2009年 監督:フランソワ・オゾン
at ギンレイホール
赤ん坊に羽が生えた。
部屋の中を飛び回る赤ん坊のこの秘密をひた隠しにしていたが、ある日スーパーで赤ん坊が飛び立ってしまい大騒ぎになる。
マスゴミが大量に押し寄せてきて。
なんか題材としてファンタジーでつまらない予定調和の家族物という臭いがするけど、監督はフランソワ・オゾン。
ラストはハッピーエンドなのかよく分からない。
そして映像もストーリーも生々しい。
羽根、といっても始めは鶏の手羽先のような形で、それがピクピク動くからグロテスクといっていい。
しかし何より生々しいのは母親で、その性格といい緩み始めた肉体といい、少しもファンタジーじゃない。
7歳の娘リザと暮らすシングルマザーの母親は、娘に愛情を注いでいるようでいながら、男が出来た途端娘の事なんかこれっぽっちも考えていないビッチな母親になる。
娘がいる家で男とやるなよ~。
リザは父親がいないせいか大人びていて、そもそも母親は最初から娘を二十歳くらいの自立した子供のように扱っていた素振りもある。
でもいくら大人びていようが子供は子供なんだから、日課だったスクーターの二人乗りでの送り迎えがバス通学に変わり、男と母親が楽しそうにスクーターに二人乗りして、娘に見向きもせずにバスの脇を通り抜けていくのは痛々しい。
母親のリッキーに対して目覚める異常なまでの母性愛も意識の底でリザを孤独にしている。
平凡な家庭、といっても幸せさを恥ずかしげも無く振りまく家庭じゃなくて、家族の一人一人が孤独を抱えているそこら中にいる平凡な家庭、なのね。
だから3人ががっしり抱き合う瞬間の温もりが胸に響く。
あれっ?やっぱハッピーエンドなのかな。
リッキーという一人の人生(命)が出汁に使われたものは本当に命に見合うだけの価値があるのか?
以前『幸福な食卓』という邦画で老けた高校生の命がどうでもいい家族の再生物語のダシでしかなかった事にしらけてしまったけど、『Ricky リッキー』ならば家族の繋がりはそこまで重要なものなんだよと言われても納得できるかもしれない。
いいようにモンスターを厄介払いしたご都合主義だとも言えるかもしれないが、それは予定調和なファンタジー物語の場合に言えることであって、この生々しい映画には当てはまらない。
リザ役のメリュジーヌ・マヤンスは可愛らしいのだが、ホラー映画に出てきそうな子だなぁ。
実際最初の登場シーン、家の暗い廊下にとことこ現れるシーンは一瞬ホラー映画かと思ったし。
2011年4月24日日曜日
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