1983年 監督:テオ・アンゲロプロス
BS2 録画
寝ちまった。
映画監督らしき男が撮影現場だかオーディション会場だかを歩きまわっている。
オーディションでは大勢の初老の男が一人ずつ「エゴイメ(私だよ)」と言っている。
そんな時バーに入ってきたラベンダー売りの老人を見て、男は引き込まれるように老人の後を付いていく。
港にやってきた老人が幻のように消えて男が見失った時、男は「アレクサンドロス」と女に呼びかけられる。
男の名はアレクサンドロス。
ラベンダー売りの老人を追いかけてたまたま港に来たのだと思ったら、ロシアに亡命して32年ぶりにギリシャに帰国する父を妹とともに迎えに来ているらしい。
ゆったり到着した船から降り立った老人は、なんと先ほどのラベンダー売りの老人だ。
老人は二人を見て言う。
「エゴイメ(私だよ)」。
ラベンダー売りの老人は、父と32年ぶりに再会するまでの幻想的なつなぎだったのだろうか。
まあ、そこまではいいのだけど、再会した3人が喋るとき、誰が喋っているのか全く分からなかったのでそこでパニックになって脳みその回転が停止した。
アレクサンドロスを演じた俳優の声も渋いけど、妹役の女優の声はもっと渋い。
女性の声に思えないくらい渋くて、二人の男と一人の女性でありながら三人のうち誰が喋っているんだか分からず、「私がヴーラ」と父が喋っているのかと思った。
一つのセリフで百を理解しなきゃいけないというのにそもそも誰のセリフか分からないとお手上げです。
ゆっくり到着する船にうとうとしかけていたので、諦めが入った途端寝てしまった。
でも見るの再開してからは登場人物もある程度把握したし、序盤のかったるさもなくなって面白く見ることができる。
32年ぶりに父が帰って来た。
頑固で昔かたぎな父が巻き起こす数々の騒動にうんざりしながらも、現代の冷たさに膿んでいる子供達は次第に人の温もりを取り戻していく。
・・・というような近年のハリウッド的な展開はもちろんしない。
物語の中心は父と、その父の帰りを32年待ち続けた母になる。
父スピロは亡命したことにより無国籍者となり、故国では存在しない者になっている。
故郷の村はもう人が住んでおらず、村人達はスキー場建設を目論む会社に土地を売ることで結託している。
スピロは一人土地を売ることに反対し、村人全員を敵に回す。
一方、母カテリーナの方はスピロの代わりに投獄されながらも32年ひたすらスピロの帰りを待ち続けていた。
32年ぶりの再会は見詰め合った後にかすれた声で搾り出すように言う「ごはん食べた?」。
しかしスピロは亡命先で寂しさに耐えかねて家庭を持っていた。
カテリーナはその事実に耐えかねて一時はスピロと距離を置くが、やはり愛する夫、故国で居場所の無い孤独なスピロにどこまでも付いていくのだった。
暗いでしょ。
スピロとカテリーナ夫妻の温もりはあるものの、背景として過去のギリシャの内戦とかがとてつもなく暗い影を落としている。
アレクサンドロスの物憂げなステップも、スピロの感情を体全体に行き渡らせたステップも、測量かなんかの旗を引っこ抜いて豪快に放り投げる所作も、お茶目なんだけど孤独と悲しみに呑まれているし。
誰が悪くて誰が正しいとかではなくて、ただ時代や国境に翻弄されている深い悲しみが横たわっている。
そんなストーリーで何が面白いんだって話だけど、このストーリーでつづられる映像が凄い。
特にラストはうならさせられる。
ネットで調べていたら、ラベンダー売りの老人を見失ってから劇中劇になると書いてあるのがあった。
確かにアレクサンドロスは「エゴイメ(私だよ)」が一番しっくりくる役者を探していたわけだし、それは父役を探していたということに他ならず、ラベンダー売りの老人を見出したことで彼を起用した映画が撮影され、その映画を映画の中で見ている、と考えた方がラベンダー売りの老人の存在のつじつまが合う。
もっと驚きなのは冒頭にバーでちょろっと現れたアレクサンドロスの愛人の女優が妹役も二役でやっていたらしい。
そんな馬鹿なと思いつつも、もしそうならラベンダー売りとこの愛人の二人の存在により、明確に劇中劇という点が示唆されていたことになる。
ほとんどクローズアップがないから役者の顔を全然記憶していなくて、全く気付かなかった。
でも急いで見直してみたけど、愛人と妹役が同一人物に見えないんだよなぁ。
愛人はあんなに渋い声してなかったし。
顔見ても全然分からん。
いや、妹がガソリンスタンドで堂々と煙草を吸ってさらにポイ捨てしているシーンは声が愛人っぽいぞ。
ちょこちょこ入れ替わっているのかなぁ。
いや、でも顔は妹っぽいな。
この妹役の人は声を張らずに喋るときだけ渋い声になるらしい。
港で「アレクサンドロス」と呼びかけた後の次のセリフのあまりの声の差異を聞き直すと、もう声では判別付かないと諦める。かといって顔はもっと分からない。
何度か再生して見てみたけど、妹役は全部同一人物な気がするのだが、結局のところバーにいた女優と同一人物かはやっぱり分からなかった。
goo映画のページの解説等々で同一人物と言っているので同一人物なのだろう。
『エレニの旅』のような何の前触れも無い時間の飛躍が無いから見やすいと思っていたら、こんな劇中劇(しかもやっぱり境目は極めて曖昧な)の超分かりにくい複雑な重層構造が潜んでいたとは。