2003年9月15日月曜日

映画『榕樹(ガジュマル)の丘へ』

1998年 監督:フー・ピンリウ
BS2 録画ビデオ




夫は死に息子夫婦は余所で暮らしているために一人で暮らすばあさんと、お手伝いに来る働き者の女性シャンの話。
以前見たことがある。そのときの記録。
2000-03-30
ばあさんがシャンをつれて故郷に帰ったシーンで、丘を登りシャンはよそ見をしているがばあさんは、あっと一瞬で嬉しそうな表情に変わり、シャンはなになにといった感じでばあさんの見ている方に寄り添うようにしながら目を向ける。
するとアングルが変わり、二人が見ている先が映し出されるのだが、そこに絶妙なタイミングで音楽がバーンと入り、えーんと泣いてしまった。

ふいに涙があふれたこのシーンをもう一度見たくて見た。早送りしながら。

しっかしなんで泣いたんだろうなぁ。今見ても泣かない。
それに記憶違いがいくつか。
①ばあさんの表情はそんなに一瞬では変わらない
②指差すほうをカメラが映し出した瞬間に音楽が鳴るのではなく、指差している時点からゆったりと音楽が流れ始める。

ばあさんは孫の顔が見たいが息子夫婦は子供を作ろうとしない。それに、絵の才能がある息子をそそのかして商売を始めさせてこんなに苦労させているという理由で嫁をよく思っていない。自分を一人暮らしさせてお手伝いなんかを勝手に雇って面倒見させようとしていることにも怒っているらしい。
だからやってくるお手伝いをいじめてはやめさせる、の繰り返し。

しかしシャンはめげないしあまり深く気にしない。一生懸命仕事をする。
ほんの少しだけシャンがお手伝いとして慣れ始めた頃に、ばあさんは夫が寂しがっているということで、墓のある夫の故郷へ向かうのである。シャンを連れて。

夫の故郷のある駅に着くが、目印の榕樹の木が見つからない。シャンはおろおろするばあさんに代わり人に道を尋ねる。
意地悪なばあさんも寂しい老婆。シャンの屈託のなさに少しずつ打ち解けてくる。

で、道が合っているかどうか少しの不安を持ちながら、丘を越えたあたりでばあさんが夫の家を見つけて指を指す。顔はゆったりと喜びの顔に変わりながら。
放牧された牛に見とれていたシャンはなになにと首を出してばあさんの顔に近づき、そのまま目線を顔から腕、指、指の指す方、へと移行させる。
このあたりの二人の動きや表情、立ち位置など結構いい。

カメラが指差す方を映すとそこには中国ののどかな田舎の風景と優しく力強い音楽が。

多分僕は、ばあさんの本当嬉しそうな顔とシャンのかわいらしい動きを見てまずぐっときて、そこに流れだしたピアノの音で次のシーンの予感に震え、映し出された田舎の風景と、音に厚みを増して情を盛り立てる音楽のせいで涙が出たのだと思う。
(でもそんなに感動するような風景でもなかったけどなぁ)

このシーンに来るまでいくらか早送りしていたというのと、所詮テレビ画像だから、とも言えるが、結構僕の感性が変わってきていることが確かにあるのだろうな。

結局このシーン以降は早送りせずに普通に見てしまった。

シンプルではあるが結構名作。

ちなみにこのビデオはすぐ『家路』をビデオに撮るために消してしまったので、映画の描写に少し記憶違いがあるかもしれない。

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