2015年8月9日日曜日

映画『アメリカン・スナイパー』

2014年 監督:クリント・イーストウッド
製作国:アメリカ
at ギンレイホール




これはカンフー映画だ。
ってドリル男が出てきたときに思った。
わかりやすいラスボスがいて、そのラスボスをやっつけるというカタルシスを得るまでつっきるストーリー。
戦争で精神を病むとかラスボス後のくだりはおまけで。
主人公側は正義、敵側は悪。

と、これが架空の国の架空の人物の話であったなら、手放しで喜んだかもしれないけど、主人公クリス・カイルは実在の人物だし、戦争はイラク戦争を描いている。
そうなると見方は全然違ってくる。
話の流れ上、9.11のあとにイラク戦争に突入しているような感じだから、憎き敵イラクみたいになっちゃっているけど、イラク、関係ないじゃん。
それにイラク戦争自体アメリカが難癖つけて勝手に開戦したのであって、そのアメリカの兵士がPTSDになろうが、知らんがな、と思ってしまう。
戦争で160人以上の敵を射殺した伝説のスナイパークリス・カイルの最初の殺人は、少年とその母親だったけど、戦争とはいえ少年や女を殺さなきゃいけないなんて、戦争ってひどいね、っていう感情よりも、こんな女子供までがアメリカを憎んでいる!って事のほうが先に来る。
敵国イラク側の描写もひどい。まるで残虐で低能で好戦的な野蛮人しかいないかのようだし、アメリカ兵士のイラク人に対する蔑視もひどい。(まあそのおかげで戦闘シーンを普通のアクション映画のように楽しめたりもするんだけど)

そんなわけで、右脳で楽しんで左脳でしらけるという不思議な感覚での鑑賞となった。
こんな映画、中東の人たちには見せられないよなと思いつつ、結末が奇跡的に皮肉な話になっていたので、見ても大丈夫かもと思ったりもする。

無音の黙祷のようなエンドロールが始まって、監督は誰だよ、って目を凝らしていたら、なんとクリント・イーストウッド。
まじか、心の中で悪態つきまくっちゃったけど、俺なんかこの映画を見誤ったのかもと不安になって人の意見を知りたくてネットで調べてみた。

まずウェイン町山
http://miyearnzzlabo.com/archives/22576
なんかアメリカで凄い論争になっているみたいね。
で、町山氏によると、これは戦争を賛美なんかしていない。英雄もいないし、ただ壊れゆく男を描いた話なんだ、なんでそれがわからないんだ、馬鹿ばっかりだ、と。
俺もその馬鹿の一人かもしれない。
いや、そりゃあ戦争を賛美していないことくらいは分かるけどさ、この映画を何も背景を知らずに見たとしたらさ、9.11で多くの命が失われて、テロ許すまじ、ってことで戦争(なぜかイラク戦争)が始まって、その聖戦の中で多くの兵士たちが傷つき倒れ、生き残った兵士もPTSDにかかり、なんにもいいことないのに正義の国アメリカは悪をたたくべく傷つきながら戦っています!っていうふうにしか見えない。
つまりイラク戦争を肯定し、アメリカの正義を訴え、アメリカ最高、アメリカ万歳、ってことでしょ。
壊れゆく男なんてアメリカ万歳に帰結するだけの1要素でしかない。
そんなに精神が病んでいく過程をじっくり描いているわけでもないしさ。

翻訳がよみづらいけどこんな記事もある。
http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2015/02/post-3dd2.html
これ読むと、アメリカで起こった論争って、論争というか一方的で、この映画に対する批判は一切許されないみたいな状況っぽい。
恐ろしいね。
あと、同ページからのアメリカのイラク占領の話。
ファルージャ(白リン弾が使用された)や、レジスタンスが潰された他の都市の大量殺戮、アブグレイブでの蛮行、ハディサの大虐殺、マハムディヤでの14歳のイラク人少女輪姦と彼女の家族の虐殺、“レブンワース10”として知られている、バグダッドのアメリカ軍人集団がおかした戦争犯罪、ハムダニアで海兵隊員が行った殺人、“巻き添え殺戮”として知られるバグダッド空爆や、他の無数の残虐行為を、イラク占領は生み出した。

イラク国民にむけられた暴力行為や破壊行為は、アメリカ軍がイラクで日常的に行っているのだが、氷山の一角だけしか一般には知られない。これは植民国家“反乱鎮圧作戦”の本質だ。世界中の非常に多くの人々が十分過ぎるくらい理解している通り、アメリカ軍・諜報機関は、地球上における暴力行為とテロの主要勢力だ。
記事書いたのアメリカ人だと思うけど「アメリカ軍・諜報機関は、地球上における暴力行為とテロの主要勢力だ」と言ってしまうところが凄い。

ファルージャを調べたらこういうのが引っかかった。
ファルージャ総攻撃の実態

あと、今頃知ったけど、9.11陰謀説なるものもあるんだね。Wikiにもある。
アメリカ同時多発テロ事件陰謀説
真偽のほどはおいておいて、こういう説を唱える人ってどういう気持ちなんだろう。
大統領の人気取りとか経済復興だとかそんな理由で自国民を3000人も犠牲にするやつが世界のTOPだったということに戦慄した上で説を唱えているのだろうか。


イーストウッド自身は『とにかくイラク戦争には反対だ』とはっきり言っているらしい。
PTSDを描きたかったにしても、イラク戦争を題材にし、かつ観客を楽しませるためかイラク戦争をスリリングなアクション映画かのように描いてしまったら、戦争の悲惨さを伝えてもなんだかしらけてしまう。
イーストウッドの意図は知らないが、想像するに、イーストウッドは単にアメリカの一兵士の視点から淡々とこの戦争を描きたかったのではないだろうか。
原作となったクリス・カイルの手記からは、もっとファシスト的で過激な人物像が浮かび上がるらしいが、この映画ではそこを薄めている。
そういう操作はするけど、基本的にはありのまま描く。
一兵士とそれをとりまく人々から見れば、イラク戦争は悪を打ち砕く聖戦であり、イラク人は嫌悪すべき卑劣な野蛮人。
こういう一方的なアメリカ視点で描いて一平凡市民達のアメリカ万歳のような姿勢を貫くことで、批判とかイラク戦争を見つめなおすきっかけとなることを期待していたのかもしれない・・し、していないのかもしれない。

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