2004年10月17日日曜日

映画『テヘラン悪ガキ日記』

1998年 監督:カマル・タブリージー
BS2 録画


時に図々しい悪ガキで、時に母親に持てる限りの愛情を向ける健気なガキで、時にゴキブリのような恐れの対象で、時に人見知りのする小動物なガキの物語。
少年更生センターにいる少年メヘディは幼い頃に失くした母親の面影と瓜二つのソーシャルワーカーの女性職員に出会う。
メヘディは父親から母は死んだと聞かされていたがそんなことは理解したくない。
やっぱり母親は生きていて、やっと会えた。
ってことでセンターを脱走して母親に会いに行く。
単なる思い違いだと知らずに。というかあなたの母親じゃねーって言ってんのにメヘディの幻想は消えることはない。
母親と信じて疑わない女性の下へ図々しく押しかけて拒絶され、受け入れられたと思ったら裏切られ・・・

メヘディの父親は交通事故で亡くなったため、両親がいない。
停車中の車に煙草や新聞を売り歩いてなんとか自活はするが、生活云々とは別で母親を欲する気持ちは歯止めがきかない。
母親を探し出せないでいる自分は水をぶっ掛けたくなるほど大っ嫌いだが、母(擬似的)と生活している自分は最高に幸せで大好きだ。
また、メヘディに「母さん」と呼ばれる女性は夫を亡くし一人娘を大事に育てている。
メヘディを養うような余裕もないし、メヘディのような社会からはみ出た人物を受け入れきれないある理由もある。
言葉遣いが悪かろうが、飯を手づかみで食おうが、メヘディにとってはそれが今まで生きてきた中で自然に学んだスタイルなのだが。
ただ母親に愛してもらい、一緒に暮らしたいというメヘディの一途な思いが切ない。
と同時にくそ生意気なガキめ、という憎らしさも潜めた悲しきコメディ。

結構感情が交錯する。
メヘディの危なっかしさを和やかに繋いでくれるのがソーシャルワーカーの女性の愛娘で、この子が非常に可愛らしい。
とにかくこの子の笑顔が母とメヘディとの空隙に流れ込むとほっと安心する。

ビニール手袋という小道具が最後におよぼす作用を普通に想像できるのだが、なぜかやっぱり泣ける。
オープニングの静止ショットの繋ぎとラストの一日の経過シーンは良かったな。

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