2011年 監督:周防正行
at ギンレイホール
2部構成になっていて、第二部がチャップリンを題材にしたバレエ、第一部がその製作過程、練習過程のドキュメンタリーになっている。
根本的に勘違いしていて、第二部のチャップリンのバレエはこの映画のために作られたのだと思っていた。
しかし実際はローラン・プティの振り付けで91年に初演された演目らしい。
そこらへんの混乱で第一部に出てくる人達が何の練習しているのか?ローラン・プティは何の映像を見ているのか?何をもめているのか?見ているときはよくわかんないところも多々あったが、それでも多国籍に言葉が飛び交う練習風景や、立場を踏まえた上での意見の主張、プライドのぶつかり合い、出演者関係者へのインタビュー等々、なかなか見応えがあって面白い。
今調べてみると、ルイジ・ボニーノのために振付けられた「ダンシング・チャップリン(原題:「Charlot Danse avec Nous(チャップリンと踊ろう)」)」は、初演の頃から唯一この作品でチャップリンを演じることを許されたダンサーとして一貫してルイジ・ボニーノが演じてきたのだが、ルイジ・ボニーノももう還暦を過ぎ、このままでは幻の作品になってしまうと危惧した周防監督が映画化を希望したことから始まったらしい。
残したいなら公演されているバレエ「ダンシング・チャップリン」を撮影すればいいんじゃない?(実際撮影された映像は無いのかな)と思うけど、周防正行は映画監督なので映画になった。
映画になったといってもバレエの舞台を映画として撮ると一体どうなるのか?そもそも映画としてって何だ?
何を映そうが映画館で上映したら映画じゃね?とも思うが、バレエとなるとバレエはバレエなんだな。
一つの確立した舞台芸術なので。
セリフを入れてストーリー展開しちゃったらバレエじゃなくなって、バレエ「ダンシング・チャップリン」を残したいという当初の意図からも外れてしまう。
だからバレエそのものを撮る。
でも舞台での一発本番じゃなくてスタジオでのシーンごとの撮影を行い、それを生かして舞台や記録映像ではなしえない舞台上からの演者のアップの映像を入れてみる。
肉体表現で全てを表す芸術を尊重して壊さない程度に、映画っぽい(?)要素/技術を入れるだけ入れてみた、という感じか。
それはそれで普通にバレエ観るより面白いのかもしれないが、変にアップで撮られてもPerfumeのライブDVDを見てよく思うように「俺は全体が見たいんだ!!」と叫びたくなったりもする。
なんか一部で舞台裏、二部でバレエという構成にした時点で映画としては十分で、二部は観客ありの完全にバレエそのものの公演を撮影した記録映像にしちゃってもよかったんじゃないかと思う。
まあ、僕がバレエに興味なくて一度もまともに見たことがないので、この機会に映画とはいえバレエの公演をじっくり見たかったから、ってだけかもしれないが。
二部のバレエの演出でラストだけはちょっとはっとした。
この瞬間だけルイジ・ボニーノがバレエダンサーじゃなくて一気に映画俳優に変身するのね。
映画的演出とはいえバレエの世界にどっぷり漬かっていたところでいきなり完全な映画の世界に引き寄せられる。
バレエと映画がせめぎ合いつつもバレエが圧倒的に存在を主張していた中、思いがけずぐるっと反転して映画になってしまうから面白い。
しかもこの一本道を歩く姿って写真かなんかで見た記憶があるけどたぶんチャップリンの何かの映画のシーンだよね。
それまでバレエ様様でバレエありきな感じだったが、そういえば元々はチャップリンの映画じゃないか。
バレエから再び映画に引き戻して何が悪い。大元もこの作品も映画なんだから。
文化、芸術、国籍、いろんなものがぶつかり合ったり飛び越えたり変容したり、っていう多態性重層性は面白さの醍醐味だよなぁ。
草刈民代は何年か前に引退していたような気がするが、これが正真正銘のラストダンスらしい。
世界で活躍する草刈民代っていうけど、実際草刈民代って世界ではどれだけ有名なんだろう。
世界で本当に評価されている日本人を日本人はほとんど知らない。(活躍の場が世界だからだろうか)
だから日本人に広く名の知られている草刈民代は怪しいと思っていて、この映画も監督の妻だから起用されているんでしょと思っていたけど、ルイジ・ボニーノと仲が良かったり、ローラン・プティが「彼女は知的で美しいダンサーだ」みたいなコメントをしていたり、と実は世界でも有名な人なのかもしれない。
でも帰ってWikipediaで調べてみたけど、そんなに華々しい経歴ではないよなぁ。いまいちわからん。