2011年2月26日土曜日

映画『トロッコ』

2010年 監督:川口浩史
at ギンレイホール


トロッコ [DVD]

お前なんだよ、そのロンゲは、このくそガキが!
って感じだったけど、髪切ってからはむしろかっこよくさえ思えてくる。ガキのくせに。

原作は芥川の『トロッコ』らしいが、原作というか着想という感じだろう。
舞台は台湾になっている。
8歳の"あつし"と6歳の"とき"は母の夕美子に連れられて台湾に行く。
どうもあつし達の父親が死んだらしく、その遺灰を父親の実家に届けに行くところらしい。
母は日本人だけど父は台湾人。
父の実家には日本語を流暢に話すおじいちゃんがいた。
で、なんだかんだでトロッコが出てくる。
父を亡くした親子と父の家族の物語だけど中心は長男あつしの成長譚になっている。

ストーリーも演出もさして面白いというわけではないのだが、映像に安定感があってつまらなくはなかった。
音楽の音が大き過ぎるのが邪魔だったけど。

今回のギンレイのプログラムは子供が主役の映画つながりだと思っていたら、確かにそれはそうなんだけど、傷ついて飛べなくなった小鳥、っていうのも共通している。
一方は傷も癒えて大空に飛び立って行き、もう一方はそのまま死んでしまう。
小鳥がそのまま子供達を表しているとすると、死んでしまうというのは暗喩としては、傷と死の記憶を有しながら生まれ代わる、ってことになる。
傷の深さと前に進もうともがく意思の強さという点でどちらが印象的かは言うまでも無い。

母親役の尾野真千子はなかなか綺麗な人だった。
役だけど怒ると鬼のように怖い。
初めて見る女優さんだと思ったら『萌の朱雀』のあの少女だった。
大きくなったなぁ。

ああ、撮影がリー・ピンビンになっている。
なるほど、退屈しなかったわけだ。

映画『冬の小鳥』

2009年 監督:ウニー・ルコント
at ギンレイホール




歌う少女を厳しくても誰よりも子供思いな寮母がちらちら見つめるシーンでぽろぽろ涙出てきて、少女が笑顔を見せる所をピークに止まらなかったのだけど、やっと落ち着いたと思ったらラストで嗚咽っていうのかね、少女の顔見ていたら声を出して泣きそうになってしまった。
やばい、今公式ページで写真見ていただけで涙出てくる。

今回のギンレイのプログラムは一方が面白そうでもう一方は面白くなさそう、と位置づけていて、こちらは面白そうな方。
面白いどころかもう稀に見る傑作だった。
そもそも子役というものが大嫌いなので今回は見送ろうかと思ったくらいなのだけど、本当見てよかった。

父親が大好きな9歳の少女ジニ(キム・セロン)は、ある日父親と泊まりの旅行に出かける。
しかし連れて行かれたのはカトリック系の児童養護施設だった。
「ずっと一緒にいるよ」と言った父はジニを置いて一人去っていく。
自分は孤児じゃない、いつか父が迎えに来てくれる、と寮母やシスター、他の子供達に反発し続けるジニだったが。。。

ジニから絶えずあふれ出すのは感情というか激情で、小さくて華奢な体が器として小さすぎると言わんばかりに凄まじい力の想いが外に漏れ出していく。
狂気に似た感情は基本的に切ないのだけど、冒頭の父に向けるうざいくらいの愛情表現を見ていると、大人になったら空恐ろしい女になるんじゃないだろうか、とも思ってしまう。
別れ話でも持ち出そうものなら。。。

ジニを演じた子役のキム・セロンはそんなに可愛いというわけではないのだが、子役嫌いの僕でも嫌悪せずに見れる演技というか狂気というか。
死の儀式の後に来る再生の、あの透き通った表情には孤独の切なさと前向きさが詰まっているのだけど、それが聖性すら感じさせるから凄い。
雑誌のモデルとか幼い頃から活躍しているらしいが、映画出演はこれが初めてらしい。

冒頭のジニと父親の仲睦まじいシーンは全てジニが中心で、父親の顔が一切映らない。
無名の役者でも使っていてそのまま顔なしで進むのかと思いきや、養護施設でのジニとの最後の別れの時に漸く顔が映し出される。
あっ、と思うのは(ネタばれ?になってしまうが)映し出された父親がなんとソル・ギョングなんだよね。
ちょい役な上にこの一瞬しか顔が映らない役にソル・ギョングを起用する、というのは豪華なのかなんなのか。
ジニの最愛の想い人である父親の顔が溜めに溜めた後にちょっとしか映らない事で印象的になるけれど、印象的というよりソル・ギョング!という驚きの方が強い。
いや、驚きによってより印象的になるとも言えるのか。
そう思えば、少しやつれた顔で複雑な想いを秘めてジニを最後に見つめるあの視線はソル・ギョングならではな気もする。
素で人生の深みが詰まったような顔しているからな。

監督のウニー・ルコントは自身9歳の時にフランスの家庭に養女として引き取られているらしい。
ちなみにパトリス・ルコントとは何の関係も無い模様。


DVDが出てないみたいなので予告編貼り付けてみた。
公式ページにある集合写真の壁紙が最高にいい写真なのでDVDパッケージの代わりに貼り付けようとしたけど、とりあえずパソコンの壁紙にしたらそれで満足したのでやめた。

2011年2月20日日曜日

映画『シテール島への船出』

1983年 監督:テオ・アンゲロプロス
BS2 録画


テオ・アンゲロプロス全集 DVD-BOX II (ユリシーズの瞳/こうのとり、たちずさんで/シテール島の船出)

寝ちまった。
映画監督らしき男が撮影現場だかオーディション会場だかを歩きまわっている。
オーディションでは大勢の初老の男が一人ずつ「エゴイメ(私だよ)」と言っている。
そんな時バーに入ってきたラベンダー売りの老人を見て、男は引き込まれるように老人の後を付いていく。
港にやってきた老人が幻のように消えて男が見失った時、男は「アレクサンドロス」と女に呼びかけられる。
男の名はアレクサンドロス。
ラベンダー売りの老人を追いかけてたまたま港に来たのだと思ったら、ロシアに亡命して32年ぶりにギリシャに帰国する父を妹とともに迎えに来ているらしい。
ゆったり到着した船から降り立った老人は、なんと先ほどのラベンダー売りの老人だ。
老人は二人を見て言う。
「エゴイメ(私だよ)」。

ラベンダー売りの老人は、父と32年ぶりに再会するまでの幻想的なつなぎだったのだろうか。
まあ、そこまではいいのだけど、再会した3人が喋るとき、誰が喋っているのか全く分からなかったのでそこでパニックになって脳みその回転が停止した。
アレクサンドロスを演じた俳優の声も渋いけど、妹役の女優の声はもっと渋い。
女性の声に思えないくらい渋くて、二人の男と一人の女性でありながら三人のうち誰が喋っているんだか分からず、「私がヴーラ」と父が喋っているのかと思った。
一つのセリフで百を理解しなきゃいけないというのにそもそも誰のセリフか分からないとお手上げです。
ゆっくり到着する船にうとうとしかけていたので、諦めが入った途端寝てしまった。

でも見るの再開してからは登場人物もある程度把握したし、序盤のかったるさもなくなって面白く見ることができる。

32年ぶりに父が帰って来た。
頑固で昔かたぎな父が巻き起こす数々の騒動にうんざりしながらも、現代の冷たさに膿んでいる子供達は次第に人の温もりを取り戻していく。
・・・というような近年のハリウッド的な展開はもちろんしない。
物語の中心は父と、その父の帰りを32年待ち続けた母になる。
父スピロは亡命したことにより無国籍者となり、故国では存在しない者になっている。
故郷の村はもう人が住んでおらず、村人達はスキー場建設を目論む会社に土地を売ることで結託している。
スピロは一人土地を売ることに反対し、村人全員を敵に回す。
一方、母カテリーナの方はスピロの代わりに投獄されながらも32年ひたすらスピロの帰りを待ち続けていた。
32年ぶりの再会は見詰め合った後にかすれた声で搾り出すように言う「ごはん食べた?」。
しかしスピロは亡命先で寂しさに耐えかねて家庭を持っていた。
カテリーナはその事実に耐えかねて一時はスピロと距離を置くが、やはり愛する夫、故国で居場所の無い孤独なスピロにどこまでも付いていくのだった。

暗いでしょ。
スピロとカテリーナ夫妻の温もりはあるものの、背景として過去のギリシャの内戦とかがとてつもなく暗い影を落としている。
アレクサンドロスの物憂げなステップも、スピロの感情を体全体に行き渡らせたステップも、測量かなんかの旗を引っこ抜いて豪快に放り投げる所作も、お茶目なんだけど孤独と悲しみに呑まれているし。
誰が悪くて誰が正しいとかではなくて、ただ時代や国境に翻弄されている深い悲しみが横たわっている。
そんなストーリーで何が面白いんだって話だけど、このストーリーでつづられる映像が凄い。
特にラストはうならさせられる。

ネットで調べていたら、ラベンダー売りの老人を見失ってから劇中劇になると書いてあるのがあった。
確かにアレクサンドロスは「エゴイメ(私だよ)」が一番しっくりくる役者を探していたわけだし、それは父役を探していたということに他ならず、ラベンダー売りの老人を見出したことで彼を起用した映画が撮影され、その映画を映画の中で見ている、と考えた方がラベンダー売りの老人の存在のつじつまが合う。
もっと驚きなのは冒頭にバーでちょろっと現れたアレクサンドロスの愛人の女優が妹役も二役でやっていたらしい。
そんな馬鹿なと思いつつも、もしそうならラベンダー売りとこの愛人の二人の存在により、明確に劇中劇という点が示唆されていたことになる。
ほとんどクローズアップがないから役者の顔を全然記憶していなくて、全く気付かなかった。

でも急いで見直してみたけど、愛人と妹役が同一人物に見えないんだよなぁ。
愛人はあんなに渋い声してなかったし。
顔見ても全然分からん。
いや、妹がガソリンスタンドで堂々と煙草を吸ってさらにポイ捨てしているシーンは声が愛人っぽいぞ。
ちょこちょこ入れ替わっているのかなぁ。
いや、でも顔は妹っぽいな。
この妹役の人は声を張らずに喋るときだけ渋い声になるらしい。
港で「アレクサンドロス」と呼びかけた後の次のセリフのあまりの声の差異を聞き直すと、もう声では判別付かないと諦める。かといって顔はもっと分からない。
何度か再生して見てみたけど、妹役は全部同一人物な気がするのだが、結局のところバーにいた女優と同一人物かはやっぱり分からなかった。
goo映画のページの解説等々で同一人物と言っているので同一人物なのだろう。

『エレニの旅』のような何の前触れも無い時間の飛躍が無いから見やすいと思っていたら、こんな劇中劇(しかもやっぱり境目は極めて曖昧な)の超分かりにくい複雑な重層構造が潜んでいたとは。

2011年2月19日土曜日

映画『エレニの旅』

2004年 監督:テオ・アンゲロプロス
BS2 録画


エレニの旅 [DVD]

1月にBS2で放映していて録画した4本の内の一つ。
本当は年代順に見ていこうとしていたのに間違えて一番新しいやつから見てしまった。
ちなみにアンゲロプロスは『永遠と一日』しか見たことが無いので初心者です。

170分あるから気合入れて見ないとなぁと思っていたけどそんなに構える必要もなかった。
長回しを多用する監督は何人もいるけど、アンゲロプロスの長回しはそこに雄大な時の流れを感じさせる。
長回しでゆったり動くカメラが切り取る時間はその時その瞬間の固有のものの筈なのに、永遠に続いていくように錯覚してしまう。
広大な川辺の荒野にある村は時代が変われば水没してしまうし、永遠に続くものなんて無いのに。
シンプル(殺風景)で時に幻想的な空間にある静謐さの中に、人々の生活や感情がひっそりと染み込んでいるからだろうか。

ストーリー自体も時間軸の飛躍に無頓着で、何年も時が経過しているのにその前後のシーンには一切それを示唆するものが無く、次の日みたいな感じでしれっと数年経過していたりする。
1919年頃という曖昧な年に始まり、その時4歳くらいのエレニ(アレクサンドラ・アイディニ)が次のシーンでは14歳くらいになっている。
さらには生んですぐ離れ離れになった双子に再会するとき、赤子だと思っていたら双子はいつの間にか8歳くらいに成長している。
エレニを演じている女優が代わっているなとは思ったけどさぁ。全然分からん。
でもまあ、この程度ならまだ付いて行ける。
詩的なセリフもほとんど無いし、ちゃんとストーリーもあるので。
最後の方の怒涛の展開で息子達がいつの間にか兵士になっているのは一番混乱したけど。

アンゲロプロスは音の使い方が上手くて、非常に好み。
意図して拾っているのだと思うが、馬車の車輪の音とか浅瀬を歩く音とかシーツがはためく音とか。
とりわけ、この映画で重要な河とか海にも関係するけど、水に関した音がいいな。
テーマ音楽は『永遠と一日』に似ているので同じ音楽監督かなと思っていたら、同じどころか『シテール島への船出』以降音楽はずっとエレニ・カラインドロウが担当しているらしい。

それにしても村全体が水没しているシーンはどうやったんだろう。
曇天でよく見えないが地平線の先までかなりの広範囲で水没しているように見える。
ああ、公式ページによると冬には水が引く湖に村を建設したらしい。なるほど。

クライマックスの幻聴、幻視は、それまでの静かな流れを一切損なわないままクライマックスらしい圧巻のシーンになっている。

印象的なシーンが多く非常に面白かったのだが、一点微妙だと思ったのは、血の付いた手で真っ白いシーツに触るのは1枚目だけで十分で、2枚目、3枚目も触るのはやりすぎだろう。
あ、もう一点、難点というか個人的なことだけど、ギリシャの近現代史を全く知らないのでストーリーの背景を知識で補完できなかった。
補完しなくてもなんとなく起きてる事は分かるのであまり問題じゃないけど、ギリシャ悲劇の国のこの救いようの無い悲劇をストーリー上より理解するためには必須の知識かもしれない。

ヒロイン役のアレクサンドラ・アイディニはなかなか綺麗な女優さんだった。
横顔見るとはっきり分かるが、顎が鼻のように見事に突き出していてキュート。

元々一本の長編で20世紀全体を描く構想が、上映時間があまりに膨大になりすぎるため3本に分けたらしい。
『エレニの旅』はその三部作の一作目に当たる。
二作目以降が現在どこまで作られているのかは知らない。

2011年2月16日水曜日

映画『メトロポリス』

1926年 監督:フリッツ・ラング
BS2 録画


メトロポリス [DVD]

SF映画の金字塔だけど、惹かれあう男女がくっついたと思ったら離れ離れになって、その後に劇的に再会するというメロドラマの王道の展開もする。
決闘のアクションもあるしてんこ盛りだ。

フィルムの4分の1が消失しているとのことだが、それでも2時間ある。
大量の人人人、顔顔顔、目目目、そして時にちゃっちいが作りこまれた壮大なミニチュア等々、正に大作だ。
統率された動きも投入されるもの(例えば人とか子供とか金とか)の量も全てが形式の中で不自然なまでに圧倒的な奔流を形作っている。
やること全てが針が振り切れちゃっているんじゃないかと思うほどに。
合成とかも出し惜しみせずいろいろやっていて、小手先な煩雑さでぐちゃぐちゃになりそうにも思うが、驚くべきことに圧倒的な様式美に貫かれて揺らぎもしない。

大量の労働者と一握りの上流階級という対比を描くのも徹底的で、労働者なんか住まいは地下に押し込められているし労働環境、内容も劣悪だ。
最初の方なんか労働者は全くの無人格で、人間というか彼らが操作/管理する巨大な機械の一部に過ぎないようにしか見えない。
せっせと繰り返す無機的な同じ所作で一体彼らがどんな意味のある作業をしているのか全く分からないし。
時計の長針のような3つの針を円盤の縁に散りばめられたランプの光る箇所に次々に合わせていく作業とか何の意味があるというのか。
ゲームとして30分くらいやるなら楽しそうだが、毎日毎日10時間もそんなことやったら人格崩壊する。
労働者達のそんなやりがいもやる効果も分からない最悪なルーチンワークだが、彼らの働きによってなぜだか機械が正常動作していることは確かで、それによって地上に暮らす上流階級の人々が人生を謳歌している、という超絶分かりやすい対比。

この映画で一番印象に残ったのはマリアを演じたブリギッテ・ヘルムだった。
サイレント映画の役者は必然として大仰な演技になるのだけど、フリッツ・ラングによるのかどうかは知らないがブリギッテ・ヘルムはその大仰さが圧倒的に凄い。
いや、凄いというか怖い。。。
序盤のブリギッテ・ヘルムは全く表情が無くて、顔のクローズアップになっても表情が読めず、まばたきをしない静止した顔は底の知れない恐怖を感じさせる。
だから地下の墓地で跪くフレーダー(グスタフ・フレーリッヒ)に近づいたマリア(ブリギッテが)が、首を突き出してフレーダーを見下ろしながら、「あなたが仲介者?」と、驚きと歓喜で詰まりながら言葉を搾り出す瞬間、そこに初めて現れる感情的な表情は今までの絶対的な無表情が崩壊する不吉な瞬間であって、彼女がそのまま怪物に変身してフレーダーを一呑みにするんじゃないかという錯覚に陥って、えも言われぬ恐怖を感じてしまった。(屈んだときに思いっきり首を突き出すから怖いのかな)
それよりも一番怖かったのはこのシーンのすぐ後にくる、発明家のくせにがたいのいいロートヴァングに追われて逃げるシーン(序章のクライマックス)でのブリギッテ・ヘルムの表情だ。
恐怖におののくブリギッテ・ヘルムの怖さが伝わってくるとかではなくて、ブリギッテ・ヘルムその人の恐怖の演技が恐怖になっている。
大げさな演技の究極の姿がここにあって、ブリギッテ・ヘルムはサイレント映画役者の極致にいる。
そしてこの逃げるシーンが本当に美しいんだわ。

ブリギッテ・ヘルムは美人では無いよなと思っていたら、一応美人女優という世間一般の認識らしい。
美人で通っているけど僕には美人に思えなくて、でも最高の女優だと思う、ってソフィア・ローレンと同じパターンだな。

フィルムが失われているというのが非常に残念だ。

フリッツ・ラングは二本ばかし見ていた気がするが、フィルモグラフィーでタイトル見ても『ドクトル・マブゼ 』しか記憶に無いな。
『月世界の女』と『M』は確実に見ていないはずなのでBSでやってくれないかな。

2011年2月13日日曜日

映画『オカンの嫁入り』

2010年 監督:呉美保
at ギンレイホール


オカンの嫁入り[DVD]

宮崎あおいが本当かわいい。
もう宮崎あおいしか記憶に残っていない。
というのも後ろの席の老夫婦のどっちかが足を組み替えてるのかガンガン席を蹴ってくるし、前の席の50代くらいの熟年夫婦のおばさんの方は嫌にがたいがいい上に姿勢がよすぎて、こちらが相当背筋伸ばしてもスクリーンの下が少し頭で隠れてしまう、だけならまだしもこのおばちゃんはしょっちゅう首をかくかく曲げて位置を変えるもんだから気になって全然集中できなかった。

ストーリー書いておくか。
ある晩、酔っ払った母陽子(大竹しのぶ)が「つきちゃ~ん」と大声で叫びながら帰って来た。
鍵を開けると母だけでなく、目もうつろに酔っ払った金髪リーゼントの怪しげな若い男も入ってきて玄関でぶっ倒れた。
母はこの若い男研二(桐谷健太)と結婚すると言う。
月子(宮崎あおい)は家を飛び出し仲のいい大家のサクちゃん(絵沢萠子)の家に転がり込む。
(母を大竹しのぶが演じているからというわけでもないが)我侭で奔放な母親なのかと思うが、再婚/同居の裏には月子が抱えるある問題と、母陽子自身に迫り来る時間の問題が複雑に絡み合った末の深い愛情が隠されていた。
結論としては宮崎あおいがかわいい。

月子にしろ母の陽子にしろ研二にしろ、話が進むにつれて皆第一印象から人物像が変化していく。
家族物で人物がしっかり描かれているのはありがたい。
ともすればお涙頂戴になりそうなところ、家族の絆に焦点が絞られているところもいいです。
前の席のおばちゃんは号泣していたけど。

月子のトラウマの回想シーンは秀逸だった。
林泰文との淡い恋愛のような始まりから、さくさくと手短に狂気が溢れていく。
美人は損だねぇ。

一つ気になるのは研二君がいい奴すぎる。
こんないい奴はこの世の中にいません。
そもそもいい奴なんていう胡散臭い人種は皆嫌な奴です。
一つ屋根の下に暮らしながら宮崎あおいに見向きもせずに大竹しのぶ一筋な謎を見るときっといい奴というか変な奴なのでしょう。

そういえば友近がちょい役のおばさん役で出ていたけど、コントにしか見えなかった。

映画『トイレット』

2010年 監督:荻上直子
at ギンレイホール


トイレット [DVD]

『めがね』の荻上直子監督。
こちらの予想を一ミリも裏切らず、予測どおりのつまらなさだったぜ。
・・・と映画を観る前からこう書こうと決めていたのだが、そんなにつまらなくはなかった。すいません。
日本人キャストが唯一もたいまさこのみで、後は皆海外の俳優だったからかな。
いや、ゆるくてつまらないユーモアは健在だが、なによりストーリーがちゃんとあって登場人物の背景もそこそこ描かれているからだな。

ロボットプラモデルオタクのレイ、勝気でわがままな妹リサ、ダウン症でひきこもりのピアニストの兄モーリー。
この3兄弟の母親が死んだ。
母親が残したのは家と猫と「ばーちゃん」だった。
母が死ぬ前に呼び寄せたばーちゃんは英語が喋れない。
それどころか孫達とコミュニケーションを取る気もない様子。娘の死にショックを受けたのかどうかは知らないが。
唯一の意思表示といえば、長いトイレの後に必ず深い溜息をつくということくらい。
そんな喋らないばーちゃんと一人一人あくの強い孫達の家族のお話。

ラストはちょっと不謹慎かもしれないけど是非やっておいて欲しいと思ったことを見事にやってくれるので満足した。

この監督はちょこちょこ変なおっさんとか出すのが好きらしいのだが、今回は謎の女性としていつもバス停のベンチに座っている女性が出てくる。
これを演じているのが『西の魔女が死んだ』の主演を演じたサチ・パーカーだったらしい。気付かなかった。
シャーリー・マクレーンの娘。

うん、あんまり書くことないや。
リサを演じたタチアナ・マズラニーは可愛かった。

2011年2月11日金曜日

映画『拳精』

1978年 監督:ロー・ウェイ
BS2 録画


拳精 デジタル・リマスター版 [DVD]

あまりに危険なために習得を禁じられた「七邪拳」の極秘書が少林寺から黒装束の男により盗み出される。
「七邪拳」を敗れるのは「五形拳」のみだが、「五形拳」は既に失われてしまっている。
「五形拳」が天から降ってでも来ない限り「七邪拳」が最強だ!と言った途端に降ってきた花火のような彗星に刺激されて、白塗り白タイツでピンクのロングおかっぱの五匹の妖精、いや五人の変態が目を覚ました。
変態達はそれぞれ「五形拳」の型を習得しており、少林寺の寺男のヤッロン(ジャッキー・チェン)は彼等に学んで「五形拳」を習得するのであった。

ファンタジーなカンフー映画かと思いきや、思いのほかミステリーだった。
取り立てて謎解きの煽りもないので結局下手人は誰だったんだという疑問が頭の片隅に異物のように引っかかりながらカンフーアクションを見ていると、突如判明する真犯人にびっくりです。
黒装束の男の体型とは全く別人なのでこれは気付かない。

ネットで調べていると「挿入曲のチャイナガールがいい」とか書いてあって、チャイナガールってまさかデヴィッド・ボウイじゃないよな、そもそもチャイナガールどころか挿入曲すらあった記憶が無いし。
Wikipediaによるとどうやら東映で公開された版にはオリジナル主題歌としてチャイナガールが入っていたらしい。
といってもデヴィッド・ボウイのとは全くの別物らしいが。
チャイナガールが入っている版は東映の権利が切れた現在ではもう見られないとのことだが、YouTubeでちょっと見れた。
勝手に曲入れちゃうのってどうなのよと思うが、これは結構楽しいな。
印象が全く異なってくる。ありかなしかでいったらありかもしれない。

「七邪拳」は「七死拳」とか「七殺拳」といろいろな訳があるようだ。
「五形拳」も「五獣拳」。
「七死拳」と「五獣拳」が一般的っぽい。
いずれにしても「七死拳」をなぜに「五獣拳」が打ち破れるのかという点は遥かなるミステリー。

2011年2月7日月曜日

2月INFO

BS2 2月4日(金) 午前0:45~2:27(3日深夜)
タハーン ~ロバと少年~ 2008年・インド
〔監督・脚本・撮影〕サントーシュ・シヴァン
BS2 2月7日(月) 午後1:00~2:36
拳精 1978年・香港
〔製作総指揮・監督〕ロー・ウェイ
BShi 2月10日(木) 午後10:00~午前0:59
ブレイブハート 1995年・アメリカ
〔製作・監督〕メル・ギブソン
BS2 2月11日(金) 午前0:45~2:40(10日深夜)
メメント 2000年・アメリカ
〔監督・脚本〕クリストファー・ノーラン
BS2 2月14日(月) 午後1:00~2:49
心のともしび 1954年・アメリカ
〔監督〕ダグラス・サーク
BS2 2月15日(火) 午後1:00~2:30
天はすべて許し給う 1955年・アメリカ
〔監督〕ダグラス・サーク
BS2 2月15日(火) 午後9:00~10:55
巴里のアメリカ人 1951年・アメリカ
〔監督〕ヴィンセント・ミネリ
BS2 2月16日(水) 午後1:00~2:32
翼に賭ける命 1957年・アメリカ
〔監督〕ダグラス・サーク
BS2 2月17日(木) 午後1:00~3:13
愛する時と死する時 1958年・アメリカ
〔監督〕ダグラス・サーク
BS2 2月18日(金) 午後1:00~3:06
悲しみは空の彼方に 1959年・アメリカ
〔監督〕ダグラス・サーク

先週の金曜から絶え間ない頭痛と腹痛にうなされていたらいきなり『タハーン ~ロバと少年~』を録画し忘れた。

今月の目玉はダグラス・サーク特集です。
一本も観たこと無いのでこの機会に全部録画して観よう。

他にもアカデミー特集をやっているみたいだけど、あんまり興味ないからほとんど載せなかった。

2011年2月6日日曜日

映画『セーラー服と機関銃』

1981年 監督:相米慎二
BS2 録画


セーラー服と機関銃  デジタル・リマスター版 [DVD]

好きな監督だけど、このブログに相米慎二のタグが無いってことは彼の監督作を見るのは少なくとも8年ぶりくらいになるのか。
昔一度観た『セーラー服と機関銃』を再見。

何度観ても面白いな。
ヒットすることが目的の商業映画なのにあまりに自由だ。
円広志と林家しん平の漫才のようなやりとりに始まり、ヒロインのトップアイドル薬師丸ひろ子の登場シーンは間抜け面したブリッジ。
とそこまではちょっと奇抜でひねくれた奴ならちゃっちい反抗心でやりそうだけど、クレジットタイトルの終了とともに薬師丸がしゃがんだ瞬間、薬師丸の目線がちょうど踏み切りの遮断機でぴったり隠れるっていうのはどうだ。
クレジットタイトル中に柳沢慎吾と光石研とあと一人の薬師丸取り巻きトリオが、ワンカットの中で不自然なまでに自在に位置を変えて動き回っているのを、ああ相米慎二だなぁと思ってぼーっとしている所で現れるこの唐突な目線隠しにはちょっと度肝を抜かれた。
クレイジーだ。。。

相米の他の作品同様、内面的にも動作的にも絶えず変化し続けていく少女を、長回しのカメラや超俯瞰の引きのショット等様々な位置から執拗なまでに追いかけていく。
どっからでも見てるぞ、というのがたまに偏執的な狂気を感じるほどに。
自在に動く予測不能な少女の動きを根気強く見守るわけだから、カメラの動きは大らかであって、薬師丸の後頭部に隠れて話し相手がほとんど見えなくなっちゃったり、引きのカメラがパンすれば植木や柱に阻まれて何も見えなくなっちゃったりもするのだが、それはつまり遮蔽物により対象への注視力が増すということでもあり、映画が常にそうであるため忘れてしまうがカメラといういるはずのない第三者の視点がごつごつとした手触りで浮かび上がってくるということでもある。
監督と一緒に少女(少年)という不定形な存在が発散する予期せぬ力と、内在する心の機微を見つめる、というわけだ。

「カ・イ・カ・ン」の有名な機関銃掃射シーンでは薬師丸の右頬にいつのまにか血糊が付いている。
火薬に驚いたのか反動で体が斜め右後ろに向き、そのまま二回目の掃射を行なうのだけど、この時顔が後ろ向いて隠れているからその一瞬で血糊を付けたのかな。
それにしてもその後つーっと血が線を引いて流れるから絶妙な血糊の量だ。
右後ろへの掃射は危うく仲間を撃ち殺すことにもなりかねず、NGかと思いきやOKにしたのはこの絶妙な血糊のせいかもしれない。
・・・と思ったら血糊じゃなくて、破裂して飛び散った瓶の破片で本当に怪我していたらしい。

ばんばんばんばん、泣くまいと思っていたのに『お引越し』もそうだったけどラストは反則だよな。

ストーリーは展開がよく分からないのだけど、『セーラー服と機関銃 完璧版』とかいうのがあるからそちらの方だといくらか話の流れのつじつまが合っているのかもしれない。

組員明を演じている人がどこかで見たことあると思っていたら酒井敏也だった。

そういえば何年か前に長澤まさみで再ドラマ化されていたな。
怒りを覚えるくらいつまらなかったけど。