2009年 監督:カメン・カレフ
at ギンレイホール
ブルガリア映画って初めて見た。
ブルガリアでは年に7,8本くらいしか映画が作られていないらしい。
そういう国ほど面白い映画が作られるもので、この作品も例外でなくかなり面白かった。
木工技師の男や、スキンヘッドにしてギャングの集団に加わる少年や、トルコ人家族、と一瞬群像劇なのかと思うが、主役は木工技師の男イツォ(フリスト・フリストフ)になる。
38歳のイツォは美術学校の出身で、木工技師をしながら創作活動も続けている。
過去に薬中になっていて今は治療中だが、今度はアル中になりかけている。
若い恋人ニキがいて、一応大事に思ってはいるようだが、時に厭世的になって全てが鬱陶しくなってしまう。
そんなイツォとギャングの少年(実はイツォの弟)とトルコ人家族が一堂に会したある夜の事件以降、イツォの心に小さな希望が芽生えてくる。
特に美男子というわけでもなく、40近いやさぐれたおっさんなのにこの存在感はなんだろう。
役者という人達の中には浅野忠信のようにただ佇んでいるだけでも映えるという、反則的な生まれながらの映画俳優がいると思うのだけど、フリスト・フリストフは紛れも無くそういう人種だと思う。
フリスト・フリストフは監督のカメン・カレフの幼馴染で、これが俳優デビュー作らしい。
そもそもこの映画自体、フリスト・フリストフの人生がモデルになっており、弟とかトルコ人の美女ウシュルは架空の人物だけど、イツォはフリスト・フリストフという人そのもので、彼が自分自身を演じている。
だから彼は実際は木工技師で俳優じゃないんだね。
全く凄い才能だ。
渋くて優しい声も印象的だし。
そして非常に書きたくないが、突出した人ほど夭折しやすいのか、撮影終了間際に不慮の事故で亡くなってしまったらしい。
少し唐突に訪れるラストシーンが元々意図していたラストかどうかは分からないが、映画史上に残るであろう(残って欲しい)名シーンになっている。
電灯がふっと消える以外は大きな変化は無く、フリスト・フリストフがただ歩いているだけなのに、映像が刻一刻と息づいていく。
鬱々とした感情も今日を生きる希望も、なにもかもが静かに冷えた夜明けの空気に押し包まれて。
この美しいラストシーンはフリスト・フリストフの最後の姿でもあるわけだから、そう思うと悲しいながらもまた感慨深い。
2011年3月27日日曜日
映画『彼女が消えた浜辺』
2009年 監督:アスガー・ファルハディ
at ギンレイホール
![彼女が消えた浜辺 [DVD]](http://ecx.images-amazon.com/images/I/51ocBdpepYL._SL160_.jpg)
郵便ポストの内側から見た景色は一体どんな景色なのだろう、と一度は考えそうでいて意外と考えない事が冒頭のクレジットタイトル中に描写される。
郵便ポストの投函口は、そこに手紙を入れれば国内、はたまた国外にまで届くという、世界に通じる魔法の窓だけど、内側から見れば一転して当然ながら狭くて暗い閉ざされた空間でしかない。
唯一投函口から差し込む光だけが淡く揺らぐ暗い固定空間で、近づき遠のく足音や車の音、そして様々な想いを乗せた手紙がカサっと落ちる音にただ無力に耳を澄ます。
外側からは世界に繋がる魔法の窓だった投函口は、閉ざされた内側から見ると小さな窓から近くて永遠に届かない世界を切実に覗くことになる。
単純にポストの内側の景色が面白いってだけでいいと思うけど、意味づけするならば、ポストの内側からの景色は人間の視線そのものだとか 視点が変われば世界や解釈は一変するとか、ポストの内側がイランの現代の生活風俗を暗喩しているとかそんなことになるだろうか。
そしてクレジットタイトルの終了と共にその投函口の光はトンネルの光(出口の光だったかな)へと変わり、トンネル内を走る車から身を乗り出して大声で叫ぶ男女が映し出される。
トンネルを抜けたらなんとやら。
そうそう、イラン映画なんだよね。
クレジットタイトルの文字がアラビア文字っぽいのでイスラム圏のどっかの国だとは思ったがイランだったとはちょっと意外。
富裕層と思われる若い夫婦3組とガキが3人と、離婚したばかりのアーマド、そしてエリという女性が加わったグループがカスピ海沿岸のリゾート地に泊まりで旅行に出かける。
で、子供が一人溺れて大騒ぎになって、そして気付いたらエリがどこにもいなくなっている。
警察の取調べでエリの本名を聞かれても誰も知らない。
彼女は何者だったのか?誰かが何かを隠している。
というミステリーではないけどミステリータッチに展開する人間ドラマ。
ほとんど夫婦とはいえ複数の男女が泊まりで旅行に出かけるって、まるで欧米の若者みたいだ。
そして彼らのはしゃぎっぷりが取ってつけたようにひどく浮いて見える。
おどけて踊りだした男をグループが温かい笑みで見つめているシーンで、別荘の管理人の息子らしい太った少年だけがにこりともしない冷めた視線で彼らを見つめているのが、観客の気持ちの代弁でもあり、こういったグループがまだ一般的ではないことを表しているようにも思える。
不倫とか婚外交渉は鞭打ち100回、非ムスリムだったりしたら死刑が宣告されるという国だし。
泊まりの旅行といっても皆でジェスチャーゲームに興じたりして健全なもんだ。
何かこう浮いた感じが続くのだけど、エリが失踪してから段々崩れていく。
良くも悪くも隠れていた本来の姿が表出してくるのだ。
前半の悪ふざけが状況を悪化させたりする中、各登場人物の立場や考え方に基づいた心理が悲しいほど複雑に交錯して、そしてその背後には深く根付いたイスラム戒律やイラン女性の人権問題も見えてくる。
イランの政治、宗教、文化、人権等々、今までのポストの内側のように閉ざされた世界と外の開けた世界とをどう折り合いを付けていくか、その道程の困難さが推し量られる。
乗り気じゃなかったとはいえ自由への一歩を踏み出した結果がこれだ。
結果だけ見れば自由を求めなければよかったのにという話だが、なにもかも忘れて無邪気に凧揚げをするエリの楽しそうな笑顔が忘れられない。
イランでは若い女性の間ではフェミニズムが浸透していて活動も少しずつ盛んになってきているらしい。
at ギンレイホール
![彼女が消えた浜辺 [DVD]](http://ecx.images-amazon.com/images/I/51ocBdpepYL._SL160_.jpg)
郵便ポストの内側から見た景色は一体どんな景色なのだろう、と一度は考えそうでいて意外と考えない事が冒頭のクレジットタイトル中に描写される。
郵便ポストの投函口は、そこに手紙を入れれば国内、はたまた国外にまで届くという、世界に通じる魔法の窓だけど、内側から見れば一転して当然ながら狭くて暗い閉ざされた空間でしかない。
唯一投函口から差し込む光だけが淡く揺らぐ暗い固定空間で、近づき遠のく足音や車の音、そして様々な想いを乗せた手紙がカサっと落ちる音にただ無力に耳を澄ます。
外側からは世界に繋がる魔法の窓だった投函口は、閉ざされた内側から見ると小さな窓から近くて永遠に届かない世界を切実に覗くことになる。
単純にポストの内側の景色が面白いってだけでいいと思うけど、意味づけするならば、ポストの内側からの景色は人間の視線そのものだとか 視点が変われば世界や解釈は一変するとか、ポストの内側がイランの現代の生活風俗を暗喩しているとかそんなことになるだろうか。
そしてクレジットタイトルの終了と共にその投函口の光はトンネルの光(出口の光だったかな)へと変わり、トンネル内を走る車から身を乗り出して大声で叫ぶ男女が映し出される。
トンネルを抜けたらなんとやら。
そうそう、イラン映画なんだよね。
クレジットタイトルの文字がアラビア文字っぽいのでイスラム圏のどっかの国だとは思ったがイランだったとはちょっと意外。
富裕層と思われる若い夫婦3組とガキが3人と、離婚したばかりのアーマド、そしてエリという女性が加わったグループがカスピ海沿岸のリゾート地に泊まりで旅行に出かける。
で、子供が一人溺れて大騒ぎになって、そして気付いたらエリがどこにもいなくなっている。
警察の取調べでエリの本名を聞かれても誰も知らない。
彼女は何者だったのか?誰かが何かを隠している。
というミステリーではないけどミステリータッチに展開する人間ドラマ。
ほとんど夫婦とはいえ複数の男女が泊まりで旅行に出かけるって、まるで欧米の若者みたいだ。
そして彼らのはしゃぎっぷりが取ってつけたようにひどく浮いて見える。
おどけて踊りだした男をグループが温かい笑みで見つめているシーンで、別荘の管理人の息子らしい太った少年だけがにこりともしない冷めた視線で彼らを見つめているのが、観客の気持ちの代弁でもあり、こういったグループがまだ一般的ではないことを表しているようにも思える。
不倫とか婚外交渉は鞭打ち100回、非ムスリムだったりしたら死刑が宣告されるという国だし。
泊まりの旅行といっても皆でジェスチャーゲームに興じたりして健全なもんだ。
何かこう浮いた感じが続くのだけど、エリが失踪してから段々崩れていく。
良くも悪くも隠れていた本来の姿が表出してくるのだ。
前半の悪ふざけが状況を悪化させたりする中、各登場人物の立場や考え方に基づいた心理が悲しいほど複雑に交錯して、そしてその背後には深く根付いたイスラム戒律やイラン女性の人権問題も見えてくる。
イランの政治、宗教、文化、人権等々、今までのポストの内側のように閉ざされた世界と外の開けた世界とをどう折り合いを付けていくか、その道程の困難さが推し量られる。
乗り気じゃなかったとはいえ自由への一歩を踏み出した結果がこれだ。
結果だけ見れば自由を求めなければよかったのにという話だが、なにもかも忘れて無邪気に凧揚げをするエリの楽しそうな笑顔が忘れられない。
イランでは若い女性の間ではフェミニズムが浸透していて活動も少しずつ盛んになってきているらしい。
2011年3月26日土曜日
映画『バッテリー』
2006年 監督:滝田洋二郎
BS-TBS 録画
![バッテリー 特別編 (初回生産限定版) (あさのあつこ書き下ろし小説付) [DVD]](http://ecx.images-amazon.com/images/I/51ibn4RkXDL._SL160_.jpg)
『バツ&テリー』じゃない。『バッテリー』だ。
浅野温子じゃない。あさのあつこのベストセラーが原作。
この全く興味を惹かない映画をなぜ見たかというと、主題歌が熊木杏里なんですね~。
『春の風』。
確か初の映画主題歌だったと思う。
映画自体はまあそこそこ面白かった。
豪腕天才CGピッチャーの原田巧(林遣都)とキャッチャーの永倉豪(山田健太)というバッテリーの友情と、巧の家族の物語。
野球だけど野球の方はバッテリーの二人が中心で他のナインは名前どころか顔すら分からない。
それでも野球がやっぱりメインになっていて、野球を通じて少年や家族が成長していく。
きっと原作ではそういう過程がもっと丁寧に描かれているんだろうな。
途中からヒロインのような子が出てくる。
ヒロインと呼ぶにはあまりに中途半端なキャラクターで見せ場も無いし、大沢あかねのような目をして取り立てて可愛いというわけではないのだけど、この子が非常に気になる。
なぜだろうと考えてみると、とにかくこの子は色が白い。
病的な白さではなくて、純潔清廉な白さでまぶしい。
健康的とはいえその白さは自然に囲まれた田舎の中学校には似つかわしくなく、掃き溜めに鶴(といったら周りの子に失礼だが)のように異質に際立っている。
だってランニングしているテニス部員のシーンなんか、皆陽に焼けているのに一人だけ異様なくらい真っ白だしね。
微妙な可愛さと田舎臭い声と圧倒的に存在を主張する白さがリアルに中学校のマドンナという感じで凄くよかっただけに、中途半端な役柄が惜しい。
蓮佛美沙子という子。
検索してみると今は大分大人びているな。
主役の林遣都はこれがデビュー作らしい。
こちらも色が白い。
主役二人が中学に上がりたてという設定はまあ許せるとしても、ライバルの横手二中の二人は中学3年どころか大学生かもしくはおっさんじゃないか。
実年齢はどんなもんだろうと調べてみると
渡辺大:1984年生まれ
関泰章:1980年生まれ
・・・なんか却って清清しい。
渡辺大は渡辺謙の息子らしい。
BS-TBS 録画
![バッテリー 特別編 (初回生産限定版) (あさのあつこ書き下ろし小説付) [DVD]](http://ecx.images-amazon.com/images/I/51ibn4RkXDL._SL160_.jpg)
『バツ&テリー』じゃない。『バッテリー』だ。
浅野温子じゃない。あさのあつこのベストセラーが原作。
この全く興味を惹かない映画をなぜ見たかというと、主題歌が熊木杏里なんですね~。
『春の風』。
確か初の映画主題歌だったと思う。
映画自体はまあそこそこ面白かった。
豪腕天才CGピッチャーの原田巧(林遣都)とキャッチャーの永倉豪(山田健太)というバッテリーの友情と、巧の家族の物語。
野球だけど野球の方はバッテリーの二人が中心で他のナインは名前どころか顔すら分からない。
それでも野球がやっぱりメインになっていて、野球を通じて少年や家族が成長していく。
きっと原作ではそういう過程がもっと丁寧に描かれているんだろうな。
途中からヒロインのような子が出てくる。
ヒロインと呼ぶにはあまりに中途半端なキャラクターで見せ場も無いし、大沢あかねのような目をして取り立てて可愛いというわけではないのだけど、この子が非常に気になる。
なぜだろうと考えてみると、とにかくこの子は色が白い。
病的な白さではなくて、純潔清廉な白さでまぶしい。
健康的とはいえその白さは自然に囲まれた田舎の中学校には似つかわしくなく、掃き溜めに鶴(といったら周りの子に失礼だが)のように異質に際立っている。
だってランニングしているテニス部員のシーンなんか、皆陽に焼けているのに一人だけ異様なくらい真っ白だしね。
微妙な可愛さと田舎臭い声と圧倒的に存在を主張する白さがリアルに中学校のマドンナという感じで凄くよかっただけに、中途半端な役柄が惜しい。
蓮佛美沙子という子。
検索してみると今は大分大人びているな。
主役の林遣都はこれがデビュー作らしい。
こちらも色が白い。
主役二人が中学に上がりたてという設定はまあ許せるとしても、ライバルの横手二中の二人は中学3年どころか大学生かもしくはおっさんじゃないか。
実年齢はどんなもんだろうと調べてみると
渡辺大:1984年生まれ
関泰章:1980年生まれ
・・・なんか却って清清しい。
渡辺大は渡辺謙の息子らしい。
2011年3月20日日曜日
映画『夜のピクニック』
2006年 監督:長澤雅彦
BS-TBS 録画
![夜のピクニック [DVD]](http://ecx.images-amazon.com/images/I/51nFxRYed0L._SL160_.jpg)
夜ピク。
前に恩田陸の『夜のピクニック』が面白かったって話を誰かとしていたときに、「ああ、夜ピクね」って言っていた人がいて、確かに略したらそうなるけども、本当にそんな通称あるのだろうか。。。
恩田陸の原作を読んだのは1年前くらいで、それからずっとこの映画版が気になっていた。
キャストを調べていると甲田貴子役に多部未華子。
おお、一瞬思いがけない感じもしたがなんてぴったりなキャストなんだろう。
友達には貫地谷しほりや松田まどか。
榊杏奈役は加藤ローサ。
母親は南果歩。
高見光一郎役は柄本佑。
後は役者名見ただけではよく知らなかったので調べてみると、重要な西脇融役の石田卓也も戸田忍役の郭智博も遊佐美和子役の西原亜希も、顔写真見ると皆ぴったりすぎて却って恐ろしくなってくる。
監督長澤雅彦ってところに一抹の不安を感じながらもそこは無視すると、このキャスティングで面白くないわけがないだろう、と期待は膨らむ一方だった映画をやっと見ることができた。
結論から言うとあんなに期待していたのに、むーん、という感じ。
映画を観ながら小説の面白さを思い出していたからいいものを、原作読まないで見ていたら散りばめられたたくさんのエピソードやキャラクターがどれも中途半端で乗れないまま見終わってしまうのではないだろうか。
一番の誤算は西脇融の人物像で、恩田陸の小説の少年達は皆そうなんだけど、繊細で驚くほど聡明なところが魅力的なのに、これじゃあただの幼稚なゴリラだ。
戸田忍との友情もなんだかうそ臭い。
恋愛要素を入れたかったのかもしれなけど、オリジナルキャラを入れるくらいなら主要人物をもっと丁寧に描いて欲しかった。
冒頭の長回しはよくできているけど、カメラの動きがなんか気持ち悪いしなんのための長まわしなのかもよくわからない。
甲田貴子の小さな賭けの説明にモノローグを使わない代わりに、アニメで妖精みたいな奴を登場させて説明していたけど、工夫しているというよりいきなり登場するアニメーションに違和感を感じてしまう。
音楽も節操無く使いすぎてうるさいし。
ああ、そういえばKISSのようなメイクの看護士が登場するシーンで曲はブラック・サバスのParanoidって混ぜすぎだろう。
文句ばっかり書いたけど、少女達を演じた女優達は良かったな。
多部ちゃんは本当に面白い女優さんだ。
可愛いのか可愛くないのかよくわからない風貌はどこを切り取っても、演技していてもいなくても存在感抜群で映える。
ちょっと浮き気味などということは歯牙にもかけずに、貫地谷しほりの素なんじゃないかと思うはじけっぷりも和む。
西原亜希は初めて見たけど眉毛がきりっとして綺麗な子だ。
松田まどかは結構背が高かったのだな。
加藤ローサはちょっとしか出ない。私服姿の加藤ローサと西原亜希のツーショットはまぶしすぎてくらっときた。
戸田忍役の郭智博君は『花とアリス』のぽけーっとした宮本先輩だったんだな。
BS-TBS 録画
![夜のピクニック [DVD]](http://ecx.images-amazon.com/images/I/51nFxRYed0L._SL160_.jpg)
夜ピク。
前に恩田陸の『夜のピクニック』が面白かったって話を誰かとしていたときに、「ああ、夜ピクね」って言っていた人がいて、確かに略したらそうなるけども、本当にそんな通称あるのだろうか。。。
恩田陸の原作を読んだのは1年前くらいで、それからずっとこの映画版が気になっていた。
キャストを調べていると甲田貴子役に多部未華子。
おお、一瞬思いがけない感じもしたがなんてぴったりなキャストなんだろう。
友達には貫地谷しほりや松田まどか。
榊杏奈役は加藤ローサ。
母親は南果歩。
高見光一郎役は柄本佑。
後は役者名見ただけではよく知らなかったので調べてみると、重要な西脇融役の石田卓也も戸田忍役の郭智博も遊佐美和子役の西原亜希も、顔写真見ると皆ぴったりすぎて却って恐ろしくなってくる。
監督長澤雅彦ってところに一抹の不安を感じながらもそこは無視すると、このキャスティングで面白くないわけがないだろう、と期待は膨らむ一方だった映画をやっと見ることができた。
結論から言うとあんなに期待していたのに、むーん、という感じ。
映画を観ながら小説の面白さを思い出していたからいいものを、原作読まないで見ていたら散りばめられたたくさんのエピソードやキャラクターがどれも中途半端で乗れないまま見終わってしまうのではないだろうか。
一番の誤算は西脇融の人物像で、恩田陸の小説の少年達は皆そうなんだけど、繊細で驚くほど聡明なところが魅力的なのに、これじゃあただの幼稚なゴリラだ。
戸田忍との友情もなんだかうそ臭い。
恋愛要素を入れたかったのかもしれなけど、オリジナルキャラを入れるくらいなら主要人物をもっと丁寧に描いて欲しかった。
冒頭の長回しはよくできているけど、カメラの動きがなんか気持ち悪いしなんのための長まわしなのかもよくわからない。
甲田貴子の小さな賭けの説明にモノローグを使わない代わりに、アニメで妖精みたいな奴を登場させて説明していたけど、工夫しているというよりいきなり登場するアニメーションに違和感を感じてしまう。
音楽も節操無く使いすぎてうるさいし。
ああ、そういえばKISSのようなメイクの看護士が登場するシーンで曲はブラック・サバスのParanoidって混ぜすぎだろう。
文句ばっかり書いたけど、少女達を演じた女優達は良かったな。
多部ちゃんは本当に面白い女優さんだ。
可愛いのか可愛くないのかよくわからない風貌はどこを切り取っても、演技していてもいなくても存在感抜群で映える。
ちょっと浮き気味などということは歯牙にもかけずに、貫地谷しほりの素なんじゃないかと思うはじけっぷりも和む。
西原亜希は初めて見たけど眉毛がきりっとして綺麗な子だ。
松田まどかは結構背が高かったのだな。
加藤ローサはちょっとしか出ない。私服姿の加藤ローサと西原亜希のツーショットはまぶしすぎてくらっときた。
戸田忍役の郭智博君は『花とアリス』のぽけーっとした宮本先輩だったんだな。
2011年3月13日日曜日
大震災
一応報告しておくと怪我もなく無事です。
もう本当にとんでもないことになっていますね。
東京では11日の夜は多くの人が遠い家に向ってひたすら歩いていて、不謹慎ながら何か大勢でイベントやっているみたいで楽しいなどと思っていましたが、帰って津波のニュース等見ている内に、事態は相当深刻な事になっていると漸く知りました。
特に、死者は数十名というニュースを見ている時に入ってきた、仙台の荒浜で警察官が200から300人の遺体が打ち上げられているのを確認したというニュースは相当ショッキングでした。
光景を想像したくないけど想像してしまう。
まるで戦争のような光景じゃないですか。
この現代の日本で!
津波が全てを破壊しつくした後の、まだ水の残る誰もいない静寂の中で大量の遺体が横たわっているなんて、実際に目撃したら一生いつ何時でもフラッシュバックしそうです。
今は一人でも多くの命が救われることを祈っています。
12日(土)は何もする気が起きずに、ずっと家にいました。
でも今日はちょっと迷いどころで、今日ギンレイホールに行かないと今回のプログラムがもう見れなくなってしまうのですね。
被災して憔悴しながら今も救助/支援を待っている人達や、懸命な救助活動をしている方々、こんな時に自分は暢気に映画かよと思いつつ、家にいても電気使うだけで何もいいことないし、結局見てきました。
外に出ると今日は凄く陽気な天気で、まるで何も起こっていないかのような変わらぬ日常がありました。
被災地への支援活動や救助活動が落ち着いてくると、今度はこの震災によって受けた経済的打撃が深刻な問題になると思います。
国民全員につらい時代が始まりそうですが頑張りましょう。
富士山が噴火しないか心配です。
もう本当にとんでもないことになっていますね。
東京では11日の夜は多くの人が遠い家に向ってひたすら歩いていて、不謹慎ながら何か大勢でイベントやっているみたいで楽しいなどと思っていましたが、帰って津波のニュース等見ている内に、事態は相当深刻な事になっていると漸く知りました。
特に、死者は数十名というニュースを見ている時に入ってきた、仙台の荒浜で警察官が200から300人の遺体が打ち上げられているのを確認したというニュースは相当ショッキングでした。
光景を想像したくないけど想像してしまう。
まるで戦争のような光景じゃないですか。
この現代の日本で!
津波が全てを破壊しつくした後の、まだ水の残る誰もいない静寂の中で大量の遺体が横たわっているなんて、実際に目撃したら一生いつ何時でもフラッシュバックしそうです。
今は一人でも多くの命が救われることを祈っています。
12日(土)は何もする気が起きずに、ずっと家にいました。
でも今日はちょっと迷いどころで、今日ギンレイホールに行かないと今回のプログラムがもう見れなくなってしまうのですね。
被災して憔悴しながら今も救助/支援を待っている人達や、懸命な救助活動をしている方々、こんな時に自分は暢気に映画かよと思いつつ、家にいても電気使うだけで何もいいことないし、結局見てきました。
外に出ると今日は凄く陽気な天気で、まるで何も起こっていないかのような変わらぬ日常がありました。
被災地への支援活動や救助活動が落ち着いてくると、今度はこの震災によって受けた経済的打撃が深刻な問題になると思います。
国民全員につらい時代が始まりそうですが頑張りましょう。
富士山が噴火しないか心配です。
映画『クロッシング』
2009年 監督:アントワーン・フークア
at ギンレイホール
![クロッシング [DVD]](http://ecx.images-amazon.com/images/I/518aNKyd%2BVL._SL160_.jpg)
なかなか重厚なドラマだった。
イーサン・ホークとドン・チードルとリチャード・ギア。
麻薬捜査官と潜入捜査官と警官という何の接点もない3人の刑事の群像劇。
接点の無い独立したような話を一つ一つ思い出すとたいした話じゃないなと思うけど、犯罪多発エリアなので全体として緊迫感に溢れ、同一の時と地域で直接は交わらない3人の固有の物語が同時進行していく妙は群像劇そのもので面白い。
命をかけて働いていても報われるどころか人生の行く先はどんどん暗くなっていく。
何のために働いているのか。何が、誰が悪なのか。全ての境界は曖昧で鬱屈している。
ラストを阿呆なくらいに定型的な解釈をすると、理由は何であれ法を踏み外した者と踏み外さなかった者で結末が変わる。
リチャード・ギアはあんまり好きな役者じゃないけど、この年でばりばりの濡れ場を演じているのには感心する。
エレン・バーキン(が演じる役柄)がぶん殴りたいくらいむかつくわー。
at ギンレイホール
![クロッシング [DVD]](http://ecx.images-amazon.com/images/I/518aNKyd%2BVL._SL160_.jpg)
なかなか重厚なドラマだった。
イーサン・ホークとドン・チードルとリチャード・ギア。
麻薬捜査官と潜入捜査官と警官という何の接点もない3人の刑事の群像劇。
接点の無い独立したような話を一つ一つ思い出すとたいした話じゃないなと思うけど、犯罪多発エリアなので全体として緊迫感に溢れ、同一の時と地域で直接は交わらない3人の固有の物語が同時進行していく妙は群像劇そのもので面白い。
命をかけて働いていても報われるどころか人生の行く先はどんどん暗くなっていく。
何のために働いているのか。何が、誰が悪なのか。全ての境界は曖昧で鬱屈している。
ラストを阿呆なくらいに定型的な解釈をすると、理由は何であれ法を踏み外した者と踏み外さなかった者で結末が変わる。
リチャード・ギアはあんまり好きな役者じゃないけど、この年でばりばりの濡れ場を演じているのには感心する。
エレン・バーキン(が演じる役柄)がぶん殴りたいくらいむかつくわー。
映画『ノーウェアボーイ ひとりぼっちのあいつ』
2009年 監督:サム・テイラー=ウッド
at ギンレイホール
![ノーウェアボーイ ひとりぼっちのあいつ コレクターズ・エディション [DVD]](http://ecx.images-amazon.com/images/I/51PiQCIr8wL._SL160_.jpg)
予告編を見たような見ていないような曖昧な記憶でどんな映画かも分からず見ていたら、始まって結構経ってから「レノン!レノン!・・・ジョン!!」っていう呼びかけで、あ、ジョン・レノン、って思い出した。
ビートルズ結成前のジョン・レノンの、10代の頃を描いた映画。
Wikipediaのジョン・レノンのページ見ていると、もう全くこの映画の通りだ。
ジョン・レノンのリーゼント姿なんて想像もつかなかったし、札付きの不良だったなんて全く知らなかった。
そもそも曲と顔は知っていてもビートルズ以降のジョン・レノンという人についてもほとんど知らないけども。
ああ、やっぱりどうも集中できない。
at ギンレイホール
![ノーウェアボーイ ひとりぼっちのあいつ コレクターズ・エディション [DVD]](http://ecx.images-amazon.com/images/I/51PiQCIr8wL._SL160_.jpg)
予告編を見たような見ていないような曖昧な記憶でどんな映画かも分からず見ていたら、始まって結構経ってから「レノン!レノン!・・・ジョン!!」っていう呼びかけで、あ、ジョン・レノン、って思い出した。
ビートルズ結成前のジョン・レノンの、10代の頃を描いた映画。
Wikipediaのジョン・レノンのページ見ていると、もう全くこの映画の通りだ。
ジョン・レノンのリーゼント姿なんて想像もつかなかったし、札付きの不良だったなんて全く知らなかった。
そもそも曲と顔は知っていてもビートルズ以降のジョン・レノンという人についてもほとんど知らないけども。
ああ、やっぱりどうも集中できない。
2011年3月6日日曜日
映画『巴里のアメリカ人』
1951年 監督:ヴィンセント・ミネリ
BS2 録画
![巴里(パリ)のアメリカ人 [DVD]](http://ecx.images-amazon.com/images/I/21DW2GQDW7L._SL160_.jpg)
『フラッシュダンス』があまりに物足りなかったので、エンドロールもそこそこにもっと「映画観た」と思えるような映画を続けて観ようとHDDレコーダーの録画リストを物色していたら、『巴里のアメリカ人』があった。
どうせお気楽ムービーを作るならMGMミュージカルのように徹底的にやらなきゃ駄目でしょ、ってことでダンスつながりということもあって『巴里のアメリカ人』を見ることにする。
むぅ、ちょっとお気楽すぎたかもしれない。。。
ジーン・ケリーが踊りだすまでが長い。
タップダンス無しかと思ってちょっと焦った。
それにしてもジーン・ケリーのタップダンスシーンが少ない。
と思ったら最後にながーいミュージカルシーンがある。18分あるらしい。
この壮大なミュージカルシーンに向けてそれまでは抑えていたのか!
長々続くお気楽ストーリーも全てはラストのミュージカルシーンのための布石に過ぎない。
アイデアマンだがガタイのいい肉体派の気のいいあんちゃんジーン・ケリーが画家って!
しかも早く生まれすぎた才能ある若手画家っていう設定にばりばりの違和感を感じても、布石なので我慢しよう。
ジーン・ケリー演じるジェリーの友人役で、自称コンサートピアニストのアダムという人物が出てくる。
アダムはよくピアノを弾いているんだけど、弾いているふりだと思ってよく見ていたら、これが本当に弾いているようで、しかも上手い。
キートンの即席百人芸のパロディーのような見所シーンでは、ガーシュウィンのヘ調の協奏曲第三楽章をこれでもかと軽やかに弾きこなしている。
ピアノが弾ける俳優っていうレベルじゃない気がして、一体何者だろうと思ったら有名なピアニストで作曲家らしい。
オスカー・レヴァント。
『巴里のアメリカ人』はそもそもガーシュウィンの「パリのアメリカ人」であり、ガーシュウィンの曲が歌曲も含めてふんだんに使用されている。
オスカー・レヴァントはガーシュウィンの親友だったことから本作への出演が決定したとのこと。
ただ親友ってだけじゃなくて、ラプソディ・イン・ブルーやヘ調の協奏曲を有名にしたのは彼の功績が大きいらしい。
俳優としても結構映画に出ていて『バンド・ワゴン』なんかにも出演していたらしい。全然記憶に無い。
バレリーナとして巡業中にジーン・ケリーにスカウトされたというレスリー・キャロンを中心にバレエの動きを取り入れたダンス、そして歌と上述のオスカー・レヴァントの独演やジーン・ケリーとの共演、「パリのアメリカ人」の音楽にのせてめくるめく展開するラストのミュージカルシーン。
ストーリーはくそだったけどこう書きながら見直していると結構見所がたくさんあるなぁと思えてきた。
カフェでの最初のミュージカルシーンでは、シーンの最後の方でジーン・ケリーの帽子が落ちてしまって、それをキャッチしようとする仕草が入っている。
カットしなかったのは少し長めのカットだから撮り直すのが面倒だったのかな。
BS2 録画
![巴里(パリ)のアメリカ人 [DVD]](http://ecx.images-amazon.com/images/I/21DW2GQDW7L._SL160_.jpg)
『フラッシュダンス』があまりに物足りなかったので、エンドロールもそこそこにもっと「映画観た」と思えるような映画を続けて観ようとHDDレコーダーの録画リストを物色していたら、『巴里のアメリカ人』があった。
どうせお気楽ムービーを作るならMGMミュージカルのように徹底的にやらなきゃ駄目でしょ、ってことでダンスつながりということもあって『巴里のアメリカ人』を見ることにする。
むぅ、ちょっとお気楽すぎたかもしれない。。。
ジーン・ケリーが踊りだすまでが長い。
タップダンス無しかと思ってちょっと焦った。
それにしてもジーン・ケリーのタップダンスシーンが少ない。
と思ったら最後にながーいミュージカルシーンがある。18分あるらしい。
この壮大なミュージカルシーンに向けてそれまでは抑えていたのか!
長々続くお気楽ストーリーも全てはラストのミュージカルシーンのための布石に過ぎない。
アイデアマンだがガタイのいい肉体派の気のいいあんちゃんジーン・ケリーが画家って!
しかも早く生まれすぎた才能ある若手画家っていう設定にばりばりの違和感を感じても、布石なので我慢しよう。
ジーン・ケリー演じるジェリーの友人役で、自称コンサートピアニストのアダムという人物が出てくる。
アダムはよくピアノを弾いているんだけど、弾いているふりだと思ってよく見ていたら、これが本当に弾いているようで、しかも上手い。
キートンの即席百人芸のパロディーのような見所シーンでは、ガーシュウィンのヘ調の協奏曲第三楽章をこれでもかと軽やかに弾きこなしている。
ピアノが弾ける俳優っていうレベルじゃない気がして、一体何者だろうと思ったら有名なピアニストで作曲家らしい。
オスカー・レヴァント。
『巴里のアメリカ人』はそもそもガーシュウィンの「パリのアメリカ人」であり、ガーシュウィンの曲が歌曲も含めてふんだんに使用されている。
オスカー・レヴァントはガーシュウィンの親友だったことから本作への出演が決定したとのこと。
ただ親友ってだけじゃなくて、ラプソディ・イン・ブルーやヘ調の協奏曲を有名にしたのは彼の功績が大きいらしい。
俳優としても結構映画に出ていて『バンド・ワゴン』なんかにも出演していたらしい。全然記憶に無い。
バレリーナとして巡業中にジーン・ケリーにスカウトされたというレスリー・キャロンを中心にバレエの動きを取り入れたダンス、そして歌と上述のオスカー・レヴァントの独演やジーン・ケリーとの共演、「パリのアメリカ人」の音楽にのせてめくるめく展開するラストのミュージカルシーン。
ストーリーはくそだったけどこう書きながら見直していると結構見所がたくさんあるなぁと思えてきた。
カフェでの最初のミュージカルシーンでは、シーンの最後の方でジーン・ケリーの帽子が落ちてしまって、それをキャッチしようとする仕草が入っている。
カットしなかったのは少し長めのカットだから撮り直すのが面倒だったのかな。
映画『フラッシュダンス』
1983年 監督:エイドリアン・ライン
BS2 録画
![フラッシュダンス [DVD]](http://ecx.images-amazon.com/images/I/51RJJdi7LSL._SL160_.jpg)
夢を追う少女が柔らかな陽光に包まれて輝いている。
特にもじゃもじゃの髪の毛が。
アイリーン・キャラの主題歌はあまりに有名で、ラストのダンスシーンもテレビ番組などで何度も見たことがある。
そんな有名作だが少しも面白そうじゃないので今まで見なかったけど、ストリートダンスが結構入っているらしいので見てみた。
しかしストリートダンスなんて1分くらいしか無いじゃん。
じゃあ何を楽しめばいいのか?
だるんだるんのシャツから顕になった肩とか、レオタードの股間やヒップを執拗に映すのを見て、これはエロ映画かもしれない、と思ったけど、ヒロインのジェニファー・ビールスは脱がないしベッドシーンも思いっきりはしょられる。
脱がなくてもエロいことはエロいのだが、レストランでロブスターをこれ見よがしにちゅぱちゅぱ喰っているのはエロというか下品だ。
結局最後まで楽しめず。
唯一面白かったのは、境界の懺悔室でセックス依存症かなんかのヒロインが「セックスのことがどうしても頭から離れません 神様はそんなことありませんね」と言った時に、神父がにやっと笑うんだよ。
このにやっがどっちのセリフを受けてのものか分からないが、とにかく意味深で挑発的な感じ。
この映画はヒロインの、むさい男達に混じって溶接工として働いたり、ダンサーという夢に向って頑張っていたり、恋人の嘘にヒステリックに(豪快に)怒りをぶつけたり、少女がエロ丸出し、っていう女性像は当時としては珍しかったのかもしれない。
また、まだそんなに有名ではないブレイクダンスを取り入れたり、今でこそ珍しくもなんとも無いが劇中に軽快なポップスやロックをがんがん流したり、っていうのも含めると、この監督は新し物、新しい概念好きなのかね。
だとしたら懺悔室で懺悔を聞く神父を「にやっ」により一介のエロおやじに貶めるのは意図的でやはり挑発的だ。
ああ、そういえばハロウィンのシーンで、戻ってきたリッチーをピエロ姿のヒロインが肩を抱いてなぐさめるのはいいシーンだったな。
BS2 録画
![フラッシュダンス [DVD]](http://ecx.images-amazon.com/images/I/51RJJdi7LSL._SL160_.jpg)
夢を追う少女が柔らかな陽光に包まれて輝いている。
特にもじゃもじゃの髪の毛が。
アイリーン・キャラの主題歌はあまりに有名で、ラストのダンスシーンもテレビ番組などで何度も見たことがある。
そんな有名作だが少しも面白そうじゃないので今まで見なかったけど、ストリートダンスが結構入っているらしいので見てみた。
しかしストリートダンスなんて1分くらいしか無いじゃん。
じゃあ何を楽しめばいいのか?
だるんだるんのシャツから顕になった肩とか、レオタードの股間やヒップを執拗に映すのを見て、これはエロ映画かもしれない、と思ったけど、ヒロインのジェニファー・ビールスは脱がないしベッドシーンも思いっきりはしょられる。
脱がなくてもエロいことはエロいのだが、レストランでロブスターをこれ見よがしにちゅぱちゅぱ喰っているのはエロというか下品だ。
結局最後まで楽しめず。
唯一面白かったのは、境界の懺悔室でセックス依存症かなんかのヒロインが「セックスのことがどうしても頭から離れません 神様はそんなことありませんね」と言った時に、神父がにやっと笑うんだよ。
このにやっがどっちのセリフを受けてのものか分からないが、とにかく意味深で挑発的な感じ。
この映画はヒロインの、むさい男達に混じって溶接工として働いたり、ダンサーという夢に向って頑張っていたり、恋人の嘘にヒステリックに(豪快に)怒りをぶつけたり、少女がエロ丸出し、っていう女性像は当時としては珍しかったのかもしれない。
また、まだそんなに有名ではないブレイクダンスを取り入れたり、今でこそ珍しくもなんとも無いが劇中に軽快なポップスやロックをがんがん流したり、っていうのも含めると、この監督は新し物、新しい概念好きなのかね。
だとしたら懺悔室で懺悔を聞く神父を「にやっ」により一介のエロおやじに貶めるのは意図的でやはり挑発的だ。
ああ、そういえばハロウィンのシーンで、戻ってきたリッチーをピエロ姿のヒロインが肩を抱いてなぐさめるのはいいシーンだったな。
2011年3月4日金曜日
3月INFO
- BS2 3月3日(木) 午後1:00~2:36
- フラッシュダンス 1983年・アメリカ
〔監督〕エイドリアン・ライン - BShi 3月9日(水) 午後10:00~午前0:12
- 許されざる者 1992年・アメリカ
〔製作・監督〕クリント・イーストウッド - BS2 3月16日(水) 午前0:15~2:17(15日深夜)
- 神童 2007年・日本
〔監督〕萩生田宏治 - BS-TBS 2011/03/16(水) 21:00-23:24
- 夜のピクニック (06日)
- BS2 3月17日(木) 午前0:00~2:33(16日深夜)
- 天平の甍 1980年・日本
〔監督〕熊井啓
〔音楽〕武満徹 - BS2 3月18日(金) 午前0:10~2:09 (17日深夜)
- クワイエットルームにようこそ 2007年・日本
〔監督・原作・脚本〕松尾スズキ - BS2 3月19日(土) 午後3:10~4:41
- スリープ・ディーラー 2008年・アメリカ/メキシコ
〔監督・脚本〕アレックス・リベラ - BS2 3月20日(日) 午後3:05~4:57
- クローンは故郷をめざす 2008年・日本
〔監督・脚本〕中嶋莞爾 - BS-TBS 2011/03/23(水) 21:00-23:24
- バッテリー (06日)
確か主題歌熊木杏里
ヒッチコックも3,4本ある。
ほとんど載せていないけどアカデミー賞受賞作品特集は今月も結構ある。
今月は邦画もめずらしく多め。
2011年3月3日木曜日
映画『霧の中の風景』
1988年 監督:テオ・アンゲロプロス
BS2 録画

ああ、やっぱり暗い。
11歳の少女ヴーラと5歳の弟アレクサンドロスは、ゲルマニーア(ドイツ)にいるというまだ見ぬ父親を探しにドイツ行きの国際急行に乗り込む。
無賃乗車なのですぐ降ろされてしまうが。
叔父から、父親がドイツにいるという話は母親の嘘であり父親なんかいない、という事実を信じられないまま聞きながらも、二人は家に帰らずにドイツに向って旅を続ける。
夜中に知らない街にぽつんと放り出されても動じることない二人を見ていると、金も無いのに飯はどうするんだ?どこに泊まるんだ?という疑問が当然生まれてくる。
誰か優しい人が救いの手を差し伸べてくれるのだろうか?
しかし二人の前に現れるのは、トラクターに引きずられてそのまま放り出された瀕死の馬や、背後で無関係に騒がしく通り過ぎていく結婚式の集団だけだ。
この異様なショットの後にすぐ翌日(山中の寂しい道路を二人が歩いているシーン)に切り替わるので、ああ、男でも女でもない聖的な存在の子供達が、人間の基本的な営みを超越してギリシャを旅しながら彼らを中心に詩的な映像が綴られていくのね、と勘違いしてしまった。
だからヴーラがあんな目に合うなんて想像もしなかったしショックも大きい。
その衝撃はいつまでもちくちく痛みとして残り、ラストも悲しい解釈しかできない。
超越した存在なら暗いもくそもないのだが、詩的でありながらあまりに現実的でもあるため、悲しくて美しい。
映画を見ていてカメラを意識することってあまり無いのだけど、これは結構気になる。
走り去る列車を固定カメラで映すシーンでも、それが列車が小さくなるまで長々と映されると、その列車に乗った姉弟がもう手の届かないどこか遠くに行ってしまうような寂しさがこみ上げてくる。
しかし次のシーンではカメラは車内の二人を映し出すのだ。
カメラに国境や距離は関係ない。
そんなカメラが映し出す世界は、瀕死の馬とか雪に大人が呆けるシーンとか海辺の旅芸人の超長まわし360度パンとかバーに紛れ込んだ鶏の静謐とか宙を舞う石造の手首とか、異様なショットがちょいちょい挟まって現実離れしているのだけど、ストーリーも映像もこんなに切なくて悲しい映画はめずらしい。
アンゲロプロスの映画の中でもこの映画は、詩的な叙情性とストーリー性とのバランスがよくて一番好きかもしれない。
ヴーラ11歳っていうのはgoo映画のページから取ったけど、ヴーラ役の少女の実年齢はもう少し幼い気がする。
妙に大人びた顔をしていて不思議な感じのする子だ。
ラストの解釈は一般的にはどうなんだろうとネットで調べてみたけど、ラストということでネタばれになるのかあまり書いてないなぁ。
それよりも旅芸人の青年がホモだったという記述に驚いた。
確かにヴーラが青年の下を離れた理由がよく分からなかったのだけど、ホモならばなんとなく辻褄が合う。
でもやっぱりいやだな。青年との別れがつらくて何も言わずに旅立ったって方がいいっしょ。
BS2 録画

ああ、やっぱり暗い。
11歳の少女ヴーラと5歳の弟アレクサンドロスは、ゲルマニーア(ドイツ)にいるというまだ見ぬ父親を探しにドイツ行きの国際急行に乗り込む。
無賃乗車なのですぐ降ろされてしまうが。
叔父から、父親がドイツにいるという話は母親の嘘であり父親なんかいない、という事実を信じられないまま聞きながらも、二人は家に帰らずにドイツに向って旅を続ける。
夜中に知らない街にぽつんと放り出されても動じることない二人を見ていると、金も無いのに飯はどうするんだ?どこに泊まるんだ?という疑問が当然生まれてくる。
誰か優しい人が救いの手を差し伸べてくれるのだろうか?
しかし二人の前に現れるのは、トラクターに引きずられてそのまま放り出された瀕死の馬や、背後で無関係に騒がしく通り過ぎていく結婚式の集団だけだ。
この異様なショットの後にすぐ翌日(山中の寂しい道路を二人が歩いているシーン)に切り替わるので、ああ、男でも女でもない聖的な存在の子供達が、人間の基本的な営みを超越してギリシャを旅しながら彼らを中心に詩的な映像が綴られていくのね、と勘違いしてしまった。
だからヴーラがあんな目に合うなんて想像もしなかったしショックも大きい。
その衝撃はいつまでもちくちく痛みとして残り、ラストも悲しい解釈しかできない。
超越した存在なら暗いもくそもないのだが、詩的でありながらあまりに現実的でもあるため、悲しくて美しい。
映画を見ていてカメラを意識することってあまり無いのだけど、これは結構気になる。
走り去る列車を固定カメラで映すシーンでも、それが列車が小さくなるまで長々と映されると、その列車に乗った姉弟がもう手の届かないどこか遠くに行ってしまうような寂しさがこみ上げてくる。
しかし次のシーンではカメラは車内の二人を映し出すのだ。
カメラに国境や距離は関係ない。
そんなカメラが映し出す世界は、瀕死の馬とか雪に大人が呆けるシーンとか海辺の旅芸人の超長まわし360度パンとかバーに紛れ込んだ鶏の静謐とか宙を舞う石造の手首とか、異様なショットがちょいちょい挟まって現実離れしているのだけど、ストーリーも映像もこんなに切なくて悲しい映画はめずらしい。
アンゲロプロスの映画の中でもこの映画は、詩的な叙情性とストーリー性とのバランスがよくて一番好きかもしれない。
ヴーラ11歳っていうのはgoo映画のページから取ったけど、ヴーラ役の少女の実年齢はもう少し幼い気がする。
妙に大人びた顔をしていて不思議な感じのする子だ。
ラストの解釈は一般的にはどうなんだろうとネットで調べてみたけど、ラストということでネタばれになるのかあまり書いてないなぁ。
それよりも旅芸人の青年がホモだったという記述に驚いた。
確かにヴーラが青年の下を離れた理由がよく分からなかったのだけど、ホモならばなんとなく辻褄が合う。
でもやっぱりいやだな。青年との別れがつらくて何も言わずに旅立ったって方がいいっしょ。
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