1973年 監督:ヴィクトル・エリセ
製作国:スペイン
BS2 録画
1940年頃のお話。
お話というかなんだろう、説明的なセリフは一切なく、きゅっとする映像や音、音楽が端的に紡がれていく。
ストーリーはよくわからない部分も多々あったものの、簡単に書いておく。
ある日スペインの小さな村に映画『フランケンシュタイン』の巡回映画がやってくる。
目を輝かせて見つめるアナとイザベルの姉妹。
しかしアナは少女とフランケンシュタインがなぜ殺されてしまうのか理解できない。
姉は「フランケンシュタインも少女も死んでいない、映画の中の出来事は全部嘘だから。彼は精霊なのだ、村はずれに今でも住んでいる」と説明する。
後々わかるが、姉は妹に嘘を教えてからかうのを遊びとしている。(とっさにこんな嘘をつけるのがすごい)
村はずれの廃墟になった石造りの家、精霊の住む家にアナを連れて行くイザベル。
アナは一人この廃墟に通い詰めるようになる。
あ、ここまでにしておこう。
主演のアナの瞳が美しすぎる。
まっすぐで疑いのない瞳。時に慈愛に満ち、時に深淵の孤独を湛える。
そして、あまり笑顔を見せないので笑っているシーンがとてもほっこりする。
1940年というのはスペイン内戦が集結した直後で、制作はフランコの独裁政権化。なんでも国政批判が随所に盛り込まれているらしい。
アナの家庭がぎくしゃくしているのが内戦によるスペイン分断の象徴だとか廃墟の周りが何もなく荒涼としているのがスペインの孤立感だとか。by Wikipedia
いや、知らんわ~。ということで印象深いシーンが多々ある中で個人的に特に気に入ったシーンを書いていこう。
妻テレサが自転車に乗って駅にやってくるシーンで、奥から自転車が走ってきて降りて横移動すると汽車が奥から入ってくる、っていうこの一連の流れのカメラワークがいいわ。
テレサが誰に手紙を書いていたのかはよくわからなかったが、そういえばWikiではテレサは後妻で手紙を書いていたのが実母らしい。
いや、絶対違うよね。手紙を書いていたのは今見返してもテレサにしか見えない。
フランケンシュタインを見終わった姉妹がフランケンシュタインごっこかなんかで奇声を発しながら家に走って戻るシーンで、たぶん姉のイザベルの方だと思うが、甲高い「キー」って声を発しているんだけど、なんかこの声がすごく気になる。
不快といえば不快だが、大人が発する声と違って不快感よりも楽しさとか郷愁といった感情が湧いてくる。
最初に廃墟に行くシーン、丘の上から見下ろすあの荒涼とした平地の彼方にぽつんと佇む廃墟。吹き下ろしの風の音や雲でできた大きな影と光。座るイザベルと傍らに立つアナ。
走り出すと同時に流れる楽しげな音楽と、点のように小さい走る二人の後ろ姿。
廃墟の前で井戸の周りをうろついた後に家の中に消えるイザベルとそれを見つめるアナ。家から走って飛び出してきたイザベルに向かって走り出すアナ。一瞬無言で向かい合うアナとイザベル。
なんか全てがいい。
あと、全般的だけど走る姿がどれもいい。
線路のレールに耳をつけるアナとイザベルのシーン。
轟音を上げて通り過ぎる汽車をレールの傍らで見送る二人。
なんでもないシーンだけど、通り過ぎる瞬間にカメラが少しパンするせいか、なんか感動的だった。
ちなみにアナの左頬がレールにつけたせいで少し煤けている。
男にりんごを差し出すアナ。男の手品にそっと微笑むアナ。天使か。
なにかしっくりしていない家族のお茶会の席で無邪気に笑い合うアナとイザベル。
おもむろに父親が取り出したオルゴール付き懐中時計に驚いて放心するアナ。
大きめの茶碗を両手で抱えている姿の可愛らしさも相まって泣けてくる。
この辺のシーンは、姉に全てを依存していたアナが、姉に対する不信感を経て、精霊はやっぱりいたんだ、という信頼回復と、一人で考え行動を起こし始めるという成長、そして残酷な現実の直視へと続く重要なシーン。
ああ、あとひげ剃りのクリーム塗る用のブラシでひげ剃りの真似事をして遊ぶシーンのアナの笑顔がかわいかった。
全般的な感想は、結局アナが可愛い、に落ち着くかも。
学生の頃に武満徹と蓮實重彦の対談でヴィクトル・エリセの『ミツバチのささやき』を扱っているのを読んでからずっと見たかった映画。
録画したのは2011年だな。もっと早く見ておけばよかった。
若い時にまず見て、年齢重ねるごとに見返していきたかった。
結構有名どころの映画をことごとく見ていないので、もう若くはないけどできるだけ早めに見ておこうかなと思ってきた。
録画していていつでも見れる状態の中にはタルコフスキーや山中貞雄がある。
2016年12月30日金曜日
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