2014年 監督:ジェームズ・マーシュ
製作国:イギリス
at ギンレイホール
イギリスの物理学者スティーヴン・ホーキングのお話。
大学時代に難病ALSを発症して余命2年と宣告される。
付き合い始めた彼女は彼を支え続けることを決意する。
この彼女が天使すぎる。
付き合い始めて間もないはずなんだけど、よくそんな決心したな。
敬虔なクリスチャンだからというのもあるだろうけど、多少は献身的な自分に酔っていたりもするんじゃないだろうかと思ってしまう。
演じたのがフェリシティ・ジョーンズっていう綺麗な人だったということもあり、それでも彼女の決心に天使すぎる、と言いたくなるのだけど。
まあ、結果的に天使じゃなかったが、部外者は誰も彼女を責められないよね。
スティーヴン・ホーキングの偉大さとかそこらへんの描写は少ない。夫婦の物語が主題だから。
いい人が多すぎるものの、なかなか面白かった。
2015年8月23日日曜日
映画『6才のボクが、大人になるまで。』
2014年 監督:リチャード・リンクレイター
製作国:アメリカ
at ギンレイホール
いつもどおり30分前に行ったら、もう外に並んでいる人たちがいる。
当然満席。こんなに込んでいるギンレイホールは久しぶりだ。
映画は6才の少年が18歳になるまでを追った成長記録。
12年間だけど俳優/女優の交代無し。
つまり12年に渡り毎年?少しずつ撮影したらしい。
誰か事故にでもあってしまったら一気にパーだよね。よく金出したな。
まあ面白かったけど、とにかく長い。
165分あったっぽい。
満席で館内は蒸し暑く、いつもは空席の隣におっさんが座ってしかも肘掛を独占するもんだから圧迫感で落ち着かない、っていうのもあって、120分くらいでもう疲れてしまった。
12年間を描くわけだから165分でも足りないのかもしれないけどさ。
主演はエラー・コルトレーン。
一本の映画で少年が成長していく姿を見るのはなかなか新鮮。
両親役にパトリシア・アークエットとイーサン・ホーク。
姉役にローレライ・リンクレイター。監督の娘らしい。(ちゃっかり娘の成長記録も撮ったということか)
身内びいきと言いたい所だけど、ローレライ・リンクレイターが結構味があってなかなかの存在感を放っていた。
駄目な男にばかり引っかかる母親とか、青年の恋とか夢とか、ありがちといえばありがちな話だけど、12年間の断片的なスナップショットは積み重なって効果を発揮してくる。
どうせ見るなら落ち着いた環境でじっくり見たかったな。
製作国:アメリカ
at ギンレイホール
いつもどおり30分前に行ったら、もう外に並んでいる人たちがいる。
当然満席。こんなに込んでいるギンレイホールは久しぶりだ。
映画は6才の少年が18歳になるまでを追った成長記録。
12年間だけど俳優/女優の交代無し。
つまり12年に渡り毎年?少しずつ撮影したらしい。
誰か事故にでもあってしまったら一気にパーだよね。よく金出したな。
まあ面白かったけど、とにかく長い。
165分あったっぽい。
満席で館内は蒸し暑く、いつもは空席の隣におっさんが座ってしかも肘掛を独占するもんだから圧迫感で落ち着かない、っていうのもあって、120分くらいでもう疲れてしまった。
12年間を描くわけだから165分でも足りないのかもしれないけどさ。
主演はエラー・コルトレーン。
一本の映画で少年が成長していく姿を見るのはなかなか新鮮。
両親役にパトリシア・アークエットとイーサン・ホーク。
姉役にローレライ・リンクレイター。監督の娘らしい。(ちゃっかり娘の成長記録も撮ったということか)
身内びいきと言いたい所だけど、ローレライ・リンクレイターが結構味があってなかなかの存在感を放っていた。
駄目な男にばかり引っかかる母親とか、青年の恋とか夢とか、ありがちといえばありがちな話だけど、12年間の断片的なスナップショットは積み重なって効果を発揮してくる。
どうせ見るなら落ち着いた環境でじっくり見たかったな。
2015年8月9日日曜日
映画『アメリカン・スナイパー』
2014年 監督:クリント・イーストウッド
製作国:アメリカ
at ギンレイホール
これはカンフー映画だ。
ってドリル男が出てきたときに思った。
わかりやすいラスボスがいて、そのラスボスをやっつけるというカタルシスを得るまでつっきるストーリー。
戦争で精神を病むとかラスボス後のくだりはおまけで。
主人公側は正義、敵側は悪。
と、これが架空の国の架空の人物の話であったなら、手放しで喜んだかもしれないけど、主人公クリス・カイルは実在の人物だし、戦争はイラク戦争を描いている。
そうなると見方は全然違ってくる。
話の流れ上、9.11のあとにイラク戦争に突入しているような感じだから、憎き敵イラクみたいになっちゃっているけど、イラク、関係ないじゃん。
それにイラク戦争自体アメリカが難癖つけて勝手に開戦したのであって、そのアメリカの兵士がPTSDになろうが、知らんがな、と思ってしまう。
戦争で160人以上の敵を射殺した伝説のスナイパークリス・カイルの最初の殺人は、少年とその母親だったけど、戦争とはいえ少年や女を殺さなきゃいけないなんて、戦争ってひどいね、っていう感情よりも、こんな女子供までがアメリカを憎んでいる!って事のほうが先に来る。
敵国イラク側の描写もひどい。まるで残虐で低能で好戦的な野蛮人しかいないかのようだし、アメリカ兵士のイラク人に対する蔑視もひどい。(まあそのおかげで戦闘シーンを普通のアクション映画のように楽しめたりもするんだけど)
そんなわけで、右脳で楽しんで左脳でしらけるという不思議な感覚での鑑賞となった。
こんな映画、中東の人たちには見せられないよなと思いつつ、結末が奇跡的に皮肉な話になっていたので、見ても大丈夫かもと思ったりもする。
無音の黙祷のようなエンドロールが始まって、監督は誰だよ、って目を凝らしていたら、なんとクリント・イーストウッド。
まじか、心の中で悪態つきまくっちゃったけど、俺なんかこの映画を見誤ったのかもと不安になって人の意見を知りたくてネットで調べてみた。
まずウェイン町山
http://miyearnzzlabo.com/archives/22576
なんかアメリカで凄い論争になっているみたいね。
で、町山氏によると、これは戦争を賛美なんかしていない。英雄もいないし、ただ壊れゆく男を描いた話なんだ、なんでそれがわからないんだ、馬鹿ばっかりだ、と。
俺もその馬鹿の一人かもしれない。
いや、そりゃあ戦争を賛美していないことくらいは分かるけどさ、この映画を何も背景を知らずに見たとしたらさ、9.11で多くの命が失われて、テロ許すまじ、ってことで戦争(なぜかイラク戦争)が始まって、その聖戦の中で多くの兵士たちが傷つき倒れ、生き残った兵士もPTSDにかかり、なんにもいいことないのに正義の国アメリカは悪をたたくべく傷つきながら戦っています!っていうふうにしか見えない。
つまりイラク戦争を肯定し、アメリカの正義を訴え、アメリカ最高、アメリカ万歳、ってことでしょ。
壊れゆく男なんてアメリカ万歳に帰結するだけの1要素でしかない。
そんなに精神が病んでいく過程をじっくり描いているわけでもないしさ。
翻訳がよみづらいけどこんな記事もある。
http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2015/02/post-3dd2.html
これ読むと、アメリカで起こった論争って、論争というか一方的で、この映画に対する批判は一切許されないみたいな状況っぽい。
恐ろしいね。
あと、同ページからのアメリカのイラク占領の話。
ファルージャを調べたらこういうのが引っかかった。
ファルージャ総攻撃の実態
あと、今頃知ったけど、9.11陰謀説なるものもあるんだね。Wikiにもある。
アメリカ同時多発テロ事件陰謀説
真偽のほどはおいておいて、こういう説を唱える人ってどういう気持ちなんだろう。
大統領の人気取りとか経済復興だとかそんな理由で自国民を3000人も犠牲にするやつが世界のTOPだったということに戦慄した上で説を唱えているのだろうか。
イーストウッド自身は『とにかくイラク戦争には反対だ』とはっきり言っているらしい。
PTSDを描きたかったにしても、イラク戦争を題材にし、かつ観客を楽しませるためかイラク戦争をスリリングなアクション映画かのように描いてしまったら、戦争の悲惨さを伝えてもなんだかしらけてしまう。
イーストウッドの意図は知らないが、想像するに、イーストウッドは単にアメリカの一兵士の視点から淡々とこの戦争を描きたかったのではないだろうか。
原作となったクリス・カイルの手記からは、もっとファシスト的で過激な人物像が浮かび上がるらしいが、この映画ではそこを薄めている。
そういう操作はするけど、基本的にはありのまま描く。
一兵士とそれをとりまく人々から見れば、イラク戦争は悪を打ち砕く聖戦であり、イラク人は嫌悪すべき卑劣な野蛮人。
こういう一方的なアメリカ視点で描いて一平凡市民達のアメリカ万歳のような姿勢を貫くことで、批判とかイラク戦争を見つめなおすきっかけとなることを期待していたのかもしれない・・し、していないのかもしれない。
製作国:アメリカ
at ギンレイホール
これはカンフー映画だ。
ってドリル男が出てきたときに思った。
わかりやすいラスボスがいて、そのラスボスをやっつけるというカタルシスを得るまでつっきるストーリー。
戦争で精神を病むとかラスボス後のくだりはおまけで。
主人公側は正義、敵側は悪。
と、これが架空の国の架空の人物の話であったなら、手放しで喜んだかもしれないけど、主人公クリス・カイルは実在の人物だし、戦争はイラク戦争を描いている。
そうなると見方は全然違ってくる。
話の流れ上、9.11のあとにイラク戦争に突入しているような感じだから、憎き敵イラクみたいになっちゃっているけど、イラク、関係ないじゃん。
それにイラク戦争自体アメリカが難癖つけて勝手に開戦したのであって、そのアメリカの兵士がPTSDになろうが、知らんがな、と思ってしまう。
戦争で160人以上の敵を射殺した伝説のスナイパークリス・カイルの最初の殺人は、少年とその母親だったけど、戦争とはいえ少年や女を殺さなきゃいけないなんて、戦争ってひどいね、っていう感情よりも、こんな女子供までがアメリカを憎んでいる!って事のほうが先に来る。
敵国イラク側の描写もひどい。まるで残虐で低能で好戦的な野蛮人しかいないかのようだし、アメリカ兵士のイラク人に対する蔑視もひどい。(まあそのおかげで戦闘シーンを普通のアクション映画のように楽しめたりもするんだけど)
そんなわけで、右脳で楽しんで左脳でしらけるという不思議な感覚での鑑賞となった。
こんな映画、中東の人たちには見せられないよなと思いつつ、結末が奇跡的に皮肉な話になっていたので、見ても大丈夫かもと思ったりもする。
無音の黙祷のようなエンドロールが始まって、監督は誰だよ、って目を凝らしていたら、なんとクリント・イーストウッド。
まじか、心の中で悪態つきまくっちゃったけど、俺なんかこの映画を見誤ったのかもと不安になって人の意見を知りたくてネットで調べてみた。
まずウェイン町山
http://miyearnzzlabo.com/archives/22576
なんかアメリカで凄い論争になっているみたいね。
で、町山氏によると、これは戦争を賛美なんかしていない。英雄もいないし、ただ壊れゆく男を描いた話なんだ、なんでそれがわからないんだ、馬鹿ばっかりだ、と。
俺もその馬鹿の一人かもしれない。
いや、そりゃあ戦争を賛美していないことくらいは分かるけどさ、この映画を何も背景を知らずに見たとしたらさ、9.11で多くの命が失われて、テロ許すまじ、ってことで戦争(なぜかイラク戦争)が始まって、その聖戦の中で多くの兵士たちが傷つき倒れ、生き残った兵士もPTSDにかかり、なんにもいいことないのに正義の国アメリカは悪をたたくべく傷つきながら戦っています!っていうふうにしか見えない。
つまりイラク戦争を肯定し、アメリカの正義を訴え、アメリカ最高、アメリカ万歳、ってことでしょ。
壊れゆく男なんてアメリカ万歳に帰結するだけの1要素でしかない。
そんなに精神が病んでいく過程をじっくり描いているわけでもないしさ。
翻訳がよみづらいけどこんな記事もある。
http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2015/02/post-3dd2.html
これ読むと、アメリカで起こった論争って、論争というか一方的で、この映画に対する批判は一切許されないみたいな状況っぽい。
恐ろしいね。
あと、同ページからのアメリカのイラク占領の話。
ファルージャ(白リン弾が使用された)や、レジスタンスが潰された他の都市の大量殺戮、アブグレイブでの蛮行、ハディサの大虐殺、マハムディヤでの14歳のイラク人少女輪姦と彼女の家族の虐殺、“レブンワース10”として知られている、バグダッドのアメリカ軍人集団がおかした戦争犯罪、ハムダニアで海兵隊員が行った殺人、“巻き添え殺戮”として知られるバグダッド空爆や、他の無数の残虐行為を、イラク占領は生み出した。記事書いたのアメリカ人だと思うけど「アメリカ軍・諜報機関は、地球上における暴力行為とテロの主要勢力だ」と言ってしまうところが凄い。
イラク国民にむけられた暴力行為や破壊行為は、アメリカ軍がイラクで日常的に行っているのだが、氷山の一角だけしか一般には知られない。これは植民国家“反乱鎮圧作戦”の本質だ。世界中の非常に多くの人々が十分過ぎるくらい理解している通り、アメリカ軍・諜報機関は、地球上における暴力行為とテロの主要勢力だ。
ファルージャを調べたらこういうのが引っかかった。
ファルージャ総攻撃の実態
あと、今頃知ったけど、9.11陰謀説なるものもあるんだね。Wikiにもある。
アメリカ同時多発テロ事件陰謀説
真偽のほどはおいておいて、こういう説を唱える人ってどういう気持ちなんだろう。
大統領の人気取りとか経済復興だとかそんな理由で自国民を3000人も犠牲にするやつが世界のTOPだったということに戦慄した上で説を唱えているのだろうか。
イーストウッド自身は『とにかくイラク戦争には反対だ』とはっきり言っているらしい。
PTSDを描きたかったにしても、イラク戦争を題材にし、かつ観客を楽しませるためかイラク戦争をスリリングなアクション映画かのように描いてしまったら、戦争の悲惨さを伝えてもなんだかしらけてしまう。
イーストウッドの意図は知らないが、想像するに、イーストウッドは単にアメリカの一兵士の視点から淡々とこの戦争を描きたかったのではないだろうか。
原作となったクリス・カイルの手記からは、もっとファシスト的で過激な人物像が浮かび上がるらしいが、この映画ではそこを薄めている。
そういう操作はするけど、基本的にはありのまま描く。
一兵士とそれをとりまく人々から見れば、イラク戦争は悪を打ち砕く聖戦であり、イラク人は嫌悪すべき卑劣な野蛮人。
こういう一方的なアメリカ視点で描いて一平凡市民達のアメリカ万歳のような姿勢を貫くことで、批判とかイラク戦争を見つめなおすきっかけとなることを期待していたのかもしれない・・し、していないのかもしれない。
映画『おやすみなさいを言いたくて』
2013年 監督:エリック・ポッペ
製作国:ノルウェー/アイルランド/スウェーデン
at ギンレイホール
戦場カメラマンのレベッカ(ジュリエット・ビノシュ)は紛争地帯を飛び回る生活を続けている。
たまに帰る家には、優しくイケメンの夫と二人の娘が待っている。
一見幸せそうな家族だが、夫や娘たちは、レベッカがいつ命を落とすかということに常におびえており、精神的に疲れ果ててしまっている。
それを知ったレベッカは、もう紛争地帯には行かないで家族と暮らすことを決意するのだったが。
っていう話。
見ていればわかるけど、レベッカはかなりやばいやつだ。
自分は崇高な仕事をしているという自負に基づいて、理解しない家族に当り散らさないところが救われると思っていたけど、難民キャンプのシーンを見たらそんなのすっ飛ぶ。
娘の安全は守られていたのかもしれないが、母親として側にいないでどうすんだ。
がんがん踏み込んで写真をとりまくるレベッカも、たまたまどっかの軍が助けに来たからよかったものの、あのままだったら確実に殺されていたよね。
その後国連軍が介入してきたのは写真のおかげみたいな流れになっているけど、証拠として判別できる程度の遠くからの写真一枚で十分だし、写真なんか無くても報告だけでもいいよね。
人にカメラを向ける行為って昔からさんざん議論がなされていると思うけど、この映画を見ていると、人の悲しみとか苦しさに平和な国の人間が無遠慮に土足で踏み込んでいくような印象しか受けなかった。
撮られた写真が世界に公開されて自分たちの生活がいい方向に変わるかも、なんて撮られる側は一ミリも考えていないはず。
娘が発表会で、最初は躊躇したけどだんだん抵抗はなくなった。なぜなら彼らは撮られたがっていると感じたから。みたいなことを言っていた気がするけど、大きな勘違いだ。
彼らが怒らないのは生きるのが苦しくてそれどころじゃないから。紛争地帯で、世界に訴えたい、知ってほしい!と思ってカメラに納まる人がいったい何人いるんだろうか。
でも、まあなんだかんだいってもつまらなかったわけじゃなくて、なかなか面白かったんだけどね。
ジュリエット・ビノシュは家庭と仕事の狭間に立たされる葛藤やら狂ったような使命感とか自然に表現して見ごたえがある。
で、そのジュリエット・ビノシュより目立っているのが長女ステフ役のローリン・キャニー。
この子凄いわ。
ビーバーっぽい口元がキュートで、なにより目がきれい。
そのきれいな目が悲しみや不安やあきらめ等、さまざまな感情をまっすぐに訴えてくる。
これが映画デビューらしい。
製作国:ノルウェー/アイルランド/スウェーデン
at ギンレイホール
戦場カメラマンのレベッカ(ジュリエット・ビノシュ)は紛争地帯を飛び回る生活を続けている。
たまに帰る家には、優しくイケメンの夫と二人の娘が待っている。
一見幸せそうな家族だが、夫や娘たちは、レベッカがいつ命を落とすかということに常におびえており、精神的に疲れ果ててしまっている。
それを知ったレベッカは、もう紛争地帯には行かないで家族と暮らすことを決意するのだったが。
っていう話。
見ていればわかるけど、レベッカはかなりやばいやつだ。
自分は崇高な仕事をしているという自負に基づいて、理解しない家族に当り散らさないところが救われると思っていたけど、難民キャンプのシーンを見たらそんなのすっ飛ぶ。
娘の安全は守られていたのかもしれないが、母親として側にいないでどうすんだ。
がんがん踏み込んで写真をとりまくるレベッカも、たまたまどっかの軍が助けに来たからよかったものの、あのままだったら確実に殺されていたよね。
その後国連軍が介入してきたのは写真のおかげみたいな流れになっているけど、証拠として判別できる程度の遠くからの写真一枚で十分だし、写真なんか無くても報告だけでもいいよね。
人にカメラを向ける行為って昔からさんざん議論がなされていると思うけど、この映画を見ていると、人の悲しみとか苦しさに平和な国の人間が無遠慮に土足で踏み込んでいくような印象しか受けなかった。
撮られた写真が世界に公開されて自分たちの生活がいい方向に変わるかも、なんて撮られる側は一ミリも考えていないはず。
娘が発表会で、最初は躊躇したけどだんだん抵抗はなくなった。なぜなら彼らは撮られたがっていると感じたから。みたいなことを言っていた気がするけど、大きな勘違いだ。
彼らが怒らないのは生きるのが苦しくてそれどころじゃないから。紛争地帯で、世界に訴えたい、知ってほしい!と思ってカメラに納まる人がいったい何人いるんだろうか。
でも、まあなんだかんだいってもつまらなかったわけじゃなくて、なかなか面白かったんだけどね。
ジュリエット・ビノシュは家庭と仕事の狭間に立たされる葛藤やら狂ったような使命感とか自然に表現して見ごたえがある。
で、そのジュリエット・ビノシュより目立っているのが長女ステフ役のローリン・キャニー。
この子凄いわ。
ビーバーっぽい口元がキュートで、なにより目がきれい。
そのきれいな目が悲しみや不安やあきらめ等、さまざまな感情をまっすぐに訴えてくる。
これが映画デビューらしい。
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