2011年9月25日日曜日

映画『街の灯』

1931年 監督:チャールズ・チャップリン
at ギンレイホール


街の灯 [DVD]

1931年だから丁度トーキー時代が始まったくらいか。
一応サイレントだけど効果音や音楽だけは付けているらしい。
ホイッスルのギャグとかサイレントでも表現はできるけど分かりづらいしね。

もう完全にストーリー映画だな。
ギャグはストーリーの流れを崩さない程度に差し挟まれる。
ギャグは楽しいことは楽しいのだが、どうも爆発力が無い。
『犬の生活』や『キッド』と比べるど劇場内も比較的シーンとしていた。
でも、ボクシングのシーンだけは例外で、これは本当に笑えた。

分かりやすいストーリーと、どこか哀愁を感じる笑い。
86分と長いので途中で少しだけ飽きてきて、少し微妙感が漂ったけど、ラストシーン見たらぶっ飛んだ。
久しぶりに映画見て泣いたわ。
「見えるようになった?」と言うチャーリーの臆病だけど優しさに溢れたつぶらな瞳にまいってしまう。
調べてみるとラストシーンには賛否両論あるらしいが、チャーリーのこの表情が見れるだけで十分じゃないか。

2011年9月18日日曜日

映画『ダンシング・チャップリン』

2011年 監督:周防正行
at ギンレイホール


ダンシング・チャップリン(DVD) [DVD]

2部構成になっていて、第二部がチャップリンを題材にしたバレエ、第一部がその製作過程、練習過程のドキュメンタリーになっている。

根本的に勘違いしていて、第二部のチャップリンのバレエはこの映画のために作られたのだと思っていた。
しかし実際はローラン・プティの振り付けで91年に初演された演目らしい。
そこらへんの混乱で第一部に出てくる人達が何の練習しているのか?ローラン・プティは何の映像を見ているのか?何をもめているのか?見ているときはよくわかんないところも多々あったが、それでも多国籍に言葉が飛び交う練習風景や、立場を踏まえた上での意見の主張、プライドのぶつかり合い、出演者関係者へのインタビュー等々、なかなか見応えがあって面白い。

今調べてみると、ルイジ・ボニーノのために振付けられた「ダンシング・チャップリン(原題:「Charlot Danse avec Nous(チャップリンと踊ろう)」)」は、初演の頃から唯一この作品でチャップリンを演じることを許されたダンサーとして一貫してルイジ・ボニーノが演じてきたのだが、ルイジ・ボニーノももう還暦を過ぎ、このままでは幻の作品になってしまうと危惧した周防監督が映画化を希望したことから始まったらしい。
残したいなら公演されているバレエ「ダンシング・チャップリン」を撮影すればいいんじゃない?(実際撮影された映像は無いのかな)と思うけど、周防正行は映画監督なので映画になった。

映画になったといってもバレエの舞台を映画として撮ると一体どうなるのか?そもそも映画としてって何だ?
何を映そうが映画館で上映したら映画じゃね?とも思うが、バレエとなるとバレエはバレエなんだな。
一つの確立した舞台芸術なので。
セリフを入れてストーリー展開しちゃったらバレエじゃなくなって、バレエ「ダンシング・チャップリン」を残したいという当初の意図からも外れてしまう。
だからバレエそのものを撮る。
でも舞台での一発本番じゃなくてスタジオでのシーンごとの撮影を行い、それを生かして舞台や記録映像ではなしえない舞台上からの演者のアップの映像を入れてみる。
肉体表現で全てを表す芸術を尊重して壊さない程度に、映画っぽい(?)要素/技術を入れるだけ入れてみた、という感じか。
それはそれで普通にバレエ観るより面白いのかもしれないが、変にアップで撮られてもPerfumeのライブDVDを見てよく思うように「俺は全体が見たいんだ!!」と叫びたくなったりもする。
なんか一部で舞台裏、二部でバレエという構成にした時点で映画としては十分で、二部は観客ありの完全にバレエそのものの公演を撮影した記録映像にしちゃってもよかったんじゃないかと思う。
まあ、僕がバレエに興味なくて一度もまともに見たことがないので、この機会に映画とはいえバレエの公演をじっくり見たかったから、ってだけかもしれないが。

二部のバレエの演出でラストだけはちょっとはっとした。
この瞬間だけルイジ・ボニーノがバレエダンサーじゃなくて一気に映画俳優に変身するのね。
映画的演出とはいえバレエの世界にどっぷり漬かっていたところでいきなり完全な映画の世界に引き寄せられる。
バレエと映画がせめぎ合いつつもバレエが圧倒的に存在を主張していた中、思いがけずぐるっと反転して映画になってしまうから面白い。
しかもこの一本道を歩く姿って写真かなんかで見た記憶があるけどたぶんチャップリンの何かの映画のシーンだよね。
それまでバレエ様様でバレエありきな感じだったが、そういえば元々はチャップリンの映画じゃないか。
バレエから再び映画に引き戻して何が悪い。大元もこの作品も映画なんだから。
文化、芸術、国籍、いろんなものがぶつかり合ったり飛び越えたり変容したり、っていう多態性重層性は面白さの醍醐味だよなぁ。

草刈民代は何年か前に引退していたような気がするが、これが正真正銘のラストダンスらしい。
世界で活躍する草刈民代っていうけど、実際草刈民代って世界ではどれだけ有名なんだろう。
世界で本当に評価されている日本人を日本人はほとんど知らない。(活躍の場が世界だからだろうか)
だから日本人に広く名の知られている草刈民代は怪しいと思っていて、この映画も監督の妻だから起用されているんでしょと思っていたけど、ルイジ・ボニーノと仲が良かったり、ローラン・プティが「彼女は知的で美しいダンサーだ」みたいなコメントをしていたり、と実は世界でも有名な人なのかもしれない。
でも帰ってWikipediaで調べてみたけど、そんなに華々しい経歴ではないよなぁ。いまいちわからん。

映画『キッド』

1921年 監督:チャールズ・チャップリン
at ギンレイホール


キッド (2枚組) [DVD]

映画のストーリーで泣くことはほぼ無いのだけど、チャップリンと引き離されるジャッキー・クーガンを見たら音楽の盛り上がりもあってうるっと泣きそうになる。泣かなかったけど。
ほほえましいギャグを織り交ぜつつ、どこか哀愁を湛えたストーリーが非常に分かりやすい。

ラストだけはよく分からなかったのだけど、調べてみると一緒に引き取られたってことだったのね。


さて、『犬の生活』『キッド』と初期の代表作を見ただけでまだ入り口に入った状態ながら、今の時点で判断してみると、どちらかというとキートンの映画の方が僕の好みかもしれない。
チャップリンの映画は異常に完成度が高くて確実に面白いのだけど、スラップスティックコメディにしてはしっかりしたストーリーが現実的すぎる。
キートンの場合は、あの無表情のまましれっと繰り広げられる超人的アクションや、問題解決の非常識で至極単純な発想等々、現実離れしてとびぬけてでかいスケールは世の中全て単純で簡単だと思ってしまう楽しさと破壊力がある。
どちらも映画として面白いのだけど、好みでいうとキートン、という話。

映画『犬の生活』

1918年 監督:チャールズ・チャップリン
at ギンレイホール


ラヴ・チャップリン ! コレクターズ・エディション BOX 1 [DVD]

チャップリン、キートン、ロイド。僕はどちらかというとキートン派かな。
っていう映画通ぶったセリフをしたり顔で吐きそうになりつつも押しとどまったのは、自分の脳みそが空っぽなのがばれるのを恐れたという以前の大問題として、そもそも僕はキートンの映画しか見たことがなかったから。。。
ハロルド・ロイドもチャップリンもいつか見ようと思いつつ叶わなかった(=NHK BSで放映されなかった)ところで、今日ギンレイに行く前に時間と上映作品を調べたら意外にもチャップリンの映画をやっている。
周防監督様様だな。

まずは『犬の生活』。
ああ、最初から最後まで純粋に面白かったな。
印象としては質の高いギャグを散りばめつつも、ギャグ以上にストーリーに重点を置いている感じ。
サイレントでほとんど説明が無いのにストーリーが非常に分かりやすい。
目を凝らして映像から流れを読み取ろうと躍起にならなくても自然に入ってくる。
こりゃあ確かに愛されるわけだ。

屋台の主人の目を盗んで巧みにパイを失敬するやり取りは、ドリフのコント等でよく見てきたけど、原型はこれだったのか。
屋台の主人はチャップリンのマネージャーもしていた異父兄らしい。
だからかどうか知らないが、息のあった軽妙で絶妙なやり取りはかなりの見物になっている。(笑えるというより感心する)

じいさんばあさんのフィルムセンターと違ってギンレイの客層は比較的若いので、サイレントで笑い声はあまり聞こえないのではないかと思っていたけど、場内のそこかしこから爆笑する声(しかも若い女の子達の声が大きい)が聞こえてきてちょっと驚く。
そういえばこれだけ笑い声が聞こえるのに、どこかのシーンで僕が思わずプッと笑ったらその時は他に誰も笑っていなくて悲しかったな。

チャップリンのペーソスを含んだ作風はこの映画から始まったらしい。

2011年9月13日火曜日

9月INFO

9月2日(金)午後1:00~2:35  BSプレミアム
「吸血鬼ノスフェラトゥ 恐怖の交響曲」 1922年・ ドイツ
〔監督〕F・W・ムルナウ
9月7日(水)午後1:00~3:12  BSプレミアム
「チャイナタウン」 1974年・ アメリカ
〔監督〕ロマン・ポランスキー
9月11日(日)午後10:02~午前0:18  BSプレミアム
「利休」 1989年・ 日本
〔企画・監督・脚本〕勅使河原宏
〔音楽〕武満徹
9月20日(火) 午後10:30~11:52  BSプレミアム
「フォーン・ブース」 2002年・ アメリカ
〔監督〕ジョエル・シュマッカー
9月21日(水)午後1:00~3:17  BSプレミアム
「アウトロー」 1976年・ アメリカ
〔監督〕クリント・イーストウッド

9月はどうもしょぼい感じ。(録画したかったのは前半に集中していたのだけど悉く録り逃した)
その分来月はNHKアジアフィルムフェスティバル系なのか知らないが面白そうなアジア映画がたくさんあるので今月のうちにHDDレコーダーを整理しておこう。
来月は突然のヌードで世界中を震撼させた田畑智子がデビュー作にして映画界の至宝となった相米慎二の「お引越し」もある。

2011年9月10日土曜日

映画『毎日が夏休み』

1994年 監督:金子修介
BSプレミアム録画


毎日が夏休み デラックス版 [DVD]

大島弓子の同名漫画を『1999年の夏休み』の金子修介が映画化。
主演佐伯日菜子のナレーションが最初はうざかったのだけど、このおとぎばなしに慣れてくると、80年代風少女のセリフ回しで語られる中学生にしては大人びている(まるで他人事のような)思考や、少し棒読みだけど溌剌さに満ち溢れているナレーションが面白くなってくる。
「冗談じゃねぇよ。あたしゃこれでも登校拒否児ですからね。文部省特選映画なんざ見たくねぇ。」

「今日も元気に登校拒否だ」で家を出たスギナ(佐伯日菜子)と、母の再婚相手の成雪(佐野史郎)は、昼間の公園でばったり出会う。
義父もまた、会社を辞めてふらついていたのだった。
「一流企業における17年間というエリート生活は心の苦痛を表現しないキャラクターを形成した」義父の成雪は娘を連れて再就職に動き出す。

丁度「ずっとあなたが好きだった」とか「誰にも言えない」の頃に当たるのかな。佐野史郎は。
表情の無い元エリート会社員の役なのでドラマのイメージのままに見ると結構怖いかもしれない。
役柄はちょっと常識とずれているが心優しい男なんだけど。

じぐざくのスロープを佐野史郎が自転車で必死こいて下るシーンはいいな。
下りきるまでカメラが引きのままだったら泣いていたかもしれない。
それにしてもこのスロープはどこにあるんだろう。凄い面白いので行ってみたい。

ラストは何かすっきりするようなしないような、あっという間、という感じだった。
それなりに盛り上がった後でのラストではあるのだけど。
普通学校に戻るじゃん。義務教育中なんだし。
学校というもの自体を否定しているよな。
いじめられていた子は唯一の友達スギナが戻ってくるのを待っていただろうに。
意地の悪い人達しかいないような学校なんて百害あって一利なし。サヨウナラ。
確かにそんな学校に通うより、同等かそれ以上の教育を受けた上に美化された仕事という冒険によって貴重で充実した少女時代を過ごしたことだろう。
この全てが順調に運ぶおとぎ話のようなお話だからこそ、穏やかな日差しの中での気持ちのいい午睡が、爽やかさと共に不穏さをはらんでいる。
夢落ちならまだしもなんかとんでもないどんでん返しが待っているような。
映像も眠っているスギナのアップから引いていく時に、地震のように少し画面が揺れたりするし、セミの声だけのなんともいえない静寂の間とか、何か不安を掻き立てるような要素に見えてしまう。
たぶん素直に見れば爽やかで片付けられるだろう。
うん、素直に見よう。これは爽やかなおとぎ話なんだと。

大人びているスギナが、義父を父というより恋人のように見ている気がするのも気になるところ。

いくつになっても美しい風吹ジュンが、髪型のせいか老けて野暮ったく見えた。
高橋ひとみは綺麗だった。

2011年9月3日土曜日

映画『キッズ・オールライト』

2010年 監督:リサ・チョロデンコ
at ギンレイホール


キッズ・オールライト  オリジナルバージョン [DVD]

つまらないコメディかと思ってぼけーっと見ていたら、意外となかなか面白い映画だった。
レズビアンのニック(アネット・ベニング)とジュールス(ジュリアン・ムーア)には、18歳の娘ジョニ(ミア・ワシコウスカ)と15歳の息子レイザー(ジョシュ・ハッチャーソン)がいる。
精子バンクを利用して一人ずつ子供を生んだらしい。
ちょっと変わっているといえば変わっているが中身は普通の家族になっている。
各々が小さな不満を蓄積させているっていう普通の家族。
ジョニが18歳になったのを契機に、子供達が母親達に内緒で遺伝子上の父親に会いに行くところから家族の関係が動き出す。
父親ポール(マーク・ラファロ)は独身で人気レストランのオーナーをしていた。
自由気ままに生きているといった感じで、決して悪い奴ではない。
悪い奴じゃないんだけど。。。

コメディタッチなので、情事も笑って見ていたが、まさかそんなシリアスになるとは。
コメディに隠されていてもその裏では着実に暦とした家族ドラマが進行している。

それにしてもポールが哀れすぎるよなぁ。
この家族との間に発生する関係性も始まりは全て受身だったのに、翻弄された挙句にぼろ雑巾のように捨てられた哀れな犬のようだ。
自業自得とはいえ、コメディで楽しく展開していたじゃないか。
大きな罰を受けるのは他人のポール、いや、他人であって他人じゃないポール。ややこしい。

家族の関係性も血のつながりでみるとややこしい。
子供達にとって一方は産みの親だけど、もう一方は血のつながりは全く無い。
子供達は血のつながりのない方の親には、どこかよそよそしさがあるように見えたりもするし、親も自分が産んだ子の方をどちらかというとより可愛がっているようにも見える。
見えるってだけでストーリー上それが明確に表面化/問題化するわけじゃないから普通の家族設定でもいいようにも思えるけど、この関係性の微妙な複雑さが各事件が与える家族一人一人の心情にアクセントを加えている、のだろう。
というかせっかくなのでそう見よう。
養子だったら両親とも平等に血のつながりが無いし、子供の出来ない夫婦が人工授精で産んだ場合はどちらかが子供二人と全く血のつながりがなくなる。
一番近いのは男が女二人に子供を産ませた挙句捨てたか失踪したかでいなくなり、捨てられた女二人がそれぞれの子供達と一緒に家族を形成している、というありえなさそうなパターンかな。
そうなると父親は薄情な奴としてこの家族に恨まれるので、今度はポールという遠くて近い特殊な関係性が生々しくなってしまう。
ん~、書いていて思ったがどうでもよくなってきた。

レズビアンの人によると、バイセクシュアルなら別だが、レズビアン(それも何十年もの間)が男性と寝ることは有り得ないそうだ。
「レズビアンものはストレートの女性が演じているから醒める」というセリフでなんとなく納得してしまうゲイポルノを見ながらのセックスシーンも、有り得ない、と。

ジュリアン・ムーアの体の染みはどんどん広がっているのかな。

映画『ブルーバレンタイン』

2010年 監督:デレク・シアンフランス
at ギンレイホール




つまらない恋愛物かと思ってぼけーっと見ていたら、意外となかなか面白い映画だった。
恋愛物というと、二人が困難を乗り越えつつ最後に結ばれてハッピーエンドというパターンだけど、結婚した後にはその後何十年と続く結婚生活というドラマが待っていることを忘れちゃいけない。
恋愛映画の主人公達がハッピーエンドの後にもハッピーが死ぬまで続くのかというと、たぶん7割方離婚しているだろう。
『ジュリエットからの手紙』のあの二人なんか2年くらいで破局しているぜ。絶対。
結婚までにどれほどの困難があろうが、結婚した後に待っている困難の方が何倍も難しい。
なぜ難しいって、結婚前の困難は盲目に愛し合う二人を引き離す外的要因の困難だけど、結婚後の困難は当の二人の間で発生する問題だから。
人間と人間、他人と他人が一緒に生活を共にするわけだから、いくら惹かれあっていようが、そこには繊細な人間関係が常に横たわっている。
小さなすれ違いはやがて修復不能な大きな亀裂になることだってある。
自分の根源的な生活習慣の中に存在している人間関係はそれほど繊細で難しい。

そんな夫婦間のわずかなずれを丁寧に描写しながら、過去の二人の初々しい出会いの物語を何度も効果的に挟みつつ描いているのがこの映画。
結婚した途端性格が一変したとかいうわけでもなく、夫はちょっとやくざっぽくなっても決して妻に手を上げないし、妻は妻で変わらず真面目に夢を持って働いている。
明らかにどっちが悪いとも言えないまま、結婚する前と大きく変わらないはずの二人の関係が修復不能になっていく様は残酷とも言える。

主演は『ラースと、その彼女』『きみに読む物語 』のライアン・ゴズリングと、『ブロークバック・マウンテン』ミシェル・ウィリアムズ。
青みがかかった未来部屋の無機質な空間で緊張感と弛緩が波のようにうねる二人のやりとりは圧巻だった。