年が経つのは早いな。
10代の10年間と20代の10年間の密度が全然違う。
30代はというと既に丸2年があっという間に経過し、2年前の自分と比べると肉体が老けた以外は何も変わらないし振り返ってみても何も思い出せない。
10代の頃は30代といったらめちゃくちゃ頭がよくなっている筈と思っていたのになぁ。
まだ記憶にあるうちに今年の個人的ニュースを書いておこう。
3位:引っ越した
2位:定食屋に変態がいた
1位:路上でケツ丸出しの女がいた
3位:引っ越した
前の家は8年も住んで飽きたので引っ越した。
2位:定食屋に変態がいた
12月頃だったと思うが、よく行く近所のチェーン店の定食屋に飯を食いに行く。
テーブル席だけどテーブル中央にパーティションがあって向いは見えなくなっている一人掛けの席に座る。
パーティションといっても下が開いているので、向いの人の顔は見えないが手元は丸見えになっている。
向かいの席には太目のサラリーマンが座っているようだ。
左手に携帯、右手に箸を握ってすき焼き定食を食っている。
特に気にせず文庫本を読み始めたのだけど、程なくどこからかくちゃくちゃ音がするので文庫を下ろすと、前の席のサラリーマンがくちゃくちゃ食っている音らしい。
舌打ちのようなチィという音を交えながら頻繁にくちゃくちゃ音をさせるのでかなり気になる。
早く食い終わって帰って欲しいのに未だに携帯を持ちながら飯を食っている。
昔は熱心に携帯いじっているというのはイコールメールしているということだったから、そんなに人と繋がっていたいのか、寂しい奴め、と思ったものだが、今や携帯はメールだけじゃないからな。
そうこうしているうちに飯が来てしまう。
音を気にしないようにして食べ始める。
程なくやっと食い終わったサラリーマンが帰っていったのでほっとする。
やっと落ち着いて飯が食える幸せ。
えーっと、変態の話だけど、このサラリーマンのことでは無い。
問題は次の奴だ。
気付いたら向いに次の客が座っている。
この店はご飯のお代わりがセルフサービスなので、でかい炊飯ジャーから2杯目をよそってきて席に戻ると、思わず固まってしまう。
向かいの席の人が、備え付けの漬物を小皿に山盛りに盛ったその上から一味唐辛子を小さじで丁寧に乗せているところだった。
薄い黄色の今にも崩れそうな漬物の上が尋常じゃない量の一味唐辛子で真っ赤に染まっている。赤い雪をかぶった富士のように。
小さじで一味を振り掛ける行為は一向にやむことなく、そのエンドレスに繰り返されるこぼれないように丁寧に盛っていく手つきの機械的な正確さと、上部一面が真っ赤になっている漬物の対比に次第に狂気を感じてきて戦慄が走る。
変態がいる~~!
僕が気付いてから少なくとも3分以上は一味唐辛子を盛り続けていた。
これ以上は崩れると判断したのかやっと一味を盛り終えると、今度は醤油を取ってこれまた丁寧にぽたぽた垂らしている。
パーティションで丁度顔だけが隠れ、その首の無いーター姿の上半身が人間の食い物とは思えないものを製造している恐怖。
徐に割り箸を取って最後はかき混ぜ始める。
ぐちょぐちょと。
当然ぽろぽろこぼれる。
するとこぼれた漬物を丁寧に拾って元に戻してまたかき混ぜ、またこぼれたのを拾って戻す、を延々と繰り返す。
味覚のおかしさはどうでもいい、それよりセーターの温かい優しさから覗く手が織り成す異常なまでに丁寧な所作が粘質的な変態さを感じさせて気持ち悪い。
いよいよ出来上がった変態の食べ物を変態は二口ほど口に入れてから変態的に箸を置いてしまう。
えっ?あんなに時間かけて作ったのにまさかまずかったの?
最初からそんなものなかったかのように放置される変態の食べ物。
程なく定食が運ばれてくると、変態は変態の食べ物をおかずにしてご飯を食べ始める。
ああ、まずかったからほったらかしにしたわけじゃないのね。
いや、でもあれを普通に食っているのが信じられないけどね。
自分の飯を食い終わったので立ち上がるときに顔を見てやろうと思ったけど、立ち上がってもパーティションに隠れて見えなかった。
ちなみに変態の定食は見ると値段的に上位に入るミックスグリル定食だった。
1位:路上でケツ丸出しの女がいた
つまり路上でケツ丸出しの女がいたんだよ。
あれは12月12日。
髪を切りに近くの床屋に入ってみると、満席のため16時くらいになると言われる。
あと1時間あるな。
予約して一旦家に帰る。
16時近くなったので家を出て床屋に向かう。
下に高速が走る開けた通りを足早に歩いていると、T字路にジャージ姿のヤンキーがうんこ座りしているのが見える。
T字路の角にある店の路地側で、降りたシャッターに向かって座っているので後姿しか見えない。
そのヤンキーに向かってこれまたジャージ姿のヤンキー女が近づいていくところだった。
ヤンキーとヤンキー女。
新富町にもヤンキーがいるんだな。
築地も近いからそっちの方の奴か。
考え事しながら足早に歩いていると、突然真っ白いケツが目に飛び込んでくる。
はぁっ??
膝まで下ろしているジャージで歩きにくいのか蟹股で歩きながらジャージのズボンをたくし上げているところだった。
何が起きたのか間を置いてから考えると、うんこ座りしていたヤンキーは男だと思っていたら実は女で、うんこ座りというかしょんべんしていたらしい。
近づいていったヤンキー女は人が来ることを知らせにいったのか。
それにしても僕以外に人はいないとはいえ、その場でズボンを上げずに下半身丸出しのままかなり開けた通りに歩きながら出た後にズボンを上げてたぞ。
もし通りを僕とは逆方向に歩いている人がいたら、その人は角から突然下半身丸出しのヤンキー女が現れるという衝撃に見舞われることになる。
後ろから見ていても突然で衝撃だったからな。
ちなみにだぶだぶのジャージに比して華奢な太ももと少し肉付きのいいケツというなかなかの組み合わせだった。
なんかベスト3が10月と12月の出来事になってしまった。
2010年の頭の方はもう記憶に無い。
2010年12月31日金曜日
2010年12月30日木曜日
1230
昼頃起きる。
テレビ見たりしてから全く腹減っていないが14時前に昼飯食べに出かける。
年末だというのに、いや、年末だからか凄い人ごみ。
つばめグリル銀座コア店に行ってみるが、14時だというのに店外のベンチで順番待ちしているカップルがいてやめる。混んでるの嫌いだから。
といっても他に食べたいものもないしそもそも腹減ってないし、時間置いてからまた行ってみようと思う。
銀座をふらふら歩いてから15時頃に東銀座のルノアールに入る。
ホットコーヒーをちびちびすすりながらドグラマグラの下巻を読む。
気付いたら16時を過ぎていたので慌てて出る。
つばめグリル銀座コア店に行くと夕方だしさすがに空いている。
和風ハンブルグステーキを頼む。
ランチタイムはとっくに終了しているっぽい。
もう10年前になるか、つばめグリル銀座通り本店でバイトしていたので本当は銀座通り本店に行きたいところだけど、本店は立て替え工事中で大分前から休業中なのでコア店。
ここでのバイトは狭い店内であくせく動き回っているのが僕には苦痛で、週3が週2、週1、月1とどんどんシフトを減らした末に最終的にやめた。
よく、注文しようとしても店員がフロアにいなかったり呼んでも出てこない店が多い中、ここの従業員のお客さんへの気配りは天下一品で、まだ注文待ちとか食べ終わりそうとか一人一人の状態を全て把握していて、別作業中でもお客さんが店員探しに顔を上げた瞬間にすぐ反応して目を合わせるという素早さ。
気配りとは無縁の僕に務まるはずがない。
本店の店長とかスタッフは皆コア店に移ったのかな。
コア店の広い店内を見渡しても若い従業員しか見当たらない。
久しぶりに食った和風ハンブルグステーキは旨かった。
ただ、量が少ない。
ライスが確かお代わり自由だった気がするが、昔働いていたくせに記憶が曖昧だ。
結局お代わりせず。
一度家に戻る。
年末特番の録画していたものを見たりして寛いでから、20時過ぎにまた出かける。
次はシネパトス銀座。
ギンレイ以外の映画館に行くのは何年ぶりだろう。
かつシネパトス銀座は学生の頃しょっちゅう通っていたけど卒業してから一度も行っていない。
最後に見たのはサトウトシキの映画だったかな。
レイトショーで『マタンゴ』鑑賞。
客の入りは1列当たり二人程度。
終わってから吉野家でたまねぎだらけの牛丼食べて今日という個人的に特別な日は終了。
テレビ見たりしてから全く腹減っていないが14時前に昼飯食べに出かける。
年末だというのに、いや、年末だからか凄い人ごみ。
つばめグリル銀座コア店に行ってみるが、14時だというのに店外のベンチで順番待ちしているカップルがいてやめる。混んでるの嫌いだから。
といっても他に食べたいものもないしそもそも腹減ってないし、時間置いてからまた行ってみようと思う。
銀座をふらふら歩いてから15時頃に東銀座のルノアールに入る。
ホットコーヒーをちびちびすすりながらドグラマグラの下巻を読む。
気付いたら16時を過ぎていたので慌てて出る。
つばめグリル銀座コア店に行くと夕方だしさすがに空いている。
和風ハンブルグステーキを頼む。
ランチタイムはとっくに終了しているっぽい。
もう10年前になるか、つばめグリル銀座通り本店でバイトしていたので本当は銀座通り本店に行きたいところだけど、本店は立て替え工事中で大分前から休業中なのでコア店。
ここでのバイトは狭い店内であくせく動き回っているのが僕には苦痛で、週3が週2、週1、月1とどんどんシフトを減らした末に最終的にやめた。
よく、注文しようとしても店員がフロアにいなかったり呼んでも出てこない店が多い中、ここの従業員のお客さんへの気配りは天下一品で、まだ注文待ちとか食べ終わりそうとか一人一人の状態を全て把握していて、別作業中でもお客さんが店員探しに顔を上げた瞬間にすぐ反応して目を合わせるという素早さ。
気配りとは無縁の僕に務まるはずがない。
本店の店長とかスタッフは皆コア店に移ったのかな。
コア店の広い店内を見渡しても若い従業員しか見当たらない。
久しぶりに食った和風ハンブルグステーキは旨かった。
ただ、量が少ない。
ライスが確かお代わり自由だった気がするが、昔働いていたくせに記憶が曖昧だ。
結局お代わりせず。
一度家に戻る。
年末特番の録画していたものを見たりして寛いでから、20時過ぎにまた出かける。
次はシネパトス銀座。
ギンレイ以外の映画館に行くのは何年ぶりだろう。
かつシネパトス銀座は学生の頃しょっちゅう通っていたけど卒業してから一度も行っていない。
最後に見たのはサトウトシキの映画だったかな。
レイトショーで『マタンゴ』鑑賞。
客の入りは1列当たり二人程度。
終わってから吉野家でたまねぎだらけの牛丼食べて今日という個人的に特別な日は終了。
映画『マタンゴ』
1963年 監督:本多猪四郎
at 銀座シネパトス
![マタンゴ [DVD]](http://ecx.images-amazon.com/images/I/21GBMX5TQYL.jpg)
昔大井武蔵野館か中野武蔵野ホールで上映していたのを見逃したまま気になっていたのを遂に見ることができた。
本多猪四郎と円谷英二のコンビによる怪奇SFサスペンス。
冒頭病院の窓から映し出される銀座っぽい東京の景色を何気なく見ていたら、ビルの窓に映る人影がちゃっちい影絵になっていてそこでやっと気付いたけど、この景色はミニチュアの合成だった。
最初から飛ばすな。
話の筋は、ヨットでクルージングに出かけた男女7人が嵐に巻き込まれて無人島に漂着し、そこでマタンゴに出会ったりマタンゴになったりマタンゴに襲われたりマタンゴをやっつけたり強くないマタンゴがキュートだったりするというもの。
鳥も寄り付かない不気味な無人島で食料も乏しい中、人間のエゴがこれでもかと爆発する。
食料があれば独り占めするだろう、女がいれば襲うだろう、男が邪魔なら殺すだろう、美味いきのこがあれば食うだろう。
石井輝男の『恐怖奇形人間』や加藤泰の『真田風雲録』のようにぶっ飛んでいるのかと思ったら、ストーリーは意外と真面目。
前半は完全にサスペンスになっていて、無人島で見つけた難破船の船内に大量にこびりついた黴や、乗組員の死体が一つも無い謎、鏡が全て取りはずされている謎等、マタンゴ登場に向けて期待を煽る。
この映画で一番びくっとしたのはマタンゴ登場より、難破船の船内を探検中に作田(だったかな)が階段で足を滑らした瞬間だし、探検中に物音にいちいちびくつく男共の描写もしっかりしている。
カルト映画の定義はよく知らないがこれは極めて真面目な映画だと思う。
1作目ゴジラの系譜に繋がる核の恐怖や、現代社会のエゴを表出させ、はんっと言いそうなラストの教訓的なナレーションで締めくくるという。
7人のキャラクターも立っている。
青年実業家ですかしたへたれの笠井(土屋嘉男)。
笠井の部下で友人の作田(小泉博)。一番理性的で正義の人だったのに。。。
笠井の愛人で歌手の麻美(水野久美)。後半の水野久美のエロスがやばい。
大学助教授の村井(久保明)。理性的で一番つまらない。
村井の教え子の大学生明子(八代美紀)。自分じゃ何も決められない意思の弱い女。
作家の吉田(太刀川寛)。頭悪そうに見えて作家。
臨時雇いの漁師小山(佐原健二)。無人島で一番たくましく生きる男。
女性がきのこを食すると妖艶になるという設定らしい。
雨に濡れた水野久美の異常なまでにみずみずしい肌のエロス。
「おいしいわー」と恍惚の表情できのこを齧り、きのこ達は喜んでむくむくと成長し、大量のきのこの中心に妖艶な笑みを浮かべて座すマタンゴ軍団の女王のような水野久美。
物凄い暗喩だ。
タイトルクレジットに天本英世の名前があったけどどこに出ていたのだろうと思ったら、まだ人の形を留めるマタンゴ役だったらしい。
あんな特殊メイクしていたら絶対分らない。
at 銀座シネパトス
![マタンゴ [DVD]](http://ecx.images-amazon.com/images/I/21GBMX5TQYL.jpg)
昔大井武蔵野館か中野武蔵野ホールで上映していたのを見逃したまま気になっていたのを遂に見ることができた。
本多猪四郎と円谷英二のコンビによる怪奇SFサスペンス。
冒頭病院の窓から映し出される銀座っぽい東京の景色を何気なく見ていたら、ビルの窓に映る人影がちゃっちい影絵になっていてそこでやっと気付いたけど、この景色はミニチュアの合成だった。
最初から飛ばすな。
話の筋は、ヨットでクルージングに出かけた男女7人が嵐に巻き込まれて無人島に漂着し、そこでマタンゴに出会ったりマタンゴになったりマタンゴに襲われたりマタンゴをやっつけたり強くないマタンゴがキュートだったりするというもの。
鳥も寄り付かない不気味な無人島で食料も乏しい中、人間のエゴがこれでもかと爆発する。
食料があれば独り占めするだろう、女がいれば襲うだろう、男が邪魔なら殺すだろう、美味いきのこがあれば食うだろう。
石井輝男の『恐怖奇形人間』や加藤泰の『真田風雲録』のようにぶっ飛んでいるのかと思ったら、ストーリーは意外と真面目。
前半は完全にサスペンスになっていて、無人島で見つけた難破船の船内に大量にこびりついた黴や、乗組員の死体が一つも無い謎、鏡が全て取りはずされている謎等、マタンゴ登場に向けて期待を煽る。
この映画で一番びくっとしたのはマタンゴ登場より、難破船の船内を探検中に作田(だったかな)が階段で足を滑らした瞬間だし、探検中に物音にいちいちびくつく男共の描写もしっかりしている。
カルト映画の定義はよく知らないがこれは極めて真面目な映画だと思う。
1作目ゴジラの系譜に繋がる核の恐怖や、現代社会のエゴを表出させ、はんっと言いそうなラストの教訓的なナレーションで締めくくるという。
7人のキャラクターも立っている。
青年実業家ですかしたへたれの笠井(土屋嘉男)。
笠井の部下で友人の作田(小泉博)。一番理性的で正義の人だったのに。。。
笠井の愛人で歌手の麻美(水野久美)。後半の水野久美のエロスがやばい。
大学助教授の村井(久保明)。理性的で一番つまらない。
村井の教え子の大学生明子(八代美紀)。自分じゃ何も決められない意思の弱い女。
作家の吉田(太刀川寛)。頭悪そうに見えて作家。
臨時雇いの漁師小山(佐原健二)。無人島で一番たくましく生きる男。
女性がきのこを食すると妖艶になるという設定らしい。
雨に濡れた水野久美の異常なまでにみずみずしい肌のエロス。
「おいしいわー」と恍惚の表情できのこを齧り、きのこ達は喜んでむくむくと成長し、大量のきのこの中心に妖艶な笑みを浮かべて座すマタンゴ軍団の女王のような水野久美。
物凄い暗喩だ。
タイトルクレジットに天本英世の名前があったけどどこに出ていたのだろうと思ったら、まだ人の形を留めるマタンゴ役だったらしい。
あんな特殊メイクしていたら絶対分らない。
2010年12月29日水曜日
映画『パプリカ』
2006年 監督:今敏
BS2 録画
![パプリカ [DVD]](http://ecx.images-amazon.com/images/I/51ye6QvtWAL.jpg)
もうちょこちょこやばい瞬間が続いて、我慢していたけど最後の方で唐突にパプリカが現れた時に泣いてしまう。
これは本当面白い。
今年8月に亡くなってしまった今敏の2006年の作品。
何ヶ月か前に追悼で放映していたのを録画しそびれて悔しかったところ、クリスマスにまた放映してくれたので今度はしっかり録画した。
原作は筒井康隆で、2,3年前に読んでからずっと映画版を見たかった。
原作より登場人物が少なく、展開も超速い。
原作で詳細や背景を知っていても戸惑うので、原作を知らないとストーリーは全く何がなんだかわからないかもしれない。
インターネットから夢の世界へ移行する等、現実と夢との境界線も初めから曖昧だし。
でも、ストーリーうんぬんよりもとにかく緻密で豪華絢爛であっと驚く映像表現に飲み込まれっぱなしの90分。
逆さまでのパプリカの初登場シーンやらクレジットタイトルで重力も時間も次元も全て超越して軽やかにスキップするパプリカ等、冒頭数分でがっちりつかまれるから。
今敏は『千年女優』しか見ていないのだが、夢と現実の境目が曖昧になったカオスは『千年女優』もそうだったな。
それもそのはず、今敏曰く「実はその、『PERFECT BLUE パーフェクト ブルー』にしろ『千年女優』にしろ、なぜそういうものを作っていたかというと、パプリカみたいなことをやりたかったんですよ、本当は。」とのこと。
これまで培った技術と経験を本題の『パプリカ』に全てぶち込んだような感じか。正に集大成のような作品だ。
映像、音楽と全てにおいて満足だったが、強いて言えば個人的に声優さんの声がちょっと馴染めなかったかな。
林原めぐみと古谷徹。
久しぶりに小説を読み直そうとして部屋中探したのだけど、どうしても見つからない。
捨てたり売ったりなんかしていないから、無いわけが無いのだが、夢のように消えてしまった。
BS2 録画
![パプリカ [DVD]](http://ecx.images-amazon.com/images/I/51ye6QvtWAL.jpg)
もうちょこちょこやばい瞬間が続いて、我慢していたけど最後の方で唐突にパプリカが現れた時に泣いてしまう。
これは本当面白い。
今年8月に亡くなってしまった今敏の2006年の作品。
何ヶ月か前に追悼で放映していたのを録画しそびれて悔しかったところ、クリスマスにまた放映してくれたので今度はしっかり録画した。
原作は筒井康隆で、2,3年前に読んでからずっと映画版を見たかった。
原作より登場人物が少なく、展開も超速い。
原作で詳細や背景を知っていても戸惑うので、原作を知らないとストーリーは全く何がなんだかわからないかもしれない。
インターネットから夢の世界へ移行する等、現実と夢との境界線も初めから曖昧だし。
でも、ストーリーうんぬんよりもとにかく緻密で豪華絢爛であっと驚く映像表現に飲み込まれっぱなしの90分。
逆さまでのパプリカの初登場シーンやらクレジットタイトルで重力も時間も次元も全て超越して軽やかにスキップするパプリカ等、冒頭数分でがっちりつかまれるから。
今敏は『千年女優』しか見ていないのだが、夢と現実の境目が曖昧になったカオスは『千年女優』もそうだったな。
それもそのはず、今敏曰く「実はその、『PERFECT BLUE パーフェクト ブルー』にしろ『千年女優』にしろ、なぜそういうものを作っていたかというと、パプリカみたいなことをやりたかったんですよ、本当は。」とのこと。
これまで培った技術と経験を本題の『パプリカ』に全てぶち込んだような感じか。正に集大成のような作品だ。
映像、音楽と全てにおいて満足だったが、強いて言えば個人的に声優さんの声がちょっと馴染めなかったかな。
林原めぐみと古谷徹。
久しぶりに小説を読み直そうとして部屋中探したのだけど、どうしても見つからない。
捨てたり売ったりなんかしていないから、無いわけが無いのだが、夢のように消えてしまった。
2010年12月23日木曜日
映画『小さな村の小さなダンサー』
2009年 監督:ブルース・ベレスフォード
at ギンレイホール

2000年に製作の『北京の自転車』と併映するってことは同じ監督なのかと期待してみたものの、撮り方があまりに普通すぎるのでがっくりする。
監督は『ドライビング Miss デイジー』とか撮っている人だな。
中国人ダンサー、リー・ツンシンの半生を追った映画で、舞台は中国とヒューストンが主だが、製作はオーストラリア。
毛沢東の文化政策によって11歳にして両親と引き離されたリー・ツンシンと舞踏学校の仲間達に「こんなとこ嫌いだ」と言わせ、優しかったチェン先生は反革命分子として捕らえられ、アメリカ人が毛沢東をミャア主席と呼び、まるでアフリカの原住民が都会に出てきたかのように描き、資本主義を礼賛し、中国領事館は国際的に非難されるような非常識な行動を取り、リーの母親は「お前達が幼い息子を私達から奪ったんじゃないか!」と叫びってそんなの中国で製作が許可されるわけないか。
主演は英国バーミンガム・ロイヤル・バレエ団のプリンシパル、ツァオ・チーで、バレエシーンは本格的に堪能できる。
ちなみに青年時代はメルボルンのオーストラリア・バレエ団の中国人ダンサーで、少年時代は中国体育学校出身の少年が演じている。
両親との十数年ぶりの感動の再会シーンではリーが遠目から見ると衣装が白いブリーフ一丁で踊っているようで、これでいいのか、と思うが「本格的」なのでいいのだろう。
父親が「なんで裸なんだ?」と突っ込み「こういう演出なんだよ」というやり取りもあり。
母親の涙にはぐっとくる。
息子はブリーフだけどね。
江青により推進された「模範的」バレエはこの映画で見る限りなかなか面白かった。
原題はMAO'S LAST DANCER。
理不尽な事には徹底的に抗う弁護士が頼もしくもあり、映画としてはつまらなくもある(『北京の自転車』を見た後だからなおさらに)。
at ギンレイホール

2000年に製作の『北京の自転車』と併映するってことは同じ監督なのかと期待してみたものの、撮り方があまりに普通すぎるのでがっくりする。
監督は『ドライビング Miss デイジー』とか撮っている人だな。
中国人ダンサー、リー・ツンシンの半生を追った映画で、舞台は中国とヒューストンが主だが、製作はオーストラリア。
毛沢東の文化政策によって11歳にして両親と引き離されたリー・ツンシンと舞踏学校の仲間達に「こんなとこ嫌いだ」と言わせ、優しかったチェン先生は反革命分子として捕らえられ、アメリカ人が毛沢東をミャア主席と呼び、まるでアフリカの原住民が都会に出てきたかのように描き、資本主義を礼賛し、中国領事館は国際的に非難されるような非常識な行動を取り、リーの母親は「お前達が幼い息子を私達から奪ったんじゃないか!」と叫びってそんなの中国で製作が許可されるわけないか。
主演は英国バーミンガム・ロイヤル・バレエ団のプリンシパル、ツァオ・チーで、バレエシーンは本格的に堪能できる。
ちなみに青年時代はメルボルンのオーストラリア・バレエ団の中国人ダンサーで、少年時代は中国体育学校出身の少年が演じている。
両親との十数年ぶりの感動の再会シーンではリーが遠目から見ると衣装が白いブリーフ一丁で踊っているようで、これでいいのか、と思うが「本格的」なのでいいのだろう。
父親が「なんで裸なんだ?」と突っ込み「こういう演出なんだよ」というやり取りもあり。
母親の涙にはぐっとくる。
息子はブリーフだけどね。
江青により推進された「模範的」バレエはこの映画で見る限りなかなか面白かった。
原題はMAO'S LAST DANCER。
理不尽な事には徹底的に抗う弁護士が頼もしくもあり、映画としてはつまらなくもある(『北京の自転車』を見た後だからなおさらに)。
映画『北京の自転車』
2000年 監督:ワン・シャオシュアイ
at ギンレイホール
ギンレイの受付で財布からカードを出して差し出したら受け取ろうとした従業員さんから「カードが違います」と言われ、差し出した自分の右手につまんでいるカードに目を落とすとPASMOだった。
慌ててギンレイの会員カードを取り出して渡す。
恥ずかしい。
![北京の自転車 [DVD]](http://ecx.images-amazon.com/images/I/51RPaGXNHGL.jpg)
前回ギンレイに来た時この映画の予告編は流れなかったから全く内容が分らないまま見始める。
いやぁー、面白い。
期待感も何もないまま見た映画が驚くほど面白かった時ほど興奮することはないよなぁ。
今年観た映画のNo.1にしよう。
山西省から北京に出稼ぎにやって来たグイ(ツイ・リン)は自転車宅配便の仕事にありつく。
今まで乗ったことも見たことも無いかっこいい高級マウンテンバイクが支給され、しかも宅配の点数をかせぐとその自転車は自分のものになるという。
北京を走り回り、あと少しで自分のものになるという所で自転車が盗まれてしまう。
盗まれた自転車は高校生のジェン(リー・ビン)が乗っていた。
一応不良のカテゴリーに入ると思われる青春を謳歌する高校生ジェン。
そして頑固だけど真面目で純朴なグイ。
隣のマンションの裕福な高嶺の花の女性をじっと見つめて、向こうが気付くとさっと目をそらすばればれな行動を何度も繰り返す純朴なグイなんだよ。
そんな自転車が盗まれて仕事もクビになってしまった可哀想なグイと比較するとジェンに対しては怒りしか湧いてこない。
ジェンがまたむかつく顔してるんだな。
もう見つけ次第ぼこぼこにしてくれることを祈る。
なのになんだ、グイは自分の自転車を見つけてしげしげと見渡していたところ、怒りの形相で追っかけてきたジェンを見た途端、殴りかかるでもなく自転車に乗って一目散に逃げ出すではないか。
「おい!まて!ドロボー!!」
この逃げるシーンがなかなかいい。
低いギアでしゃかしゃか漕ぐグイと全力疾走のグイ、そこから高スピードの危うい緊張→静止→ユーモア→激しい怒り、と怒涛の展開をする。
もう怒りだよ怒り。映画観てこんなに怒ったことは無いってくらいの怒り。本当むかつく。
同級生の不良仲間とつるんで遊んでいるジェンは痩せ型で背も高くない。
不良仲間も皆弱っちそう。
一人ガタイのいいやつがいるけど、中分け眼鏡のただのデブだ。
そんななんちゃって不良仲間に取り囲まれて恐怖で手も足も出ないグイのなんて哀れなことか。
社会人が高校生ごときガキどもに理不尽な仕打ちを受けるのだ。
哀れというか情けない。
でも最初は気付かなかったけど、社会人といってもどうやらグイはこの高校生と同い年くらいらしい。
この年でもう働くグイと高校に通う裕福な不良という対決。
裕福といってもジェンの家庭はかなりの貧乏で小学生の義妹の進学費やらなんやらでいつまで経っても父親からマウンテンバイクを買ってもらえない。
友達がマウンテンバイクに乗って遊んでいるのをいつも傍から見ているだけだった。
都市部、農村部での貧富の差はむろんのこと、都市部の中でもいろんな貧富の層がある。
警察にでも行けばいいものを、貧困層は警察を利用することすらできないのか知らないが、とにかくあまりに理不尽な仕打ちにも泣き寝入りするしかない。
しかしジェンの自転車に対する執着心は異常だった。
もう頑固とかいうレベルじゃないくらい自転車に固執している。
愛だね、これは。
その異常な愛の結果、グイとジェンの間である折衷案が取り交わされ実践される。
そんなんでいいのかよというような取引だけど、そのおかげでお互い関わることのなかったであろう二人の間に友情とも違う密かな連帯感が生まれる。
そして悲しみのラストへ。
なんかあんなにむかついていたジェンがかっこよく見えてくる。
それにしてもラストで見張り役のような不良が自転車を執拗に蹴りつける姿が滑稽だ。
怒りの矛先を直接当人に当てずに物に当たっている、という訳でもないけど、とにかく物に当たる姿っていうのは滑稽以外の何者でもない。
昔図書館の閲覧室で勉強しているとくっちゃべっているカップルに切れたらしい中学生が壁やドアを蹴りながら退出していって、特に気にもしていなかったが閉館時間になって帰ろうとしたら僕の自転車が倒れている上に前かごがぐちゃぐちゃにひん曲がっている。
きっとあの切れた中学生の仕業に違いない。
っていうのをふと思い出した。
この映画の不良もきっと日々の生活で溜まる怒りがあってそれを執拗なまでに自転車に当たっていたのだろう。
エンドロールを見ていると、2000年という文字が見える。
10年前じゃん。
2001年にベルリン国際映画祭銀熊賞を取っているらしい。
なんでも広電総局の管理部門が批准した脚本に沿わなかったため、長らく上映禁止になったとのこと。
監督はワン・シャオシュアイでいわゆる中国の第6世代の監督。
at ギンレイホール
ギンレイの受付で財布からカードを出して差し出したら受け取ろうとした従業員さんから「カードが違います」と言われ、差し出した自分の右手につまんでいるカードに目を落とすとPASMOだった。
慌ててギンレイの会員カードを取り出して渡す。
恥ずかしい。
![北京の自転車 [DVD]](http://ecx.images-amazon.com/images/I/51RPaGXNHGL.jpg)
前回ギンレイに来た時この映画の予告編は流れなかったから全く内容が分らないまま見始める。
いやぁー、面白い。
期待感も何もないまま見た映画が驚くほど面白かった時ほど興奮することはないよなぁ。
今年観た映画のNo.1にしよう。
山西省から北京に出稼ぎにやって来たグイ(ツイ・リン)は自転車宅配便の仕事にありつく。
今まで乗ったことも見たことも無いかっこいい高級マウンテンバイクが支給され、しかも宅配の点数をかせぐとその自転車は自分のものになるという。
北京を走り回り、あと少しで自分のものになるという所で自転車が盗まれてしまう。
盗まれた自転車は高校生のジェン(リー・ビン)が乗っていた。
一応不良のカテゴリーに入ると思われる青春を謳歌する高校生ジェン。
そして頑固だけど真面目で純朴なグイ。
隣のマンションの裕福な高嶺の花の女性をじっと見つめて、向こうが気付くとさっと目をそらすばればれな行動を何度も繰り返す純朴なグイなんだよ。
そんな自転車が盗まれて仕事もクビになってしまった可哀想なグイと比較するとジェンに対しては怒りしか湧いてこない。
ジェンがまたむかつく顔してるんだな。
もう見つけ次第ぼこぼこにしてくれることを祈る。
なのになんだ、グイは自分の自転車を見つけてしげしげと見渡していたところ、怒りの形相で追っかけてきたジェンを見た途端、殴りかかるでもなく自転車に乗って一目散に逃げ出すではないか。
「おい!まて!ドロボー!!」
この逃げるシーンがなかなかいい。
低いギアでしゃかしゃか漕ぐグイと全力疾走のグイ、そこから高スピードの危うい緊張→静止→ユーモア→激しい怒り、と怒涛の展開をする。
もう怒りだよ怒り。映画観てこんなに怒ったことは無いってくらいの怒り。本当むかつく。
同級生の不良仲間とつるんで遊んでいるジェンは痩せ型で背も高くない。
不良仲間も皆弱っちそう。
一人ガタイのいいやつがいるけど、中分け眼鏡のただのデブだ。
そんななんちゃって不良仲間に取り囲まれて恐怖で手も足も出ないグイのなんて哀れなことか。
社会人が高校生ごときガキどもに理不尽な仕打ちを受けるのだ。
哀れというか情けない。
でも最初は気付かなかったけど、社会人といってもどうやらグイはこの高校生と同い年くらいらしい。
この年でもう働くグイと高校に通う裕福な不良という対決。
裕福といってもジェンの家庭はかなりの貧乏で小学生の義妹の進学費やらなんやらでいつまで経っても父親からマウンテンバイクを買ってもらえない。
友達がマウンテンバイクに乗って遊んでいるのをいつも傍から見ているだけだった。
都市部、農村部での貧富の差はむろんのこと、都市部の中でもいろんな貧富の層がある。
警察にでも行けばいいものを、貧困層は警察を利用することすらできないのか知らないが、とにかくあまりに理不尽な仕打ちにも泣き寝入りするしかない。
しかしジェンの自転車に対する執着心は異常だった。
もう頑固とかいうレベルじゃないくらい自転車に固執している。
愛だね、これは。
その異常な愛の結果、グイとジェンの間である折衷案が取り交わされ実践される。
そんなんでいいのかよというような取引だけど、そのおかげでお互い関わることのなかったであろう二人の間に友情とも違う密かな連帯感が生まれる。
そして悲しみのラストへ。
なんかあんなにむかついていたジェンがかっこよく見えてくる。
それにしてもラストで見張り役のような不良が自転車を執拗に蹴りつける姿が滑稽だ。
怒りの矛先を直接当人に当てずに物に当たっている、という訳でもないけど、とにかく物に当たる姿っていうのは滑稽以外の何者でもない。
昔図書館の閲覧室で勉強しているとくっちゃべっているカップルに切れたらしい中学生が壁やドアを蹴りながら退出していって、特に気にもしていなかったが閉館時間になって帰ろうとしたら僕の自転車が倒れている上に前かごがぐちゃぐちゃにひん曲がっている。
きっとあの切れた中学生の仕業に違いない。
っていうのをふと思い出した。
この映画の不良もきっと日々の生活で溜まる怒りがあってそれを執拗なまでに自転車に当たっていたのだろう。
エンドロールを見ていると、2000年という文字が見える。
10年前じゃん。
2001年にベルリン国際映画祭銀熊賞を取っているらしい。
なんでも広電総局の管理部門が批准した脚本に沿わなかったため、長らく上映禁止になったとのこと。
監督はワン・シャオシュアイでいわゆる中国の第6世代の監督。
2010年12月13日月曜日
12月INFO
- BS2 12月13日(月) 午後9:00~10:50
- サイコ 1960年・アメリカ PSYCHO
〔監督〕アルフレッド・ヒッチコック - BS2 12月14日(火) 午後1:00~2:49
- 疑惑の影 1942年・アメリカ
〔監督〕アルフレッド・ヒッチコック - BS2 12月15日(水) 午後9:00~10:57
- フレンジー 1972年・イギリス
〔監督〕アルフレッド・ヒッチコック - BS2 12月20日(月) 午後1:00~2:31
- 勝手にしやがれ 1959年・フランス
〔監督・脚本〕ジャン・リュック・ゴダール - BS2 12月22日(水) 午後2:30~2:59
- ラ・ジュテ 1962年・フランス
〔監督・脚本〕クリス・マルケル - BS2 12月24日(金) 午前0:15~2:16 (23日深夜)
- 奇跡 1955年・デンマーク
〔監督・脚本〕カール・ドライヤー - BS2 12月24日(金) 午後1:00~3:16
- 太陽に灼かれて 1994年・ロシア/フランス
〔製作・監督・脚本〕ニキータ・ミハルコフ - BShi 12月26日(日) 午後3:30~4:54
- アフガン零年(ぜろねん) 2003年・アフガニスタン/日本/アイルランド
〔製作・監督・脚本〕セディク・バルマク
ヒッチコックは他にも何本かあります。
他、ジャン・ギャバン、アラン・ドロンの共演特集とか。
新聞取ってない代わりに毎月月間のテレビ雑誌を買っていたけど、引っ越してから一回も買っていない。
民放で放映される映画がノーカットかどうかの情報が雑誌が無いから分らなくなってしまった。
ネットで調べてもカットの有り無しという一番重要な情報を載せてくれているページが見つからないんだよなぁ。
そういえば昨日コタツ出した。
毎年記録として書いているから一応。
2010年12月9日木曜日
映画『ヴェラクルス』
1954年 監督:ロバート・アルドリッチ
BS2 録画
![ヴェラクルス [DVD]](http://ecx.images-amazon.com/images/I/51vDpG6T2vL.jpg)
バート・ランカスターのこの胡散臭い笑み!
怒りも照れも賞賛も裏切りも全て一つの笑みで表現するという胡散臭さ。
ただでさえ色黒なのに黒い服に身を包んで不適な笑みを浮かべるから白くない歯が白く見える。
南北戦争直後のメキシコ、南軍の敗将ベン・トレーン(ゲイリー・クーパー)は雇い主を求めてさまよっていた。
そんな折、ならず者のジョー・エリン(バート・ランカスター)と出会う。
二人は組んでマクシミリアン皇帝から護衛の仕事を得る。
伯爵令嬢のマリーが乗る馬車をヴェラクルスの港まで送り届けるという仕事だったが、実はこの馬車には大金が隠されており、革命軍が狙っていた。
危険な行程。
さらには大金をねこばばしようとするマリー、ベン、ジョーの騙しあい。
なかなか面白い。
どこからともなく遠くの高所に大量に出現する革命軍が不気味。
ロケ地メキシコでピラミッド等が映っている。
テオティワカンの遺跡?
ピラミッドにもしっかり一行を見下ろす革命軍が。
調べていたらラストの決闘に面白い事実があった。
ガンマンは拳銃の重さから実弾が残っているかを判断できるそうだ。
この映画の決闘の勝者は、敗者の拳銃を手に取った後に怒りの表情で投げ捨てるのだけど、投げ捨てる前に確かに重さを確かめるような仕草をしている。
弾が入ってなかったってこと?
いや、発砲したのだから無くなるのは当然だしなぁ。
実は空砲で空砲の薬莢を重さで認識したのか。
いや、そんな都合よく空砲が入っているわけ無いし。
銃の仕組みがよく分らないのでなんとも判別できないけど、敗者が実は勝者を殺す気が無かったっていう設定の方がかっこいいな。
その事実を勝者は銃の重さで気付いて怒りの表情をするという。
ゲイリー・クーパーはその存在感だけで十分意義があるが、一発殴ったら相手が遠くまで吹っ飛ぶほどの腕力があるように見えない。
役柄としても南部紳士で善人っていうのが憎めない悪役のバート・ランカスターを引き立たせる役のように思える。
それでもバート・ランカスターにぎりぎりのところで食われないでいるのは大スターゲイリー・クーパーだからか。
端役でチャールズ・ブロンソンが出ている。髭が無い。
アーネスト・ボーグナインも出ている。『ポセイドン・アドベンチャー』のロゴ刑事。
=====
これ、録画したのが2005年5月30日。
アナログのHDDレコーダーにはまだまだ見ていない映画がたくさん残っている。
地デジの液晶で見ると本当画質が汚いんだよなぁ。
それと、既に見たけどDVDに焼こうと残している映画が20本くらいあって、これをどうするかも微妙。
再生すると綺麗に表示されないのが分っていてDVDに焼く気にはなれない。
これから何年もかけてBSで放映してくれるのを待つかな。
BS2 録画
![ヴェラクルス [DVD]](http://ecx.images-amazon.com/images/I/51vDpG6T2vL.jpg)
バート・ランカスターのこの胡散臭い笑み!
怒りも照れも賞賛も裏切りも全て一つの笑みで表現するという胡散臭さ。
ただでさえ色黒なのに黒い服に身を包んで不適な笑みを浮かべるから白くない歯が白く見える。
南北戦争直後のメキシコ、南軍の敗将ベン・トレーン(ゲイリー・クーパー)は雇い主を求めてさまよっていた。
そんな折、ならず者のジョー・エリン(バート・ランカスター)と出会う。
二人は組んでマクシミリアン皇帝から護衛の仕事を得る。
伯爵令嬢のマリーが乗る馬車をヴェラクルスの港まで送り届けるという仕事だったが、実はこの馬車には大金が隠されており、革命軍が狙っていた。
危険な行程。
さらには大金をねこばばしようとするマリー、ベン、ジョーの騙しあい。
なかなか面白い。
どこからともなく遠くの高所に大量に出現する革命軍が不気味。
ロケ地メキシコでピラミッド等が映っている。
テオティワカンの遺跡?
ピラミッドにもしっかり一行を見下ろす革命軍が。
調べていたらラストの決闘に面白い事実があった。
ガンマンは拳銃の重さから実弾が残っているかを判断できるそうだ。
この映画の決闘の勝者は、敗者の拳銃を手に取った後に怒りの表情で投げ捨てるのだけど、投げ捨てる前に確かに重さを確かめるような仕草をしている。
弾が入ってなかったってこと?
いや、発砲したのだから無くなるのは当然だしなぁ。
実は空砲で空砲の薬莢を重さで認識したのか。
いや、そんな都合よく空砲が入っているわけ無いし。
銃の仕組みがよく分らないのでなんとも判別できないけど、敗者が実は勝者を殺す気が無かったっていう設定の方がかっこいいな。
その事実を勝者は銃の重さで気付いて怒りの表情をするという。
ゲイリー・クーパーはその存在感だけで十分意義があるが、一発殴ったら相手が遠くまで吹っ飛ぶほどの腕力があるように見えない。
役柄としても南部紳士で善人っていうのが憎めない悪役のバート・ランカスターを引き立たせる役のように思える。
それでもバート・ランカスターにぎりぎりのところで食われないでいるのは大スターゲイリー・クーパーだからか。
端役でチャールズ・ブロンソンが出ている。髭が無い。
アーネスト・ボーグナインも出ている。『ポセイドン・アドベンチャー』のロゴ刑事。
=====
これ、録画したのが2005年5月30日。
アナログのHDDレコーダーにはまだまだ見ていない映画がたくさん残っている。
地デジの液晶で見ると本当画質が汚いんだよなぁ。
それと、既に見たけどDVDに焼こうと残している映画が20本くらいあって、これをどうするかも微妙。
再生すると綺麗に表示されないのが分っていてDVDに焼く気にはなれない。
これから何年もかけてBSで放映してくれるのを待つかな。
2010年12月5日日曜日
見終わって
ギンレイで一本目見た後に席を移動したのだが、2本目が始まる直前に文庫本を前の席の床に置き忘れていたことに気付く。
まあ、2本目終わったら取りに行こうと思って特に気にせず。
2本目終わって前の席に行ってみると、な、無い~。
言ったり来たり怪しくうろうろするがやっぱり無い。
もしかしたら受付に届いているかも、と思って「あの~、本を置き忘れてしま・・」と言いかけたら従業員が「ああ、これですか」と視線をカウンターに落とすので追うように視線の先を見ると、八重洲ブックセンターのブックカバーの正しく僕の本。
受け取ってそそくさと映画館を後にする。
ところでこの本、久しぶりに読もうと引っ張り出した蓮實重彦の本なんだよね。
他の場所ならともかく映画館で蓮實重彦の本を落とすって人によってどう思うか千差万別だと思うけど、いずれにしろなぜだか気恥ずかしい。
その後BOOK OFFに行く。
最近FNS歌謡祭でTOKIOやV6が光GENJIの「Graduation」を歌っていて、何の思い入れもないのに懐かしさに切ない気持ちになる。
作詞:飛鳥涼 作曲:CHAGE。
名曲だわー。
ということでチャゲアスのCDでも探そうかとCDの250円コーナーを見ていたら、もう解散したバンド、ジムノペディ『雨、所により花吹雪』がしれっと置いてあるのを見つける。
新品なみに綺麗。
もう慌てて確保した。
チャゲアスのCDはいっぱい置いてあったけど、よくよく考えると基本的にカセットテープで一通り持っているんだよなと思ってやめる。デッキがないから再生できないが。
ついでに普通価格の洋楽コーナーも見ていたらデイブエドモンズの紙ジャケットがたくさん置いてある。
こんな紙ジャケット見たことないぞ。
ジャケット見てみると2008年に発売になっている。
昔は中古CDショップ行ってもデイブエドモンズのCDはめったに置いてなくて(新品ではいくつかみかけたけど・・)、見つけた時に買うようにしていても数年で海賊版っぽいライブCDを1枚買えただけだというのに、豊かな時代になった。
他にも見ていて「こんなの置いてある」と思うCDは手に取って見ると2008年が多い。
2008年ってなんかあったんだっけ。
中でも緑色の帯がついた同じレーベルから出ているらしきシリーズのCDをよく見かけ、見たこと無いなぁと手に取るとやっぱり2008年。
ネットで調べてみるとこの緑色の帯のCDはSHM-CD(Super High Material CD)とかいう高音質のCDシリーズらしい。
SHM-CDが製品化されたのが2008年。
既存アルバムのSHM-CD化による再販やら独自のベスト版など大量に発売されたのが中古市場に流れてきたということか。
ピーター・フランプトン、ハンブル・パイ、ニューヨーク・ドールズ等々ベスト版になって手に入れやすくなっている。
長い間物色したけど結局『雨、所により花吹雪』だけ購入する。
家帰ってさっそく聞く。
おお、懐かしい。
昔so-netの音楽サービスでこのアルバムを毎日パソコンで聞いていた以来だから8年ぶりくらいか。
ジムノペディはDVDがamazonで超高額になっていて、CDも高騰しているのかと思ったけど今調べてみると普通の値段で売ってるな。
5年前に買ったDVDはまだ開封すらしていないのだが本当いつ見ようか。
そういえば3日にBSハイビジョンでやっていたジャッキー・チェンの『スパルタンX』を録画し忘れた。
まあ、2本目終わったら取りに行こうと思って特に気にせず。
2本目終わって前の席に行ってみると、な、無い~。
言ったり来たり怪しくうろうろするがやっぱり無い。
もしかしたら受付に届いているかも、と思って「あの~、本を置き忘れてしま・・」と言いかけたら従業員が「ああ、これですか」と視線をカウンターに落とすので追うように視線の先を見ると、八重洲ブックセンターのブックカバーの正しく僕の本。
受け取ってそそくさと映画館を後にする。
ところでこの本、久しぶりに読もうと引っ張り出した蓮實重彦の本なんだよね。
他の場所ならともかく映画館で蓮實重彦の本を落とすって人によってどう思うか千差万別だと思うけど、いずれにしろなぜだか気恥ずかしい。
その後BOOK OFFに行く。
最近FNS歌謡祭でTOKIOやV6が光GENJIの「Graduation」を歌っていて、何の思い入れもないのに懐かしさに切ない気持ちになる。
作詞:飛鳥涼 作曲:CHAGE。
名曲だわー。
ということでチャゲアスのCDでも探そうかとCDの250円コーナーを見ていたら、もう解散したバンド、ジムノペディ『雨、所により花吹雪』がしれっと置いてあるのを見つける。
新品なみに綺麗。
もう慌てて確保した。
チャゲアスのCDはいっぱい置いてあったけど、よくよく考えると基本的にカセットテープで一通り持っているんだよなと思ってやめる。デッキがないから再生できないが。
ついでに普通価格の洋楽コーナーも見ていたらデイブエドモンズの紙ジャケットがたくさん置いてある。
こんな紙ジャケット見たことないぞ。
ジャケット見てみると2008年に発売になっている。
昔は中古CDショップ行ってもデイブエドモンズのCDはめったに置いてなくて(新品ではいくつかみかけたけど・・)、見つけた時に買うようにしていても数年で海賊版っぽいライブCDを1枚買えただけだというのに、豊かな時代になった。
他にも見ていて「こんなの置いてある」と思うCDは手に取って見ると2008年が多い。
2008年ってなんかあったんだっけ。
中でも緑色の帯がついた同じレーベルから出ているらしきシリーズのCDをよく見かけ、見たこと無いなぁと手に取るとやっぱり2008年。
ネットで調べてみるとこの緑色の帯のCDはSHM-CD(Super High Material CD)とかいう高音質のCDシリーズらしい。
SHM-CDが製品化されたのが2008年。
既存アルバムのSHM-CD化による再販やら独自のベスト版など大量に発売されたのが中古市場に流れてきたということか。
ピーター・フランプトン、ハンブル・パイ、ニューヨーク・ドールズ等々ベスト版になって手に入れやすくなっている。
長い間物色したけど結局『雨、所により花吹雪』だけ購入する。
家帰ってさっそく聞く。
おお、懐かしい。
昔so-netの音楽サービスでこのアルバムを毎日パソコンで聞いていた以来だから8年ぶりくらいか。
ジムノペディはDVDがamazonで超高額になっていて、CDも高騰しているのかと思ったけど今調べてみると普通の値段で売ってるな。
5年前に買ったDVDはまだ開封すらしていないのだが本当いつ見ようか。
そういえば3日にBSハイビジョンでやっていたジャッキー・チェンの『スパルタンX』を録画し忘れた。
映画『やさしい嘘と贈り物』
2008年 監督:ニコラス・ファクラー
at ギンレイホール
![やさしい嘘と贈り物 [DVD]](http://ecx.images-amazon.com/images/I/51nodCKA1GL._SL160_.jpg)
むー、なんだろう。一言で言うと恐ろしくつまらない。
前回のギンレイで予告編を見ていて大体のストーリーは知っていたけど、この予告編って完璧にネタばれしているよねぇ。
最初からそういう「設定」で話が進むのかと思いきや、後半どころか最後の最後でやっとその「設定」が事実として明かされる。
「設定」を匂わすものは随所に現れるものの、明確になるのはラストなのでこれをネタばれと言わずになんというのか。
いや、気持ちは分かる。「老人の恋愛物です」なんて宣伝して人が集まるわけないもんね。劇場に足を運ばせたら勝ちなんだから。
それにそういう「設定」があると知っていなければかったるくて見てられないというのもまた事実だし。
だから個人的にこの予告編に対して文句を言う気持ちは全くない。
オチを知っていようが知るまいがたぶんつまらないものはつまらないと思われるので。
出会いのシーン等でドラマチックにライトアップしたりという演出を懲りずに何度もやったり、スキー場だかどこかで一本の木に二人が背をもたせかけているよさげなシーンはカメラの距離が近すぎるしシーン自体短かすぎる。
ラジオかなんか分からないが毎日変わる音楽の目覚ましがなぜか非常に耳障り。
目覚ましだからそれでいいのかもしれないけど。
目覚める直前の赤や青の煙みたいなCG?とバックに流れる不穏な音がうざいからかな。
この煙みたいなやつはシナプスの消滅を現しているのか。
それにしてもチープだ。
チープってことで考えると、この一昔前のトレンディドラマのようなベタなノリは老齢の初々しい恋と背後に隠れて(隠れてないけど)最後に明るみになる真実を際立たせるための意図的なものだったという可能性も無きにしも非ず、、、とちょっと検索してみると否定的な意見が全く見られないので日和見的に肯定してみる。
主演はマーティン・ランドーとエレン・バースティンという作品に対してもったいない感じの豪華さ。
御年77のエレン・バースティンの可愛らしさが異常。
恋愛物はヒロインが可愛くないと駄目だよねぇ。
その点は軽くクリアしているのでいくらか救いがある。
監督は24歳だったらしい。
at ギンレイホール
![やさしい嘘と贈り物 [DVD]](http://ecx.images-amazon.com/images/I/51nodCKA1GL._SL160_.jpg)
むー、なんだろう。一言で言うと恐ろしくつまらない。
前回のギンレイで予告編を見ていて大体のストーリーは知っていたけど、この予告編って完璧にネタばれしているよねぇ。
最初からそういう「設定」で話が進むのかと思いきや、後半どころか最後の最後でやっとその「設定」が事実として明かされる。
「設定」を匂わすものは随所に現れるものの、明確になるのはラストなのでこれをネタばれと言わずになんというのか。
いや、気持ちは分かる。「老人の恋愛物です」なんて宣伝して人が集まるわけないもんね。劇場に足を運ばせたら勝ちなんだから。
それにそういう「設定」があると知っていなければかったるくて見てられないというのもまた事実だし。
だから個人的にこの予告編に対して文句を言う気持ちは全くない。
オチを知っていようが知るまいがたぶんつまらないものはつまらないと思われるので。
出会いのシーン等でドラマチックにライトアップしたりという演出を懲りずに何度もやったり、スキー場だかどこかで一本の木に二人が背をもたせかけているよさげなシーンはカメラの距離が近すぎるしシーン自体短かすぎる。
ラジオかなんか分からないが毎日変わる音楽の目覚ましがなぜか非常に耳障り。
目覚ましだからそれでいいのかもしれないけど。
目覚める直前の赤や青の煙みたいなCG?とバックに流れる不穏な音がうざいからかな。
この煙みたいなやつはシナプスの消滅を現しているのか。
それにしてもチープだ。
チープってことで考えると、この一昔前のトレンディドラマのようなベタなノリは老齢の初々しい恋と背後に隠れて(隠れてないけど)最後に明るみになる真実を際立たせるための意図的なものだったという可能性も無きにしも非ず、、、とちょっと検索してみると否定的な意見が全く見られないので日和見的に肯定してみる。
主演はマーティン・ランドーとエレン・バースティンという作品に対してもったいない感じの豪華さ。
御年77のエレン・バースティンの可愛らしさが異常。
恋愛物はヒロインが可愛くないと駄目だよねぇ。
その点は軽くクリアしているのでいくらか救いがある。
監督は24歳だったらしい。
映画『瞳の奥の秘密』
2009年 監督:フアン・ホセ・カンパネラ
at ギンレイホール
![瞳の奥の秘密 [DVD]](http://ecx.images-amazon.com/images/I/51n231%2BWuAL.jpg)
刑事裁判所を引退した男ベンハミン(リカルド・ダリン)は25年前の凄惨な事件を題材に小説を書こうとしていた。
当時の職場を訪れるとかつての上司イレーネ(ソレダ・ビジャミル)が彼を迎える。
この年下の上司の女性とベンハミンは何やらただの上司と部下ではなさそうな関係。
そこから過去と現在が交互に描かれ、25年前の事件とは何か、上司との関係は?等々次第に明らかになっていく。。。という書いてしまうとなんてことはない話に思えるけど、これが面白い。
スペイン/アルゼンチン映画。
アルゼンチンでは歴史的大ヒットだったらしい。
冒頭のモザイク?がかった映像とか目のアップとか、なんか芸術志向の監督なのかと思って微妙な感じがしたけど、段々気にならなくなる。
瞳の奥の秘密ってことで、カメラの手前に物や人の後頭部をピンボケ状態で映し出して被写体を覗き見るようなショットが執拗に繰り返され、見る、覗き見るという行為を弥が上にも意識させる演出。
見つめすぎてばれたり、ばれていないはずだったのに靴紐結ぶ行為すら見られていたり、大きく開いた胸元を一心に覗き見たり、見られているから柱の影に隠れてたり、見られたり聞かれたりするからドアを閉めようとしたり、見られていることを意識して銃を見せたり、見られることを恐れて写真立てを倒したり、覗き見たらでかい檻があったり。
それは誰でもないカメラという視点にまで広げて。
サッカー場のシーンでは犯人を追いかける手持ちカメラの緊迫した1人称視点、そこからいつのまにか誰でもないカメラ視点に移行していたり。
ああ、そう、このサッカー場のシーンの入りってCGなのかなぁ。フィールドから観客席まで上空からビューンとカメラが飛んでいってしかもその一瞬で見事にゴール決めているし。
もう忘れてしまったのだけど冒頭はベンハミンとイレーネだったのかな。
モラレスとリリアナ・コロトだと思っていた。
列車に乗り込む男をただ立ちすくんで放心したように見つめていた女が走り出した列車に意識を取り戻して必死にホームを走って男を追いかける、ってこんな情熱的だったらこの女は男を失った今、もう生きていけないのではないだろうか。
te moからte amoへ。
Aが壊れたタイプライターがそう繋がるか。
at ギンレイホール
![瞳の奥の秘密 [DVD]](http://ecx.images-amazon.com/images/I/51n231%2BWuAL.jpg)
刑事裁判所を引退した男ベンハミン(リカルド・ダリン)は25年前の凄惨な事件を題材に小説を書こうとしていた。
当時の職場を訪れるとかつての上司イレーネ(ソレダ・ビジャミル)が彼を迎える。
この年下の上司の女性とベンハミンは何やらただの上司と部下ではなさそうな関係。
そこから過去と現在が交互に描かれ、25年前の事件とは何か、上司との関係は?等々次第に明らかになっていく。。。という書いてしまうとなんてことはない話に思えるけど、これが面白い。
スペイン/アルゼンチン映画。
アルゼンチンでは歴史的大ヒットだったらしい。
冒頭のモザイク?がかった映像とか目のアップとか、なんか芸術志向の監督なのかと思って微妙な感じがしたけど、段々気にならなくなる。
瞳の奥の秘密ってことで、カメラの手前に物や人の後頭部をピンボケ状態で映し出して被写体を覗き見るようなショットが執拗に繰り返され、見る、覗き見るという行為を弥が上にも意識させる演出。
見つめすぎてばれたり、ばれていないはずだったのに靴紐結ぶ行為すら見られていたり、大きく開いた胸元を一心に覗き見たり、見られているから柱の影に隠れてたり、見られたり聞かれたりするからドアを閉めようとしたり、見られていることを意識して銃を見せたり、見られることを恐れて写真立てを倒したり、覗き見たらでかい檻があったり。
それは誰でもないカメラという視点にまで広げて。
サッカー場のシーンでは犯人を追いかける手持ちカメラの緊迫した1人称視点、そこからいつのまにか誰でもないカメラ視点に移行していたり。
ああ、そう、このサッカー場のシーンの入りってCGなのかなぁ。フィールドから観客席まで上空からビューンとカメラが飛んでいってしかもその一瞬で見事にゴール決めているし。
もう忘れてしまったのだけど冒頭はベンハミンとイレーネだったのかな。
モラレスとリリアナ・コロトだと思っていた。
列車に乗り込む男をただ立ちすくんで放心したように見つめていた女が走り出した列車に意識を取り戻して必死にホームを走って男を追いかける、ってこんな情熱的だったらこの女は男を失った今、もう生きていけないのではないだろうか。
te moからte amoへ。
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