2010年 監督:シュエ・シャオルー
製作国:中国
at ギンレイホール
自閉症の息子と末期がんの父親の親子の絆を描いた感動作。
主演はカンフーアクション無しのジェット・リー。
撮影はクリストファー・ドイル。
音楽は久石譲。
という期待する要素が全く無い中、怖いもの見たさのような気持ちで見始めると、冒頭の揺れる水面に手を浸すシーンがあまり美しくなくていきなり躓いたものの、一応最後までそれなりに見れる。
予想の範囲は決して超えないけど。
今までジェット・リーの演技というと、あの童顔から繰り出す無邪気な笑顔と、目を見開いて呆然とした驚きor悲しみの表情くらいしか記憶に無いのだけど、少し白髪の混じった髪にめがねを掛けていて、おお、なんだか普通の俳優が演技しているように見える。
真面目で純朴な男の役なら彼にぴったりかもしれない。
でもジェット・リーの顔立ちってなんか特殊なんだよね。童顔だからかな。
もちろん特殊な顔した役者なんて腐るほどいるけど(スティーヴ・ブシェミとかクラウス・キンスキーとか岸部一徳等々)、特殊で強烈な顔と演技で破壊する寸前の存在感を発揮する役者達と違って、ジェット・リーの特殊な顔は最も映画栄えしない顔立ちという感じがする。(無個性とか、どこにでもいそうな顔立ちというならまだしも)
映画栄えしない顔立ちだからこそ超絶美麗なカンフーアクションが彼の体を覆い尽くすようにぴったり張り付いているのであって、体の一部、いや大部分といっていいカンフーアクションを強引に引き剥がしたら痛々しく内蔵が顕になるようなもんだ。
過去のイメージってやつかね。
見る前に思っていたよりかは普通に素の役者ジェット・リーを見ることができたけど、志村けんが映画に出たらどんなに上手くてもコントのイメージが完全に拭いきれないのに似て、違和感からたまにふと我に返って過去のカンフーアクションを思い出したり、この役を見たことも無い無名の俳優が演じていたらどういう印象になっていただろうなどと考えたりしてしまう。
ああ、でも北野武や鶴瓶は最初から何の違和感もなかったな。
・・・違いがよく分からない。実のところ演技の良し悪しなんてさっぱり分かっていないし。
ジェット・リーは普通の俳優として何本も映画に出てくれば慣れるかもしれない。
ただ、カンフーアクションをしない俳優ジェット・リーを望んでいる人は少ないと思うが。
ちょろっと出てくる妻役の女優さんが綺麗だ。
ジェット・リーは脚本にほれ込み、ノーギャラで出演しているらしい。
ちょっとネットで検索してみると、軒並み高評価の模様。
つまらなくはなかったけど、閉塞的に美の上澄みを断片で掬い取っていくようなスカスカ感とスタイリッシュさの間を紙一重で切り抜けていくようなクリストファー・ドイルのカメラはこの脚本に合わないし、久石譲の音楽は相変わらず甘く主張しすぎて邪魔だし、で個人的にはそんなに面白くはなかった。
世界中にいる自閉症の人達は、両親が死んでしまった後一体どのように過ごしているのだろう。
ギンレイホールのプログラム構成は、前回の『人生、ここにあり!』とこれを組み合わせた方が面白そうだ。
2012年1月4日水曜日
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