2009年 監督:カメン・カレフ
at ギンレイホール
ブルガリア映画って初めて見た。
ブルガリアでは年に7,8本くらいしか映画が作られていないらしい。
そういう国ほど面白い映画が作られるもので、この作品も例外でなくかなり面白かった。
木工技師の男や、スキンヘッドにしてギャングの集団に加わる少年や、トルコ人家族、と一瞬群像劇なのかと思うが、主役は木工技師の男イツォ(フリスト・フリストフ)になる。
38歳のイツォは美術学校の出身で、木工技師をしながら創作活動も続けている。
過去に薬中になっていて今は治療中だが、今度はアル中になりかけている。
若い恋人ニキがいて、一応大事に思ってはいるようだが、時に厭世的になって全てが鬱陶しくなってしまう。
そんなイツォとギャングの少年(実はイツォの弟)とトルコ人家族が一堂に会したある夜の事件以降、イツォの心に小さな希望が芽生えてくる。
特に美男子というわけでもなく、40近いやさぐれたおっさんなのにこの存在感はなんだろう。
役者という人達の中には浅野忠信のようにただ佇んでいるだけでも映えるという、反則的な生まれながらの映画俳優がいると思うのだけど、フリスト・フリストフは紛れも無くそういう人種だと思う。
フリスト・フリストフは監督のカメン・カレフの幼馴染で、これが俳優デビュー作らしい。
そもそもこの映画自体、フリスト・フリストフの人生がモデルになっており、弟とかトルコ人の美女ウシュルは架空の人物だけど、イツォはフリスト・フリストフという人そのもので、彼が自分自身を演じている。
だから彼は実際は木工技師で俳優じゃないんだね。
全く凄い才能だ。
渋くて優しい声も印象的だし。
そして非常に書きたくないが、突出した人ほど夭折しやすいのか、撮影終了間際に不慮の事故で亡くなってしまったらしい。
少し唐突に訪れるラストシーンが元々意図していたラストかどうかは分からないが、映画史上に残るであろう(残って欲しい)名シーンになっている。
電灯がふっと消える以外は大きな変化は無く、フリスト・フリストフがただ歩いているだけなのに、映像が刻一刻と息づいていく。
鬱々とした感情も今日を生きる希望も、なにもかもが静かに冷えた夜明けの空気に押し包まれて。
この美しいラストシーンはフリスト・フリストフの最後の姿でもあるわけだから、そう思うと悲しいながらもまた感慨深い。
2011年3月27日日曜日
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