2019年4月30日火曜日

映画『雨上がりの駅で』

1996年 監督:ピーター・デル・モンテ
製作国:イタリア
DVD


雨上がりの駅で [DVD]

バーや犬の散歩のバイトをしながら女友達や男の家を泊まり渡る根無し草のコラ(アーシア・アルジェント)。
ある日犬の散歩の雇い主から、痴呆症を患った父親を尾行して父親が迷子になったら知らせてほしいと頼まれる。
老人コジモ(ミシェル・ピコリ)とコラの付かず離れずのロードムービー。

タイトルロール中のミシェル・ピコリ、階段に座り込んで買ったばかりのスリッパやネクタイを確認するだけなんだけど、その所作だけでもう引き込まれる。
あまりセリフがないのにあのにじみ出る優しさと悲しみはなんなんだろう。
そしてアーシア・アルジェント。
三白眼の力強い瞳が美しくて儚い。
この力強さと儚さの同居が役柄に合っていることも加わって神がかった存在感を残していて、時にはっとするほど美しい。
どちらかというと美人だけど決して美人女優じゃないのにな。
あまり笑わないしぱっと見表情豊かに見えないかもしれないけど、こんなに魅力的で繊細な表情をする女優を他に知らない。喜怒哀楽の表情が豊かなだけの女優がアホに見えてくる。
映像に映えるという点では当時のアーシア・アルジェントは最強だろう。
この映画が名作なのはミシェル・ピッコリとアーシア・アルジェントによるところが大きくて、アーシア以外の女優だったら「ふーん」で終わったかもしれない。

公開当時、今はなき銀座テアトル西友で観たんだけど、ラストシーンでぼろぼろ泣いてエンドロール終わっても胸がいっぱいで暫く席から立ち上がれなかった。
映画見てこれほど感動したのは後にも先にも他になかった気がする。
なのでブログのタイトルに役名使うくらいのお気に入り作品なんだけど、感動したのは若かったからで、今見ても別に面白くないんじゃないかという気がしていた。
いやぁ~取り越し苦労。今見ても名作だった。

この映画あんまり有名じゃないしネットで見ても評価はそんなに高くないみたいだな。
たぶんストーリーがあまり説明がなく細かい部分が分かりづらいってのも理由だろう。
俺もいまだに細かいところよく分っていない。
でもそんなのどうでもいいくらいにアーシア・アルジェントとミシェル・ピコリさえ見ていればラストで泣ける。

演出的にはビクトル・エリセに近い(やべぇ怒られそう)。
ビクトル・エリセ好きにビクトル・エリセは3本しか長編撮ってないと言われるけど実はこれもビクトル・エリセが撮ったんだよと言って見せたら5割以上の人が信じるんじゃないだろうか。(イタリア語であることに疑問を持たない前提で)
ピーター・デル・モンテは今何してるんだろう。


<ストーリー補足とか不明点(ネタばれ含む)>

母親は事故か自殺でコラが幼い頃に亡くなっている。
そのことがコラと兄の二人に暗い影を落とす一因になっている。
愛されなかったことから愛を拒絶とか将来に希望を持てないとかそんな影。
兄はソーシャルワーカーにお世話になっている模様。

駅まで送るのも拒否した兄が妹の列車をずっと車で追いかけ続けたのは謎。
なんかわからんが前に進もうとしたのか。
兄がコジモを置いてけぼりにしたのも謎。
コジモに誰かと勘違いされて親しくされて離れがたくなったがこのままではまずいと思ったか。
あのブローチみたいなやつがキーっぽいが前のシーンで出てたかな。

コラの飛び降りは全てが嫌になった自殺だけど、母親のトレースであり、入水による浄化の儀式にもなっているのかな。
過去を受け止めてちゃんと前を向き出すきっかけ。
陶器工場の主任っぽいおばさんが一人椅子に座って頭をゆすったのは謎だけど、なんか過去に娘を自殺で失ったとかそういうトラウマがあったに違いない。

列車に向かって手を振る男女4人組はカップルに続けて田舎の仲のいい四人組の幸せそうな風景をコラに見せただけかと思っていたけど、今見返すとこの4人ってローマにいるコラの友達っぽいな。
友達の幻が列車に手を振っているのって、やっと人とちゃんと向き合えるようになったコラに手を振っているのかな。
まだ嫌になった状態ならバイバイしているのかも。
バイバイであれば絶望であり、その後の写真裏の「旅の道連れ」が効いてくる。

あと妊婦のいるところに車でやってきたのはたぶん雇い主の夫で、この時は他人同士だったからその後一気に恋仲になったと思われる。
そもそもそんな不倫話いるのかって気もするが、走り出す列車から首だけ出す雇い主が可愛そうだけど意外と名シーン。

2019年4月28日日曜日

映画『万引き家族』

2018年 監督:是枝裕和
製作国:日本
at ギンレイホール




父:治(リリー・フランキー)
母:信代(安藤サクラ)
祖母:初枝(樹木希林)
息子:祥太(城桧吏)
母の妹:亜紀(松岡茉優)
拾ってきた子:ゆり(佐々木みゆ)

「次々と明かされていく、家族の秘密」って宣伝的には謳い文句にしたいんだろうけど、是枝作品なのでそういう驚き的なものにドラマチックな展開を付与して明かすような脚本じゃない。
家族の関係は何気ない一言やシーンでしれっと判明する。
ドラマは主幹である家族の関係性にこそあればよく、秘密はこの関係性の間に揺らいでいる一要素でしかないから。
寄り添い生きる家族の、思いやりや利己性、信頼と不信、強いのかもろいのか分からない絆、そういう繊細な関係性が静かに熱い物語。
映像はしっとりして名シーンが多く、細野晴臣の音楽も主張しすぎずいい感じだし、役者達の抑制された自然な演技はぐっとくるしで、すべてが高水準で面白かった。

特に安藤サクラはすごいな。
朝ドラで「萬平さ~ん」とかいってニコニコしている安藤サクラに「これじゃない感」のフラストレーションが溜まっていたけど、一気に解消したわ。

映画『カメラを止めるな!』

2018年 監督:上田慎一郎
製作国:日本
at ギンレイホール




広い建物内で声が響きまくって聞きづらいし、無駄すぎる変な無言の間があるし、急にカメラ目線だし、途中からゾンビをぐわんぐわんズームしてださいし、斧を偶然拾うの棒読みだし、斧持って叫んでいるシーンが異様に長いし等々書ききれないくらいへんてこなシーンが多く、ワンカットの凄さ以外には何も面白いところがなかった。
苦痛すら感じるくらいで、途中一人劇場から退席したのも納得できる。
なんかあっという間に終わってなんじゃこりゃと思っていると続きが。。。
マニアックなとんでもB級映画としてヒットしたのかと勘違いしてしまった。

なかなか面白かった。
それにしても個性的でクセの強い俳優が多いなぁ。コメディに映える。

2019年4月14日日曜日

映画『パッドマン 5億人の女性を救った男』

2018年 監督:R・バールキ
製作国:インド
at ギンレイホール





「も~どこまでいっちゃうの~って」
ギンレイで並んで待っているときに見終わって出てきた女性二人組がこんなこと言って通り過ぎていった。
鑑賞して、本当どこまでいっちゃうの~だった。

昔ながらの慣習が残るインドの村で、嫁が好きすぎる筋肉おじさんラクシュミ(アクシャイ・クマール)は妻のために生理用ナプキンを買い求める。
これがくそ高い。
こんなの自分で作れんじゃねと思って綿を使って自作してプレゼントするが、やっぱり吸収率はよくなく、汚してしまったと妻に責められてしまう。
インドでは生理はダブーで、期間中はなんか離れたところで生活し、女性は使い古した汚い布で凌ぐという状態。
そんなんだから男性が生理について語ったり携わったりするなんてもってのほか。
しかしこの汚い布が原因で病気になる女性が後を絶たず、妻大好きラクシュミは妻のために生理用ナプキンの試作に没頭していく。

ミュージカルシーンはほとんど無いものの、冒頭の音楽から最高だ。
そして脚本(実話に基づき脚色を加えているとのこと)が抜群に面白い。
笑い、怒り、悲しみ、喜び、いろんな感情に溢れた上、古い慣習(ガヤトリ)と新しい女性(パリー)との対比に恋愛要素まで盛り込んできやがる。
ラストのスピーチは前半長くていらなくないかと思ったけど、後半の加速は前半あってのもので、なかなか圧巻の感動スピーチになっている。
安価なナプキン作っただけの男の話かと思いきや、本当どこまでいっちゃうの~、だ。

後にちゃんと購入していると思うけど、長い試作期間中に材料のセルロース・ファイバーはサンプルだけじゃ絶対足りないよな。

映画『ブレス しあわせの呼吸』

2017年 監督:アンディ・サーキス
製作国:イギリス
at ギンレイホール




ロマン・デュリスに雰囲気が似ていると思う『ソーシャル・ネットワーク』や『ハクソー・リッジ』のアンドリュー・ガーフィールドと、なかなかの美人だけど出演作も多くなくて初めて見たクレア・フォイっていうって女優が主演。

ロビン(アンドリュー・ガーフィールド)とダイアナ(クレア・フォイ)夫妻は第一子も身籠って幸せの真っ只中にいたが、ロビンがポリオに感染して全身麻痺になってしまう。
生きることを諦めつつあったロビンだが、妻の献身的な支えによって生きられるだけ(それも楽しく)生きてやろうと決意する。

ドイツの施設は驚きだね。
絶対発狂するわ。

二人の出会いから描かれていて、結婚して発病するまで実際にはいくらか年月を経ていると思うけど、感覚的にはついこないだ知り合ったばかりなのによくそこまで献身的にできるなぁと思ってしまう。
発病までをだらだら描いてもかったるいものの、せめて夫婦になった後から始めるなりにしてほしかったな。
実際には妻は子育てや家事をしながら常に夫の状態を気にかけ、夫の介護(着替えやら下の世話やらetc)にも当然恐ろしいほどの労力を要しているはずで、その辺の苦労は意外とスルーされているのは幸せの美談には邪魔だったからかな。