2017年1月29日日曜日

映画『 グッバイ、サマー』

2015年 監督:ミシェル・ゴンドリー
製作国:フランス
at ギンレイホール




女の子のような容姿でクラスで馬鹿にされているダニエル(アンジュ・ダルジャン)と、転校生で機械オタクのテオ(テオフィル・バケ)が自作の車(ログハウス風)で旅に出る。

ロードムービーってだけで面白い、ことは面白かったが、それほどのめり込まなかったな。
監督はミシェル・ゴンドリー。
ああ、なんか納得。
ファンタジーなんだな。
本当は女の子なんじゃないかと思ってしまうダニエルや、廃品から車を作ってしまうテオとか、そして二人の個性的なキャラクター描写とか、なんか地に足がついていないようなふわふわ感がある。
ダニエルの思春期の悩みとかある行為の母親ばれとか、そういうリアルな小ネタもなんか逆に違和感を感じてしまう。
つまらなくはなかったけど、ファンタジーならファンタジー、違うなら違うでどっちかに振り切ってほしかったな。

韓国人か中国人経営のあのなんちゃって床屋に日本人がいたのもきっとファンタジーだからかな。

映画『奇跡の教室 受け継ぐ者たちへ』

2014年 監督:マリー=カスティーユ・マンシヨン=シャール
製作国:フランス
at ギンレイホール




貧困層が住む地域にある公立レオン・ブルム高校。
その中でも落ちこぼれクラスを担当することになった歴史教師のアンヌ・ゲゲン(アリアンヌ・アスカリッド)は「退屈な授業はしないつもり」と息巻いていたが教室は無法状態に。
で、ゲゲンは生徒達にアウシュビッツを題材に歴史コンクールへの出場を提案する。
そんなの参加するわけないじゃん。参加しても真面目に調べるわけないじゃん。っていう予想通りの展開を見せながらも生徒たちは次第にのめり込んでいく。

できすぎたお話と思いきや、マリック役としても出演するアハメッド・ドゥラメが実際に体験したお話で、ドゥラメが監督に送った一通のメールから始まって映画化されたらしい。

フランスって本当にいろんな人種がいるよね。
冒頭の宗教がらみの話はちょっと頭固すぎないかと思ったけど、美術史でムハンマドが悪魔として描かれている絵を説明しているシーンを見ると、各宗教を尊重するようなスタイルではそれこそ何も教えられなくなるっている理念からのルールなのかなと思った。

コンクールの壇上でスピーチする女生徒の格好がミニスカの白いドレスで水商売風なところが痛々しくすらあったけど、実はここに深いメッセージが込められているのではないか、と思って少し考えてみたけど何も思い浮かばなかった。

2017年1月9日月曜日

映画『トランボ ハリウッドに最も嫌われた男』

2015年 監督:ジェイ・ローチ
製作国:アメリカ
at ギンレイホール




子供が成長するたびに誰だよお前と思ったり、エドワード・G・ロビンソンとあとなんか資産家っぽい人が両方オールバックだったから顔は似てないけどどっちがどっちかよくわかなくなったりと 登場人物が多くて多少混乱したものの、結構楽しめた。

赤狩りのハリウッドテンの一人、脚本家ダルトン・トランボ(ブライアン・クランストン)のお話。

敵役(って言い方が正しいかわからないが明らかに敵役だった!)のおばちゃんが強烈だった。
元女優で現在はハリウッドのゴシップ等を扱うコラムニスト、ヘッダ・ホッパー(ヘレン・ミレン)。
彼女の極右は息子が関係しているのかもしれないが背景はよくわからない。
それにしもてゴシップを扱っているだけで嫌な感じなのに、このゴキブリを見るような排斥っぷりが本当にいやらしい。
そういう人物像にいつも派手なおしゃれ帽子をかぶらせているのは演出なのか事実なのか。
どんなに着飾ってもこの映画を見ている観客の彼女に対する印象は最悪なので痛々しさしか感じない。
演出ならおもしろいと思ったけど、ヘッダ・ホッパーの昔の写真をみると普通におしゃれな帽子かぶってんね。

あとトランボの自宅の庭で会食しているシーンで、トランボの奥さんクレオ・トランボ(ダイアン・レイン)の頭の上に子供が何か忘れたが物を乗せるのね。
で、乗せた物が不安定すぎて頭から落ちるんだけど、クレオが左手でそれを見事にキャッチする。
この何気ないシーンがいいなと思っていたけど、その後にクレオが昔かじったとかなんかでボールジャグリングを披露するのを見て、何か少しスーっと醒めてしまった。

長女役のエル・ファニング。大きくなったな。

映画『疑惑のチャンピオン』

2015年 監督:スティーヴン・フリアーズ
製作国:イギリス
at ギンレイホール




ガンから奇跡の復活を遂げたランス・アームストロング(ベン・フォスター)はツール・ド・フランスを制して英雄となる。
しかし彼には常にドーピング疑惑がつきまとっていた。

実話です。
なかなか面白かった。
僕はこの人全く知らなかったので、どんだけ活躍したのかもドーピングが最終的に明るみに出たのかどうかも知らず、それゆえにさらに楽しめた部分もあると思う。
まあ、もし明るみに出ていなかったらこんな映画作って本人怒っちゃうからわかるっちゃわかるけど。

主演はベン・フォスター。
たぶん初めて見た。
いたずら小僧のようなつぶらな瞳が、猟奇殺人犯でもやらせると怖そうと思った。

あと、フロイド役のジェシー・プレモンスって亀田兄弟のどれかかと思った。
後々怪優として活躍しそうな骨格。

2017年1月4日水曜日

映画『裸足の季節』

2015年 監督:デニズ・ガムゼ・エルギュヴェン
製作国:フランス/トルコ/ドイツ
at ギンレイホール




ああ、予告編見るだけで泣きそうだ。
面白かった。
つい最近見たからかもしれないけど、美しい簡潔な表現による物語展開はビクトル・エリセに似ている。

舞台はトルコの田舎町。
親を無くした美人5姉妹は、祖母と叔父が住む家で暮らしている。
ある日男の子たちと5姉妹が海辺で制服をびしょ濡れにしながら騎馬戦などして遊んでいたところを、はしたないと思う近所の人に見咎められて以降、5姉妹は家に軟禁されるようになる。
そして上から順番に一人また一人と嫁に出されていく。

ストーリーやら演出やら少しずらしてくる部分が面白い。
祖母の描写が最初厳格なばあさんだなと思わせておいて、実は他の人に比べれば結構寛容だったり、長女ソナイは一人望んだ結婚ができていたり、やっとの思いで抜け出したのにバスが行ってしまったり、テレビを見させまいとする祖母の奮闘ぶりが急にコメディ(結構笑える)になったり、等々。
あと、意図的じゃないと思うが、次女セルマがお見合いの席でものすごいふてくされた顔していて、それが不細工だった。一応相手側からは美人な子と評価されてはいるけど。

三女エジェの話はわかりにくいけどつまりそういうことだよな。
夜の叔父の謎の行動、車の中でのエジェの謎の行動、そしてキッチンで・・・
叔父がクソすぎて、エジェが悲しすぎて、でもこの一連の流れのテンポが美しすぎる。

ラスト、一体どこに向かおうとしているのかと思ったら、冒頭のなんてことない忘れかけていた別れのシーンが突然つながって、上手いなあと思った。

5姉妹の中では主役でもある5女のラーレ(ギュネシ・シェンソイ)が一番綺麗に思った。
きりっとした眉、くっきりと輝く目元。
時折はっとするほど美しい。
13歳か・・・今後どう成長するかな。

映画『シング・ストリート 未来へのうた』

2015年 監督:ジョン・カーニー
製作国:アイルランド/イギリス/アメリカ
at ギンレイホール




1985年の大不況下のアイルランドダブリン。
逼迫した家計の事情により、私立高校から荒れた公立に転入したコナー(フェルディア・ウォルシュ=ピーロ)。
自称モデルで一つ上のラフィーナ(ルーシー・ボーイントン)に一目惚れしたコナーは、彼女をMVに出演させる約束を果たすためにバンドを結成しようとする。

80年代の音楽に加えて、オリジナル曲がどれもいい。
いじめられっ子気味な主人公の最初のへたくそな歌声や、拙いMV。それがいつのまにか上手くなってファッションもださかっこよくなってはっちゃけて、終いには音楽の熱量が周囲を巻き込んでいく。
不況下の時代背景の中、青春がてんこもりで、特にこの時代に青春時代を過ごした人たちにはたまらないんじゃないだろうか。

兄役のジャック・レイナーがいい表情や雰囲気をしている。
『ロイヤル・ナイト 英国王女の秘密の外出』の人だな。

2017年1月3日火曜日

映画『エル・スール』

1982年 監督:ヴィクトル・エリセ
製作国:スペイン/フランス
BS2 録画




冒頭、ただの黒背景だと思っていたら段々何かが浮かび上がってきて、部屋の窓から朝陽が差し込んできて明るくなっているのだと気づく。
ベッドに少女が寝ており、犬の鳴き声や女が誰かの名前を呼ぶ声等々が聞こえてくる。
なんか素晴らしい始まり方だな。
黒背景っていう思い込みが覆された多少の動揺みたいのものを引きずりながら、光はゆっくりと部屋の肌触りを浮かび上がらせていき、映像や音で物語の断片が慎ましく提示され、これから始まる物語への期待が膨らむ。

で、その物語だけど、そんなに大したお話ではないと思う。
冒頭でほぼ結末に触れているし。
ベッドに寝ていた少女エストレーリャが主人公で、15歳のエストレーリャが過去をモノローグとともに語るその過去編が大部分を占める。
過去編でのエストレーリャは8歳。
母親より父アグスティンが大好きなエストレーリャ。
父アグスティンの出身は南だが、父親と政治的に対立してからは一度も故郷に帰っていない。
内戦の敗者として投獄もされていたらしい。
そして父アグスティンにはかつて愛した女性がいた。
ただ大好きだった父親のことを何も知らないことに気づいていくエストレーリャ。
アグスティンはかつての恋人への思いを捨てきれずに苦悩し、偶然その父親の秘密を知ったエストレーリャはひっそりと胸にしまって秘密を共有する。
そしてエストレーリャは15歳に成長し。。

よくありそうなお話を、光と影と音、そして時間や空間の切り取り方でこんなに豊かに表現できるもんなんだな。

いくつか気に入ったシーンを挙げていく。

15歳から過去に飛ぶシーン。
振り子を見つめて涙を流すエストレーリャのアップショットから、ベッドに横たわるお腹の大きい母親と、そのお腹の上に振り子をかざして女の子だと当てるアグスティンのシーンに切り替わって過去になる。
エストレーリャの持つ振り子とアグスティンが持つ振り子が現在と過去でつながっているのだけど、普通の監督なら過去のアグスティンもエストレーリャと全く同じ構図のアップショットで撮って嫌味たらしく強調しそうだななんて思った。
まあそれは置いておいて、この過去に移ったときの部屋はエストレーリャがいた部屋と同じなのね。
しかもカメラ位置は冒頭の現在のシーンで何度も使われている位置と全く同じ。
一つの部屋での出来事で激しい動きがあるわけでもないのになんて濃密なんだろう。
同じカメラ位置のシーンだけでも1回目は前述の冒頭の朝陽が次第に差し込む動きがあって、2回目のシーンでは起き上がった少女が枕下の振り子を見つけて握りしめる動きのあと、さらに光が差し込んで壁紙が浮かび上がってくる。
そして3回目は時間を超えて過去のシーンになっている。
ずっと同じカメラ位置ではなくて、途中でアップショット等はさみながらであり、現在と過去のつなぎ目も同じカメラ位置でそのまま移行するほうが印象的な気もするがそこは敢えて外している。
こういうところに監督の慎ましさを感じる。というかすごい計算しているんだろうな。
この部屋から脱するのも、画面が暗くフェードアウトしきる前に汽笛が鳴って次の列車のシーンにつながるっていう流麗さ。
後、ラスト近くで過去から現在に戻るときは、過去に飛ぶ直前のシーンからの完全な続きになっていて、長く追体験してきた過去シーンが一瞬にして濃縮する。
振り子を見つめる現在のエストレーリャの時間に分断はないが、観客は過去から戻った後のエストレーリャに時間の重みを見る。
現在から始まって過去に行って現在に戻る、って映画でも漫画でもよくありそうな構成だけど、なんだろうね感動的なのは、単純にその分断点が悲しく涙が美しいシーンだからかな。

エストレーリャの初聖体拝受を祝うシーン。
ベールがかかった椅子のアップから陽気な音楽「エン・エル・ムント」とともにカメラが引いていくと長机の両側に座る人がこちらを楽しそうに見ている姿が次々に現れる。
扇子で仰いでいたりタバコの煙をくゆらせたり。
引くカメラが机が端を捉えるとダンスを踊るエストレーリャとアグスティンが優しくフレームインしてくる。
長机の人たちは二人のダンスを見ていたのね。
ひとしきり二人を映し終えるとカメラはベールがかかった椅子へと再び戻っていく。
これがワンカット。
言葉で説明してもつまらないな。
この初聖体拝受の日は父親大好きエストレーリャが幸せのピークだった日。
教会でアグスティンが暗闇から悪魔のようにヌッと現れる不気味さも意に介さずに父親が来てくれた喜びに溢れるエストレーリャの笑顔が泣きそうなくらいまぶしい。
そこからこの幸せなダンスシーンにつながる。
そしてこのシーンはラストにもつながるのね。

カフェでアグスティンが手紙を書くシーン。
店の中と外、窓ガラスを隔てたエストレーリャとアグスティン。
二人の表情はもとより、中と外の切り替わりと視線の交錯のリズムみたいなものが心地よくて物悲しい。

家出(?)したアグスティン。
ステーションホテルの一室で夜から朝、そして汽車が発車するまでの時間の流れがいい。
汽車は映さず音と窓辺の光だけで表現されている。
ヴィクトル・エリセのインタビューによると、あのホテルはセットじゃなくて監督が撮影時に実際に泊まっていた部屋らしい。

夜に庭のブランコにのるエストレーリャと、屋根裏の窓から庭をのぞくアグスティン。
じっと見つめ合ったあとに窓からそっと離れるアグスティン。
あんなに大好きだったアグスティンとのこの微妙な距離感に息が詰まる。

エストレーリャのいたずらめいた家族への抗議に対して、沈黙で答えるアグスティン。
杖の音が継続的に優しく、そしていらだたしく響き渡る。
それにしても父の沈黙から私より悩みの深いことを知らせているのだと悟るエストレーリャって相当賢いよね。8歳でしょ。
もう泣かないで、って思う。

冬の真っ直ぐな並木道を白い自転車に乗って走っていくエストレーリャ。
赤い自転車で戻ってきたときは15歳に。
子犬も大きくなり。
15歳のシーンでは道に落ち葉が敷き詰められているし、実際の撮影時期も1年位経過しているのかな。
意図的にやっているのかもしれないが。
このシーンもそうだけど、全般的に映画の中で流れる時間の感覚がすごくいいんだよな。

珍しくエストレーリャを誘ってグランドホテルのレストランでランチを取るアグスティン。
ここの二人の会話は今までの集大成になっていて目が離せない。
父親は大好きだけど子供の頃のように無邪気に表現はしないエストレーリャとアグスティンの間にあるもやもやした距離。
イレーネ・リオスという名前に心中で激しく動揺するアグスティン。
空間的には入り口入って左側はすぐカーテンの引かれた敷居戸があって、その向こう側の広間では結婚式のパーティが行われている。
入り口入って右側がレストランで、テーブルがいくつか配置されていて、アグスティン達は一番奥の端のテーブル席に付いている。
入り口付近には初老のボーイが待機している。
二人のバストショットで会話をしながらも時折やってくるボーイの靴音が空間の広がりを伝えてくる。
で、このボーイさん、出入りする人物を出迎えたり呼ばれたりする以外は基本椅子に座っている模様。
しかもタバコまでくゆらせて足まで組んでいる。
スペインだからか時代だからか。
会話中にパーティ会場から聞こえてくる「エン・エル・ムント」。
幸せのピークだった初聖体拝受の時に二人で踊った曲。
過去を懐かしむアグスティンを恐れるように「行くわ」と席を立つエストレーリャ。
レストランの空間を歩いて敷居戸に近づき、カーテンの端をめくって広間を覗く、と同時にカメラが上に上がって上部のガラス窓から俯瞰でパーティ会場を映し出す。
上からかよ、って思ったのもつかの間、次のカットでは覗き込むエストレーリャの表情をパーティ会場側から映し出す。
この表情が過去と現在に複雑に思いを秘めているようで泣ける。
あまり分析はしたくないけど、エストレーリャは覗いているしカメラも伸び上がるように上から覗いているのでパーティ会場側には入れないように思わせながらも次のカットではカメラはあっさりパーティ会場側に回り込んでいて、覗き込むエストレーリャのあの表情を正面から映し出すもんだからものすごく劇的なんだよな。
(これ書くために何度か見直していたらなんか初見の印象と違って何も感じなくなってきた。同じシーンを巻き戻して何度も見るってやっちゃいけない行為なんだな。。)

長くなりそうだからいくつかのシーンを省いて書いたけどそれでも長くなっちゃった。
なんか本当は当初この後さらに90分の後半部分を撮る予定だったらしい。
後半はエストレリャの南での旅で、父の過去を追い、自己のアイデンティティを確立する旅。
ロードムービー風であれば見てみたかったなぁ。