2009年6月21日日曜日

キャンドルナイト

大学のゼミの先生が定年退職するらしく、退職祝賀会があったので行って来る。
13時から15時半。
前半煙草吸いに20分くらい逃げたとはいえあまりに短いのでほとんど飲めなかったし飯も十分に食えず。

終わってからBOOK OFF寄ったりしてゆっくり六本木に向かう。
16時半くらいには着いたかな。
熊木杏里のミニライブが行われる東京ミッドタウンに直行してうろちょろする。
会場と思われる場所には柵に沿って10数人が既に場所取りしている。
この人たちは開始の19時20分までの3時間ここに立っているつもりだろうか。凄い人たちだ。

東京ミッドタウン内をふらふら歩いて雑貨屋入ったり芝生広場で煙草吸ったりパン屋で高いパン買って食ったりで2時間ばかり時間を潰す。
祝賀会でずっと立っていたから足が痛いんだよね。
もう帰りたいと思いつつもせっかく来たしあと一時間なので会場のキャノピー・スクエアに向かう。
人数多いと入場規制するとか書いてあったから心配したけどまだまだ大丈夫そう。
ただ、一時間も立って待っていられないので近くのベンチに腰掛けて澁澤龍彥の本を読んで待って、19時10分くらいになってから人だかりに突入して適当な位置で待つ。

時間になって熊木杏里が登場したのだけど、前の人たちの頭で全く見えない。
まあ歌が聴ければいいか。

  1. 新しい私になって

  2. 君の名前

  3. 祈り

  4. ふるさと

  5. ぼくらのあり方


の5曲。
楽器編成はキーボードとチェロだけだけど、メンバは「SPRING TOUR 2009 ~花詞~」の人達で豪華。

1曲目で僕の後ろのカップルがでかい声で騒いでいてうるさかったのだけど、気づいたらいなくなっていたのでよかった。
なんせ2曲目は最近毎日何度も聴いて楽しみしていた『君の名前』だったので。
力強いファルセットで畳み掛けるサビの波が大音量で体全体を駆け巡って放心する。
ああ、力尽きた。

5曲目の『ぼくらのあり方』は映画の主題歌で劇場でのみ限定発売していた曲だったかな。
もうライブ以外で聴くことはなさそうだけどどんな曲だったか忘れてしまった。
そういえば『ふるさと』を歌う前のMCで、こないだのツアーでも何度もしていた言い回しをしていたな。「ふるさとを・・・思い浮かべながら聴いてください」と。

歌い終わってから20時のライトダウンまでTOKYO FMのアナウンサーと熊木杏里でトークがある。
アナウンサーが雨の音を心配していたけど歌声とマッチして、というようなことを言っていて、確かにライブ中も今も大雨だなぁと思っていたのだけど、屋根の外に出てみれば大雨じゃなくて霧雨。
水の音は近くの噴水の音だった。

君の名前

2009年6月18日木曜日

君の名前

君の名前

NHKの「ワンダー×ワンダー」の主題歌にもなっている熊木杏里の『君の名前』。
公式ページでサビの一部だけ聞けてちょこちょこ聞いていたのだけど、サビだけじゃ満足できない。
いつ発売するんだろうと思っているとこのページの右側にあるニュースで新曲発売とある。
いよいよ発売日決まったかと思って見てみると、発売日が決まったんじゃなくてもう発売してんじゃん。

で、今日さっそく買いに行く。
ちょっと飲みに行く約束があったので0時過ぎに帰ってからふらふらしながら聞いてみる。
目が覚めるね。
サビで多用している高音が心地よくせつない。
youtube

全3曲をリピートで聴いていると顕著に分かるけど、3曲目「つばさ」の最初と最後にあるhaっていうハミングと1曲目の「君の名前」の最初のhnっていうハミングがリズムも音程も物凄い似ている。
自分で自分の曲をパクったのかmyブームなのか。

2009年6月14日日曜日

映画『わが教え子、ヒトラー』

2007年 監督:ダニー・レヴィ
at ギンレイホール


わが教え子、ヒトラー デラックス版 [DVD]

予告編見たときは『ディファイアンス』より絶対こっちの方が面白いはず、と思っていたのだけど、そんなに面白くなかったな。
もっと盛り上がりそうな題材なのに人物像や感情があやふやなまま最後まで行ってしまう。
ラストの爆弾の爆発なんてタイミングもなにもかも最悪にしょぼすぎてぽけーっとしてしまう。
無常観ってことでしょぼかったのかなぁ。

第二次大戦末期の劣勢に陥ったドイツ。
宣伝大臣ゲッベルスは新年にベルリンでパレード及びヒトラーによる演説を行い、それをプロパガンダ映画として撮影してドイツ中で上映する計画を立てる。
しかし当のヒトラーは完全に自信を失ってかつての威厳は見る影もなくなっていた。
そこでゲッベルスはわずか5日間でヒトラーを復活させる奇策として、スピーチ指導に世界的俳優アドルフ・グリュンバウム教授を起用することにする。
グリュンバウムはユダヤ人。
「総統が忌み嫌うことで力が湧くのです」
強制収容所から移送されたグリュンバウムは家族との再会を条件に、この世で一番憎いヒトラーのスピーチ指導を引き受ける。

ヒトラーを人間的に描いたブラックユーモアに溢れる本作はドイツにおいてかなりセンセーショナルだったらしい。
配給はアルバトロス。
B級だけじゃなくて『善き人のためのソナタ』とか名作もちょろちょろ配給するので期待度は高かったものの・・・
監督のダニー・レヴィはユダヤ人で、「私はナチス、ヒトラーを許しているわけではない」とインタビューで答えているけど、どう見てもヒトラーがお茶目で可哀想すぎる。
演説中に起こった信頼できる友グリュンバウムの予定外の反乱に、真下のグリュンバウムを慌ただしく見るヒトラーのなんと可哀想なことか。(このヒトラーを真下から映すアングルは結構いい)
世界で最も憎い人物であり友でもあるヒトラーに対するグリュンバウム(とその家族)の複雑な感情がいまいち描ききれないまま終わっちゃうから、ただヒトラーの人としての孤独な悲しさしか見えてこない。

笑ったのはヒトラーがグリュンバウムのちょっと意地悪な演技指導で四つんばいになって犬の真似をさせられるシーンがあるのだけど、四つんばいのヒトラーの背後から欲情した愛犬のブロンディが覆いかぶさっていたところ。
ヒトラーにそこまでやらすか。
(確かブロンディはメスだったと思ったけどそんなことはまあいいや)

主演は『善き人のためのソナタ』のウルリッヒ・ミューエ。
胃がんで亡くなったため本作が遺作となる。
ヒトラー役にはミュージシャンでありドイツの有名なコメディアンでもあるヘルゲ・シュナイダー。
ヘルゲ・シュナイダーっていう人は凄い人らしい。参考

映画『ディファイアンス』

2008年 監督:エドワード・ズウィック
at ギンレイホール


ディファイアンス プレミアム・エディション [DVD]

1941年、第二次世界大戦下、ナチスドイツは数え切れないユダヤ人を虐殺していった。
そしてここに、もう一人のシンドラーがいた。

という予告編のナレーションから、これみよがしな戦争感動大作って感じでつまらなそうだなと思っていたのだけど、意外や面白い。
ラストの方のズシュの出来すぎなくらいかっこいい見せ場には泣きそうになったし。

舞台はベラルーシ。
ナチスのユダヤ人狩りから逃れたズシュ・ビエルスキ(リーヴ・シュレイバー)、アザエル・ビエルスキ(ジェイミー・ベル)、アーロン・ビエルスキ(ジョージ・マッケイ)の3人は森の中へと逃げ込む。
やがて長兄のトゥヴィア・ビエルスキ(ダニエル・クレイグ)も合流。
初めズシュが主人公でかつズシュだけユダヤ人で無いのだと思っていたや。
いつの間にか主役が冴えないおっさんのトゥヴィアに変わって行き、同時にズシュもユダヤ人でかつトゥヴィアと兄弟だと中盤でようやく気づく。
ああ、じゃあ最初の4人は4兄弟ってことか。
トゥヴィア役のダニエル・クレイグとズシュ役のリーヴ・シュレイバーは民族が全然違うと思うくらい似ていないからな。

初めの4人がいつのまにか100人くらいに増えて、極寒の森の中で密かな自衛コミュニティを築いていく。
最終的には1200人もの数になっていたらしい。
これほどの数のユダヤ人を救ったヒーロービエルスキ兄弟。
綺麗な面だけ取って神格化されるかといえばそこは事実に基づきかつ娯楽的に残虐な面も映し出す。
復讐でばしばしナチスの協力者とか殺すからね。
コミュニティの住人が一人のドイツ兵をよってたかってなぶり殺すのを疲れきった表情で黙って見ていたり。
じいさんからミルクを略奪したり・・・
でもやっぱりヒーローなんだよな。
特においしいところをかっさらうズシュはさすがです。

困難を極める食料確保、コミュニティ内の反乱、兄弟の確執、厳しいなんてもんじゃない冬、ロマンス、ナチスとの戦闘、等々で136分という長さも苦も無く見れる。
どこまで事実に基づいているか知らないけど、良質のエンターテインメントにもなっているから面白い。

ビエルスキ兄弟の相手役がまた綺麗。
ミア・ワシコウスカが色白の美少女でアレクサ・ダヴァロスが意思の強そうな顔した美人。
なんだけど我らがヒーロー、ズシュの相手だけ年いってるよな。イーベン・ヤイレ。
三男のアザエルが追っ手を待ち構えるときのミア・ワシコウスカの泣き顔がかわいい。
せっかく死線をくぐりぬけたのになぁ。

ダニエル・クレイグは6代目ジェームズ・ボンドをやっているらしい。

三沢光晴

iGoogle開いたらGoogle急上昇ワードの1位が三沢光晴、2位がノア。
テレビ放送もとっくに打ち切られたのになんだろうと検索してみたら衝撃の三沢光晴死亡ニュース。

GHCタッグの三沢、潮崎vsバイソン、齊藤での事故らしい。
バックドロップで頭部を強打。
受身の上手くない若手選手ならともかく三沢が・・・
Noahの試合は頭から落とす技を普通に使う選手がいっぱいいるから慣れちゃっていたけどやっぱりかなり危険な技だったんだな。

やばい、言葉にならない・・・
ご冥福をお祈りします。

2009年6月13日土曜日

インド料理シダット

最近よく行く店がある。
矢口渡にあるインド料理シダット。
1年位前だかに気づいたらぽつんとオープンしていた。
前に矢口渡駅を利用して通勤していた頃は会社帰りに毎日店の前を通っていたのだけど、中をのぞくといつもがらがら。
そういえばオープンして暫く経った頃に店員が駅前でチラシを配ったりしていたな。

今年に入ってから日曜の夜に初めて食べにいった。
かなりおいしい。
空いてるくせに蒲田にあるシャングリーラと大して変わりないレベル。
むしろシャングリーラより好みかも。辛くないしナンは甘すぎないし。
タンドリーチキンのセットで1400円だか1600円だった気がする。
そこそこ高め。
カレー2種とナンとサラダとタンドリーチキンとドリンクでかなり腹いっぱい。

それから一ヶ月に二、三回程度の頻度で土日のどっちかの夜に通っている。
セットは量が多いし高いのでいつもカレーとナンだけ頼むのだけど、毎回「ドリンクはいかがですか?」「ドリンクはいいです」というやり取りをしている。
そして今日行ったときも同様のやりとりを。
ただ、いつもこのやりとりを含んだ注文後に出てくるお冷が出てこないなと思っているうちにカレーが運ばれてくる。
まあ、喉渇いてきたらお冷貰おうと思って食い始めると、店員がお冷と冷たいチャイを運んでくる。
あ、どうもみたいに会釈してそのままカレーを食べ続けようとしてふと、いや、チャイ頼んでないし、と思って慌てて「ああ、すいません。僕これ頼んでないです」と言うと、「サービスです」とにこやかな笑顔で店員が答える。

このサービスは何のサービスだったんだろう。
お冷を出し忘れたお詫び?
今日は僕意外にも6,7人の家族づれがいてにぎやかだったので、暇なときに来てくれた客としてもてなしてくれたわけでもなさそうだし。
よく行くといっても一ヶ月に二、三回じゃ僕の顔も覚えてないだろう。
いや、まてよ、よくよく考えると僕以外に一人で来ている客を見たことが無いかも。
他の客は家族連れとかカップルとかなので。
意外と覚えられていてたまに来てくれるからとサービスしてくれたのかな。
また近いうちにいこっと。

ちなみに前に行ったときに貰った店のチラシによれば、石川台店というのもあるらしい。
夜は人少ないけどランチは行列できたりして儲かってるのかなぁ。
もしくは僕みたいなカレーとナンの最小構成で注文する奴なんかいなくて、他の人はセットやドリンクやおつまみをばんばん注文して客単価が高いから儲かってるのかな。
ん、そういえば今日いた家族づれは1万いくらか払っていたぞ。
次行ったときは見得はってドリンクも頼んでみるか。

2009年6月9日火曜日

映画『太陽はひとりぼっち』

1962年 監督:ミケランジェロ・アントニオーニ
BS2 録画


太陽はひとりぼっち [DVD]

昔、人に勧められてからも結局一本も観ていなかったアントニオーニ。
これは少なからず衝撃です。特に最初20分とラスト。
ああ、なんで今まで一本も観なかったんだろう。

黒背景のオープニングクレジットで流れる明るいポップス。
と思ったら音楽はフェードアウトして現代音楽風の少し不穏な音楽に差し変わる。
オープニングの音楽を途中で変えるってなんかただ事じゃないと思って観ていると、室内シーンが始まる。
アパートの一室にいる男女二人。
フランシスコ・ラバルとモニカ・ヴィッティ。
二人とも最初何も喋らない。
モニカ・ヴィッティという女優を初めて見たのだのだけど、物凄い美人。
どんな表情をしてもどんな角度から撮っても美人。
そのモニカ・ヴィッティの顔、しなやかな腕、細く均整の取れた陶器のような脚がこれでもかと映し出されていく。
ふらふら室内を歩き回るモニカ・ヴィッティは鏡、窓ガラス、磨かれた床に自分の姿を焼き付けていく。

この室内シーンは20分くらい続く。
男女が別れ話をしているらしい。
緩やかなのにあまりに濃縮した時間。
ちょっと高級な部屋だけど、これみよがしに芸術的な家具や配置をしているわけでもなく、なんてことない一室なんだけど。
椅子に座ったフランシスコ・ラバルのネクタイが一瞬ぴらっとめくれて、超能力?と思うと別の角度からのシーンで首振り扇風機が傍にあることが分かる。
この扇風機が一個でなく何個も部屋の中にあって回っている。
無機的な扇風機自体とそれが送り出す風によって、けだるさと動きが加わる。
閉じられていたカーテンは開かれ、付けられていた電気は消され、カメラの動きや角度で刻々と部屋の様相は変化していく。
セリフは少ないのに、反射とコントラストの強い光と影と音と風と活発に位置を変えるカット割で驚くほど刺激的な20分。

この最初のシーンだけでもうノックアウトされた感じだな。
物語の方は、リカルド(フランシスコ・ラバル)と別れたヴィットリア(モニカ・ヴィッティ)が、母が足しげく通う証券取引所で働くピエロ(アラン・ドロン)と出合って付き合いだすというもの。
細かく書けばいろいろあるのだけど、主軸はそれだけで124分だ。

モニカ・ヴィッティ演じるヴィットリアは知的で感受性が豊かな女性。
何かをやっている途中でも気になる風景を見つけたら全てを忘れて引き込まれてしまう。
まるで写真家が撮影のベストポジションを探すように立ち位置を変えながら一心に見つめる。カメラも持っていないのに。
ヴィットリアにとってこの世界は喜びに満ち溢れているんじゃないかと思えばそうではない。
今の金と物資至上主義の社会は自分の理想と乖離しているし、自分自身の感情すら理想と現実で乖離している。
新しい恋人のピエロは自分の嫌いなマネーゲームの戦場で働く男だし、何よりピエロはあまりに冷たい男で本来嫌いなはずなのにどうしようもなく「愛している」。
元恋人リカルドと別れようと思った理由だって「分からない」のだ。
これだけ知的なのに自分の感情がまるっきり分からない。
こんなに孤独な事はない。
気に入った風景や絵画や静止物を見つめるときは無心な喜びに満ち溢れるけど、人と接するときは笑っていてもどこか乾いている。
時折アンニュイな視線をあのきりっとして知性に溢れた美しい顔でやられるとそれだけでまいっちゃうよなぁ。

孤独という事で考えると『太陽はひとりぼっち』というたぶん『太陽がいっぱい』から取ったであろう安易な邦題もなかなか素敵に思えてくる。
原題は『L' ECLISSE』。英題だと『THE ECLIPSE』。
Eclipseとは日食、蝕を意味する。
となるとまた小難しくなってくるので「太陽はひとりぼっち」の方がまだ分かりやすい。
ちなみにeclipseといって思い浮かべるのは昔は武満徹の琵琶と尺八の室内楽曲だったけど、最近では仕事でよく使う統合開発環境になっちゃたな。

前半はちょろっとしか出ないもう一人の主人公ピエロを演じるのはアラン・ドロン。
ピエロという役柄はこれもまたヴィットリアと違う意味でひとりぼっちなのね。
現代的ひとりぼっち。
この正反対の二人の関係が面白いんだけど、なにより二人とも美系で、ラストの方で二人が頬寄せ合って同時にカメラ目線になるところなんか反則です。
ピエロ単独の名シーンといえば、酔っ払いに車を盗まれたときに走り去ろうとする自分の車の前に飛び出した後、少しもスピードを緩めない車に慌てて飛びのくシーン。
避け方が面白いこともあるのだけど、一歩間違えれば大事故なのにスタントマンを使っておらず、しかもかなりぎりぎりのタイミングで避けてるから凄い。

そしてラスト。
最近はラストで衝撃を受けることはほとんどなくなったけど、さすがにこれは衝撃だった。
音楽とともに既に流れたシーンや二人が不在の同一ショットなどがつなぎ合わされながらの映像になり、なんだこれと思ったら、ああ朝から夜の時間の経過を現していたのかと衝撃を受けたあとに・・・

2007年5月に録画

2009年6月7日日曜日

映画『PARIS(パリ)』

2008年 監督:セドリック・クラピッシュ
at ギンレイホール


PARIS-パリ- (通常版) [DVD]

オープニングクレジットが音楽に乗せて始まったと思ったらすぐ終了して作品の途中のような静かなシーンが始まる、と思ったらまた音楽が再開してオープニングクレジットが流れる、と思ったら・・・の繰り返し。
※作品の途中のようなシーンというのは後で気づくが実際作品の途中のシーンがこのオープニングで挿入されていた。
疾走途中に息を止めると突如静かな日常に移行し、呼吸を再開すると再び疾走するような不思議なオープニング。
動と静っていうのが生と死で、常に隣り合わせで裏表ってこと?それにしてもこんな表現方法は初めて見た。

セドリック・クラピッシュは『スパニッシュ・アパートメント』しか見ていないのだけど、後半のジェットコースターのような驚異のスピード感に衝撃を受け、この作品もノリのいい作品なのかなと思っていたけど、意外や静かな群像劇。

元ムーラン・ルージュのダンサー、ピエール(ロマン・デュリス)は心臓病を患ってしまう。
助かるためには心臓移植しかないのだけど、その手術も成功率は4割程度。
間近に迫った死に直面しながらドナーが現れるのを待つ日々。
ピエールの姉のエリーズ(ジュリエット・ビノシュ)はソーシャルワーカーで3人の子供を育てるシングルマザー。
弟ピエールから病気のことを聞き、案じたエリーズはピエールのマンションで子供たちと一緒に同居を始める。
ピエールが毎日すること、自宅のマンションのベランダからパリの街並みを見下ろし、行きかう人々の人生を想像して楽しむこと。

登場人物はいっぱいいる。
歴史学者のロラン(ファブリス・ルキーニ)は大学の講義で世にも美しい生徒を見かける。
初老に差し掛かろうかという年齢で大学生に恋したロランは匿名の賛美メールを彼女に送信し続ける。
ロランの弟で建築家のフィリップ(フランソワ・クリュゼ)は偏屈な兄ロランから羨望の意で「お前は普通だ!」と言われ、悪夢まで見てしまう。この悪夢が笑える。

市場で働くジャン(アルベール・デュポンテル)とカロリーヌは元夫婦だが離婚している。
ピエールの姉のエリーズとジャンはお互い気になっているみたいなんだけど、ジャンは心のどこかでまだ元妻のカロリーヌのことを想っている。

カメルーンに住むブノワは、パリで清掃員として働く兄夫婦を頼りにパリに行く決意をする。
水泳指導員で働いていたときに知り合ったパリにいるというマルジョレーヌ(オドレ・マルネ)という女性と再会する期待を持って。

ピエールが通うパン屋の店主(カリン・ヴィアール)はいつも店員の悪口ばかり言っている。
まあ嫌な感じのおばさんです。

主要な人物はそんな感じかな。パン屋は主要じゃないか。

ピエールに死が迫っていることから、なんとなく他の登場人物の上にも死を覆いかぶせて見てしまう。
ああ、なんかこんなシーン映してるのおかしいなと思ったら予想通り一人死に、続けてこいつも電話なんかしちゃってなんか危なそうと思ったら残念なことになり、ピエールも子供たちを躍らせているシーンでソファに座ったまま静かに逝っちゃいそうだと思ったらそこはスルーされ、続くシーンでもああ、まずいと思ったらそこもスルーでしかも死んだと思っていたあいつが生きているという衝撃を意識外の死角からさらっと挿入するところに衝撃を受ける。
生きているって素敵だね、っていうのを声を大にして言うだけじゃなくて、同時にこういう絶妙な演出の裏切りとつながりでさらっと表現もしてしまうところがセドリック・クラピッシュ恐るべし。
ということで一番のお気に入りはブノワが絵葉書の写真と風景を見比べているシーン。

『モンテーニュ通りのカフェ』が心温まるハッピーな群像劇だとしたら、これは心温まりかつどこか空虚で切なく、そして人生や人や街がどうしようもなく愛しくなってくる群像劇かな。


僕のお気に入りの俳優ロマン・デュリスは坊主頭に髭面でかなり怪しい。
外出着のコートは凄くスタイリッシュでかっこいいのだけど、マフィアとも違う危険な怪しさが漂う。
パーティの時の部屋着はVネックで胸毛が出ていてかなり怪しかったな。

ジュリエット・ビノシュはなんであんなに美しいのかね。
もう結構な年だし、元々美形というわけでもないのだけど、美しいんだよな。
ぼさぼさな髪が可愛らしくもある。

ファブリス・ルキーニは変質者っぽいところがいいよな。
踊れるファブリス・ルキーニ。

ついさっき見た映画にも出ていて忘れもしないアルベール・デュポンテル。
こっちの方が新しい作品なのに髪が増えた気がする。

ファッションモデル役のオドレ・マルネは絶対どこかで見たことあると思って調べていたのだけど、女優というか90年代後半にトップモデルだった人らしい。
モデルは興味ないから見たことあるわけないのだけど、映画では『ぼくの大切なともだち』に出ていたらしい。
それで印象に残っているのかな。
もしくは全然違う女優と見間違えているだけなのか。

映画『モンテーニュ通りのカフェ』

2006年 監督:ダニエル・トンプソン
at ギンレイホール


ギンレイホールに行こうとしてJRの駅まで歩いていったところで眼鏡を忘れたことに気づく。
げげっ、どうしよう、このまま行っちゃうか。でも二本も最前列で見たくないし。
ってことで歩いて20分の道のりを引き返す。
今日はすごく暑くて体がだるい。
マックで腹ごしらえするつもりで早めに出発していたから、家に着いた頃にはすぐ出発すれば上映には間に合いそうな時間だったのだけど、なんか気力がなくなって一本ずらして見に行くことにする。
余った時間で昨日見た映画の感想書いて出発。


モンテーニュ通りのカフェ [DVD]

パリ8区、モンテーニュ通りにある由緒あるカフェ。
田舎から出てきた金髪ベリーショートのジェシカ(セシル・ドゥ・フランス)は運良くこのカフェで働くことになる。
パリきっての豪奢な地区にあるカフェには日々様々な人が訪れる。
有名ピアニストだけど形式ばったコンサートに疑問を感じて悩むジャン=フランソワ・ルフォール(アルベール・デュポンテル)。
人生の全てをささげて収集した美術品コレクションを全てオークションに出品することを決意した資産家ジャック・グランベール(クロード・ブラッスール)。
舞台の初日を控えて稽古中だが脚本も何もかも不満だらけの女優カトリーヌ・ヴェルセン(ヴァレリー・ルメルシェ)。
オランピア劇場の管理人で退職の日が迫ったクローディ(ダニ)。
全ての人が17日の「本番」に向けてせわしなく人生の歯車を回転させていた。

見始め、結構ぼーっとしていたので「アランドロンもやってくる」とか「トリュフォーの作品に出たことあるか?」などの台詞を聞くたびに、あれっ、これってジェシカの祖母の昔話という設定なんだっけ?と迷ったりもするけど、いや、そもそも普通に皆携帯電話使ってるじゃん、設定はやっぱり現代だよな、と認識しなおしたり。
群像劇はどうも苦手で集中力に欠ける。
でもまあそんなに退屈はしなかったけど。

ジェシカが太陽のように明るく(実は暗い過去があるのだけど)、その屈託のない笑顔で誰とでもすぐ打ち解けてしまう。
パリの街で悩みを抱える人々の間隙を自由に歩き回り、その笑顔で人々の心の中にすーっと入り込む以外何もしていないのに、気づいたら彼女と関わった人は皆ハッピーエンドになっている。
パリに迷い込んだ天使(人間でない)のような存在になりそうなんだけど、さらっと暗い過去を告白させたり、泊まるところがなくて小雨振る中パリの街並みを見下ろしている寂しい表情を映したり、カフェの店主に不満をぶつけたりと、ジェシカという人物に人間性も付与される。
その付与の仕方が慎ましいから人間と人間外の中間をさまよう形になって結構好き。

ピアニストを演じたアルベール・デュポンテルが毛むくじゃらのマッチョな腕でピアノ弾いている。全然ピアニストに見えない・・・
アルベール・デュポンテルはあの濃い眉毛をどっかで見たことあると思ったら『地上5センチの恋心』に出ていた人だ。

映画監督役で去年亡くなったシドニー・ポラックが出ている。
ジェシカの祖母役で上品で闊達なばあちゃんを演じたシュザンヌ・フロンも撮影後に逝去している。

2009年6月6日土曜日

映画『監獄ロック』

1957年 監督:リチャード・ソープ
BS2 録画


監獄ロック 没後30周年メモリアル・エディション [DVD]

エルヴィス・プレスリーを主演に据えた安易な作品かと思いきや、意外と面白い。
エルヴィスの演技が上手いかどうかは置いといて、あの顔は役者としてかなり魅力的だよなぁ。
いまいち人物像がつかみにくいところが。
実態はロック界のスーパースターなんだけど、この若い頃の顔をみていると、ただのいいとこの甘えん坊の坊ちゃんみたいにしか見えない。
でも時にワイルドな荒々しさもあり、ナイーブな寂しげな視線を送ったりもする。
びっくりするのは後半に行くにしたがってどんどん無色透明な存在になっていく。
脚本としてエルヴィスの演じた役柄が後半何考えてんだか分からなくなるのだけど、その混沌をエルヴィスのあの表情で受け止めると、エルヴィス自身が完全に透き通って無になっていくような錯覚を起こす。
空(くう)を虚ろに見つめるエルヴィスの表情なんてそら恐ろしい。何考えてるのだかさっぱり分からない恐怖。

そういえばちょうどジェームズ・ディーンの時代あたりに作られた作品だな。
すねたような表情とか影響受けてるのかな。

ストーリーでも書いとくか。
威勢が良く気が短い労働青年のヴィンス(エルヴィス・プレスリー)は酒場での喧嘩の末、相手を殴り殺してしまい監獄入り。
監獄では古参囚人と同房になるのだけど、この囚人ハンク(ミッキー・ショーネシー)が元カントリー歌手だったことで、ヴィンスは彼にギターの手ほどきを受ける。
ギターの腕はたいしたことないけどハンクはヴィンスの歌声とルックスに目を付け、出所後にお互い組んで音楽活動することを約束する。分け前は半々で。
先に出所したヴィンスは一人でつらつら活動して何度も挫折しながらも、知り合ったペギー(ジュディ・タイラー)とともに会社を興してレコードを発表。そして大スターへ。
ようやくハンクも出所してくるのだけどその頃にはヴィンスはもう大スターであり、かつなんだか変わったのか変わってないんだかよく分からない性格になっていた。

「ケチな戦略が効くと思うの?」「戦略じゃない 俺の中の野獣さ」
で決定付いたはずのヴィンスとペギーの恋人関係もよく分からないんだよな。
すれ違いからお互い意地悪しているうちに疎遠になり、ヴィンスは新たな彼女作って楽しくやりだすからもうペギーはどうでもよくなったのかと思いきや、なぜかまだペギーを思っていて。

これ、録画したのは2005年の6月だな。
HDDレコーダーの残容量が少なくなったときに何度か削除候補に挙がっていたのだけど、とりあえずまあまあ面白かったので消さなくてよかったよかった。