2020年2月23日日曜日

映画『第三夫人と髪飾り』

2018年 監督:アッシュ・メイフェア
製作国:ベトナム
at ギンレイホール




19世紀の北ベトナムで14歳のメイ(グエン・フオン・チャー・ミー)は第三夫人として富豪のもとに嫁ぐ。
っていう話。
こういうのって夫人同士の恐ろしい血みどろの戦いが描かれるのかと思ったけど、この風景には例え対比だとしても似合わない。
かといって能天気なだけじゃなくて、この時代の女性の扱い、存在意義、の息苦しさ(生き苦しさ)が主眼になっている。
でもそんな苦悩もこの風景の中では儚い美しさに昇華されるのだけど。
ストーリーというかこの誰が見てもうっとりする映像だけで何度でも見たくなる。

第一夫人は頼れる頬骨ねーさんハ(トラン・ヌー・イェン・ケー)。
第二夫人は魅力的なあごねーさんスアン(マイ・トゥー・フオン)。
で、第三婦人がケロちゃんメイ(グエン・フオン・チャー・ミー)。

冒頭やラストの方等でメイがじっと真正面を見つめる時の表情がすごくいい。
面白かった。


一本目で見た『あなたの名前を呼べたなら』との映像のギャップが凄すぎて一本目の印象が吹っ飛んだな。
インドの雑多な綺羅びやかさがもう少し強ければよかったけどほとんど無機的なマンション内だったし。

映画『あなたの名前を呼べたなら』

2018年 監督:ロヘナ・ゲラ
製作国:インド / フランス
at ギンレイホール




インドムンバイの高級マンションに住む御曹司のアシュヴィン(ヴィヴェーク・ゴーンバル)は住み込みの家政婦を雇っている。
その家政婦ラトナ(ティロタマ・ショーム)は貧しい村の出身で未亡人。村の風習で一生結婚できないらしい。
アシュヴィンは結婚間近だったがいろいろあって婚約破棄。
ラトナは妹の学費を稼ぎつつ自分はデザイナーになりたいという密かな夢を持っている。
気がききすぎるほどよく気が利くラトナ(この辺の描写はさりげなくて巧み)と、ラトナを使用人として差別しない優しいアシュヴィン。
この二人が、、、
ってストーリーの9割書いた気がする。

超高度成長を遂げたムンバイという大都会で生まれた男と昔ながらの風習がそのまま残る村出身の女。
っていう分かりやすい対比だけど、都会側も結構えっ?って感じはする。
日本で言えばタワーマンションの最上階に住んでいるおっさんが若い女性にメイド服着せて住み込みで働かせているようなもんでしょ。
ラトナはメイド服着ないけどさ。
金で雇った女性と一緒に住むっていうのが普通にありえるのはそこに差別があるから。
しょせん使用人は人として見られないから女性であっても手を出すわけがない。
とはいえインドといえばレイプがさかんなのでちょっと心配はしたけどアシュヴィンは紳士。

結局は都会の自由奔放な女より田舎出身の昔ながらの気が利いてよく世話してくれる女がいいよねって話だろうか。
そうじゃなくてラトナだから、という理由に行き着くには二人がどこでどう恋愛感情を育んだのか不明だった。

2つの部屋を壁を通り抜けてカメラが水平移動してアシュヴィン、ラトナをそれぞれ映し出すのはなんか懐かしい。

2020年2月11日火曜日

映画『幸福なラザロ』

2018年 監督:アリーチェ・ロルヴァケル
製作国:イタリア
at ギンレイホール




イタリアの小さな村。
若者のプロポーズのやり方とか、古き風習のいい感じの村。
農園主に収める量がどうのこうのとか話しているので彼らは皆小作人らしい。
裸電球を借り合ったりとか、比較的貧し目だけど幸せそうではある。
この村に皆に頼られているらしい青年ラザロ(アドリアーノ・タルディオーロ)がいる。
いや、頼られているというかこき使われているだった。
「私は小作人を、小作人はラザロを搾取する」
当のラザロはこの状況をなんとも思わず、透き通った瞳のまま皆の幸せが自分の幸せかのように働き続ける。
そんな日々も侯爵夫人の息子タンクレディ(ルカ・チコヴァーニ)がやってきたところから転換点を迎える。
なんか携帯電話が出てくるし、実はこれ20世紀後半の話なのね。
この時代にこの昔ながらの村、っていうのはある理由があって。。

人形みたいなのが落ちていったけど崖下の草木がクッションになったとしてもこれ重症でしょ、ってところからパゾリーニかっていうくらい後半加速度的に寓話になっていく。

聖人。
アントニアが拝むところは泣きそうだ。
貧しいがそれなりに幸せだった村と、それが一瞬で崩壊して放り出された人々のそれぞれの未来。
両時代でなにも変わらないラザロ。

ガリヒョロのタンクレディの末路が一番悲惨だったんじゃないだろうか。あの体型。

『存在のない子供たち』でかなり満足してあまり期待していなかったけど、こちらもなかなか面白かった。
ギンレイの今回のプログラムはどちらも1960年前後くらいの香りがする。

ああ、アリーチェ・ロルヴァケルは『夏をゆく人々』の監督か。面白いわけだ。

映画『存在のない子供たち』

2018年 監督:ナディーン・ラバキー
製作国:レバノン / フランス
at ギンレイホール




レバノンで戸籍の無い12歳くらいの少年ゼイン(ゼイン・アル・ラフィーア)が両親を訴える。
僕を生んだ罪で。。

感動的に仕上げたエンタメ作品かと思ったらそこそこアート寄りで、途中から気を入れ直してみたけど、そんなことしなくても普通に楽しめる。
ストーリーも面白いので。

撮影が6ヶ月で収録テープは520時間になったそうだ。
そこから2時間だからよりすぐりのシーンが選ばれている。
遊具の中央に鎮座するでっかい女性像の服をゼインが開いて胸をはだけさせたりとかさ。
掃除中にそれを見たラヒル(ヨルダノス・シフェラウ)がくすりと笑ってその後の展開につながる。
そういえば急にゴキブリマンが出てきたときはその異質感にびっくりしたな。

主役のゼイン・アル・ラフィーアと、1歳くらいの乳幼児ヨナス役のボルワティフ・トレジャー・バンコレという二人の子役が、奇跡的な演技を常にキープしている。
ヨナスは演技じゃないけど、時折まじかと思うくらい絶妙な演技?を見せる。かわいいな。
この二人を始め、キャストは役とほとんど同じような境遇にいる素人さん達らしい。
驚きだけど、素人子役でこんないいシーン撮れるくらいだから大人の素人役者なんかはちょろいのかな。

かなり面白かった。

2020年2月2日日曜日

映画『風をつかまえた少年』

2019年 監督:キウェテル・イジョフォー
製作国:イギリス / マラウイ
at ギンレイホール




2001年アフリカのマラウイで大旱魃が起こる。
この危機を救ったのは学費が払えずに学校を追い出された14歳の少年だった。
という実話をもとにしたお話。

でかい風車を作るのになんで自転車が必要なのかとか、水はどこから引いてくるつもりなのかとか、よく分からないまま見ていたけど、教育映画としてはなかなかいいんじゃないだろうか。
中学生のときにレクリエーションかなにかで全校生徒で映画館に映画見に行った記憶があるけど、今ならこういう映画が選ばれるんだろう。

キウェテル・イジョフォーが監督やりながら主人公の父親役で出演している。
役柄的に街?からやってきたみたいな設定だったと思うけど、それにしても他の村人よりも黒さが足りなくて少し浮いている。
役柄的にも、目先の利益よりも先を見つめて誘いに乗らないような知識階級的立ち位置かと思っていたら、予告編にもあるような無学で粗暴(干ばつによる空腹でまともな精神状態でないとはいえ)な面も見せたりして、人物像がふわふわしていたなぁと思う。


以下たぶんネタばれ

風車作って水はどこから持ってくるのか?
遠くの川からひっぱるにはそんなに長いホースを確保していたようには見えないしパワーも足りない。足りないのは後自転車だけという話だから川ではないのだろう。
で、正解は、井戸だった。
井戸に水あんのかい!
手動で汲んでまくのはこんなに大変なんだよ、という描写が欲しいところ。
川もそんなに遠くないなら用水路作って水引いてもよさそう。材料が無いか。

インドの中学生が自転車に80ccエンジンを搭載して自転車オートバイを作った、っていう最近のニュースのほうがすげーと思った。(誰の役にたったわけでもないが)