BS2 録画
キートンの初期作品を数本一気に見たや。
いずれも20分程度の短編。
全部面白かったのだけど、特に『キートンのゴルフ狂の夢』と『キートンの警官騒動』はかなり面白かったな。
恋人とゴルフに興じていたバスターはひょんなことから気絶中に脱走兵の手により囚人服に着替えさせられてしまう。
その着替えた瞬間から彼はもう脱走した囚人兵なのね。
本物の脱走兵の代わりに大量の看守に追われて逃げる逃げる。
捕まらずに逃げ込んだ先は運悪く刑務所。
そこで再会した恋人はバスターを認識するが恋人がいきなり囚人になっていることに何の疑問も抱かない。
ましてや他の人にとっては彼はただの囚人。
だって「囚人服着ているから囚人」なんだもん。
なんの疑念を挟む必要もない。
しかも囚人服に縫い付けられた囚人番号により本日絞首刑になる予定の囚人だと認識される。
バスターもバスターで囚人になりきっているもんだから潔く絞首刑を受け入れてしまう。
恋人の活躍で刑の執行はなんとか失敗に終わる。「恋人が囚人」は別にいいけど死んじゃうのは困るしね。
執行は延期されてバスターは平穏な囚人生活に戻ったんだけど、いいことは続くもので看守の服をゲットして脱出の機会を得る。
しかし囚人の反乱分子の親玉が暴れているところに出くわして、バスターは看守としての仕事をする。
親玉を見事に鎮めたバスターは所長に褒められて昇進し、副所長になる。
ついさっきまで囚人やっていた男なのに・・・
だって「看守服着ているから看守」なんだもん。
囚人服を着たのも看守服をゲットしたのも全部成り行きで、その成り行きに命をかけて流されてみる、ってこんなに楽しい遊びがあるか。
そしてそれをやってしまう器のでかさ。
社会の中での位置づけが全て衣装で決まり、その衣装=社会的位置づけだけで個が認識される、っていうのは理不尽だけどそんなもんだよね。
その人のことを知らなければ、まず社会的にどういう人なのかで判断するしかないんだしさ。
その人のことを知っていたら?
バスターの恋人だけはバスターをバスターとしてちゃんと認識する。
でも彼女は衣装によって決まる社会的位置づけにはひどく無関心。
一緒にゴルフやっていた恋人がいきなり死刑囚になったり看守になったりしても何も驚かないし。
どうでもいいんだよ、社会的位置づけなんて。
「バスターはバスターよね」ってことなんだから。
つまり衣装が絶対的な価値観を持っているようでいて、逆にひどくどうでもいい価値観であることも示して相対化される。
ってことも夢オチで相対化しちゃうんだけど。
前宙にドロップキックにラビットキック。バンジーを首を絞める縄で実行したり、とアクションも堪能。
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