2018年 監督:アリーチェ・ロルヴァケル
製作国:イタリア
at ギンレイホール
イタリアの小さな村。
若者のプロポーズのやり方とか、古き風習のいい感じの村。
農園主に収める量がどうのこうのとか話しているので彼らは皆小作人らしい。
裸電球を借り合ったりとか、比較的貧し目だけど幸せそうではある。
この村に皆に頼られているらしい青年ラザロ(アドリアーノ・タルディオーロ)がいる。
いや、頼られているというかこき使われているだった。
「私は小作人を、小作人はラザロを搾取する」
当のラザロはこの状況をなんとも思わず、透き通った瞳のまま皆の幸せが自分の幸せかのように働き続ける。
そんな日々も侯爵夫人の息子タンクレディ(ルカ・チコヴァーニ)がやってきたところから転換点を迎える。
なんか携帯電話が出てくるし、実はこれ20世紀後半の話なのね。
この時代にこの昔ながらの村、っていうのはある理由があって。。
人形みたいなのが落ちていったけど崖下の草木がクッションになったとしてもこれ重症でしょ、ってところからパゾリーニかっていうくらい後半加速度的に寓話になっていく。
聖人。
アントニアが拝むところは泣きそうだ。
貧しいがそれなりに幸せだった村と、それが一瞬で崩壊して放り出された人々のそれぞれの未来。
両時代でなにも変わらないラザロ。
ガリヒョロのタンクレディの末路が一番悲惨だったんじゃないだろうか。あの体型。
『存在のない子供たち』でかなり満足してあまり期待していなかったけど、こちらもなかなか面白かった。
ギンレイの今回のプログラムはどちらも1960年前後くらいの香りがする。
ああ、アリーチェ・ロルヴァケルは『夏をゆく人々』の監督か。面白いわけだ。
2020年2月11日火曜日
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