2003年10月6日月曜日

映画『家路』

2001年 監督:マノエル・デ・オリヴェイラ
BS2 録画




いきなり映画は舞台(劇中劇)から始まる。

ミシェルピコリが王様役で、「この国の人は皆、私の偉業のことのみ勉強しろ」とか「火葬も土葬もヤダ!腕の中がいい!」とか、延々とそんなことを言って10分以上。

やっと劇が終わると舞台袖にいた男が「話がある」とピコリに言う。
彼の奥さんと娘夫婦が事故で亡くなったらしい。
「あんな小さな孫がひとりぼっちになってかわいそうに」などと共演者が話し合う。

話が進みだしたな、と思うと画面が暗くなり真ん中に文字が・・・
"そして時が過ぎた"

ピコリが窓のカーテンを開けると光が差し込む。
その2階の窓から庭を見下ろすとまだ少年である孫が自転車に乗ってぐるぐる回っている。
カフェでコーヒーを飲むピコリ。
歩道を歩くピコリ。
すると店のショーウインドウに飾られる1枚の絵を見つけて立ち止まる。
若い男女がダンスをして、その両脇に執事だか使用人の男女が傘を差しかけている絵。
見とれるピコリ。
道をゆく女性にサインを求められ、快く応じる。(ピコリ演ずる役は結構有名な役者という設定らしい)
またすぐ絵を見つめ返す。
すると音楽がゆったりと挿入されるんだな。
ピアノの小品(曲名は知らん)。

この音楽の入れ方でもうこの映画がぞっこん気に入る。
(かかった曲自体はあまり好きな曲じゃなかったんだけど)

あと、ラスト。
映画のラストってなにか印象に残るシーンで終わったり、印象が強いと言うわけではないが余韻を持つラストだったり、まあとりあえず見ていてラストっぽいとある程度自覚できるシーンで終わる。
たまにあれって思うような終わり方もあるけど。
それでこの映画なんだけど、あれって思うような終わり方をする。しかし普通ではない。
ボクはその時あぐらかいて座っているのに疲れて、うんこ座りに換えてひざを抱えながら画面を凝視していた。
画面にはある人物が映し出されている。
カメラは固定。長まわし。
その人物に被さる暗く孤独な影を凝視する。
そこで突然映画は終わる。
びっくりした。
ラストの気配すらない。
胸にじわっと来るものがあったわけではないし、強い印象や衝撃を受けたわけではないのに、いたく感動する。
今まで感じたことのある感動とは質の違う感動。
それを呼び起こした要素を分析してもボクの頭じゃ理解できないけれど、この極めて微妙で不思議な感覚は忘れないで覚えておこう。

ちなみに冒頭の劇はイヨネスコ『瀕死の王』、らしい。
この劇中劇にカトリーヌドヌーヴが出ている。
他にも『ユリシーズ』の監督役でジョン・マルコヴィッチ。

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