2018年12月23日日曜日

映画『レディ・バード』

2017年 監督:グレタ・ガーウィグ
製作国:アメリカ
at ギンレイホール




アメリカの高校生くらいの少女の等身大の姿を描く、っていう映画は腐るほどあって、大体が口悪くてプライド高くてくそ生意気なのであまり好きなジャンルじゃないのだけど、さっき見たジェイソン・ライトマン監督が撮った『JUNO/ジュノ』とか意外に面白かったりするのもあるので、どんなもんだろうと見てみると、これがなかなか面白かった。

カリフォルニア州サクラメント。
自称レディ・バードと名乗る17歳のクリスティン(シアーシャ・ローナン)はサクラメントが大嫌いだった。
そして何かと口うるさい母親も嫌い。
バークレーを卒業した養子の兄は現在スーパーでレジ打ちをし、その彼女もなぜか実家で同居している。
あまり裕福でないが(後に父親は失業)、地元の公立高校の治安が悪いので少し高めの市立のカトリック系の高校に通わせてもらっている。
そんなクリスティンはサクラメントを出てNYの大学への進学を夢見ている。
母は猛反対。
背景としてはそんな感じで、少女の成長と母娘の物語になっている。

クリスティンはスクールカーストでいうと中の下くらいの位置にいるのね。
親友のふくよかなジュリーとは仲良しだけど、できれば上位の人たちの仲間になりたいとも思っている。
裕福でない家とか、高齢の父とか、平凡な名前とか、あらゆることにコンプレックスをいだきながらも、恋に憧れNYに憧れ、今を生きている。

主演のシアーシャ・ローナンが魅力的で、あの独特な顔立ちに惹きつけられる。
演じた役も個性的ながら女性なら特に共感しそうな面が散りばめられていて面白い。

ラストシーンいいよね。
化粧もくずれていて。
家族、っていうものに胸が温かくなる。

映画『タリーと私の秘密の時間』

2018年 監督:ジェイソン・ライトマン
製作国:アメリカ
at ギンレイホール





二人の子供を生み、三人目を妊娠中のマーロ(シャーリーズ・セロン)。
長男は少し情緒が不安定でしょっちゅう学校に呼び出される中で3人目の出産。
子供二人の面倒と家事をこなして、かつ昼夜問わない授乳、で疲れ果てているときに、校長から遂には長男の転校をやんわり勧められる。
で、ナイトシッターを雇う。
やってきたのは若く自由があり未来への希望に溢れているタリー(マッケンジー・デイヴィス)という女性。
マーロはタリーが若いのに不安を感じるが、タリーは超完璧なシッターだった。
心に余裕ができるマーロ。
中盤まではそんな話。
ラストの展開は、なにこれ、怖って思う。サスペンス??

結婚して子供に恵まれて夢を掴んだ。でも自由はなくなった。
これが幸せか。
マーロは特に責めないが、夫は自分は乳出ないし何もできない、と言いながらゲームに勤しむ。
アメリカじゃ生後間もなくても普通にベビーシッターに預けて夫婦で出かけたりもするそうだ。
でもマーロは他人に預けるなんて、と全部自分一人でやろうとする。
(この大変さを見ていると家電もない時代の女性はすごいなぁ)
最後は存在感の薄い夫ドリュー(ロン・リヴィングストン)がキーになっていると思うが、で、結局幸せなハッピーエンドなの?
家族の絆を国家の礎にしてきたアメリカも今やシングルマザーだらけだし、アメリカ人はすぐ自由自由っていうし、なんかいろいろ破綻しているよな。

2018年12月9日日曜日

映画『ワンダー 君は太陽』

2017年 監督:スティーヴン・チョボスキー
製作国:アメリカ
at ギンレイホール




遺伝子の疾患で生まれたときから何度も整形手術を行っている10歳の少年オギー(ジェイコブ・トレンブレイ)。
顔がモンスターのようなので自宅学習で過ごしてきたが、母イザベル(ジュリア・ロバーツ)は5年の新学期からオギーを学校に通わせることを決心する。
こんな顔の学友を10歳の少年たちが放って置く訳がない。
当然いじめられる。
ただし経緯はどうあれよき理解者、友人が現れ、次第に、、っていう。

なんか本当アメリカ人が好きそうな話だ。
私達は差別をしません。
重要なのは外見じゃありません。
私達は個性を尊重し、人の内面を見ます。
これでもしオギーの内面が普通の子だったらいじめはなくならかったのだろうな。

ああ、別につまらなかったわけではないのだけど。
主役はオギーだけど、途中章ごとに脇役の視点に切り替わる時があって、小説とかではそういうのよくあるけど映画ではそれほど多くないのでそこは面白かった。

映画『悲しみに、こんにちは』

2017年 監督:カルラ・シモン
製作国:スペイン
at ギンレイホール




予告編見た記憶もなく、1mmも期待しないまま見たのだけど、ここ数年でNo.1にしたいくらいよかった。

バルセロナに住む両親を亡くした6歳の少女フリダ(ライア・アルティガス)が、カタルーニャ(田舎)に住む叔父夫婦の家に引き取られる。
叔父夫婦とその3,4歳くらいの幼い娘アナ(パウラ・ロブレス)の3人家族はフリダを快く受け入れる。
ストーリーとしてはこれだけ。

叔父夫婦はすごくいい人達で、アナはお姉さんが出来たと喜ぶ。
フリダもすぐに家族に打ち解けているように見えるが、それほど素直にはいかない。
フリダを快く受け入れた、とはいえ、やはり自分たちの娘が誰よりも可愛い。
ましてや主に面倒を見る母親はフリダとは血のつながりはない。
いい人たちとはいえ、愛情に飢えたフリダはそういう微妙な機微を感じ取る。
反抗、嫉妬、猜疑心、そして喜び。
そういう感情が豊かな自然の穏やかな日常の中で漣のようにゆらめく様がどんな凝ったストーリーよりも動的で美しい。

自分が心配されていることを知ったフリダは翌日のお祭りで先頭をきって旗を持って元気にスキップする。
この時の無邪気な笑顔見たときに涙が溢れて、さらにはラストシーンでは久しぶりに大泣きしてしまった。
家族になれた瞬間と母の死を受け入れた瞬間。
映画史に残るラストシーン。

子役ってこまっしゃくれたガキが芸達者に演技して大人たちがよくできましたね~と思考停止した気持ち悪い笑顔で褒め称えるだけの存在だから基本的に嫌いで映画には邪魔だと思っているんだけど、子役に演技させない映画っていうのもあって(ジャン・ルノワールの『河』とかビクトル・エリセ『ミツバチのささやき』とか)、これはどちらかというと演技させない方。
アナの「フリダ、遊んで」の可愛らしさは異常だし、アナとフリダの無邪気な笑顔は素、のはず。
アナはほぼ素で、フリダは主役ゆえに結構演技しているはずだけど(特にラストシーン)、子役嫌いの僕が何も違和感感じずに見たので監督なのかフリダ役のライア・アルティガスなのか、とにかく凄い。

にしてもこの邦題、サガンか斉藤由貴か安全地帯かと間違える。
原題は『ESTIU 1993』で英題は『SUMMER 1993』。
『SUMMER 1993』の方が無味シンプルでこの映画の表題としてはいいのにな。

最後に谷川俊太郎のレビューコメント
少女フリダの愛くるしい顔と無言の行動にひそむ、
苦しく悲しい孤独・・・
涙はフリダを解放しただろうか?