおじいちゃんだけ。

天才であるがゆえに生じる苦悩と孤独。
頭脳は大人なんだけど心は子供なのね。
教育ママに変身した母親にはそれが見えない。
唯一の理解者おじいちゃんから「迷ったときは自分の一番大事なものを手放してみろ」とアドバイスを受けたヴィトスは・・・
なんだかんだいってもやっぱ天才っていいじゃんって思わざるをえない。
なにもかも上手くいきすぎでおとぎ話、といえばそれまでだけど、結構痛快。かっこいいし。
ああ、勉強したくなってきた。

おじいちゃん役にはブルーノ・ガンツ。
ヴィトス役のテオ・ゲオルギューは映画の中で実際にピアノを弾いている。
国際コンクールで何回か優勝経験もある本物のピアニストらしい。

2008年5月10日土曜日

映画『キートンの警官騒動』

1922年 監督:バスター・キートン
BS2 録画




またまた追いかけっこなんだけど、今度は追いかける人数が半端じゃない。
100人以上の警官に追いかけられるキートン。
しかも全く捕まらずにたった一人で100人を手玉に取る。
大量の警官っていう素材を徹底的に遊びつくすから楽しい。
2,3人に追いかけられるのと違って、例えば隠れて警官達が通り過ぎるのを待つシーン一つとっても迫力が違う。
まるでバッタの大群が通り過ぎていったかのようになるし。
そして嵐が去った後の静寂の中をキートンがひょこっと現れて無表情にすたすた逃げていくのね。
でもキートンがどこに逃げてもまた警官に出くわして追いかけられてしまう。なんせ大量の警官、だからね。
静と動の緩急が絶妙。
かつ「動」の大量の警官は一人一人意思を持って別個に動くもんだからもうカオス状態で、かなりダイナミック。
大通りの逃走シーンなんてかなり面白い。
固定の俯瞰カメラが人っ子一人いない大通りを写し、そこに奥から猛スピードでキートンが手前に向かって走ってくる。
間髪いれず後ろから大量の警官達も流れ込んでくる。
と同時にキートンが走る先、つまり手前に警官が一人躍り出てきてキートンを待ち構える。
奥から押し寄せる圧倒的な流れに加えて手前にちょっとした緊張感が加わる。
猛スピードのキートンと手前の警官がぶつかりそうな距離になると、なんとキートンは突然ヘッドスライディング。
見事に警官の股を通過。
後はこの捕まえるのを空振りしてグデっと倒れた警官も奥から手前という大量の流れに合流。
恐怖の大量警官が走り去ると大通りは再び誰もいない静寂に。
すると今度は手前から再び猛スピードのキートンとそれに続くカオス状態の警官達が出てくるのね。
今度は手前から奥への圧倒的な流れ。
映画は動くことによる変化が面白いんだけど、そういう意味ではシンプルなのにこれだけ様々な表情を持った動的要素をふんだんに盛り込んでいるっていうのは凄い。
スーパーアクロバティックなはしごシーソーのシーンも面白いしな。
3Mくらいの高さの薄い壁の上を支点として、はしごでシーソー。
はしごの上にはキートンしかいないんだけど、壁を挟んだ両側でカオスの警官達がそれぞれ自分側にはしごをひきずり下ろそうとひっぱるからシーソー状態。
これって何気に一人でも動きをミスるとかなり危険だよな。

そういえば静と動の緩急がいいみたいなこと言ったけど、この警官達に追いかけられるシーケンスは作品の後半だけなのね。
じゃあ前半はというと、大量の家具を山のように積んだ荷馬車を歩かせてギャグを紡いでいくというどこかのーんびりした構成。
だから後半の追いかけっこの中で静と動が溢れているけど、作品全体の構成で言えば前半と後半で静と動になっている。

逃走の天才キートンが捕まった理由は?
ブラックなエンディングも秀逸。

映画『キートンの強盗騒動』

1921年 監督:バスター・キートン
BS2 録画


追いかけっこをひたすら魅せて飽きさせない明快で楽しい作品。
ストーリーを知ろうとするとあまり明快では無いのだけど。
百発百中のダンが仕掛けた罠はよく見ていなきゃ気づかないし、後半のおっさんが何者なのかとかなんで銃で狙われてるのかなど分からないことも多い。
でもどうでもいいや。

蒸気機関車がカメラに向かってまっすぐ走ってきて、カメラの寸前で止まったときに表れるキートンの顔のアップ。
びっくりする。機関車の先頭に座っていたのね。
このシーンは映画史上最もかっこいいシーンじゃないだろうか。

映画『キートンの電気屋敷』

1922年 監督:バスター・キートン
BS2 録画




州立大学の園芸課程を修了したキートンは手違いから電気工学課程を修了したと勘違いされて、ある邸宅の「電化」を依頼される。
邸宅の娘からはプレゼントとして「即席電気学入門」を渡される。
電気工学学んだやつにそんな本は無いだろうと思いつつもキートンにとってはこれがバイブルになる。
家人が休暇に出かけている間に猛勉強したキートンは即席でミッション完了。

なかなか面白いアイデアあり。
「動く階段」
つまりエスカレーター。
でもWikipediaだと日本では1914年に初披露されたとあるから1922年にはもうあったっぽいな。
「飛び出す本」
書棚からボタン操作で特定の本が飛び出てきて、椅子に座りながら本の出し入れができる。
あまり使えない。
「動くバスタブ」
ボタン操作でバスタブがベッドの横までレールを伝って移動してくる。
もう全く用途が分からない。
「折りたたみベッド」
ボタン操作でベッドが壁の向こうに収納される。
これは便利かも。別に電動じゃなくても、とは思うけど。
「回転○○」
キッチンで作られた食事が食卓に自動で運ばれる。
回転寿司だよ、これ。
しかも回転寿司より素晴らしいのは皿を運ぶのがベルトコンベアじゃなくておもちゃの列車だというところ。
「自動食器洗い機」
自動で食器を洗います。
・・・一個一個書いていたらきりないや。
基本的には電化する必要ないじゃんっていうくだらなさがポイントなんだけど、結構実用化されているものがあるから恐ろしい。

最後はお決まりどおり電化製品が暴れだしてカオスに。
でも今回は美女とも結ばれずにいいとこなしで終わる。

映画『キートンのハイ・サイン』

1921年 監督:バスター・キートン
BS2 録画




射的場でインチキ腕前を披露するキートン。
その射的の腕を買われて町の名士のボディガードを頼まれる。
同時にギャングのハゲ鷲団から町の名士の殺し依頼も受ける。
同じ人物を護って殺す難題。

両の手の甲を前面に向けたまま交差させて親指を鼻の下にくっつけるハゲ鷲団のハゲ鷲ポーズが楽しい。
キートンがやるとこ馬鹿にしているようにしか見えないんだけど、このポーズが思わぬところで役に立ったり。
ラストなんかこのポーズが妙にかっこいいし。
リカちゃんハウスのような家での縦横無尽のアクションはスピード感といいアイデアといい真骨頂だなぁ。

映画『キートンの文化生活一週間』

1920年 監督:バスター・キートン
BS2 録画




新婚ほやほやのバスターは叔父からもらった土地に、携帯用家屋作成キットで家作りを始める。
妻にふられた男の影の妨害でいびつな家が完成。
とはいえ、手作りの不完全な家は不完全だからこそ楽しい仕掛けが満載。
なによりトンカチと釘という、別個のものを一つに繋げてしまう万能TOOLがあれば世の中なんでも上手くいく気になってくる。

アクションも凄い。
キートンが思いっきりバイクに轢かれているように見えるんだけど。人形じゃなくて。
はしごアクションも何気に凄いし。
嵐で回転する家なんて一歩間違えたらはさまれて大怪我か即死だよなぁ。

新婚夫婦のラブラブ度も見所。
ラストの壊れるタイミングは本当に絶妙だな。

映画『キートンのゴルフ狂の夢』

1920年 監督:バスター・キートン
BS2 録画


キートンの初期作品を数本一気に見たや。
いずれも20分程度の短編。
全部面白かったのだけど、特に『キートンのゴルフ狂の夢』と『キートンの警官騒動』はかなり面白かったな。


恋人とゴルフに興じていたバスターはひょんなことから気絶中に脱走兵の手により囚人服に着替えさせられてしまう。
その着替えた瞬間から彼はもう脱走した囚人兵なのね。
本物の脱走兵の代わりに大量の看守に追われて逃げる逃げる。
捕まらずに逃げ込んだ先は運悪く刑務所。
そこで再会した恋人はバスターを認識するが恋人がいきなり囚人になっていることに何の疑問も抱かない。
ましてや他の人にとっては彼はただの囚人。
だって「囚人服着ているから囚人」なんだもん。
なんの疑念を挟む必要もない。
しかも囚人服に縫い付けられた囚人番号により本日絞首刑になる予定の囚人だと認識される。
バスターもバスターで囚人になりきっているもんだから潔く絞首刑を受け入れてしまう。
恋人の活躍で刑の執行はなんとか失敗に終わる。「恋人が囚人」は別にいいけど死んじゃうのは困るしね。
執行は延期されてバスターは平穏な囚人生活に戻ったんだけど、いいことは続くもので看守の服をゲットして脱出の機会を得る。
しかし囚人の反乱分子の親玉が暴れているところに出くわして、バスターは看守としての仕事をする。
親玉を見事に鎮めたバスターは所長に褒められて昇進し、副所長になる。
ついさっきまで囚人やっていた男なのに・・・
だって「看守服着ているから看守」なんだもん。

囚人服を着たのも看守服をゲットしたのも全部成り行きで、その成り行きに命をかけて流されてみる、ってこんなに楽しい遊びがあるか。
そしてそれをやってしまう器のでかさ。

社会の中での位置づけが全て衣装で決まり、その衣装=社会的位置づけだけで個が認識される、っていうのは理不尽だけどそんなもんだよね。
その人のことを知らなければ、まず社会的にどういう人なのかで判断するしかないんだしさ。
その人のことを知っていたら?
バスターの恋人だけはバスターをバスターとしてちゃんと認識する。
でも彼女は衣装によって決まる社会的位置づけにはひどく無関心。
一緒にゴルフやっていた恋人がいきなり死刑囚になったり看守になったりしても何も驚かないし。
どうでもいいんだよ、社会的位置づけなんて。
「バスターはバスターよね」ってことなんだから。
つまり衣装が絶対的な価値観を持っているようでいて、逆にひどくどうでもいい価値観であることも示して相対化される。
ってことも夢オチで相対化しちゃうんだけど。

前宙にドロップキックにラビットキック。バンジーを首を絞める縄で実行したり、とアクションも堪能。