2011年 監督:青山真治
at ギンレイホール
予告編を見ると三流トレンディドラマの映画化かと思ったりもするが、監督は青山真治。
青山真治は『Helpless』しか見ていないのでそんなに知っているわけじゃないけど、『Helpless』が最高に面白かっただけに期待半分不安半分。
(ああ、そういえばテレビドラマ『私立探偵 濱マイク』も見てたや)
カメラマン志望の志田光司(三浦春馬)は日々公園に出かけていき、写真を撮っている。
子供を連れた綺麗な奥さん(井川遥)に心惹かれて、思わず隠し撮りのように撮影していると、歯科医師の初島隆史(高橋洋)に見咎められる。
後日初島に呼び出された光司は、各地の公園に出没するあの奥さんの写真を撮って欲しいと依頼される。
と、別にそこからミステリーな展開になっていくわけではないのであしからず。
光司は親友のヒロ(染谷将太)と一緒に住んでいる。
ヒロは過去になんらかの理由で亡くなっているらしい。
と、しれっと明かされて、つまり幽霊なわけだが、別にここからホラーな展開になっていくわけではない。
光司には父親の再婚によって小学生の時に突然できた9歳歳の離れた姉(小西真奈美)がいる。
その姉の紹介でバイトしているバーのマスターはダンディなゲイ(宇梶剛士)。
そして幼馴染の友達の富永美優(榮倉奈々)はしょっちゅう光司の家に遊びに来る。
恋愛物だとすると、綺麗な奥さん含めてこの4人の誰かということだが。。。
全部見終わってからあの予告編をもう一度みると分かるけど、もう完全に騙された。予告編の編集は悪意すら感じるぜ全く。
異常も日常も同じレベルに羅列されて渦巻き、いびつで異常だけど限りなく日常に近いこの世界を「恋愛物」と一つに括っちゃったら乱暴だ、と思いつつも「恋愛物」で括って落ち着いちゃうくらいの懐の深さもあるんだよなぁ。
じゃあこの映画は何なのと言うと、テーマとしては劇中島田雅彦が言うセリフがぴったりくるかもしれない。
「東京の中心には巨大な公園がある。東京はその公園をとりまくさらに巨大な公園だ。憩い、騒ぎ、誰かと出会ったりもする。僕たちのための公園、それが東京だ」
一つ一つのカットはいたってシンプルなんだけど非常に面白い。
印象に残るのをぱっと思い出すと、人のほとんどいない海浜公園に吹き荒ぶ風の音とか、序盤で光司と初島が公園で別れた後の歩き去る二人の後姿とか、会話する二人をそれぞれ正面から捉えた切り返しとか、マスターと光司がほぼ同時にグラスを置く仕草とか。
(・・・なんか小津っぽいが、正面のバストショットは視線がずれないし同時の所作もぴったり一致するわけではない。小津映画はほとんど見ていないし理解力も乏しいのでぼろが出る前にやめておこう。)
この映画の中の人間関係にしろ、映画そのものにしろ、「見つめる」というのも一つのテーマになっている模様。
もう何十年も前からたくさんの人に論じつくされていると思うけど、無言でカメラを人に向けるほど無遠慮かつ無愛想な事は無い。
撮影者の顔はカメラでほとんど隠れるので、見つめ返されて傷を負う事無しにひたすら一方的に相手を凝視するのだから。
後半凄いシーンがある。
カメラを向けて迫るのがどんな暴力よりも破壊的で、どんな視線よりも相手をえぐる凝視になる。
・・・小西真奈美が美しい。
小西真奈美が美しいといえば、将来に漠然と不安を抱く受動的な大学生(大学生なんて皆そんなもんだ)の光司を取り巻く女性達(女優達)が皆素敵で豪華。
独特な顔立ちだが最も美しい瞬間を見せた姉(小西真奈美)。
出番は少ないものの、全てを見通していながら少しも揺らがない包容力を持った奥さん(いくつになっても綺麗な井川遥)。
そして深い悲しみを秘めながら天真爛漫で素直な笑顔を見せる富永(榮倉奈々)。
・・・榮倉奈々が可愛い。
ラストもまた凄いんだな。
あのべたべたしない恐ろしく平穏な日常はぞくぞくする。
基本的に面白かったのだけど、不満点を言えば、長い(119分)のと、気心の知れた間柄でおどけた感じに時折敬語が入るのが感覚的に80年代くらいの若者な気がしてむずがゆかった点。
最近一段と視力が落ちて、久しぶりに真ん中よりちょっと後ろの席に座ったら眼鏡かけていても細かいところがよく見えない。
そのショックと、自然と前傾姿勢になったせいで左肩が異様に凝ってしまい、いらつきが溜まっていったため、映画が長いのは面白ければなんら問題ないはずなのにちょっとつらかった。
2011年10月23日日曜日
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