2018年 監督:大森立嗣
製作国:日本
at ギンレイホール
予告編にもあるけど樹木希林のこのタイトルの読み上げ方っていかにも樹木希林って感じでいいよね。
二十歳の大学生典子(黒木華)はひょんなことから従姉妹の美智子(多部未華子)とともに茶道を習い始める。
お茶の先生役に樹木希林。
典子が茶道の才能に溢れていて、何気なく始めたのにめきめき頭角を現して大会で優勝しました!とかそういうストーリーじゃない。
才能というかセンスがあるのは後から入ってきた女子高生(山下美月)で、典子の方はそんなにセンスない。
まあ、形から入ってあとで心が付いてくる世界では継続が重要なんだろうし上達の速さはたぶん些事。
おっちょこちょいと言われる典子が茶道を好きなり、茶道を通した「気づき」が人生の悲喜こもごもに寄り添っていく支えていく物語。
なにで見たか忘れたけど映画においてモノローグの多用はださいという通説があったと思う。
心象とか状況とか、映画なんだから言葉で説明しないで映像や演技で表せよ、言葉で説明しちゃったら小説から想像力を奪っただけの作品になっちゃうじゃん、とかそんな理由だと思われる。
ただ個人的には別にモノローグは嫌いじゃないし、むしろ説明してくれてありがとうなんだけど、この映画見ていたら「うっせーな、おい」と思ってしまった。
「掛け軸は字を読むんじゃなくて絵として眺めればいいんだ(どや)」
「ある日些細な音の違いがわかるようになった(どや)」
等々、中学生か!と思うようなことを私って感受性豊かでしょとひけらかすように言われ続けるとうるさくもなる。
「日日是好日」の額が前半の浅い理解から、後半で人生を経た上で新たな意味を持って再度映し出されたときに、おおーってなったのに間髪入れずにモノローグ(セリフだったかも)で説明が入るもんだから、「ここも説明するんかい!」って心でつっこんでいたら何におおーってなったのかも忘れてしまった。
原作は森下典子のエッセイ『日日是好日 「お茶」が教えてくれた15のしあわせ』。
エッセイが原作ならモノローグも多くなっちゃう、かな。
これは確か90年代初頭くらいからの話だったと思うが、最近『1987、ある闘いの真実』のキム・テリを見てから80年代あたりの女性ファッションや髪型が好きで、だからかわいい多部ちゃんが見れて満足した。
2019年5月5日日曜日
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