2004年12月31日金曜日

映画『血は渇いてる』

1960年 監督:吉田喜重
BS2 録画


血は渇いてる

会社の集団解雇通知の場で、社員の木口(佐田啓二)は拳銃自殺を図る。
「僕はどうなってもかまいません。みんなを首にしないでください」
同僚の金井(織田政雄)が割って入ったために一命を取り留めた木口。
マスコミは社会問題として大きく取り上げる。
この騒動に目をつけたのは生命保険会社のキャリアウーマンのユキ(芳村真理)で、木口を保険会社のコマーシャルタレントとして利用した。
一躍時の人となる木口であったが・・・

いつも俯いてぼそぼそ喋る木口は自分に全く自信がない。
暗く常に思いつめ、人のためと言いつつ彼は自分しか見ていない。
木口が自分で言うように、自殺しようとしたのは皆のためとかではなくて、ただクビが恐ろしかっただけなのね。
有名人になった木口は講演とか行っても言う事は「働いている人がみんな幸せに、なんの心配もなく働けるようになりたい、したいと思っております」とか観念的な事しか言えない。
でも受ける受ける。
たぶん今まで誰からも相手にされなかったのに、多くの人、大衆に必要とされる人間となったことを次第に木口は自覚していき、これまでの人生になかった充実感を感じるようになっていく。
木口の愛が欲しい妻(岩崎加根子)、木口を利用して社会を動かしてやろうという野望を抱くキャリアウーマン、木口の偽善が反吐が出るほど嫌いな冷めた週刊誌記者の原田(三上真一郎)、木口にのっかりそれなりに有名になった金井、等々、木口を中心に様々な人物の感情が歯車をきりきり回していく。

有名になったから変わった、とかいうんじゃなくて、大衆含め各々の人物達のむしろ何も変わらない根本的性質が起こす摩擦の物語。
また冷徹に撮るなぁ。でも結構スタイリッシュ。
監督2作目。

2004年12月30日木曜日

映画『ゴジラ FINAL WARS』

2004年 監督:北村龍平
at 蒲田宝塚


ゴジラ FINAL WARS スタンダード・エディション

何か久しぶりにギンレイ以外の映画館で映画を見てみようと思う。
『珈琲時光』を見たいと思ったが東京じゃもう上映していない。
他に特に見たいのもないし。
ということでいつか行こう行こうと思いつつ行っていなかった蒲田の映画館で映画を見ることにする。
ああ、懐かしい。ここ来るの小学生以来だ。

ゴジラのテーマにロックが割り込んだ軽快なオープニング。
いきなりゴジラと轟天号の対決。そして轟天号と龍みたいなCGマンダの闘いへと続く。
おお、ロックゴジラだ。興奮するねぇ。
と思ったのも束の間、人間ストーリー部分が延々と続く。
ミュータントの松岡昌宏とケイン・コスギがトレーニングで超人的ファイトを見せるが激しいカット割でなにやっているのかさっぱりわからない。
なんで松岡の方が強いの?
笑えたり面白かったりするところは結構あるものの、ちょっと疲れる。

たぶん世界地図に記された大地の98%は日本なんだろうな。
ドン・フライも日本人だったし。いつの間にか水野真紀と恋仲だし。
(ドン・フライの無表情さがクロマティ高校のフレディに見えてしょうがなかった)

時折出てくる怪獣が結構強い。
ラドンなんて何が強いのか今まで分からなかったけど、この映画で超高速で飛ぶ姿は最強だと思わせる。
アンギラスって丸まって回転しながら攻撃できるんだね。こいつも最強じゃん。
でもな、後半復活したゴジラが本当次から次にあっけなく怪獣たちを倒していってしまう。
最強怪獣ヘドラですら登場した瞬間にエビラのついでに放射能火炎であっという間に消滅してしまう姿は夢のはかなさを痛いくらいに突きつけてくれた。

アクション満載のジェットコースタームービーなんだけど、ノリがよかったのはゴジラが登場している部分だけだった気がする。
ここまで無茶苦茶だと俳優が痛い存在になってくるはずだが、なぜか松岡君だけが痛かった。
主役北村一輝は近所の悪ガキがそのまま成長したみたいでかっこいい。北村以外の俳優が演じていたら寒かっただろう。
ドン・フライもかっこいい。演技してんのかしてないのか微妙なところがふてぶてしくて面白い。フライ本人はセリフ喋んないからなぁ。
菊川怜や宝田明や船木誠勝はお笑いキャラだし、水野真紀は思いのほか綺麗だったし、國村隼は渋いし、ケインコスギは痛いどころかかわいそすぎだったし、ってことで松岡君だけが頑張って痛くなっていた。
もちろん松岡君本人がシリアスドラマとして演技していたわけではないのだろうが、もうちょっと適当感があればよかったのだが。適当な映画なんだから。

音楽:キース・エマーソン

2004年12月29日水曜日

映画『涙を、獅子のたて髪に』

1962年 監督:篠田正浩
BS2 録画


幼少の頃の命の恩人である木谷(南原宏司)の元で働く三郎(藤木孝)。
海運業者の木谷の命令で港湾労務者をとりしきる。
日雇いの港湾労務者達はあまりの賃金の安さに組合を結成しようと影で動いていた。
木谷の命令で妨害する三郎。
犬、港のダニと言われようが恩人である木谷を裏切れない。
木谷に対する疑問3割、信奉7割。
三郎はある日野良犬をギャフンと言わすことでユキ(加賀まり子)を助けて恋仲になる。
二人は少年少女のように戯れ未来は明るいと思いきや、会社と港湾労務者の対立は三郎の運命を悲惨に揺り動かし、判明する事実の波は彼の拠り所を悉く奪い去っていく。

オープニングで若者が走るシーンから引き込まれ、タイトルと共に哀愁を帯びながらもどこか冷たいメロディーが被さった時点で泣ける。
確か5・6年前にもこの映画を見ているがやっぱりオープニングの印象が強く残っている。
音楽:武満徹
脚本:寺山修司、水沼一郎、篠田正浩

2004年12月23日木曜日

映画『武蔵と小次郎』

1952年 監督:マキノ雅弘
BS2 録画


新国劇の2枚看板、島田正吾と辰巳柳太郎主演。
荒々しい顔した辰巳が武蔵で素朴な浪人島田が小次郎。
島田の小次郎がこれまた似合ってない気がする。顔でかいし美男子って感じではないからな。
だけど島田のむっつりいやらしい顔と下卑た笑い声、そして首を振って前髪を除ける仕草等の演技が非常に面白いキャラクターになっている。笑っていいのかどうなのかっていう。

一乗寺の決闘から巌流島まで。
つまり大立ち回りから一騎打ちまで、なかなか楽しめるエンターテインメント。
大立ち回りは激しくなく、むしろとろい。
吉岡一門による鉄砲や矢で瀕死の武蔵が数十人もの相手をふらふらと頼りなさげに、だが超人的に一人一人倒していく。紙一重で凄い様式美。ばたくささまでが様式美。
武蔵の激闘をのんびり歩いて近づきながら見つめる島田小次郎。
いつのまにか闘い終えた武蔵にこれまたいつのまにか武蔵の側まで接近していた小次郎は日を改めての決闘を正式に申し込む。
すったもんだあってから巌流島へ。
常に前線にいた武蔵と傍観者だった小次郎との対決。ここでは細川家が傍観者。
この映画、どこもかしこも当事者達から離れたところで誰かしら傍観者がいる。
緊張の場面も何気ないシーンも巧みに分散されながら視線が複雑に脈動して層を成していく。
それは観客の視線までも散漫にする不思議な映像。
巌流島の決闘なんていつ勝負がついたかなんて絶対わかんないよ、あれ。
あ、勝負ついたんだと気づいたときには傍観者の細川家のように遠くから二人の決闘を眺めていたかのような錯覚に陥る。
まあ、そういうわけで面白かった・・・

あ!そうだ。
おでこ広くてつぶらな瞳が可愛いい桂木洋子と、やんわり垂れ気味の目がおそろしく美しく色っぽい淡島千景を忘れちゃいけなかった。
二人とも1955年以降の映画でしか見たことなかったのだけど、女性の若い頃って本当神秘だな。

2004年12月18日土曜日

映画『下妻物語』

2004年 監督:中島哲也
at ギンレイホール


下妻物語 スペシャル・エディション 〈2枚組〉

オープニング見て、やばいついていけそうに無い、と思ったものの次第に慣れてそこそこ面白く見れる。
18世紀ロココをこよなく愛する竜ケ崎桃子(深田恭子)はロリータファッションで田んぼの畦道をとことこ歩く。
~略~
レディースの白百合イチゴ(土屋アンナ)が桃子が販売する"ばったもん"のブランド品を買いに来る。
人間は所詮ひとり、と冷めた桃子につきまとうようになったバリバリ熱血ヤンキーのイチゴ。
と、いう話。

遊び心をめいいっぱい詰め込んでテンポのいいカット割で。

中島哲也って人よく知らなかったから調べてみたら、豊川悦司と山崎努のCM『サッポロ黒ラベル』撮った人なんだね。
そしてドラマ私立探偵濱マイクの第9話「ミスター・ニッポン~21世紀の男~」を撮った人だ。
というか第9話つっても全く記憶になくて、調べてみたら松方弘樹が殺し屋で光浦靖子がSM女王で林家ペー・パー子が出たりしていた回らしい。
16歳の少女カオルからの「私のヒーロー、スギサキを探して」という依頼を受けたマイクだが、って話らしい。
ほとんど思い出せないのだけど、スタイリッシュな感じだったという記憶と笑ったという記憶とさして面白かったわけではないって記憶がある。

映画『世界の中心で、愛をさけぶ』

2004年 監督:行定勲
at ギンレイホール


世界の中心で、愛をさけぶ スタンダード・エディション

一旦スイッチが入れば何処見ても泣いてしまうのかもしれないが。
ああ、セリフがむずがゆい。
ああ、笑わせるシーンがむずがゆい。
とことん置いてけぼりをくってしまう。
高校時代の朔太郎と亜紀の恋愛模様も中途半端にむずがゆいし、髪を梳かしていたら髪の毛がごっそり抜けるというお約束のシーンでは「ロミオ参上」とかいうわけのわからないキャラ設定で朔太郎が登場するし、倒れた亜紀を見た朔太郎が駆けつけつつしゃがむことで床をつつーと滑るシーンが1ミリ秒でも早く側に駆け寄りたい必死さの現われというよりその滑り方が「なんか、かっこよくね?」と感じてしらーっと覚めてしまったり、等々。
しれっとした山崎努やクドカンやマギーやダンディ坂野や天海祐希や杉本哲太や、それに森田芳光までひょっこり出てきたら感動ストーリに酔いしれる気持ちが失せてくる。
電車に乗り遅れて次の電車を待っていたけどまたもや乗るのに失敗して、を何度も繰り返してホームに一人ぽつねんと取り残されているような。
亜紀が死ぬ!っていう一点に向かってひたすら盛り上がっていくなら泣けたのに。
ベタさや、くささや、異分子の混入等感情移入を逸らすようにわざとやってるのかと考えてもみるが、遠い地点でこの映画をひと事のように眺めていたところで何かを見つけることも感じる事もできなかった。
意図的に感情移入を排して実直にひたすら映画とかいうものを追い続けたという痛々しい記録では無い以上、映画の上っ面にすら乗れなかった人間は一体何を楽しめばいいのか。
そうだ、長澤まさみを楽しめばいいのだ。
亜紀を演じた長澤まさみは可愛いのか可愛くないのかよく分からなかったけど、とにかく健康的で魅力的だったな。

感動ストーリーで泣かせるっていうのは至難の技なんだな。
考えてみれば映画見て泣いた事は何度もあるが、感動ストーリーで泣いた記憶がここ数年全く無い。
とことんシンプルに(でもあざとくなく)これでもかと泣かせどころを突いてくれば観念して泣けるはずだが。
眠たげな目で鑑賞していたがなんとか寝ずに頑張る。エンドロールでかくっと寝たが。
前の席に座っていたカップルは終始頭を寄せ合った状態で鑑賞していたが、首は大丈夫だろうか。

2004年12月16日木曜日

映画『ホワイトナイツ/白夜』

1985年 監督:テイラー・ハックフォード
BS2 録画


ホワイトナイツ白夜

ホワイトナイツっていうのは白夜の事なんだけど、冒頭のミハイル・バリシニコフの肉体が恐ろしいほどに真っ白でびっくりする。
いきなりミハイル・バリシニコフのダンスを堪能できる。
でも僕が見たかったのはテレビ雑誌に載っていた白人と黒人が一緒にステップ踏んでダンスしているシーンなのだな。
このシーンを見たいがために昨日見ていたのだけど、結局見れずじまいで寝てしまった。

世界的トップダンサーのニコライ・ロドチェンコ(ミハイル・バリシニコフ)はロンドンから東京へと飛ぶ国際線がコントみたいに電気系統が爆発したためにソ連に不時着する。
ロシアからアメリカに亡命していたニコライはソ連の地に降り立つ事だけはなんとしてでも避けたかったのだが、落ちる事しかできなくなった飛行機内ではパスポート等身柄が割れるものを引き裂く事しかできなかった。
シベリア、そしてレニングラードで軟禁されるニコライ。
彼の監視役をするのがレイモンド(グレゴリー・ハインズ)とその妻ダーリャ(イザベラ・ロッセリーニ)だった。
タップダンサーのレイモンドはアメリカ人だがアメリカの政策に失望してロシアに亡命した人物。

もっとダンスシーン見たいな。バレエダンサーのニコライとタップダンサーのレイモンドが一緒に踊るシーンは良かったんだけどもっとたくさん見せてくれたっていいじゃない。ちょっとしかないし。

2004年12月15日水曜日

映画『激突!』

1972年 監督:スティーヴン・スピルバーグ
BS2


激突! スペシャル・エディション

なんとなくテレビをつけっ放しにして『愛と希望の街』の感想を書いていたのだけど、ちらちら見ているうちに面白かったから最後30分程専念して見た『激突!』。
スピルバーグの映画デビュー作にして悲しい事にスピルバーグ最高傑作、などと言われたりもする作品。
車を飛ばす普通のサラリーマンがハイウエイで謎の巨大タンクローリーに襲われるってだけなのだが。
様々な位置にカメラを据えてスピードと恐怖を煽る。
本当しつこいトラックだ。トラックに襲われるっていう主題一つだからしつこいのは当然だが、飽きないところが凄いところ。
ひと気のないハイウエイ上で狂気のトラック運転手によって精神を摩滅させられていく主人公。
襲われている、という証拠がないだけにどうすることもできないいらだちが募る。
でも狂気がエスカレートしていくに従い、恐怖が増すと同時に頼りないながらも数人の目撃者を得るのね。
これでなんとかトラック運転手を捕まえられるかと思っていたら、えっ、そんな結末かい。
シンプルに面白く、でいくならこれは完全勝利だからいいか。


『激突!』見終わった後、こたつから出たくなくてそのまま『ホワイトナイツ 白夜』を見る。
でももう寝なきゃいけないから途中から録画して寝る。

映画『愛と希望の街』

1959年 監督:大島渚
BS2 録画


愛と希望の街

ああ、62分しかない小品だけど『青春残酷物語』より充実して面白かったな。
成績優秀かつ清廉な好青年だがどうしようもないほどの貧乏な中学生と、東洋精器の重役の娘で"ブルジョワ"な生活を送る女子高生が出会う。(この二人による恋愛物ではない)
貧乏暮らしと裕福な生活を送る人間が寄り合っているかのように見せかけてその実それぞれが全く別の人種かのように不協和音を奏でる。
所詮別の人種か。結局のところ自分の信念と存在を維持する事が一番大事で、ひとりよがりな自己憐憫には透けてしまった偽善の皮膜がぴったり張り付いている。
偽善と偽善から透けて覗く素顔が悲しかったり醜かったり残酷だったり。
根本的に分かり合えない人と人の接触は危うい不安感に満ち満ちていて、ちょっとつつけばそれだけで映画が崩壊しそう。
怒りと悲しみをこめた表情のアップが緊張を伴なって交互に映し出されれば、交わされているだろう視線の中間部分で遂に決定的な決別と崩壊がやってくる。
後は映画が斜めに滑り落ちて、鳩が力なく落下するのを待つだけ。

そもそもどっからどうみても"ブルジョワ"に見えないおばさんくさい声してジャイ子のような女性が高校2年だとかぬけぬけとぬかした時点で意識下に妙な不安定感が植えつけられるんだよな。

2004年12月12日日曜日

映画『青春残酷物語』

1960年 監督:大島渚
BS2 録画


青春残酷物語

高橋三千綱の小説に『掠奪の初夏』(1987)という作品がある。
高校生の頃何度も読み返し、最近ふと思い出して数年ぶりに読んだ。
この小説の主人公太郎とアイが満員電車に別々に乗り込み、アイが痴漢にあったところで太郎が飛び出し痴漢をこらしめる、というくだりがある。
こらしめる、というか"悪"に制裁を加える建前でいわゆるかつあげをしているのだが。
『青春残酷物語』では桑野みゆきがタクシー代わりに中年紳士の車に乗り込み家まで送ってもらう。
後をバイクでつける川津祐介。
中年が若い桑野みゆきをホテルに連れ込もうとしたところで川津が他人の振りして近づき、制裁を加えた上で金を巻き上げる。
僕は勝手に70年代頃の映画と勘違いして見ていて、ふと考えれば川津祐介も桑野みゆきも久我美子もみんな若いし、それに安保って60年の方なんだな。
常にやり場の無い怒りを溜めて何に対しても破壊的で無力な若い青年と行き場も無く街をふらつくかどんなにひどい扱いをされようが男に居場所を求める事しかできない悲しい少女を描いた残酷物語。
とはいえ、結構さらっと見てしまった。
残酷さが全てさらっと描かれるし。
そのさらっと感が恐ろしかったりぽけーっとしてしまったり。特にラストの2つのショットの突然の結合と音響には放心する。

さて、なんで『掠奪の初夏』の話を出したかと言うと、ただ興味で刊行年を調べていたら、なんとこの小説が『嵐の季節』というタイトルで1995年に映画化されていたのね。
セリフ回しや背景がくすぐったいくらいに80年代だからもう映画化は厳しいだろうなと考えながら最近読んでいたけど95年かぁ。
監督高橋玄。主演高嶋政宏に田中有紀美。
見たいような見たくないような。
・・・gooであらすじ読んでみたら大分脚色されてるな。やーめたっと。

こたつ

さむい。
こたつをだした。
みかんいちめんにかびがはえていた。

2004年12月11日土曜日

真鶴

会社の人と計6人で神奈川の真鶴に行く。
真鶴遊覧船に乗る。
貴船神社に行く。
船盛り食う。
ラドン温泉に入る。
蒲田に戻ってラーメン食う。

2004年12月5日日曜日

映画『秋津温泉』

1962年 監督:吉田喜重
BS2 録画


秋津温泉

むかむかむかー!
長門裕之め。
・・・ぶつぶつ。

戦時中、結核に苦しみ自暴自棄になっている一人の青年(長門裕之)が秋津温泉に流れ着く。
そこには健康的によく笑う快活な少女(岡田茉莉子)がいた。
少女に命を救われ、生きる希望を持った青年であったが・・・

岡田茉莉子の魅力を四方八方から映し出す岡田茉莉子映画。

はぁ~・・・
岡田茉莉子も映像も、くどいくらいに流れるテーマミュージックもストーリーも、全てにおいて哀感の溜息が漏れる。
ああ、悲しい。岡田茉莉子の燃える情熱も痛々しい幸せのひと時も燃え尽きた空ろさも、全て悲しい。
女が女であること、女が最も美しく輝くこと、そのとき男はどうしようもなくしょうもないこと。

2004年12月4日土曜日

映画『スキャンダル』

2003年 監督:イ・ジェヨン
at ギンレイホール


スキャンダル

ヨン様がこっちに振り向いた!って言って涙流すファンが、裸でへこへこ腰動かすヨン様見て失神しないか心配。
何度も映画化されたラクロの「危険な関係」が原作。
冬のソナタを見ていないため僕はこれが初ペ。
最初の方がかったるくて寝てしまったのだが後半からそこそこ面白い。
女性をどうやって口説き落としてやれるか、ということを最高に楽しいゲームとして遊ぶ好色の貴族がペ。
メガネのイメージしかなかったから暫くペだと気づかなかった。
なかなか面白い役者ですね。佇まいが様になっているし。
格闘シーンなども上手い事編集してあるのを差し引いてもなかなか見せてくれる。

映画『永遠の片想い』

2003年 監督:イ・ハン
at ギンレイホール


永遠の片想い

美人二人に挟まれた男が一人。
プラトニックかレズビアンか強く引き付けあった友情か、泣けるメロドラマ。
ノスタルジックに悲観的に、郷愁と切なさの中から浮かび上がった純に強い愛情にころっと泣ける、のだろう。
煙草で荒みきった僕の胸からはこみ上げてくる感情がほとんど無かったというどこかさみしい気持ちにさせてくれる映画であった。

男は『猟奇的な彼女』のチャ・テヒョン。
確かに一目ぼれはありうるなと思わせる清楚で小鳥のような女性が『ラブストーリー』のソン・イェジン。
いつも明るく最終的にはソン・イェジンの心も外見も観客の心も一身に取り込んでしまった女性が『ブラザーフッド』のイ・ウンジュ。
イ・ウンジュは時折松居直美に見えた。

2004年11月28日日曜日

映画『告白的女優論』

1971年 監督:吉田喜重
BS2 録画


告白的女優論

30越えたあたりの浅丘ルリ子とそれぞれ40目前の有馬稲子に岡田茉莉子。
3大女優の共演。
彼女達が演じるのはこれまた女優の役で、三人の有名女優が「告白的女優論」というタイトルの映画にクランクインするまでの話。
女優の気まぐれ、女優のわがまま、女優の狂気、等々なんと言われようが、またなんと勘違いされようが、物陰から覗く女優の顔は誰よりも悲しくて孤独な女性の顔だった。

実生活(←映画上の話)がどうあれ、それでも女優が女優として歩く瞬間。ラストは涙が溢れる。
この映画、いつも人物がなにかの物越しに、また、人の体越しに、さらには鏡越しに映される。
手前と奥という構図を基本にして撮られているからこそ、ラストの突然の並列、しかもこれまで交わらなかった三人の全身ショットが異常な驚きとともに飛び込んでくる。
この閃光に一瞬目が眩んでぽっかり開いた空洞に、この映画を見る人がまず期待するであろうショットを見ているんだという感動と、このシーンに至るまで見てきた三人の女性の悲しみと強さとがまとまって迫ってくるのだから弥が上にも泣いてしまう。

女優合戦とでもいった感じでなかなか見ごたえのある映画。
・・・峰岸徹って前の芸名峰岸隆之介だったんだ。

2004年11月27日土曜日

映画『ゴジラ2000 ミレニアム』

1999年 監督:大河原孝夫
BS2 録画


ゴジラ2000     -ミレニアム―

ゴジラが自衛隊だかなんだかと戦闘を始めたあたりで寝ちゃって、気づいたらゴジラと岩の塊が対峙していた。
ああ、そうか、ゴジラVSビオランテでうとうとしたのもこの映画で寝ちゃったのも、もうゴジラに飽きたからなんだな。
ちょっと食傷気味だ。

西田尚美が見所。本当この人はどの映画でも西田尚美だから凄い魅力的だよなぁ。
で、阿部寛も見所。この浮きまくり感はよくやった。
ストーリーのディテイルの意味不明さは置いといて、まあそれなりに面白かった。
破壊されまくる東京を見せられて、お願いだからもう暴れないでくれと願ってしまう。

2004年11月26日金曜日

映画『ゴジラVSビオランテ』

1989年 監督:大森一樹
BS2 録画


ゴジラVSビオランテ

うとうとしながら最後まで見て、漸く気づいたけど、中学生頃かテレビで見たなぁ、これ。
昔も今も大して印象に残らなかった。

笑いが少なくて。
真面目に見るにはチープすぎるし、チープを楽しむにしてはいくらかストーリーの真面目さが邪魔するし。
『ゴジラVSデストロイア』みたいにゴジラよりも破壊的なんじゃないかと思うほどのチープさがあれば楽しめるのだけど。
面白浮きキャラが峰岸徹くらいしかいない。
高嶋政伸もサラジア国のエージェントもぎりぎりのところで真面目に収まっているしなぁ。

久我美子と永島敏行が出ている。
高橋幸治は何考えてるか分かるけど分からなくて怖い。

2004年11月23日火曜日

映画『ゴジラ』

1984年 監督:橋本幸治
BS2 録画


ゴジラ(昭和59年度作品) トールケース版

1954の『ゴジラ』から30年。ということで9年ぶりに作られたゴジラにして、僕のゴジラ原点。私事ながら。
原点とはいいつつ映画は見ていなくて、子供向けに作られたこの映画の宣伝本みたいなものを何度も読んでは楽しんでいただけなのだが。

コメディゴジラは封印され、でかく、強く、恐ろしく、何考えてんのかさっぱし読めないゴジラが復活。
ストーリーもいくらか真面目。純粋でいじらしい沢口靖子とケーナに出会ったころの田中健の恋愛もあり。
人類の敵としてのゴジラ、人類の罪の象徴のゴジラ、地球に生きる一つの生物としてのゴジラ、憧れの対象としてのゴジラ、国家間の勢力争いに利用されそうになるゴジラ。
ゴジラに向ける多角的な眼差しや感情をさりげなくもしっかり描いている。

ゴジラにしろ登場人物にしろ、(つっこみは置いといて)コメディ要素がほとんどないのだけど、たった一人だけコメディキャラクターがいる。
それはホームレス役を演じた武田鉄矢で、彼はゴジラ出現により人気の無くなった新宿高層ビル内のレストランでのほほん食料を物色していた。
しかし窓から覗き込んだゴジラと突然目が合って腰抜かした鉄矢が叫ぶ「でっかい顔して歩くんじゃねー!この田舎もんがぁ!」。
というような短いシーン。
彼が演じたキャラクターは明らかにこの映画の中で異色な存在で、別の映画が挿入されたかのような、いてはいけないところに突如紛れ込んでしまったような、存在自体が既にタブーのような、衝撃がある。
北斗の拳でケンシロウがジャキと戦っているときに突如( ゜人゜)ダーレガ( σ。。)σコロシタ ( ゜人゜)クック( σ。。)σロビン、パタリロが出現したらびっくりするようなもの。
存在する世界が違う。
そして出番はこれで終わりかと思いきや、暫くしてストーリー本流を真面目に突っ走る田中健と沢口靖子がピンチを必死に切り抜けようと頑張っているとき、再びこの映画に彷徨い出てくる。
ゴジラが暴れる新宿のビル内に取り残された田中健と沢口靖子は階段が破壊されて階下に下りれず、消防用ホースを階下に垂らして降りようと試みていて、そこに"たまたま"通りかかったのが鉄矢だった。
田中は大声で鉄矢を呼びとめ、ホースの先を持ってくれと頼む。
鉄矢も「おぁぅ、いいともぉ」とこの非常時にふつーの会話のように返事してホースを持つ。
誤って混入されてしまったようなこの異物がホースを媒介にメインストリームと危険に接触する。
鉄矢がここにいるストーリー上での重要性は無い。
主要登場人物の絶体絶命を救うわけでもないし。ホースの先を押さえるという行為がいったい何の役に立っているというのか。
この映画に存在してはいけない者が存在してはいけない場所に現れ、かつ異物が異物の性質を保ったまま本流と双璧をなすかの如く並置されるシチュエーションに意義がある。
能天気な鉄矢とは対照的に沢口靖子はホースを伝って降りる事を怖がり、田中健に無理やりホースに掴まらせられやむなく降りている途中で壊れた外壁から覗くビルの外にゴジラの姿を見つけて恐怖に震える。
轟音とともに歩くゴジラの振動がビルを揺らし、コンクリートがぱらぱら落ちる音が鳴る。
だが鉄矢はゴジラの存在に全く気づいていない!
沢口靖子がこんなに怖がっているというのに、この古代からやってきた素敵なクロマニョン人は何事も起こってないかのようにひたすら両手でホースをつかんだままじっと上を見つめている。
三人が無事にビルの外へと脱出したときにやっと鉄矢はカドミウム弾で眠っていたゴジラが起きていることに気づく。
えーっ!もうずっと前から起きていてゴジラはさんざんスーパーXに砲撃されてたじゃん。何も聞こえてなかったの?
異世界の住人ゆえか、時間まで越えたらしい。
なんという異物の徹底ぶりか。
別世界の住人がこの映画の世界を自由に闊歩する。そしてあくまで異物は異物であり、混ざり合ってこの世界に溶け込むことはない。
溶けこまないスタンスが貫かれるということは鉄矢一人で一つの世界を作り出していて、しかも『ゴジラ』という映画全体に武田鉄矢たった一人が同一のエネルギーで衝突しているという凄まじいことをやってのけている。
東京大空襲の後のような見事なセットの中、すぐ側にいるゴジラから三人で一緒に逃げていたのだが、田中健もこれ以上武田鉄矢と関わると崩壊が訪れると悟ったのか、沢口を連れて鉄矢から逃げるように去っていく。
置き去りにされた鉄矢はそれを気にするふうでもなく、一人でゴジラから逃げる。
バックに雄たけびを上げるゴジラで、ゴジラの方を振り向きながらカメラに向かって走ってくる武田鉄矢の合成映像。
このシーンはゴジラシリーズ屈指の名シーンじゃないだろうか。
単に必死に走って逃げる男を正面から映したシーンに僕が弱いということもあろうが。
鉄矢のバックにゴジラが映ってはいるが追っかけられているのかただゴジラの前を鉄矢が走っているだけなのかは分からない。
鉄矢も本気で逃げているのかこの映画の住人のふりして逃げているのかは分からない。
ゴジラだって雄たけびをあげながらもなんかこのシーンのゴジラは可愛い。
(ゴジラや周りを少し巻き込んで)異物が生み出した解釈の曖昧さは逆に解釈を全てはねつけたむき出しの映像で、スローモーションで映された走る鉄矢とバックに構えるゴジラがなぜか無性に感動的だった。
田中沢口に見捨てられた後にすぐ今度はゴジラと直接絡むバイタリティというか根性というか、とにかく最後まで異物であり続け、悲しいまでに孤独な鉄矢であった。

ホースを伝って田中健と沢口靖子が降りるシーンは結構面白い。
田中がホースを階下に垂らし、するする伸びたホースが命の線をつなぐと田中が階下を見下ろす視線の中に突然鉄矢が出現する。
そして鉄矢からの下から上へ見上げる視線と田中の上から下に見下ろす視線が何度か交錯して縦の線をなぞる。
ただしこの時点では距離感がつかみにくく、どれだけの高さがあるのか想像しにくい。
細いホースを伝って降りるという、落ちる危険を伴なった心もとなさからか沢口が恐怖する。
それに田中沢口にしてみればゴジラがすぐ近くにいてしかも壊れかけたビル内に自分達以外の人間がいること自体もしかしたらゴジラより恐ろしいことだよな。
とにかく階下に対する恐怖がここに現れる。
しかもせっかちな田中は沢口を無理やりロープにしがみつかせた後、少しも間を置かずに自分もホースにつかまって降り始めるではないか。
いっぺんに二人もぶら下がって切れないだろうか?すごい不安感。
降り始めてすぐ、沢口は壊れた外壁から外を見て目を見開いて恐怖する。ここで縦に交わされていた視線がビルの外に向く。
ゴジラの足元が映し出される。
下だけでなく今度は横に恐怖がぁ!
そして次にゴジラ側、つまりビルの外からビルに向けてのショットになる。
本当はただのビルの角を映したショットなのだけど、その角の部分の外壁が大きく壊れているため内部がエロティックにも覗いていて、空いた空洞の中でホースに不安定にぶら下がっている二人が見える。
ホースの下にいるはずの鉄矢が映っていないため、これが一体ホースはどこまで伸びているんだろうってますます高さを見失う恐怖が起こる。
落ちる恐怖が再びよみがえったと同時に階下でホースを両手で掴む鉄矢が映し出される。
武田鉄矢が恐怖とは無縁の表情でしっかりホースを握っている姿に心がなごむ。
だが、鉄矢は目をしばしばさせて上をずっと見つめていて、降りてくる二人を心配して見守っているようでもあり、ゆったりした白いショートパンツを履いた沢口靖子を覗いているようでもある。
覗きだったらあの表情は笑いであり、新たな恐怖でもあるよなぁ。

役者陣が豪華。
総理大臣に『にっぽん三銃士 おさらば東京の巻』でスーツのズボン脱いで三輪車に乗っていた小林桂樹。
大蔵大臣に『近頃なぜかチャールストン』でなんちゃって首相だった小沢栄太郎。
自治大臣に『幕末太陽傳』の金子信雄。
通産大臣に『果しなき欲望』の加藤武。
(・・・他の内閣構成メンバーは略)
それから田中健、沢口靖子、宅麻伸に、生物学者役で「そしてあなたのボディーガード」こと夏木陽介。髭生やした夏木陽介がかっこいい。
夏木演じる林田の友人として地質学者の南を演じたのは小泉博。
ゴジラに襲われたいと嘆願したのか襲われ役に原発の警備員らしい石坂浩二に新幹線の乗客かまやつひろし。
ゴジラに鷲掴みにされて持ち上げられた新幹線の車内にいたのがかまやつひろしなんだけど、この人シスターを従えた神父みたいな格好していた。
ってだけで笑えるのだけど、恐怖におののく他の乗客に比してかまやつは車内を覗き込むゴジラを見てにやっと笑うのね。
ゴジラに会えて嬉しいのかなんなのか知らないけど、武田鉄矢同様にストーリー本流に乗っからない男かまやつひろし。
ゴジラにゴミを捨てるかのように放られてたぶん即死したと思われる。
東都日報記者の田中健の上司に江本孟紀。背高くてかっこいいな。
さらに編集局長には佐藤慶だ。
と、いうような映画。
エンディングテーマはいただけない。

映画『ゴジラ対メカゴジラ』

1974年 監督:福田純
BS2 録画


ゴジラ対メカゴジラ

作品公開時は生まれてないけど、子供時代に熱狂したメカゴジラ編。
メカゴジラと岸田森と平田昭彦が大活躍する映画。

キングシーサーなる怪獣も登場するが。えらい苦労して呼び出し、やっと出たかと思ったら2足歩行で歩き出してがっくし。
しかもメカゴジラの圧倒的集中砲火の前で無様に踊ることしかできなかったピエロシーサー。

2004年11月21日日曜日

映画『ゴジラ対ヘドラ』

1971年 監督:坂野義光
BS2 録画


ゴジラ対ヘドラゴジラ対ヘドラ

ゴジラが出てくるまでウルトラマンを見てるのかと思った。
夕日をバックに「ピヤ~~ンピヤ~~ンパオ~リロリロリロリロリロ」というどことなく哀愁を湛えたミュージックでゴジラが出現っていうのは1作目に勝るとも劣らないかっこよさ。
今回戦うのはヘドロから生まれたヘドラ。たぶん史上最強の怪物だと思われる。
空を飛行すれば硫酸を霧状に撒き散らし、あらゆる公害の集合体である体に打撃はほとんど通用せず、突然放出するヘドロ弾を受けたら皮膚は溶け出し、目から発射されるヘドリューム光線は恐ろしい破壊力。
ヘドラのあまりの強さは、硫酸ミストを浴びて倒れた女性のスカートが思いのほかめくれて誰の目を気にしたのか即死か気を失っているはずの女性がパンツまで見えてないかと気にして手で触って確認するという生死を超越した根性まで呼び起こす。
そしてヘドラとラヴ&ピースフラワームーブメントに脳をやられた柴俊夫(この時は本名柴本俊夫)は富士の裾野で大ゴーゴー大会を開催。そしてヘドラに襲われて即死。なーむー。
人間だけでなくゴジラにも異変が起こり、かなり"いかす"格好で空を飛行。
ヘドラ~、なんて凄いやつなんだ。

ヘドラは太陽を嫌うため、戦いは夜に繰り広げられる。(全編アングラだから当然か)
富士の近く、余計なミニチュアが無い上にうっすら暗い地形にゴジラとゴジラより巨大で不気味なヘドラが対峙するのはぞくぞくする。
静から動へ、戦いの合間合間に取られる微妙な間が怖い。特に不気味なヘドラが次に何をやってくるかという怖さ。
この最悪のヘドラにゴジラは敢然と立ち向かうのであった。
ゴジラは口を触った後手招きするように右手を突き出すというくせのようなポーズを持っているみたいで、人間臭い。
手刀を繰り出すゴジラをカメラが真正面から捉えるというかなりかっくいい演出も見ていると動きは人間そのものだな。空手家か中国拳法家のような。
人間臭いから人間の味方、なのではなくて、ヘドラとは戦うがゴジラは人間に対して非常に怒っているのであった。
ゴジラは人間のヒーローじゃないし、ちょっと暴れただけで死者35名、負傷者81名も出してしまう。リアルだね。
ヘドラをぶっ倒して人の乗った車を押しつぶしたりもするし。
人間が自分達で勝手にやったことなのに、我被害者也精神で「かーえせ かーえせ みどーりーを 青ー空ーを かーえせ」などと暢気に歌っている阿呆な種族をかばうわけが無い。
ゴジラが闘うのはヘドラを野放しにすると地球上から生物が消えてしまうから。いや、ゴジラがヘドラと戦うのに理由なんて要らない。
食料源とその死神的進化形態がすでに遅かれ早かれ自滅の道を滑り落ちる運命にある悲しき生物ヘドラと、人間の愚かさから生れ落ちながら地球の守り神のようになっている内部的矛盾をその存在に孕んだゴジラと、多種多様の思考形態が渦を巻き未来の希望も絶望も紙一重で激しく回転している人間。
三者が持つ発狂しそうな葛藤のエネルギーは強烈な磁場を形成して必然とぶつかりあう定めにある。
夜の闇から夜明けにかけて、賞賛と悲哀を込めた三者の生命力が閃光のように世界に放たれて幻のように消えていく。

この映画、面白い面白くないは置いといて、結構ゴジラシリーズの中で異色だな。

映画『怪獣総進撃』

1968年 監督:本多猪四郎
BS2 録画


怪獣総進撃

怪獣が、皆兵器に。
キラアク星人とかいうなめた宇宙人に操られてしまう哀れなゴジラ/ミニラ/アンギラス/ラドン/モスラ/ゴロザウルス/クモンガ/マンダ/バラン/バラゴン。
やっとキラアク星人のコントロールを免れたと思ったら今度は人間ごときに操られてしまう。
自己の尊厳を踏みにじられた偉大な怪獣達は、そのうっぷんを全てキングギドラに向けて解き放つ。
キラアク星人によってやむなく召喚されたキングギドラは理由も分からないまま地球の怪獣達の手で集団リンチにあってしまう。
かなり悲しい映画。
富士火山脈一帯の地底くらいキラアク星人にくれてやればいいものを。悲しい表情で無残に殺されちゃって。
久保明ののーてんきな顔が憎くもなってくる。

人間のストーリー部分はそんなに面白くなかったな。

2004年11月20日土曜日

映画『三大怪獣 地球最大の決戦』

1964年 監督:本多猪四郎
BS2 録画


三大怪獣 地球最大の決戦

高田稔がぁ!自治大臣。
若林映子がぁ!金星人。

セルジナ王国はどこにあるのだろう。日本語圏のヨーロッパ、かつ中世なんだろうな。
セルジナ王国の王女が暗殺計画から逃れるためにはるばる中世からセスナ機で日本にやってくる。
しかし暗殺の手は既に回っており、セスナ機は爆破。
しかし王女は危機を回避し金星人になった。
セルジナ王国の役を任された俳優達は衣装を見た瞬間断らなかったのが凄い。

インファント島がどこにあるのか知らないが、モスラが日本にたどり着く前にキングギドラによって日本は壊滅しているだろう。
キングギドラを造型した人は凄いな。神獣の如く。
最強の宇宙怪獣キングギドラから地球を守るためにモスラがゴジラとラドンを説得する。
怪獣語があるという設定で来たか。子美人ザ・ピーナッツが訳してくれる。
「争いをやめ、皆で力を合わせて地球をキングギドラの暴力から守ろうと言っています」
「ゴジラもラドンも、俺達の知ったことか勝手にしやがれ、と言っています」
そっぽ向いてふてぶてしい顔したゴジラとラドン。
怪獣に人間のような人格まで与えてしまうとは。しかも小学生並の人格で笑える。
徹底的に娯楽作品を貫いて突き進んでいく姿勢、ってどこまで行っちゃうんだろう?今の時点でもうかなり首絞めてるぞ。
ゴジラやラドンの主張を聞いた夏木陽介は「ちきしょぅ!分からず屋っていうのは人間だけじゃないんだな」
出た!人間様のご都合主義が。ゴジラとラドンをどうやって倒すか討論していたのにキングギドラが強大だと知ったら今度はゴジラとラドンを利用してキングギドラを倒させようとするなんて。
でも夏木陽介は、王女の性格を取り戻した金星人若林映子に「そなたは・・・誰じゃ?」と聞かれて、「私は日本の警察官。そしてあなたのボディーガード!」とクールに決めてくれたからOK。
「ボディーガード」と言いつつ振り向いてかっこよく暗殺者に銃弾を撃ち込もうとするが暗殺者の銃弾であっけなく拳銃をがけ下に落とされてしまう夏木陽介の「あっ」という間抜けな表情もGOOD。

映画『キングコング対ゴジラ』

1962年 監督:本多猪四郎
BS2 録画


キングコング対ゴジラ

北極の氷が溶け、眠っていたゴジラが復活!
北極基地のトンネルからミニチュアの戦車が勇ましくぞろぞろ出てきて、海の中からのろのろ近づいてくるゴジラに向けて一斉射撃。
圧倒的強さのゴジラは戦車の砲弾が当たってもびくともしない。赤い砲弾はまるでボールみたいにゴジラに当たっても跳ね返るだけ。
なんという頑丈かつ弾力のある皮膚でしょう。
瞬間移動並みに突然基地のある島に上陸を果たしたゴジラを見たらこりゃかなわんってことで戦車はぞろぞろトンネルの中に引き返す。なんと簡潔な表現。

一方、スポンサーであるパシフィック製薬の宣伝部長多胡(有島一郎)から特命を受けたTTVテレビカメラマン桜井(高島忠夫)と演出部員の古江(藤木 悠)は南海のファロ島へ巨大なる魔神(キングコング)を探しに旅立っていた。
ゴジラがどうこうとかじゃなくてただ単に視聴率アップのために。
~略~
そんなこんなでキングコングとゴジラが対決する。

締めのセリフ。
「今の僕に言えることは・・・人間は改めて動植物の自然に適応する能力に学ぶべきだ・・・それだけしか言えないね。」
ど、どこからこんな結論が?
「今の僕に言えることは・・・人間は改めて傲慢で自分勝手で地球上に人間しか生物がいないと勘違いしていることを自覚するべきだ・・・それだけしか言えないね。」
「今の僕に言えることは・・・人間は改めてキングコングに対して与えた自分勝手で残酷な仕打ちを鑑みて罪悪感に苛まれるべきだ・・・それだけしか言えないね。」
キングコングのあまりの悲惨さに涙。

さて、キングコングとゴジラのどっちが強いか。
機敏さと体技ではキングコングが圧倒的に有利だろう。
だがゴジラの放射能火炎は反則的な破壊力がある。
ゴジラが放射能火炎でキングコングを倒す図は想像できても、ただの怪力ゴリラであるキングコングがゴジラを抹殺できる図など少しも想像できない。
想像通り1回戦は放射能火炎にびびったキングコングが頭をぽりぽり掻いて逃げてしまった。
ゴジラがトラウマとなった可愛そうなキングコングだが、麻酔銃で眠らされ、全く愛の無い縛り方で吊るされながらゴジラのもとへ空輸される。
麻酔から覚めた時には眼下にゴジラを発見。びっくりしてあばれるキングコングが本当にかわいそう。
しかし直後に大爆笑シーンが待っているのだけど。これは久しぶりに映画見て大笑いした。

なかなか笑いに溢れた娯楽作品。
ゴジラが落とし穴に落ちたり、石を投げようとしたキングコングが勢いあまって山の斜面を転げ落ちて岩で頭を打ったり。
基本は着ぐるみなんだけど、巨大蛸は本物の蛸の映像と合成している。結構気持ち悪い。
ところどころストップモーションも使われる。蛸が人間捕まえたり、ゴジラが尻尾で体を支えながら両足でけんかキックしたりするシーンで。
そうだ、ゴジラのこのストップモーションは可笑しかったな。
ゴジラはこの映画では結構機敏でかつキングコングに負けず怪力だった。キングコングが勝てる要素が見つからない。

ゴジラのみならずキングコングにまで襲われる"とろい"浜美枝を恋人に持つ佐原健二は可愛そうだ。
高島忠夫まで付いてくるし。

2004年11月19日金曜日

映画『ゴジラVSデストロイア』

1995年 監督:大河原孝夫
BS2


ゴジラvsデストロイア

石野陽子と辰巳琢郎が突然船上でランデブー。
初対面からいがみあっていたような二人がなぜに突然船上に?(どっちが誘ったんだ?)という疑問もさることながら、風が強いらしく面白いくらい二人の髪がなびいている。
この映画セリフが全て可笑しくて、この船上のシーンでの会話もむずがゆい可笑しさがあるのだけど、その上なびく髪の面白さが加わったらもうこらえきれない。

役者がエキストラまで含めて皆最高によくて、わざとなのか真面目なのか本当に可笑しい。
Gフォース司令官中尾彬なんかぴったりつぼにはまる。
彬:「なにぃ!スーパーX3を出撃させるぅ?」
~スーパーX3の説明をたらたら~
篠田:「で、誰が出撃を?」
彬:「特殊戦略作戦室の・・・」(彰、上を向いて不敵に力強く)「あいつしかいないでしょう!」
だから誰だっつーの。
その誰が高嶋政宏。
真面目な顔してる。
おお、スーパーX3が出撃すると勇ましい音楽がぁ!ふふ。
「テャーゲェィット ロクオン」
ゴジラ凍らせ作戦を実行する機内の三人。
見事凍らせると林泰文君が「冷凍弾で冷却し、カドミウムで制御する・・・完璧な攻撃計画だ!!」と超絶賛のコメント。
高嶋含むかっこいい三人は、笑顔でこれまたかっこよく親指を立てて合図しあうのであった。

とシーンを抜き出して書いてみて思うに、これ絶対わざと可笑しくなるように撮っているよなぁ。

東京にデストロイア&Jrが出現して人々が逃げ惑う。どっちに逃げたらいいかわからずとち狂ってJrの方に走っていく人々までいる。
逃げ惑う群集の中、親父に連れられたガキが青い帽子を落としてしまう。しかし拾っている暇はない。逃げなくては(なぜかJrの方へ)。
無情に落ちた青い帽子を見つめていると、なんとその帽子を子供連れのおばさんがちゃっかり拾ってる!!

石野陽子がデストロイアに犯されるように襲われているところが一番面白い。

2004年11月14日日曜日

映画『純愛中毒』

2002年 監督:パク・ヨンフン
at ギンレイホール


純愛中毒 コレクターズBOX

あご系のイ・ビョンホンの顔が強烈に印象深い。
イ・ビョンホンって初めて見た。ちょこっと太ってる。と思ったら役に没頭しすぎて(?)撮影中6kg太ったとか公式サイトに書いてある。

兄弟が別の場所でそれぞれ交通事故にあい、意識不明の重体になる。
目を覚ましたのは弟の方だが、彼には兄の魂が宿っていた。
兄には最愛の妻がいる。今自分の体は弟。妻に自分だと言ったところで信じてもらう事などできない。
っていうような純愛が描かれる、ってわけではない。
もっとこう、画面の色合いといい、イ・ビョンホンのやらしい顔といい、爽やかというよりどろどろごちゃっとした感じ。
うん、なんとなく灰をまいているシーンなどで爽やかにはまとまってはいるけれども。でもごちゃっだな。

魂が乗り移るというファンタジックな展開なのに、少しホラー映画みたいな怖い演出。ネタばれ厳禁。
全部見るとそれなりに意味はあったのであろうと思うベッドシーンだが、ベッドシーンでうつらうつらしてしまったのは初めてだな。

映画『ホテル ビーナス』

2004年 監督:タカハタ秀太
at ギンレイホール


ホテル ビーナス

「LOVE PSYCHEDELICO」は嫌いじゃないけど、あまりに流れすぎるので大人気なくぶちきれそうになった。
なにかしら傷を負っている人たちが集まるホテルヴィーナス。
0号室にはホテルのウエイターもする"チョナン"(草なぎ剛)
1号室にはいつも喧嘩している酒びたりの"ドクター"(香川照之)とその"ワイフ"(中谷美紀)
3号室には笑顔がかわいい"ソーダ"(チョ・ウンジ)
4号室には最近拳銃を仕入れて殺し屋になるんだといきがる松田優作の息子みたいな顔した"ボウイ"(イ・ジュンギ)
ホテルのオーナーは"ヴィーナス"(市村正親)、なぜか女装。
お互いの過去は詮索しないってことであだ名で呼び合う。
ところで「謎の多い彼らは一体どういう過去を持っているのでしょう?」って期待に胸をふくらます人が一体どれほどいるだろう?

監督は靴フェチなのかと思った。
物語はそれなりに展開していくのだけど、演出が肌に合わずいまいち乗れない。
なぜに中途半端にモノクロ&セピア?「モノクロ=希望を持てない人たちの心情」なんて意味で安易に使っているわけじゃないよな?
なぜに香川照之の登場シーンがスローモーション?
なぜにタップのリズムに合わせたカット割を挿入する必要が?面白いと思ったのか?
なぜに125分!
普通に撮ってくれさえすれば、ちょっとチープなドラマとして見れたかもしれないのに。

でもチョ・ウンジさんはかわいかったなぁ。
家帰って知ったことだが、カフェに客として来た男がつんくに似てると思ったらつんくだった。
そして花屋の悪どい顔した店主が松尾貴史に似てると笑ったが、本当に松尾貴史だった。
草なぎ君は結構好きな役者です。

2004年11月8日月曜日

フォーマット

夜11時頃に帰宅してHDD付きDVDレコーダーのバックアップ作業開始。
そんでHDDフォーマット→復活。
ふう。

2004年11月7日日曜日

映画『大冒険』

1965年 監督:古澤憲吾
録画


クレージーキャッツ結成10周年記念映画 大冒険

大冒険というタイトルに少しも恥じない傑作。
これは楽しい。スケールも半端なくでかい。
最後20分くらい録画ファイルが壊れていて見れなかったことが悔やまれる。
またやんないかなぁ。
クレージー・キャッツ結成10周年記念映画。

映画『ドル』

1938年 監督:グスタフ・モランデル
BS2 録画




イングリッド・バーグマンのスウェーデン時代の作品。
上流階級の部類に属するであろう3組の仲良し夫婦が出てくる。
この3組がややこしいことに相手の妻や夫を愛してるかなんかで複雑に関係が交錯する。
6人中5人は比較的(表面上)あっけらかんとしているけれど、一番若そうな女性がとにかくもう発狂しそうなくらい耐えられない苦しみを感じている。
そんな関係の中、仕事相手としてアメリカから一人の女性がやってくる。
どろどろ(?)な愛憎関係を築いているスウェーデン社交界よりも、このアメリカ女の方がなぜか品が無く見えたりする。

いや、もうイングリッド・バーグマンの高貴な美しさに参るだけ・・・などと言ってしまえば元も子もないのだが。

2004年11月6日土曜日

川崎

HDD付きDVDレコーダーをフォーマットするまで録画が一切できないため、早いところ保存してある映像を見るなり焼くなりしなければいけない。
録ってある映画はひたすら見て、気に入ったのだけDVDに焼こうとおもっていたけど計画変更して、DVD-R10枚くらい買ってきて全部焼いてしまおうと思う。
そんで川崎のヨドバシに行く。
DVD-R20枚とDVD-RW1枚購入。
ついでにHDD付きDVDレコーダーも見てみる。容量や機能は増えてるけど値段はやっぱり今でも高いんだな。
現在試用版で使っているTMPGEnc DVD Authorのパッケージ版も買ってしまおうと思うが見つからずに諦める。

ヨドバシを出て100円ショップを探す。
インスタントのカレーやミートソースを5個くらい仕入れておきたい。今日の夕飯で食う物もないし。
でもなかなか見つからず。
やっと見つけた100円ショップでノック式ボールペンやらライターを手にとったりして店内をうろついていると、この店には食材が全く置いていない事に気づく。
しょうがないからボールペンとライターだけむなしく買う。

ちょっとむかつきながら歩いているとそういえばもう夕方6時くらいだし食って帰ればいいじゃない、と思って近くにあったリンガーハットに入って食って帰る。

家でいそいそと重要そうな映画からDVDーRに焼いていく。
4枚目を作成中にエラーが発生して1枚無駄にする。
HDDがおかしくなっているのとは関係なさそうだが、エラーが出るともったいないのでDVD-RWに焼いてパソコンに取り込んでそれからDVD-Rに焼く事にする。
これが結構時間と手間がかかる。
物理的な作業時間もさることながら、せっかく手間かけてパソコンにまで取り込んだのだからちゃんとしたタイトルメニューも作りたくなってくるし。

そしてなんとなくTMPGEnc DVD Authorのダウンロード版を購入。

映画『エブリバディ・フェイマス!』

2000年 監督:ドミニク・デリュデレ 
BS2 録画




ベルギー製のコメディ。
「ラッキー ラッキー ルラッキーマヌエィ~ロ~」
娘を歌手にする事に情熱を燃やす工場勤めのおやじが奮闘する。
はちきれんばかりのおでぶちゃんの娘は歌は好きみたいだがコンテストみたいなのに出場しても全然上手くなくて審査員の評価も低い。
ここにテレビ局のプロデューサーやら人気歌手のデビーやらが絡んできて綱渡りしているような不安感を伴なって進行していく。
普通に面白い。

なにより人気歌手役のデビー(テクラ・リューテン)は脱がないものだと思っていたのに突然すっぽんぽんだったりする。

映画『ファントマ』

1913年 監督:ルイ・フイヤード
BS2 録画


パリを震え上がらせた(?)大怪盗ファントマが主人公。
だけど速攻捕まり監獄に入れられ死刑宣告。あちゃぁ。

ホテルのエレベーターを撮影するとき、1階から上がっていくエレベーターを各階ごとに外から固定で映しているのが面白い。
エレベーターが上に上がったら今度は下から出てきて上に消えていったらまた下から出てくるっていう。・・・

2004年11月5日金曜日

映画『地下鉄のザジ』

1960年 監督:ルイ・マル
BS2 録画


地下鉄のザジ

エッフェル塔ってあんなに怖いところなの?
年に10人くらいは転落死してんじゃないの。

ギャグアニメの実写版のようなスラップスティックコメディ、のような混沌とした映画。
狂騒的人物が多い中、妻が若くてもの凄い美人で気立てもいいって造型がバカボンのママみたいだね。エキセントリックに美しくてかっこいいカルラ・マルリエだった。

2004年11月4日木曜日

休憩

前から決まっていた事だし、会社の人と飲みに行く。
思いのほか帰りが遅く、午前0時に家に着き、風呂入ってから速攻映画『ファントマ』を見る。
でも気づいたら30分くらい寝てしまってこりゃ今日はダメだと思って寝る。

2004年11月3日水曜日

演歌DVD

夜、ひとまず2枚目の演歌歌謡曲DVDを作成完了。
美空ひばりの番組はまだ未編集だが後回し。
あとはHDDレコーダーに入っている映画をひたすら見まくろう。

映画『ロスト・イン・トランスレーション』

2003年 監督:ソフィア・コッポラ
at ギンレイホール


ロスト・イン・トランスレーションロスト・イン・トランスレーション

夫のカメラマンが東京で仕事があるために一緒についてきたシャーロット(スカーレット・ヨハンソン)と、ハリウッド俳優でサントリーのCM撮影のために東京に来たボブ(ビル・マーレイ)。
いつも見慣れた東京の街並みが異様に冷たい。
日本に外国人がいることなんて今じゃさして珍しい事でもないのに、シャーロットとボブが東京の街並みにいると不思議なくらい異邦人を感じる。
役者が、とういうのではなくて東京や日本人の撮りかたがそうなのだろう。
風土に馴染めない。いてはいけない土地にいるような東京の圧迫感は彼らに強い孤独を与える。
ボブが一刻も早くアメリカに戻りたがるのも納得いく。
シャーロットやボブが国際電話をかけると、向こうの家や街並みを思い浮かべて違和感が取り除かれて安心する。(ストーリー上では彼らは電話しても少しも安心感を得られないのだが)
そんな孤独な二人がお互いの距離を縮めていくのも自然な流れで、となると無口で渋いおっさんを演じていたマーレイが次第に本来の性格を現していき、おちゃめなおっさんぶりが痛くなってもくる。
東京から拒絶され、自らも拒絶していた二人が積極的に街に繰り出すようになる。
お互いの孤独を薄めていく二人だが、結局最後まで東京の風土に溶け込む事はない。
日本人の友人と渋谷で遊ぼうが寿司屋に行こうが、シャーロットやボブ二人だけがこの世に存在している感じで、東京は拒絶されたまま。
異国の異邦人ぶりはそれだけ東京や日本人を痛々しくも浮き上がらせてきて面白い。

「だからぼくーはかーぜーをーあつーめてー」ってな。


そうか、今回のギンレイのプログラムはフェリーニの『甘い生活』つながりか。

映画『トスカーナの休日』

2003年 監督:オードリー・ウェルズ
at ギンレイホール


トスカーナの休日

ギンレイホールえらい混んでるし。
座布団貰って通路に座って見た。
とにかく疲れたなぁ。

花瓶のひまわりの中からズームアウトして映画が始まるのだけど、さあ、こんな始め方してどう収拾つけるんだろうかと期待するものの全部見終わってから残ったものは貴重な休日の113分をぼんやり過ごしてしまったむなしさだけ。

2004年11月2日火曜日

映画『忍術水滸伝 稲妻小天狗』

1958年 監督:松村昌治
BS2 録画


むむ、カルト映画だったか。
忍術、妖術、幻術、ってどう違うんでしょう?
まあいいや、忍者はなんでもありで。
いや!忍者じゃないじゃん!妖術使っている武家じゃん!

人に悪夢を見させる。人の夢に入り込む。瞬間移動はお手の物。透明になることもできる。人を宙に浮かすほどのサイコキネシスを持ち、気合を発すれば指から雷を放出する。鳥に変化もするし、大蛇や巨大な天狗を召喚することもできる。
この妖術使いどもに刀で斬りかかるなんてナンセンスだな。
一国の軍ですら存在自体を否定されるように無力化してしまう。あなおそろし。
人類最強列伝に加えたい。

特撮の使い方もかなり見所。
特に稲妻道人(三条雅也)が人の体などとても隠せない細い木の幹から突然姿を現すところなんかかっこいい。
「おい」という声の後、般若のような面(何ていう面だろう?)をつけた謎めいた稲妻道人が突然線のような木の幹から上半身だけにゅっと出現するのね。
オーソドックスな特撮のくせにしびれるかっこよさ。
あと、姿の消し方のバリエーションも面白い。
煙に包まれて消えたり、ジャンプして消えたり、後ずさりしながら幻のように消えたり、白熱光とともに消えたり。
ジャンプして消えるのが一番かっこいい。田舎侍右馬之介(東千代之介)は見事なジャンプを見せてくれるし。
おえん(浦里はるみ)が鳥から姿を戻すときにとるわけの分からない動作も楽しいし。

ちなみに夢路いとしと喜味こいしと千秋実が笑い担当のため、対比して東千代之介や他の妖術使いが真面目な人物として浮き上がるはずだが。見る人によってはなにもかも笑いの対象になってしまうのかも。

メモリ増設

『NHK歌謡コンサート』を見てから、今日会社の先輩にメモリ512Mをもらったので取り付けてみる。
って今は1分1秒も惜しんでHDD付きDVDレコーダーのバックアップ作業をしなきゃならないんだけど・・・
一応僕のパソコンで使えるかどうかを報告しなきゃならないし。

デスクトップパソコンのメモリ増設ってやったことなくて、えらい時間かかった。
ネジを気づかずにずっと逆に回していてカバー開けるのすら手間取ったし。はは。

始めのうちはおそるおそる作業していたけど、段々どうでもよくなってきてかなりぞんざいに作業。
増設完了して起動。
マウスとパソコンが一切効かない。
愕然とする。
が、よく見たらキーボードとマウスの差込口をお互い逆に挿していた。
とりあえず正しく挿しなおしたが効かず。
再起動したいけどどうしようもない。
そういえばUSBのマウスがあったと思い出して、USBマウスから再起動。
今度はキーボード、マウス、正常に動作。

むむ、書いたはいいがオチがない。


2004年10月31日日曜日

HDD付きDVDレコーダー

ここ二週間、HDD付きDVDレコーダーの残量が8時間前後で揺らいでいる。

BS日本のうたの録画予約をし忘れていて、気づいたら始まって3分くらい経ってしまった。
慌てて録画ボタン押して録画。
寿美さんがエレキなしで「女人高野」を歌う。おお、また歌い方が変わった。いつもより力強く。
「蘇州夜曲」なんていう寿美さんぴったりの曲まで歌ってくれて、堪能する。
今回のスペシャルコンサートはにしきのあきらと伍代夏子で、にしきのあきらのギャグすれすれのあまりに激しいステップに魅了される。

さて、録画したやつを再生して寿美さんをまた聴こうかと思ったら、タイトルリストの表示で固まってしまった。
正常に録画できていなかったのだろう。しょうがない、来週の再放送で録画しなおして、今回のは削除しよう。
強制リセットして、再び起動し、おかしくなったタイトルを削除しようとしたら削除できない。
「このディスクは編集できません」とか出る。こ、これは。6月にも出たエラーメッセージではないか。
案の定他の録画タイトルも全て編集不可で再生とDVDへのダビングしか出来なくなっている。

僕は滅多に独り言なんか言わないのだけど「ふざけんな」って何度もつぶやいてしまう。

演歌歌謡曲番組:HDDからDVD-RW、DVD-RWをPCに取り込み、編集、DVD-Rに焼く。
映画:30本未満、ひたすら見る。残したいもの、HDDからDVD-Rへ。
遅くても半月で作業完了予定。
バックアップ完了後にHDDを初期化。

映画『禁断の惑星』

1956年 監督:フレッド・マクロード・ウィルコックス
BS2 録画


禁断の惑星

宇宙をバックに電子音とともに「FORBIDDEN PLANET」というタイトルが出たときにはどきどきする。
ファミコンの音楽のような電子音がいかす。
僕はとりあえずレイ・ハリーハウゼンが手がけた映画のように、怪物とかがわんさか出てくれば満足だったのだけど、この映画は結構真面目で、円盤型の宇宙船が惑星に着陸するとき「人口重力OFF」とか、惑星が爆発するから1億6千万キロ離れろとか言ったりするし、ストーリーも人間の肉体と精神の因果を扱った微妙に高尚なお話となっていて、ぽけーっとしてしまった。
はちゃめちゃと言えばはちゃめちゃかもしれないが、いくらか論理的にまとまったSF作品。

恐ろしい映画でもある。
光速から普通の速度に落とすとき、人間は特別な装置の中で守られていなければいけないらしいが、そんな大事な装置に乗組員全員が正しく入っているかなど確認すらしない。
艦長は減速するから各自位置に着け、くらいしか言わないし。装置に入り損ねた奴はどうなっちゃうんだろう。
惑星に着陸すると、砂煙を上げて猛スピードでなにかが接近してくる。ロビー・ザロボットの衝撃的登場シーン。
この有名なロボットの造型が凄い。頭についている半円のガラス窓の中に三つの球がくるくる回転しているし、耳あたりから突き出たレーダーみたいなわっかもくるくる回っているし、だいたい足が四つの球の連鎖で成り立っているっていう不安定感が恐ろしい。
怪物は部屋に遺体が散乱するほど暴れっぷりが残酷だし。
そしてなにより恐ろしいのはアルタのあまりに短いミニスカートなのであった。
唯一の女性アルタのミニスカートが全ての元凶だよ。まったく。

2004年10月30日土曜日

映画『サン・ピエールの生命(いのち)』

1999年 監督:パトリス・ルコント
BS2 録画


サン・ピエールの生命 (BOOK PLUS)

銃殺か?ギロチンか?といったら銃殺の方を選ぶ。
首が体から分離するなんて考えただけで恐ろしい。

カメラがよく動くな。
ルコントってこんなにチープだったっけ?と思っていたけど、ズームアップの多用や短いカット割り、手持ちカメラのせわしなさ等々わざとやっているみたい。
そう思うとなんか面白くなってきて、字幕なんかろくに読めやしない。

出演はダニエル・オートゥイユにジュリエット・ビノシュ。
映画が終わって配役見て初めて知ったエミール・クストリッツァ。

(追記)翌日イラクの香田さん殺害のニュースを知る。

2004年10月26日火曜日

映画『サイレンス』

1998年 監督:モフセン・マフマルバフ
BS2 録画


金髪のアメリカ人の子供のようなホルシードが主人公。
この少年は目が見えない。母と二人暮し。貧しい。
大家が家賃を払えないなら追い出すと言ってきている。
金が要る。
金を得るために盲目の少年が活躍する、という展開にはならない。
普通にいつもどおり、バスで勤め先の楽器工房に行って調律の仕事をこなす少年。むしろ状況は悪化する。
大まかなストーリーはそんな感じ。

ストーリーはさっぱし分からないんだけどかなり面白い。
大家が家賃の催促で叩く嫌なドアの音が少年にはベートーベンの「運命」のフレーズに聞こえる。
「運命」のリズムはいたるところで喚起され、仕事場の少女からやがて見知らぬ人々まで波及し、少年を円の中心として最後には一大交響曲を構成する。
と書くといくらか語弊があるな。
まず、「運命」のダダダダーンのリズムは作品冒頭を忘れているとかなり唐突な違和感と共に出現する。
少年がこのリズムを大家がドアを叩く音だと認識していると知るのはまだ先の話。イメージはすぐにはつながらない。
少年は「運命」のリズム、さらには"いい音楽"を求めて盲目の危なっかしさを常に秘めながら街をさまよう。仕事よりも、金よりも、家を追い出されることよりも重要な。
少年に思いを寄せている"らしき"少女は、少年の頭にこびりついているリズムを奏でられない。
しかし自分をクビにしようとしている親方がガラス戸を叩く音はまさしくそのリズムであったりする。
少年にとって嫌な音であるはずのリズムが"いい音楽"であるという矛盾があり、かつその矛盾が徹底されて嫌な人物のみが奏でる音という意味づけが出来るとしたらなんて簡単なことだろうか。
しかし事態はもっと複雑で、「少女が奏でられない」と言いつつも実は最後にタンバリンで親方のリズムとシンクロして奏でられていたともとれなくはない。
嫌な人物のみどころか見知らぬ金物打ちの少年や見知らぬ流浪の芸人も少年に教わる教わらないを問わずに奏でるし。
そもそも少年が人に伝えるときに口で言ってみせる「ババババーン」というリズムの音程は「運命」からは遠い音程であり、少年が「運命」を聞いたことがあるのかないのかもはっきり示されない。
知っているのかそれとも少年の想像力が生み出した音楽がたまたま似ていたのか、時折挿入される「運命」の曲や少年が民族楽器で自ら奏でるリズムと音程のみが「運命」を連想させる。
とにかく「運命」のダダダダーンのリズムが様々なシチュエーションと様々なイメージでひとところに落ち着くことなく現れる。(この映画はなんでもかんでもひとつに定着することは徹底的に嫌われる)
リズムが人々に意識無意識関係なく波及しているのを見ていると、当然最後にオーケストラによるベートーベンの交響曲第5番が高らかに流れる瞬間があるはずと思って期待するのだが、確かにラストで期待するような場面があるけれど爆発的な感動シーンではない。
その場面はストーリー上のある転換点ではありながら、ストーリーが大いに盛り上がったところで出現するわけではないから。
そして第五番は結局最後までオーケストラで奏でられる事はなく、全て民族楽器で演奏される。
ラストでオーケストラの演奏が大々的に流れたら安直に感動してしまったかもしれない。それじゃあ作品の質が落ちる。
マフマルバフは安易な感動シーンなど作りはしない。ダダダダーンのワンフレーズだけを作品中に散りばめて、その後に続くフレーズを一切排し、欲求不満を溜めさせた上でラストに一気に開放する、というようなこともしてないしな。
それなのにラストが感動的なのは後で述べる。

この映画はあまりに説明的でないため、誰かにストーリーや設定を逐一説明してもらいたいようでいて、誰の説明も必要なくもある。
人それぞれに様々に解釈できるから自分が解釈したことでいいじゃないかということじゃなくて、そもそも意味づけや解釈の整合性を保つ意味があまりない。
少年が母に連れられ河にかかった橋をゆっくりと渡った時から盲目の少年を夢幻に廻る円の中心に配した、氾濫する相克のイメージをひたすら冷静に全身で受け止めて温めていけばいい。

少年が働く楽器工房の外壁には、大小様々な木製の車輪が立てかけてある。
ひっそりと動きを止めて佇んでいる車輪が背景としてただ自然にそこに存在しているのだけど、なぜここに?の違和感を感じ出したら円のイメージに囚われてしまう。
思い出せば一列に並んだ女性達が押並べて顔の横にかざしていたパンも、カゴに積まれたざくろやりんごもさくらんぼも携帯ラジオのスピーカー部分も少女のあごのラインも少年の柔らかい頭髪の形も皆丸かった。
流浪の遊牧民が奏でる音楽を追いかけ、仕事場に向かうバスを途中下車する少年。芸人は馬車で移動する。
歩いて追いかける盲目で無力な少年に話しかけたのは人力車の少年。馬車を人力車で追いかける。
馬車のこじんまりした黒い車輪に比して、圧倒的にでかい(かつ軸のゆがんだ)人力車の木製の車輪。
大きさで勝っても馬力で劣る。
馬車と人力車が交互に映されていたのが次第に人力車ばかり映されるようになり、最後に馬車はどこともなくいなくなる。
だってどちらかというと無骨な人力車の車輪のほうが魅力的だから。だいいち壁に立てかけて静止していた車輪が今ここに見事に回っているのだから映すしかないでしょう。
円形や丸みが優位な世界では四角形や角ばったものは異質になる。
少女の持っていた長方形の手鏡は、たとえそこに鮮やかなさくらんぼが映し出されようが、指でなぞってまあるい顔を書こうが、所詮媒体が長方形なのだから少年の手で必然的に割られてしまう。
長方形の映画のスクリーンに対するジレンマのように。
もうひとつ、頭髪に巻くスカーフは頭の形を見事に丸く見せてはいるが、少年に似ても似つかない母親の顔は見事に角ばっている。
けりをつけなければ。
契機は期限が切れて家財道具とともに家を母親が追い出されたときにやってくる。
家を追い出されないために少年は頑張っていたはずだが、悲しくもお金を用意できなかった。
川沿いに建つ少年の家から小船が出て、そこには追い出された母親が乗っている。
この時少年は家におらず、対岸でその姿を眺めている。(少年には見えないが)
荷物とともに小船に揺られる角ばった母親。荷物というのがなぜか長方形の大きな鏡。陽光をあたりに反射して存在感抜群。
少年は母親の呼びかけにも答えずにその場を立ち去る。
盲目の少年が「運命」のフレーズを織り交ぜた馬の走るリズムに乗り、川辺を水しぶきを上げて馬のように走って。
お金も生活も、社会も肉親も断ち切って、聴覚と想像力を研ぎ澄ませた少年を円心に危うい夢幻の世界が成就する瞬間。
この瞬間にあの第五番が民族楽器によって演奏されるのだ。
かつ、少年の指揮と、流れる音楽と、画面に映る演奏する金物職人の3つは関係性で互いにつながりあっているのだが、てんでばらばらだったりする。
完全にフィットしないずらしの摩擦がうねり狂う渦になる。劇的に動的な瞬間。

危うい感覚やイメージというのも溢れている。
なにしろ少女の唇とあごのアップの多用は本当に監督はやばい人なのだと思った。
大人の女性と少女の狭間にある生々しく妖しい官能。そこまでどアップにするか。偏執的に追う監督。
そもそも盲目の少年が街をさまようこと自体が既に危ういんだけどな。
少女が発車しそうなバスの前を二度も横切ったり、親方に大事な耳を無造作に掴まれて引っ張られたり、割れたガラスを掴んだり、雨の中川辺を楽器を抱えて少年が走るシーンが意味ありげに(意味は特にないんだろうが)スローモーションだったり。
全て大事にはいたらないが、危ういイメージは付きまとう。他のイメージと相互に戯れながら増幅されて。
円形や丸みも他のイメージと合わさると危うい魅力を放つ。
少女の耳にかけられたさくらんぼ。少年が楽器の調律のためにかき鳴らすリズムに合わせてあごを振って踊る少女。丸いさくらんぼが揺れる。少女の官能の危うさと揺れるさくらんぼの艶のある円形の危うさ。
パンを買った少年の眼前に突き出された円形の平べったいパン。女性は少年が盲目のために気づいていないと知って、かざしたパンをそのまま優しく少年の丸い顔に付ける。
小さな驚きとともに気づいた少年は片手でパンを掴みながらもう一方の手でお金を渡し、そのまま丸いパンをひとかじりする。
この一連の動作の流れる美しさと、喰われることで不意に円形の均衡が崩れる危ういイメージ。しかしパンを売った女性の顔の横には次の円形のパンがかざされていて、何事もなかったかのように大きな円の循環で円が復活している面白さ。
名前を知らないが球形を形作る白の混じった赤紫色の花がある。その花弁を一枚ずつむしりとる少女。球形からもがれていく。花弁は少女のそばかすの顔のアップとともに鮮やかに付け爪へと変身する。同時に花弁を数枚もがれても球形をなんとか保っている花が、不完全さの魅力で残酷なまでに生き生きとしてくる。

微妙なずれ。
楽器を奏でる遊牧民は、最初なかなか顔がはっきり映らなかったため、勝手に若い青年だと思っていた。
しかし少女に話しかけられて振り向いた遊牧民は特徴ある顔したおっさんだった。えーっ。
盲目の少年の服が面白い。上は黒いセーターのようなものを着ていてかっこいい。だが背中の下の方には銀の竜の刺繍が!
下はなぜか黒いスパッツ。腰のあたりだけに白いラインが入っている。上と下のバランスからみて、上のもこもこに比して下があまりにぴっちりしているから少し弱弱しい。
上のセーターは脱いだり着たりと頻繁に着替えられる。セーターの下は白いTシャツ。キャラクターがプリントされた薄いシャツが女の子ものの服に見える。
一番面白かった服が人力車の少年が着ていた青いTシャツで、このTシャツは肩まで大きく開いた丸首のため、必死に走る少年の右肩から今にもずり落ちそうになっている。
薄い髪してうつろな表情で車を引く人力車の少年。いやらしいダンサーみたいだ。
盲目の少年は目が見えない分、蜂の羽音を聞き分けるほどに聴覚が敏感らしい。少年に流れ込む音は聞こえるものだけじゃなくて膨らんだイメージに溢れている。
音に敏感、のはずなのに。楽器の調律の腕は悪いらしい。ガラス窓に密閉された四角い空間の中で設定ははかなく揺れ動くのか。少女の方が「音が合ってないわ」と敏感だし。
固定的なイメージは避けられる。また、勝手に作ったイメージははかなく崩され、そして思いもしないイメージが突然付与される。
"ずれ"や微妙さによってもたらされるイメージは常に流動的重層的で、溢れるイメージと格闘している様。
少女は盲目の少年をひたすら見つめる。少年には見えないのに耳にさくらんぼをかけて着飾ってみたり。
少年が迷子になったとき、少女は少年と同じく目をつむって視界を閉ざす事で少年とシンクロし、見事に見つけることが出来た。
なのに少年が大家がドアを叩く音は「ババババーン」だと言っているのに少女は「ババババ?」と可愛らしく返したりする。
「ババババーン」だと言ってるじゃないか!あほか!わざと間違ってるの?
円いタンバリンで何度叩いて見ても「違う」とダメだしされる。
とにかく少年とシンクロできない。
着飾って一心に少年を見つめてみても、少年は少女を見ることが出来ない。
大人になりかけの少女が少年を見つめることで見つめられることを想像する。つまり着飾った自分を一心に見つめているだけなのかもしれない。
年上の少女にとって盲目の少年は恋愛感情の対象ではなくて自分を反射して映し出す鏡か、可愛い弟か。

家からバスで通う親方の家だが、親方の家からたいして歩いたようには思えないのに少年は自宅の対岸に歩きつく。
そして少年がそこから馬のように飛び跳ねて駆け出すと、一気に鍋打ちの少年のところまでたどり着く。
鍋打ちの少年はバスを途中下車したところにいたのではなかったか。
自宅、鍋打ちの少年がいる所、親方の家の3箇所はバスで移動しなければならないほど遠いはずではないのか。
水辺の背景で水しぶきを上げて走っていた少年の幻想的なスローモーションから、瞬間移動とも言える空間の移動が行われるとスローモーションが解かれる。
移動後の背景は生活空間である鍋打ちの少年のいる背景で、日常の空間を先の空間の続きのように少年が馬のように飛び跳ねて画面を横切っていく。
違和感のともなった感動的な遷移。
少年が出現すれば日常空間も次第に幻想空間に変貌する。
着ていた黒いセーターがいきなり肩からかかっているだけになっても、少年の指揮を見ているはずの鍋打ち達が全然少年の指揮に合わせていなくても、スポットライトのように光が降り注ぐ地点で少年が立ち止まって両手を挙げたとき、肩からかけていたセーターが落ちて上半身裸になっても、?マークどころかイメージが相殺されては次々に湧き出てくる不思議なラスト。

2004年10月24日日曜日

映画『牧童と貴婦人』

1938年 監督:ヘンリー・C・ポッター
BS2 録画


渋メンことゲイリー・クーパーとおでこ系美人で「ユピィー!!」と叫んだマール・オベロンによる軽快な恋愛コメディ。
邦題の通り牧童と貴婦人のどたばた。

クーパーがコメディ演技をすると、その渋い顔のせいかむっつりやらしい感じがする。
母のエプロンの紐を何度も何度ももうぶちきれそうなくらい意地悪してほどく仕草、というかにやにや顔でいたずらするクーパーのなんとすけべなことか。
しつこすぎるよ。
虫取り用だかなんだかぶら下がっていた粘着テープが腕や服にからまってしまったオベロンが、近くにいた髭剃り中の男のアドバイスで足で踏んで剥がすシーンがある。
ハイヒールでそっと踏みつけるオベロンの、アップで映し出された足が非常に綺麗だった。
ひざ下まで伸びたスカートで露出は高くないんだけど。すらりとして。
というように結構エロい映画。

2004年10月23日土曜日

映画『エンジェル・スノー』

2001年 監督:ハン・ジスン
BS2 録画


エンジェル・スノー

「パパだ」のイ・ソンジェ主演。
この人が出演した作品ってこれ含めて3作しか見てないけど、どれも印象が違うな。
今回はとてつもなく妻思いの優しい男を演じる。
ところで韓国四天王って誰だろうと思って調べてみたらペ・ヨンジュン、チャン・ドンゴン、ウォン・ビン、ソル・ギョングなのね。
(ソル・ギョングしか見たことないな)
イ・ソンジェがなんで入っていないんだろう。

映画は、子供を熱望するがなかなか宿らない若夫婦の苦悩の物語。
さあ、泣こうかと思って見ていたのだけど、結局一度も泣けなかった。
とりあえずイ・ソンジェはよかった。

2004年10月20日水曜日

映画『酔っぱらった馬の時間』

2000年 監督:バフマン・ゴバディ
BS2 録画


酔っぱらった馬の時間

これはちょっと。
本当、なにも書く気が起きない。
というか書きたくない。
あまりに素晴らしくて何日も声を失う。
今まで見てきた映画のほとんどが愚鈍でくだらなく思えてくる。(…は少しいい過ぎか)

イランのバフマン・ゴバディ監督長編第一作。
イランに住むクルド民族の生活を綴った作品で、監督自身もクルド人。
キアロスタミの助監督をやっていたらしい。
「酔っぱらった馬の時間」というタイトルを持つ映画が面白くないはずがないと思って録画していたのだが、作品は期待以上に凄かった。
扱ってる題材が重く、監督のクルド人の現実を伝えようとする思い入れも強いはずだが、ただのプロパガンダどころかどこを見てもつつましく鮮やかな映画の感動に溢れた驚愕の名作。

2004年10月17日日曜日

映画『テヘラン悪ガキ日記』

1998年 監督:カマル・タブリージー
BS2 録画


時に図々しい悪ガキで、時に母親に持てる限りの愛情を向ける健気なガキで、時にゴキブリのような恐れの対象で、時に人見知りのする小動物なガキの物語。
少年更生センターにいる少年メヘディは幼い頃に失くした母親の面影と瓜二つのソーシャルワーカーの女性職員に出会う。
メヘディは父親から母は死んだと聞かされていたがそんなことは理解したくない。
やっぱり母親は生きていて、やっと会えた。
ってことでセンターを脱走して母親に会いに行く。
単なる思い違いだと知らずに。というかあなたの母親じゃねーって言ってんのにメヘディの幻想は消えることはない。
母親と信じて疑わない女性の下へ図々しく押しかけて拒絶され、受け入れられたと思ったら裏切られ・・・

メヘディの父親は交通事故で亡くなったため、両親がいない。
停車中の車に煙草や新聞を売り歩いてなんとか自活はするが、生活云々とは別で母親を欲する気持ちは歯止めがきかない。
母親を探し出せないでいる自分は水をぶっ掛けたくなるほど大っ嫌いだが、母(擬似的)と生活している自分は最高に幸せで大好きだ。
また、メヘディに「母さん」と呼ばれる女性は夫を亡くし一人娘を大事に育てている。
メヘディを養うような余裕もないし、メヘディのような社会からはみ出た人物を受け入れきれないある理由もある。
言葉遣いが悪かろうが、飯を手づかみで食おうが、メヘディにとってはそれが今まで生きてきた中で自然に学んだスタイルなのだが。
ただ母親に愛してもらい、一緒に暮らしたいというメヘディの一途な思いが切ない。
と同時にくそ生意気なガキめ、という憎らしさも潜めた悲しきコメディ。

結構感情が交錯する。
メヘディの危なっかしさを和やかに繋いでくれるのがソーシャルワーカーの女性の愛娘で、この子が非常に可愛らしい。
とにかくこの子の笑顔が母とメヘディとの空隙に流れ込むとほっと安心する。

ビニール手袋という小道具が最後におよぼす作用を普通に想像できるのだが、なぜかやっぱり泣ける。
オープニングの静止ショットの繋ぎとラストの一日の経過シーンは良かったな。

2004年10月16日土曜日

映画『非常線の女』

1933年 監督:小津安二郎
BS2 録画


小津安二郎 DVD-BOX 第四集

お米のような顔した日本美人田中絹代の洋装が恐ろしく似合わない。
しかも田中の役は、昼は堅気でしとやかなタイピスト、夜はダンスホールにくりだす「ずべ公」なので、昼夜で着る服が変わる。
和服は絶対着ないで全部洋装なのだが、本当なんというか次から次に着せちゃいけないものを着せているような。
それでいて背中の開いた白いドレスに身を包んだ田中絹代がぽっちゃりと官能的であったりする。
というのも彼女が不意に動いたときに、ドレスの右肩がずれ落ちて丸みを帯びた肩が露になる瞬間が一度ならず二度もある。
演出なのか偶然なのか、突然現れる肌理の細かそうな美しい素肌となで肩気味のラインの美しさが一気に官能を呼び起こさせたのね。
ドレス(洋)と顔立ち(邦)のアンバランスの違和感の中、ドレス(洋)のいたずらが露にした日本女性の官能(邦)っていうような並置の仕方が面白い。

ヒロインはもう一人いる。水久保澄子。
こちらは終始和服で長屋みたいな家に住んでいる。
弟思いでしとやかで、レコード店で和服で働く。
この人の心持ち首をかしげた状態で相手をじっと見つめる視線は、いじらしさや強さ温かさ等々様々な相貌を秘めて相手の心を貫く。なんという魅力。
特に田中絹代に拳銃を突きつけられた時の、表情をほとんど変えない無言のクールさと視線の動かし方には惚れ惚れする。

映画の内容は、街の与太者グループのボス岡譲二とその女田中絹代がいて、譲二の仲間になりたいと志願してきた三井秀夫がいて、三井秀夫の姉水久保澄子は弟を心配して譲二に弟を仲間から外してくれとお願いしに行き、そんなこんなで澄子の視線の魅力に一発で射抜かれた譲二はこの堅気の女を好きになってしまい、さあ、どうしよう、って話。

2004年10月11日月曜日

映画『スイミング・プール』

2003年 監督:フランソワ・オゾン
at ギンレイホール


スイミング・プール 無修正版

いつまでも若く、貪欲に人生を謳歌したい。という願望。
ラストの謎かけがどうのこうのというよりもリュディヴィーヌ・サニエちゃんがかげろうのように揺れて消えてしまうようで寂しい。

『8人の女たち』(2002)で最年少の次女を演じたリュディヴィーヌ・サニエ。
中学生くらいの少女かと思っていたのに20代半ばらしい。
ぽろんぽろん惜しみなくこぼれるたわわな胸。均整のとれた美脚。いたずら少女のような幼いハスキーボイス。そして少しアクの強い顔。
あばずれ女ぶりが可愛らしい。
対するは1946年生まれのベテラン女優シャーロット・ランプリング。
目つきがいやらしい痩せ型のおばさん。
負けじとプールサイドで陽光を受け止める水着姿がつま先からなめるように映される。
しまいにはぺろ~んと。
ぺろ~んとありえないくらいに綺麗な胸が!
さらにさらに陰毛まで!
否応ない理由(?)から訪れたおばさんの性の解放は、シチュエーション、相手、共に滑稽に痛快。

映画『真珠の耳飾りの少女』

2003年 監督:ピーター・ウェーバー
at ギンレイホール


真珠の耳飾りの少女 通常版

とにかく主演のスカーレット・ヨハンソンが唯一映画の中に存在している人物かのような美しい佇まい。
禁欲的に落ち着いた映像の中、これまた禁欲的に頭巾で頭髪を覆い隠したスカーレット。
顔立ちが美しいというよりも服や頭巾では隠しきれない官能的魅力がスカーレットからあふれ出ている。

オランダの巨匠フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」にまつわるお話。
11人の大家族を養った寡作のフェルメールの生活や経歴には謎が多い。
この映画はトレイシー・シュヴァリエのベストセラー小説の映画化。
フェルメール(コリン・ファース)の家に使用人としてグリート(スカーレット・ヨハンソン)がやってくる。
気位高いフェルメールの妻や、くそがきに精神を侵食されるグリートが唯一安らげる場所はフェルメールのそこだけ聖域のようなアトリエ。
アトリエの掃除をせっせとするグリートと、聖域の主フェルメール。
グリート自身が否応なく放つ魅力とその隠された審美眼に惹かれたフェルメールは次第にグリートをアトリエに引きとめ製作の手伝いをさせるようになる。
だが、まあ、いろいろあるよな、当然。身分差とか一方は既婚だとか。ふつーに。
ストーリー上あっさりとしているけど、官能と醜さはそれなりに表現。だってフェルメールはあの奥さんとの間にぽんぽん子供作っちゃってるんだもんな。

フェルメールの妻(エシー・デイヴィス)はあまり美人じゃない。
だが一途に夫を愛しているのね。
ラストの方の嫉妬感情のとめどない表出シーンでは、顔くしゃくしゃ目しょぼしょぼで凄い顔しているのだけど・・・なんかかわいい人だ。

2004年10月9日土曜日

映画『H.G.ウェルズのS.F.月世界探険』

1964年 監督:ネイザン・ジュラン 特撮:レイ・ハリーハウゼン
BS2 録画


H.G.ウェルズのSF月世界探検

1964年、人類は初めて月に降り立った。と思ったらなぜか月の岩に小さなイギリス国旗の旗が刺さっているではないか。
旗とともにあった紙片には1899年と記されている。
衝撃の事実。人類は19世紀に既に月に行っていたのであった。

1899年に月に行った人物の物語が描かれる。
重力を遮断するいかした糊を発明したイギリスのいかれた科学者と、彼の発明に目をつけた欲深き破産者とその婚約者の三人が月に行っていた。
なにしろ昼は100度以上、夜は-150度以下という世界にただの潜水服で行こうとするのだから凄い素敵な奴らだ。
さあ、レイ・ハリーハウゼンである。月になにも生物がいないわけがない。
特大のむかでの化物かとおもいきや脊椎動物だったり昆虫のような月の住人がいたり。
って特撮や宇宙船の造型がナイスとかいう感想よりもとにかく無責任で自分勝手な人間という種族をいやというほど見せつけられて辟易する。
なんてアホで野蛮なんですかねぇ。
月という未知の世界への冒険ロマンと、おい、お前今地球に住む人類の一人としてとんでもないことしてんぞっていうどうしようもない嘆きが常に表裏一体にある。
もっと責任持った行動しようよ。大人なんだから。人類史上最高のバカップルに見えてしょうがない。

2004年10月3日日曜日

映画『キル・ビル Vol.2』

2004年 監督:クエンティン・タランティーノ
at ギンレイホール


キル・ビル Vol.2 (ユニバーサル・ザ・ベスト2008年第2弾)

明らかに変じゃん、よくよく考えるとおかしんじゃん、っていうことをタランティーノがさりげなく、でも気づけよと言わんばかりに堂々とちりばめつくした作品。
いや、別にこのシーンは何の映画のあのシーンのオマージュ(というかほぼ茶化し)だとかを楽しまなきゃいけないとか言ってるんじゃなくて(元ネタなんてほとんど俺分からなかったし)そうじゃなくて普通に考えてそれはおかしいでしょっていうのがいっぱいあるってこと。
この胡散臭さは他の映画ではそういうもんだと普通に納得して見ていたこと(ワイヤーアクションとか)も、さらには真面目そうなシーンまで全て胡散臭くする。
なんで胡散臭いかっていうのはこの人、絶妙にずらすんだよな。そして外れすぎそうになると突然リアルを加える。

身動きがまったくとれない状態(例えば運動マットにくるまれるなんて考えただけで恐ろしい)って僕大嫌い。
だからブライドが木の棺桶に入れられたときはこっちまで息が苦しくなる。
手足を縛られたまま棺桶に入れられ、蓋は釘で打ち付けられていく。
一本また一本と打ち付けられるたびに棺桶の中に差し込む光が喪失する。
最後の一打ちで光は全て閉ざされ、ブライドの荒い呼吸音と共にばさっばさっと土がかぶさる音がする。
今までの罪を悔いてブライドに殺される事を望んでいる風のビルの弟バドは、ブライドに懐中電灯を持たせていた。
闇の息苦しさに詰まって懐中電灯が点くとまぶしく浮かび上がるブライドの顔。今度は生き物として動く事を悲痛に禁じられた空間の息苦しさに詰まる。
懐中電灯でがつがつ蓋を叩いてみるがびくともしない。
どう考えても助からないでしょ。

はちゃめちゃでなんでもありだと思わせておいて突如現れるリアルにどきっとする。
硬い板を拳で何度も突けばそりゃ血も出るさ。
「五点掌爆心拳」なる最高にそそられる名前の必殺技の話が出てくるから埋められたブライドはこの必殺拳で板も土もぶわーっと吹っ飛ばすのかと思いきや脱出方法はリアルに地味だし。
かつ体が通れるくらいの穴が板に開く前にふりそそぐ土の重さで動けなくなるんじゃないかという疑問も、血を流す拳でついに板を破ったチープなまでの感動と土をかきわけゾンビのように地面から手が出現するシーンの笑いのためにどうでもよくなる。
ファンタジーながら生々しいリアルも突きつけ「ふんっ」と笑えるテイスト。混在のさせ方が上手い。

エル・ドライバーが隠していた毒蛇は彼女の暗殺道具じゃないのかね。
毒牙にかかり苦しむ男に向かってメモを取り出したエルは、ネットで調べたと言ってこの毒蛇の恐ろしさを高説する。
ふーん・・・えっ?ネットで調べた??この蛇の事よく知らんの?手塩かけて育てた暗殺道具じゃないの?
その毒蛇まだどこかに潜んでいるよ。お前も危ないじゃん!なに余裕かましてくつろいでんのさ。
かつブライドまでやってきて、狭いトレーラー内で金髪女二人の死闘が始まる。蛇はどこへいったやら。
日本刀を持った二人の人間。一歩外に出れば広がる荒野に出さずに敢えてトレーラー内。この狭さで刀は振れない。
狭い通路で静かに対峙する二人。この狭さだ、これは突きしかない。相手も突いてくるだろう。相手の突きを刀身でそらしながら突くか?等々無駄に考える。
忘れちゃいけないのは現実的な戦いなんてしないよね。
対峙する二人の距離が縮まりいきなりつばぜり合いになったっていいよ。他の映画でもよくあることだし。
そうなんだ。なぜか現実的思考をついしてしまうのはこの映画の胡散臭さ(ずらしと強引さと生々しさによる)のせい。
死闘が終わり立ち去るブライドの足元には、私はここにいましたよって感じでブライドを威嚇する毒蛇がいる。
しかもブライドは結局毒蛇の存在なんて一向に知らないまま立ち去る。かわいそうな蛇。

ところでビルの弟バドは凄腕の殺し屋だったらしいが、勤め先のクラブではガタイはよくないが強面の上司に遅刻を怒られ、無様に言い訳してはいいくるめられてうなだれるただのしょぼいおっさん。
本当は強いのに今は普通の生活をしている渋さ。
バドは最強の殺し屋ブライドを捕らえる。バドは凄腕なのだから。
しかしエルの話を聞いていると、バドが本当ただの間抜けなおっさんに見えてくる。
そうなるとそんな男に不意打ちとはいえ殺されかけたブライドまで間抜けに見えてくる。
周りの人物まで巻き込んでびみょーな人物に仕立て上げたバド。
腕のたいした見せ場もないまま消えていったバドだが一番魅せてくれた人物でもある。

西暦1000何年だかに伝説を作ったカンフーの達人パイメイ。ブライドはパイメイに師事する。
元弟子で恋人のビルがパイメイにブライドの弟子入りを頼みに行く。
ビルは顔にあざを作って戻ってきてブライドに弟子入りOKだと伝える。顔のあざの理由は言わない。手合わせでもしたのか?
この展開、元ネタは知らないけどいかにもカンフー映画にありそうな話で笑える。
パイメイは超人的に強い。剣で襲い掛かるブライドなんて軽くあしらう。おお、突いた剣の上に乗っかっちゃってるよ。ブライドはなんて怪力なんだ。
ブライドのカンフーはわざとそうさせたのか知らないが、腰が入らず手だけで繰り出しているようなチャチなカンフーで、かつ構えだけは立派だというバランス。・・・ん~、やっぱりわざとチープにしたんだろうな。
超人的に強い上になぜか超人的に傲慢なパイメイ。飯のシーンで短く師匠と弟子の感動的な愛を胡散臭いノリで描く。
超人的に強いパイメイ。"最後のとき"は一瞬普通に納得してしまったがすぐ思い直して笑う。

緊迫の突入から肩透かしで始まる親子再会。なんなの?この子供の初めて会う母親に対する感動のなさは。
大仰な感動にせず、少しずらす。
北斗神拳のような五点掌爆心拳もうまいことに笑い寸前の感動シーンを作り上げる。

語彙がとぼしいから簡単に「感動」って言葉を使っているけど実際に感動したのはなんだかんだ言っても「恨み節」の梶芽衣子の声だけだったのだけど。
・・・なんでこんなに文章が長くなったのかといえば、冒頭の段落で簡潔にこの作品全体の印象を書いて終わるはずが失敗し、むかついてとりあえずやめて部分的な感想を書いてみたらなんかわかるかなと思って書いていたら長くなっちゃった。
それで今この時点で考えがまとまったかというとさっぱしだな。
まあ、そこそこ面白い。vol.1よかこっちが面白かったな。

映画『レディ・キラーズ』

2004年 監督:イーサン・コーエン
at ギンレイホール


レディ・キラーズ

今頃知ったけどコーエン兄弟の作品だったんだな。ふーん。
オープニングは面白かったな。
魔女のようなばあさんの像が映し出され、そこにひょいっと大鴉が飛んできて頭に乗る。
画面は上空からの真下を見下ろす固定ショットに切り替わる。
橋と河が映し出されているのだけど、よく見ると橋の柱からなにかが突き出ていて、そこに鴉が止まっている。
これで先ほど映し出されていた像は橋の柱から突き出ていた像なのだと知る。変な像だ。
暫く見ていると橋の下からゆったりと姿を現す船には大量のゴミが積まれている。
動きのない画面から突如に動きが加わり、かつアングルが奇抜な位置に飛ぶ。そして再びたいした動きのないショットの一部がゆっくりと動いていくっていうつなぎ方の(まあ、書いてみるとシンプルだけど)センスにこの映画は面白いかもと期待を抱く。
・・・ああ、オープニングは「おっ」と思わせ面白かったんだよなぁ。

トムハンクス主演の犯罪コメディ。

さようなら、マイチャリ

※以下、いつも以上に個人的な話
愛用の青いママチャリ。7年ぐらい乗っていただろうか。
高校の頃一度トンボ型3段ギアの自転車に乗っていた気がするがそれ以外は一途にママチャリを愛用している。
この自転車、3回盗まれている。
1度目は蒲田で盗まれ、何日かして蒲田の全然違う場所で偶然発見して持ち帰る。
2度目は実家の団地の1階駐輪場に置いていたら盗まれた。
新しい銀色のママチャリを購入して乗り出す。
数ヵ月後警察から電話が入る。自転車が見つかったと言う。
交番に取りに行くと恐ろしい姿に変貌したマイチャリを見る。
前かごは取り外され、ハンドルは鬼ハン仕様、リアキャリアの後部は申し訳なさそうに斜めに折り曲げられ、ださいステッカーまで貼られている。
「あなたの自転車ですか?」と聞かれて思わず吹き出したが「そうです」と言って持ち帰る。
数日後、大学でいそいそ遊んで帰ると、親が今日下に自転車屋が来ていたから直しておいたと言う。
見に行くと、ハンドルは新しく付け替えられ、リアキャリアは見事に矯正され、なにか形的にバランスの悪い前かごまで付けられていた。
ちょっと不恰好なこの自転車より、新品の銀色チャリの方がよかったが、なにか惹かれるものがあったため銀色チャリは姉にゆずる。
数日後、地元の図書館で勉強していると突然中学生程の少年が「まじむかつく!」と叫んだ後、壁やドアをおもいっきし蹴っ飛ばしながらなにやらぼそぼそつぶやいて閲覧室を出て行く。
閲覧室でくっちゃべっていた奴がいたから勉強に集中できなくてぶちきれたのだろう。
直接言えよ直接。とりあえずこんな輩とは関わりあいたくない。
閉館後、自転車置き場に行くとオーマイガー!!マイチャリが苦しそうにぶっ倒れている上に前かごがぐにょぐにょにひん曲がっているじゃないか!
手で曲げられるような硬さじゃないのに、工具でも使ったのか?一部かごが破けている部分まであるし。とかそんなことはどうでもよく犯人は確実にあのアホな少年だろう。
久しぶりに腹が立ってなにか蹴飛ばしたくなったがそれはあの少年と同じなので思いとどまりかごのへこんだりしている部分をなんとか手で直す。それでも変形と破れた痕は生々しく残ったのであった。

2000年12月、蒲田で再び盗難される。
40分以上かけて歩いて自宅に帰る。
4日後、出かけるときにふとエレベーターホールの自転車置き場に置いてあった自転車になんとなく近づいてみる。
ん?色、形といい、かごの破れといい、正しくマイチャリ。
オー!マイチャリ発見!
もしやあの日蒲田まで自転車でいかなかったのかと考えてみるが、バスに乗った記憶もましてや歩いた記憶も全くない。間違いなく自転車で蒲田に行きそこで自転車は失踪した。それに私はいつも自転車は1階に置いているからエレベーターホールにあるわけがない。
・・・自分で帰ってきたのか。
蒲田で消えたチャリが今我が団地の我が住んでいる階のエレベーターホールにいるという事実にぞっとする。
親がどこかで見つけて持ってきたのか?いや、そんな話聞いてないし鍵もかかったままだ。
自転車には住所も名前も書いていない。私の住所と私の自転車を知っている人。自転車見つけてくれたあの警官?にしても黙って置いていくわけないし。
とりあえず戻ってきた事は確かだし、この日は姉に譲った銀色チャリを借りて出かける。
翌日、夜、母と自転車の怪異について話していると「鍵はちゃんと開くのか?」と聞かれる。
未確認だが、見たところ鍵の種類が変わっているとも思えない。
「なんで確かめないんだ!」と怒られる。
私は考えもしなかったが、母は団地のこの階の住人が盗んだ可能性を考えているらしい。
怒られた事にむっとして、確かめりゃいいんだろと怒って鍵持って行ってみる。
まさかと思ったが鍵ははいらなかった。
偶然にも蒲田で私の自転車を盗んだ犯人はこの階の住人だった。
だが、どうすりゃいいんだろう。
さらに翌日、母と一緒にもう一度鍵を確かめに行ってみる。
家を出るとちょうど初老の小柄なばあさんがエレベーターを待っていた。
人がいるところであまり話したくないなと思いつつ、親とやっぱりうちの自転車だよねと話している間中、ばあさんは興味ありげにこっちを見つめ続ける。
ばあさんがこちらに近づいてくる。
「それ、おたくの自転車ですか?」
そうだと言うと「ああ、ありがとうございます」と言うので驚く。
このばあさんは一体何を言っているのか。
話を聞くと、ばあさんも自転車を失くしたらしく、それで雑色駅のすぐ近くにあるスーパーの駐輪場で自分のによく似た私のチャリを発見し、鍵も合ったので持ち帰ったそうだ。
母はしきりにこのハンドルやかごは別物をつけた奴だとかリアキャリアの直しの跡などを説明する。
ばあさんは家から鍵を持ってきて「ほら開くでしょ」と実演して見せ、「あたしも鍵が合わなければ持ってこなかったんですけどねぇ」と言う。
このばあさんも耄碌してただ自分の自転車と間違えたのだからそんなに責めなくてもと思いつつ、ひとまずこの自転車が私のチャリだということに納得してもらったので別れてそれぞれの家に帰る。
母は怒っていた。
あのばあさんはちょっと変人と噂されている人らしく、言ってることもめちゃくちゃで絶対ばあさんが盗んだと言い張る。
よくよく考えてみると最初の嘘とは思えないセリフ「ありがとうございます」で驚くと同時にこのばあさんは悪くないと思い込んでしまった。
だからただ間違えただけなのだと。
しかし自分の自転車だと思っているのならおたくの自転車かなどと聞くか?むしろ私の自転車になんか文句あるのかくらいの勢いで私と母を問い詰めるべきだろう。
それに私と親の会話を耳にしてもしや自分の自転車じゃないのではと思ったのなら二言目に「すいません」と言うべきがいきなり「ありがとうございます」とは何なのか?
ばあさんが最後に言った「じゃああたしの自転車はどこなのかしら、下にあるのかしら」というセリフにも母は大激怒した。
確かに失くしたと言っているのに「下にあるのかしら」じゃないだろ、って。
っていうかなんでこの支離滅裂なばあさんの話に聞いてるとき私は疑問を持たなかったのだろうかという一点にげんなりする。
さらに翌日、大学行くために家を出てふと見ると私の自転車がない。面白すぎて笑ってしまった。
帰りに見たらあったからこの日ばあさんが乗っていたということだ。
この事実を話したら(何度も書くが)母は激怒した。
さらに翌日、以下聞いた話、私は見ていないが母の話ではこの日もやっぱりばあさんが乗っていたらしい。
たまりかねて母は近所のおばさんと共にばあさんの家に問い詰めに行った。
ばあさんは「えっ?あたしが?」とすっとぼけたり、自転車はどこで買ったのかという問いに商店街の店だとかオリンピックだとかとにかく言ってることがめちゃくちゃだったらしい。
暫く問い詰めているとばあさんの夫が出てきて全て判明する。
夫の会社(工場)が蒲田にあり、夫は妻(ばあさん)の鍵を失くしたという話を聞いて、車で蒲田に止めていた私のチャリを工場まで運んで鍵を壊したらしい。
おい、雑色のスーパーで見つけたんじゃねーじゃん。鍵が開くのを実演して見せたのだって自分で付け替えたのなら開くのは当然だし。
さらに翌日、ばあさんが家に来たらしく「蒲田で探したら私の自転車ありました、すいません」としきりに謝って帰ったとのこと。
ばあさんの自転車を教えてもらって見てみたら確かに私のと一緒で青系の自転車だがどっからどうみても全然違うじゃん!

ついでだが・・・
その2日後くらい、母が自転車で事故った。
車の運転手は「かんべんしてくれよ」と言って逃げたらしく、他にも周りにいた人たちの自分に対する冷たさにさんざん文句を言っていた。
ってつまりまあ軽症だったのだけど。
母の怒りは収まらない。警察に乗り込んで行って大分経ってから戻ってきた母は苦笑い。
なんのことはない、その事故った交差点は信号があったそうだ。
長年それに気づかなかった母は猛スピードで信号無視して突っ込んではねられた。
たいした怪我じゃないからよかったが。

2001年の夏には硬かったサドルに柔らかいサドルカバーを装着。
タオル生地の薄いシュラフも購入して自転車旅行へ。
東京から日光、水戸、霞ヶ浦とぐるっと北関東を回ったのも愛用のこの青いママチャリだった。
日光の坂を下った朝6時には前輪ブレーキのワイヤーがぶちきれる。
苦楽を共にした思い出のママチャリ。

話は今日に戻る。
朝からしとしと雨が降り続ける。
傘をさして歩いて蒲田に行く。
会社の駐輪場に置きっぱなしだった自転車を引きずってパンク修理のため自転車屋に持っていく。
修理をお願いして店員の兄さんがチェックすると「ああ、これはもうタイヤもとりかえなきゃ駄目ですね」と言われる。
そういえば3,4年前にも別の自転車屋でそんなこと言われた記憶がある。
タイヤとチューブを取り替えるといくらになるか聞くと、4千円弱だと言う。
一瞬迷ったがお願いする。
1時間後くらいにできると言うので名前と電話番号を書いてマックに向かって歩き出す。
大分歩いてから電話が入る。
店からで、「ペダルの方に違和感を感じませんでしたか?」と聞かれ、なんの話かと思ったらペダルががたがたで中の軸も壊れてしまっていて直すとなるとさらに4千円弱かかると言う。
う~ん。とりあえず修理を待ってもらって店に戻る。
店で店員の説明を聞いてペダルの状態を見せてもらうと確かにがこがこだ。ずっと前からそんな感じだったから気にしていなかった。
考えてこの愛着のあるママチャリを思い切って処分しようと決意する。
タイヤの溝は磨り減って完全に消失し、ベルは自転車買って二月くらいで盗まれたままで、ライトは3年前から点かず(何度警官に呼び止められたことか)、防犯登録の番号の一部は盗まれた際に削られ(何度警官に怪しまれた事か)、サドルカバーには細かい穴が開いてしまったらしく雨の日から3日経ってもサドルに座るとケツがパンツまで濡れるから見た目は悪くともスーパーのビニール袋をサドルにほぼ常にかぶせていたし(サドルカバーを外せばいいという話だが)、さらにはペダルがガタガタときたらこれはもう。
とりあえず持って帰ってゆっくり次の自転車をネットや店で調べようかと思ったが、ちんたらしないでこの店で買ってしまおうかと思う。
店にある自転車を見せてもらう。
かごと荷台が付いてるのがいい。長距離、例えば東京から京都にも耐えうる自転車がいい。MTBもいい。折りたたみもいい。
決められない。というかパンク修理に来ただけなのにいきなり別れが訪れたことへの戸惑いが消えない。
未練がましいことは言うまい。
最後に店員に勧められた自転車を思い切って買う。
が、金がないため一先ず銀行へ行く。
出るときにあの自転車はどうするかと聞かれ、処分をお願いする。
ああ、そういえば今まで自転車の買い替えは全て盗まれた契機だったな。自らの意思で終止符を打ったのはこの青いママチャリが初めてだ。
店の外から既に店内に運ばれている私のチャリを見やると、あの歪んだカゴがにこやかに笑いかけているみたいだった。

金を持って店に戻ると青いチャリはどこかにやられて消えていた。
代わりに購入した自転車が置いてある。
さて、問題はこのニューチャリだが色が微妙だった。
クリーム状のうんこ色に前後輪の泥除けとチェーンのカヴァーが艶のある黒色で、うんこ色も微妙だが黒との組み合わせもまた微妙。
店員はこの色や取り合わせがかっこいいと言う。
のせられて買った自転車だが青いママチャリの後継機、大事に使おう。
と思った矢先から駅近くの違法駐輪の列に止めて雨ざらしで飯田橋へ。このくらい耐えてもらわねば。


2004年10月2日土曜日

映画『ミッドナイト・エクスプレス』

1978年 監督:アラン・パーカー
BS2 録画


ミッドナイト・エクスプレス 製作30周年アニバーサリー・エディション

なんじゃ、列車が出てこないじゃん。
トルコから麻薬20kgを持ち出そうとしたが、あちゃー、失敗しちゃった。
アメリカの若者ビリーはトルコの刑務所に収監される。

飽きずに見れる。
主演のブラッド・デイヴィスは無駄にむきむきだしアホそうで嫌な顔してると思ったが、結構熱演。

2004年10月1日金曜日

今週は

9/27(月)の田川寿美コンサート以来なにもする気が起きずに仕事を辞めましたなどという論理が成立するべくもなく毎日あくせく働いていたのだがこういう気力の無いときに限って仕事が忙しいという不幸に見舞われた上に一月前に直したばっかなのに再び自転車がパンクするという不運が重なり本気で悲しい寝不足状態のまま今朝の満員通勤列車でつり革に掴まってうとうとしているとすぐ近くに立っていた茶髪のスーツ着た兄ちゃんが目の前のおっさんにもたれかかったと思ったら崩れるように床に倒れ、大丈夫ですか!とびっくりして声をかけても反応なくうつぶせている兄ちゃんの目はうつろに開いたままで、時折体全体で痙攣する姿を見ながらどうすればいいのか全く分からずおろおろしていると若い私服の兄ちゃんがとりあえず次の駅でおろしましょうと提案し、倒れた男の周りにいた乗客は皆心持ちほっとしたように男を見下ろしたりそっぽむき出したりで、あまりに自分は無力だなぁという気持ちと車内はあんなにぎゅうぎゅうだったのに男が倒れた途端にえらいスペースができたのねと気づいて感慨にふけりだし始めたところで男がおもむろに開いた目のまま両手だけを動かし手のひらを床にぴったりつけ、ぐぐっと起き上がったので息を詰めて皆が見守り、心配そうに見つめていた乗客は立ち上がり目頭を押さえている男にむかって大丈夫ですかと声をかけ、おばさんがとりあえず座った方がいいですよという言葉を聞いた着席中のがたいのいい30才くらいの人が立ち上がり席をゆずり、結局2,3人が無駄に空けてくれた席に着席した男を見て車内はいつもの満員列車に戻ったのだけど、尋常じゃない倒れ方した男は大丈夫だろうかと心配しながらも浜松町に着いたために先に下車して築地市場の会社で仕事をこなし、帰宅の電車ではぼーとしすぎて蒲田に着いた事にも気づかず閉まりかけのドアを危うく飛び降り、いつものくせで会社の自転車置き場に向かって歩いたがそういえば自転車パンクしていたんだと思い出したときには自転車の置いてある家とは反対方向に大分歩いてしまったために来た道を引き返して歩いたら20分以上はかかる家までの道のりを思って鬱屈しながら22時をまわった今、家で何か作る気も無く火曜に買ってきた食材をほとんど使っていないことが不安ながらコンビニに立ち寄り弁当を買おうとしたが食いたいものがなくてしょうがなくカップラーメンと肉まんあんまんを購入して帰宅すると、先日のコンサートのDVD化はなさそうという情報を得てどよーんと沈んだ。



2004年9月27日月曜日

◇◇◇◇ 田川寿美コンサート ◇◇◇◇◇

私は田川寿美さんのファンです。
寿美さんの歌を聴くのが生きがいです。

仕事を早退して渋谷公会堂へ。
渋谷駅から人ごみの流れに沿って歩く。
渋谷公会堂に近づくにつれ、人の波は若者より年配の人が増えてくる。
少しだけひるみながらも会場に入る。
チケットに記載された席は7列目。探していると前の方の席はほとんど人で埋まっているのを見て、探すのをやめてロビーに戻る。
禁煙マークが見えるがマークの側に「喫煙は所定の場所で」と書いてある。喫煙所を探して1階2階をうろうろするが見つからず、1階の非常口らしきドアの前にいた係員に喫煙所を聞く。
全館禁煙とのこと。でも「どうしても我慢できないようであればこちらへどうぞ」と言われドアの外に案内してくれる。
どうしても吸いたいといえば吸いたいのだけど・・・
雨上がりの空を見上げながら1本愛しく吸う。

会場に戻り自分の座席を探す。ステージに向かって右端から3つ目だった。
開演まで待つ。
左隣には高校生くらいの若い女の子が座っている。右隣には長靴がキュートな小柄なおばちゃん。
傘を杖のようにして暫くぼーっとしていると、おばちゃんが「傘ここ置いていいよ」と言う。前の座席に沿って傘を置かしてくれた。
「どうもすいません。ありがとうございます」
「あのぅ、山内恵介さんですか?」
「えっ?」おばちゃんと目が合う。
「いえ、全然違いますよ。ははは。」
Yシャツネクタイのどっからどうみてもくたびれたサラリーマンの兄ちゃんつかまえて山内恵介とは面食らう。似ても似つかない。周りの人たちに比べて少し若いってだけで間違えた?
彼女の親切は俺を山内恵介だと思ったからなのかなぁ?
それにしても第二の美川憲一と密かに思っている山内恵介と間違われるとは。

いよいよ始まる。
1曲目はデビュー曲『女・・・ひとり旅』
おお!
となりの女の子がマリアを拝んでいるかのように手を合わせた状態で口パクで歌ってる!!
何者だ。田川寿美を目標に演歌歌手を目指している女の子なのか!
そうこう気をとられているうちに曲が終わってしまう。
それだけじゃなくてスピーカーから流れる音になんか違和感感じる。
オケは必要最小限で、ヴァイオリン、エレキ、ソプラノサックスやアルトサックスやフルート(←1人でやってた)、キーボード、ドラム、あとなんかあったかな。ベースもいたか。とりあえず全部一人づつ。
オケの音が聞こえすぎるくらいに聞こえたからうざかったのか、演奏が下手だったのか、演奏のバランスが悪かったか、寿美さんの声量にマイクが耐え切れず時折音が割れているように聞こえたからか。原因の特定が結局最後までできなかったんだけど。
席がはじっこの方でスピーカーのすぐ近くだった事も聞こえてくる音の違和感になったのかもしれない。
そもそもコンサートってクラシック等の生音でしか体験した事なくて(こないだのキュピキュピを除けば)、スピーカーで増幅されたコンサートって始めてだからただ戸惑ったのかもしれない。

次に初期の曲を3曲『思い出岬』『雪舞い列車』(←初めて聴いたがかなりの名曲)『みれん海峡』でデビュー当時からの足音を聞き、そして「華観月」「しゃくなげの雨」で会場を華で満たす。
→衣装チェンジ

ユーモアに溢れた司会のおじさんが場を繋ぐ。ラジオ「華のうた」の会話が流れたりもする。
何分も待った後、イントロが始まった。
寿美さんが登場してくる。その姿を見て息を呑む。
ワインレッドのドレスを纏い、華麗にステップを踏んで舞台中央に進む姿のなんという華やかさ。
華麗に、華麗な、とかちょっとでも動作や行動がかっこよかったりすると簡単に使う言葉だけど、本当に"華麗"な人って見たことあるだろうか。人に呼吸を忘れて見とれさせるほどの。
衝撃はまだ続く。
登場してきて歌った曲が『本牧メルヘン』でこれがまた哀愁の含んだ声で熱情的に歌っているのさ。感動とか通り越して震えてくる。
(「本牧メルヘン」は作詞 阿久悠/作曲 井上忠夫で鹿内孝が歌っていた。GS全盛期にヒットしたソロ曲。)
続けて因幡晃の『わかって下さい』。「涙で、文字が 滲んでいたーならー わかあてー くださいー」の切ない歌声とフレーズが頭から離れない。

一転古い叙情歌を。北原白秋の『砂山』と『城ヶ島の雨』。
歌声がじっくり聴けていい。これらの曲を聴かせられる歌手ってそういないだろう。歌声や情感がむき出しでさらされるから実力がないと聴いてられないだろうし。
『忘れな草をあなたに』そしてシャンソン『サントワマミ』。
『サントワマミ』はどこまでも伸びやかに広がっていく歌唱と可愛らしい声の歌唱の対比が正に「夢のような~」素晴らしさ。
この時だったかな、歌いながら舞台袖の方に歩いていき、歌い終わった瞬間にぴょんと飛び跳ねるようにして袖に消えていった。夢のように。
→衣装チェンジ

ピアノと寿美さん自らのギター弾き語り。
ドリカムの『やさしいキスをして』。なんでこんなにかっこいいのか。シンプルな演奏で歌が映える。
そして『ひばりの佐渡情話』。
これは凄い。何度か寿美さんが歌っているのを聴いた事があるのだけど今までで最高の歌唱だったと思う。
今までは上手に歌っていた感があったけど、今回はかなりいい意味でフォームを崩して歌っている。
基礎のしっかりした人が殻をやぶって自由に羽ばたきだしたらもう誰もかなわない。
今後も年を重ねるごとに常に衝撃と感動を与え続けてくれるであろう田川寿美に対する期待と、今耳から入って全身をしびれさせている奔放で力強い迫力の歌唱で胸がいっぱいになる。
次にギターを置いてピアノ伴奏のみで『初めから今まで』。冬のソナタの主題歌。
冬のソナタも見てないしこの曲はそれほど耳にしたことないのだけど、間違いなくオリジナル歌手よりかは上手いだろうな。持ち歌みたいに歌いこなしている。ハングル語で。
田川寿美の華やかさを見ていると、他の若手女性歌手が皆田舎娘に見えてくるのだけど、かといって寿美さんは都会の人って感じもしない。京都も少し違う。
無国籍なんだよね。和歌山出身の日本人で演歌歌手であることは確かなんだけど、日本人でもどの国の人でもないような。むしろ確かに今を生きている一人の人間でありながら、人間の域を超えた存在といった感じか。
→衣装チェンジ

紫の着物で登場。
『こぼれ月』そして『悲しい歌はきらいですか』。
私が一番気に入ってる曲『悲しい歌はきらいですか』は芯からざわざわ震えが来るほどの衝撃。
今までと歌い方が違う。語尾はくっきりと切って語りかけるように、かつサビは伸びやかに、流麗に。
歌で観客を空間ごと包み込んでしまうのは美空ひばりと田川寿美くらいなもんだ。
『浅野川恋歌』『雑草の泪』『哀愁港』『北海岸』『海鳴り』着物姿でしっとりと。
→衣装チェンジ

衣装チェンジの間、司会の話から次の曲は『女人高野』だと知る。
舞台が光で照らされると寿美さんの姿が浮かび上がる。『女人高野』の衣装は少々飽きていたけど今回は衣装が違うではないか。
うろ覚えのため印象で書くと、天草四郎時貞の女性版みたいな。
エレキギターをかき鳴らした寿美さんから迸る熱情。迫力の歌唱。しびれるほどかっこいい。
そしてこのハードロック調の変な曲で唯一演奏と歌のバランスよい合致を感じる。
おお、もうラストだ。最後は一番新しい曲『花になれ』。
「すきな きせーつに ああ~ぁはなーになれ~」

夢の時間をひきずりながら渋谷の街を駅に向かって歩く。

田川寿美の生声聞いて、この人のファルセット(裏声)について認識した事。
TVやCDで聴いていた限り、寿美さんの裏声は魅力的なんだけど、裏声になるとパワーダウンしている気がしないでもない。
しかしなんだ、パワーダウンどころか地声よりパワフルだったりするじゃない。そして裏声まで見事にコントロールしているから力強かったり柔らかだったりと非常に表現も豊か。
裏声使いの名手寿美さんは曲中結構たくさん裏声を使うのだけど、裏声になると声の響きと麗しさが倍増しに広がる。
他の歌手のファルセットと違うのは声の響きが尋常じゃない事で、TV等で聴いているとこの響きは完全に伝わってこない。
地声の響きと麗しさにターボがかかった生ファルセットはとろける陶酔感を与えてくれる。
ああこりゃもう中毒だよ。

2004年9月26日日曜日

映画『晴れ、ときどき殺人』

1984年 監督:井筒和幸
BS2 録画


晴れ、ときどき殺人

名作『ひまわり』の後に見るもんじゃなかったか。
太ったおばさんが殺人現場を目撃する。太ったおばさんは会社の会長さんで偉い人。いつもなんかほおばってる感じ。
この会長のもとに現在容疑者として掴まっている人物を犯人だと証言しろと脅しの電話が入る。
ええ~!もしかしておばさん探偵物じゃないよなぁ。ちょっときついぞ。
でも安心。おばちゃんは病気で亡くなってしまう。このおばちゃん、誰かと思ったら浅香光代。えらい大根役者だと思った。

推理を引き継いだのはアイドル探偵渡辺典子。はぁ安心。
母の死後、悲しみをまぎわらすために赤いレオタード姿で面白いダンスを披露しても、はぁ安心。(フラッシュダンス?)
翼のついた自転車で空を飛んでも、はぁ安心。(ET?)

しっかしギャグがどうしてこんなに笑えないのか。
そもそもあのラストシーンの二人の笑顔は一体なんなのか?監督はちょっとやばい人なのだろうか?
というか松任谷正隆は昔は太っていたのか。
原作赤川次郎。
渡辺典子は、かわいらしい。ただ渡辺典子を撮りたかったような。

映画『ひまわり』

1970年 監督:ヴィットリオ・デ・シーカ
BS2 録画


ひまわり

ソフィア・ローレンの魅力をどう説明しようか。
ほりが深く、厚ぼったい二重まぶた。骨っぽい顔に大きい口。閉じた唇は彫刻のように美しい。
顔の造りは好きじゃない。かつ、もうおばさんだし。
でもなんでこんなに魅力的なんだろうねぇ。
浜辺でマストロヤンニに「君の家こそ農家では?」と言われ「うちは理髪店よ」と返す。この時ソフィア・ローレンが、「はんっ、ふぇへーん」と眉を上げて小さく言うのね。憎らしさに可愛さを含んだ演技の自然さ。
また、二人の結婚式で教会から走り出すソフィア・ローレンの嬉々とした表情よ。
一個一個書いていてもきりがない。ソフィア・ローレンが内に秘めている激情と宿命的に持っているんじゃないかと感じさせる不幸さに惹かれるのかな。(それも演技?)
ちなみに惹かれるというのは女優ソフィア・ローレンに対してで、顔立ちでいえば断然ロシア娘を演じた色白リュドミラ・サベリーエワさんがいいよな。

作品は戦争によって間を引き裂かれた夫婦の運命を描く。

2004年9月25日土曜日

映画『灰とダイヤモンド』

1957年 監督:アンジェイ・ワイダ
BS2 録画


1939年、ドイツはポーランド・ドイツ不可侵条約を破ってポーランドに侵入した。(第二次世界大戦が始まる)
ポーランドにはナチスに協力する人間が誰一人もおらず、ナチスはポーランドに傀儡政権をたてることができなかった。
徹底的な抵抗は犠牲者を多く生み出す。
また、ナチスにより虐殺されたユダヤ人は、ポーランド出身者のみでも270万人にのぼるそうだ。

戦時中ポーランドはドイツとソ連によって分割されている。
ソ連の支配領域はというと、こちらも変わらない。収容所送りや虐殺で多くの人が殺された。
特に「カティンの森の虐殺」では4000名を越えるポーランド軍将校が殺されたとのこと。

1944年8月、ナチスはその勢力を失いつつあった。ポーランドワルシャワの住民はソ連軍の来援を期待して蜂起する。
だがソ連軍は動かなかった。
ワルシャワはナチスによって徹底的に破壊される。
戦後のポーランド支配を目論むソ連にとってはナチスがイギリス寄りの蜂起指導者達を一掃してくれる方が都合が良かった。
1945年2月、米英ソによるヤルタ会談でポーランドをソ連が治めることが認められる。
ワルシャワに国民統一政府が発足される。
ポーランド人が望む望まないを関係なく、ソ連主導の国民統一政府によりポーランドは社会主義的な道を歩むことになる。

そんでこの映画の話だけど、年代は1945年、ドイツが敗戦したあたり。
ワルシャワでの激闘を生き残ったマチェクとアンジェイは、信念の強いコミュニストである県委員会の書記シチューカを暗殺しようとする。
政治背景を知らなくても面白く見れる。
時代の波に否応なしに呑まれ、疑いなく道を歩んでいた青年が国と時代と、人生の喜びと悲哀を一身に受け止める悲劇。
・・・うーん、ポーランドの歴史を調べて書いただけで疲れた。

映画『時をかける少女』

1983年 監督:大林宣彦
BS2 録画


時をかける少女

「土曜日の、じっけんしつ~!」と叫んでダイブするところから原田知世が時空を駆け抜けるシーンまで、本当すごい。というか涙なしに見れない。
演技の面白さや少々ちゃちな特殊効果も絶妙なバランスになって。
映画史に残るSFシーン。

ラストのエンドロールも驚きだな。
予想外な行動は涙なしには見れない。
エンドロールのためにわざわざ本編の撮影以外にもう1テイク撮るという熱の入れ方。
楽しくて楽しくて浄化された心持ち。吾郎(尾美としのり)より深町(高柳良一)を選んでしまうという納得のいかなさも吹っ飛ぶ。

あと岸部一徳と根岸季衣が恋人役なのね。根岸さんはむっちりしたダイナマイトな太ももを披露しているし。もうほんと涙なしには。

まあ、なんといっても一番最後の知世さんの笑顔が全ての映画なんだけど。

2004年9月23日木曜日

映画『リオ・グランデの砦』

1950年 監督:ジョン・フォード
BS2 録画


リオ・グランデの砦

アパッチ族が西部を荒らしてはリオグランデ河を渡ってメキシコに逃げていた。
スターク砦の司令官、カービー・ヨーク中佐は困難な討伐に頭を悩ませる。
そんな時、15年も会っていない息子が新兵として砦にやってくる。
さらには息子を除隊させようと長らく別居中だった妻までやってくる。

ジョン・ウェインとモーリン・オハラ主演の西部劇。
アクションシーンはもとより、家族を軸にした人間ドラマまでじっくり見せてくれる。
にしても少々物足りない気分。登場人物の顔が全然覚えられなかったからか、映像ばっか見てあまり字幕を読まなかったからか、ジョン・ウェインがしょぼくれた男に見えてしまったからか。

青年になる息子を持つヨーク夫人(モーリン・オハラ)が若く美しすぎる。14,5才で子供生んだのだろうか。息子のジェフが僕の母だと新兵仲間に紹介したシーンが夢幻の空間になっている。

2004年9月20日月曜日

田川寿美&大川栄策スペシャルショー

昨日録画した『BS日本のうた』を鑑賞。

川野夏美が着物着てるの初めて見た。「りんりんりんどうはこ・む・ら・さ・きぃ~」
この人着物の方が断然いいな。

島津亜矢が最近歌っている「帰らんちゃよか」っていう熊本弁の歌があるのだけど、ばってん荒川さんのカバーらしい。
ばってん荒川さんは熊本県を中心に九州全土で活躍中。
1937年生まれ。19歳(18説も)でお米ばあさんを生み出し、芸名をばってん荒川とする。昭和45年33歳でレコードデビュー。
そんで今回収録場所が福岡ということもありばってん荒川さんが出演していた。
何を歌うんだろうと思っていると「帰らんちゃよか」を歌ってくれた。
お米ばあさんの格好で語りかけるような歌い方。声は男そのものなんだけど母(ばあちゃん)の優しさや強さがにじみ出ているように見えるのには感服する。少女みたいに可愛らしかったりもするし。
お米ばあさんの後続けて島津亜矢が同じく「帰らんちゃよか」を歌う。
この並列は結構面白かった。
年齢も性別も歌い方も全く違う二人が同じ曲を続けて歌うって滅多に見れない。

キムヨンジャは乙女だなぁ。

番組後半いよいよスペシャルショー。
演歌界きっての実力者田川寿美と大川栄策。
スペシャルショーっていつも1,2曲他の出演者が応援(コーラスやらプチコント)に加わって華やかに展開するんだけど、今回は完全純血2人だけのスペシャルショー。
なんて地味なんだ!しかもあれっと思ったら終わってしまう。
30分じゃ短い。
消化不良具合はそれだけ歌で堪能させてもらったからか。もっと聴きたいよっていう。

初め、寿美さんの響きのあるファルセットと栄策さんのぼそっとしながらも質感のある渋い声がどうも合わない気がして違和感があった。
でも何度も何度もこのスペシャルショーを繰り返し見ていると段々気にならなくなってくるな。気にならないっていうかむしろ当たり障りのない綺麗なハーモニーを聴かせてくれるよりは個性がそのままさらけ出された状態でぶつかりあってる方が面白い。例え合ってなくても。
寿美さん森山直太朗の「さくら」歌ってた。この曲聴いて気づいたけどこの人の声って滅茶苦茶かっこよかったんだ。
栄策さんはギターの弾き語りで「人生の並木路」を歌う。このショーで歌われた中でトップクラスに渋く地味だった。
よく見るとギターを乗せた足がぷるぷる震えていた。
地味だなんだといいつつも栄策さんほど情感を湛えた歌を聴かせる歌手もいないんだけどな。
「人生の並木路」の後、舞台後ろの段の上に立っていた寿美さんを栄策さんがエスコートして舞台中央に連れて行くという演出らしい。
だが歌い終わった栄策さんがギターやヘッドセットマイクを外すのに手間取っていたため、寿美さんが段を降りる手前で立ち止まってしまっている。
置き終って寿美さんの方を見た栄策さんは寿美さんが待っていることに気づいて慌ててぱたぱた駆け寄った。失礼な言い方だけどおっさんのおちゃめさを醸し出した見事な走り。
駆け寄りだした栄策さんを見た寿美さんは「わおっ」てな感じで両手をぱっと広げてみせるフォローもあり。
無事エスコートされて段を降りれた寿美さんと栄策さんが「二輪草」をデュエット。全くいい夫婦だ・・・ん?あか~ん!

寿美ファンサイトから得た情報によると会場では寿美さんの声が栄策さんの声を掻き消すくらいよく響いていたらしい。というか寿美さんの声しか聞こえないくらいの勢いだったらしい。
放送ではミキサーが上手い事編集したのか。

ところで今に始まった事じゃないけどBS日本のうたのカメラワークと編集にはかなりむかつく。
せわしなく切り替わるカメラ。無意味に揺れるカメラ。思いついたようにズームインするカメラ。全身を見たいときにアップになっているカメラ。無意味にパンするカメラ。
上下左右に揺れる揺れる。せわしなくカメラは切り替わりながら。
うざすぎる。

ああ、そうだ9/2に振り込んで9/11の朝にチケットが届いた。寿美さんの渋谷公会堂のコンサート。
クラシックや現代音楽のコンサートは昔よく行ったけど、歌手のコンサートって初めて。出不精だから。
楽しみだな~。

映画『突然炎のごとく』

1961年 監督:フランソワ・トリュフォー
BS2 録画


突然炎のごとく

恐ろしく展開が速い。ジェットコースター並に。常に刺激的で。
5,6年前に見たときは初っ端からずーっとうとうとして見ていたけど、今回は眠くならなかった。
だが展開の速さを頭で捕捉出来なくなってきた1時間後くらいから飽きた。

映画だから動くのは当たり前なんだけど、見ていてこんなに動きを意識させる映画も珍しい。(相米慎二の初期作品のような動きの焦点が画面のいたるところで無尽に発生しているのとは別のアプローチで)
画面に映っていないところでいろんな人が動いている。
例えばテレーズが煙草で機関車をやってくれているシーンで、テレーズの行進に合わせてカメラがぐるっと一回転する。もとの位置に戻ると立っていたはずのジュールは既に揺り椅子に座っている。
また、山荘の2階のバルコニーからテラスを見下ろしているカトリーヌとジムが映し出された後、カメラはテラスに移る。テラスではジュールと娘が遊んでいる。すると階下に下りるそぶりの全く無かったジムとカトリーヌが突然ジュールのいるテラスに飛び出してくる。間髪いれず可愛い娘は放り投げられ・・・
うーん、説明するのむずい。もう一例だけ書いておこう。
テラスのテーブルでジュールと娘が遊んでいる。
→窓から顔を出したカトリーヌにジュールが呼ばれる。
→ジュールは立ち上がって窓でなく入り口(画面向かって左方向)に向かって歩く。
→入り口からカトリーヌ、そしてジムが出てくる。
→カトリーヌ、ジュール、ジムの三人がテラスの入り口で言葉を交わす。
→カトリーヌは向かって斜め右に歩き去り画面から消える。
→ジュールとジムの二人はカトリーヌとは反対方向に歩き出す。
→歩きながら言葉を交わす二人をカメラが追う。
→二人が行き着いた先は先ほどジュールと娘が座っていたテーブル(食卓)で、そこには既にカトリーヌが着席している。
→ジムは椅子が無いためテラスの端にあった椅子をテーブルまで運んでから座る。
・・・えっ?だからなんなんだろ。書くとどうってことないな。
この流麗でコンパクトな動きが面白いんだけど。
ジムとジュールはカトリーヌに対して秘密の話をするためにカトリーヌと別方向に歩いたのだけど、最初上半身しか映らないからどこに向かって歩いてるんだか全然わかんなかったところでああテラスの縁沿いをぐるっと歩いていただけなのね、っていう驚きと、そうなるとわざわざ遠回りした二人の動きがカトリーヌにはいぶかしいものになるはずが、二人の会話など自分とは無関係だとでも言わんばかりに既に席について食卓を整えているカトリーヌと、この山荘には新参者ゆえテーブルに椅子がないジムとか、まあいろんな細かい要素が一連の流麗な動きになっているのね。

なんだかんだ言ってもそもそもジャンヌ・モローがどうしても老けて見えちゃって、よくのれなかった。
あと、Gコードで録画したというのに最後2分映ってないし。

2004年9月19日日曜日

飲み前

午後3時前に家を出て蒲田に行く。
家賃の更新料を振り込みに東京三菱に行ったんだけど、何回画面をやり直しても現金振込みができない。
キャッシュカードでの振り込みは出来るみたいだけど。
なぜ現金で振り込ませてくれないんだ!
現金で持ってきたからキャッシュカード置いてきちゃったというのに。
西口の三井住友にも行ってみるがこちらも現金振込みができないみたい。休日はできないもんなのか。
ムカムカしながら自転車こいで家に帰り、キャッシュカード持って再び蒲田へ。
カードで振り込んで、それからアパマンへ行く。
坊ちゃん顔した頼りなさげな社員さんに書類渡して更新終了。

5時に友人とマックで待ち合わせしているのだが、時間がある。
時間までシャノアールでくつろぐ予定なのだが、持ってきた文庫本がもうすぐ読み終わるので近くの古本屋でなにか仕入れておこうかと思って寄ってみる。
いろいろ物色していると気づいたら4時回っており、持ってきた文庫本で5時までは持ちそうなので買わずに店を出る。
というか待ち合わせ場所をマックじゃなくてシャノアールに代えてもらおう。
二人の友人のうち一人は遅れると連絡が入っているから1時間シャノアールでそのあとマックで友人一人合流後遅れる友人待ち、ってめんどいし。
だが遅れない方の友人(小中学校時代の友人)の携帯番号を僕は知らない。遅れる友人が番号をメールで送ってくれるという話だったがパソコンの方に送っているみたいで一向にPHSの方にメールが来ない。
遅れる友人に電話して、もう一人の電話番号を聞く。暗記して速攻電話をかけるが全然知らない人が出る。
しょうがない、30分程度の時間つぶしで喫茶店に入るのもなんなので5時まで散歩しよう。
ドラッグストアで綿棒と、100円にも満たない綿棒のみじゃ恥ずかしいからこんにゃく畑一袋を買う。

5時ちょっと前に待ち合わせ場所のマックに行く。
マックの店先で待つ。
来ない。
そもそも通り過ぎる人が皆友人に見えなくもない。ウエストポーチ付けて漫画雑誌を立ち読みしているおたくっぽい兄ちゃんまで友人に見える。7,8年会ってないから。
しびれを切らして遅れるという友人に電話すると、もう一人の友人も遅れるという話を聞く。
じゃあシャノアールで待ってるから着いたら来てくれと言って切る。

今日長い時間渇望していたシャノアールに入ったときは幸せな気分になる。外は暑いし喉も渇いていたので。
アイスカフェオレ飲んで煙草を一服する。
本読んで気づいたらカフェオレに小さな羽根虫が3匹も浮いている。三角関係の後心中したのだろう。灰皿に移す。
半年前から電車の中等でちょこちょこ読んでいた中上健次の『枯木灘』をやっと読み終える。
ちょっとぼーっとした後、暇なのでもう一回最初っから読み出す。
7時前頃に友人達が二人そろって来て居酒屋へ。

・・・

帰宅後、録画していた「BS日本のうた」を見る。寿美さん大川栄策のスペシャルショー。
感想は後日。

映画『いつでも夢を』

1963年 監督:野村孝
BS2 録画


いつでも夢を

公開当時、いったい何万人の日本人が勇気づけられたことでしょう。
ぽっちゃり系の大人気女優吉永小百合と角刈りがびっと決まっている橋幸夫と甘えん坊将軍浜田光夫。
三角関係もどろどろするどころか「でもくらしーと行こうじゃないか」とお互い協定を結ぶ始末。(フェアに勝負しようってことね)
時代の不条理に人生をつまづかせながらも前向きに励ましあいながら生きていこうじゃない、っていうどこまでもクリーンな青春映画。

2004年9月18日土曜日

映画『純情部隊』

1957年 監督:マキノ雅弘
BS2 録画


力道山の映画。
ただし時代は1945年の8月で舞台は兵営。つまり力道山がプロレスラー役じゃなくてぺーぺーの2等兵役なのだ。
軍曹やら伍長にいびられる日々。
進藤英太郎、杉狂児、ディック・ミネ、堺駿二、力道山の仲良し5人組はいびりにも耐えながら兵営にて友情を深めていく。
この兵営には2代目広沢虎造なんかもいて、見事な浪曲を披露している。
一番偉い(?)見習士官に東千代之介。

戦争ものかと思いきや、コメディチックな描き方。
というより力道山はやっぱり力道山だった、っていう展開。
同じ言い方すれば東千代之介は東千代之介で、ディック・ミネはディック・ミネ、堺駿二は堺駿二だった。
まあ、普通に面白い。

2004年9月17日金曜日

懐かしさ

家賃の更新が近づいており、親の印鑑登録証を借りに実家に行く。
借りてから近くの区の特別出張所で住民票と印鑑証明書を貰う。
自転車でそのまま図書館にでも行ってみようかと思ってふらふらこぎだす。
道すがら、結構知っている景色が変わっていることに気づく。
レンタルビデオ屋の「飛行船」が「リバティ」になっていた。「飛行船」は生まれて初めて持った、かつ現在でも唯一所持するレンタルビデオ屋のカードだったのに。
そして第一パンの工場は綺麗な高校に変わっていた。中学生の頃はよくこの工場脇にあったコンビニで立ち読みしたのだけど。
図書館に着く。浪人中に毎日通っていた図書館なのだけど、当時とほとんど変わっていない。
ただ、ちょっと書架の配列が変わっていたくらい。
なんとなしに当時好きだった高橋三千綱の本を探してみたら1冊も無かった。
みんな借りられているのか?そんなわきゃない。
念のため置いてあった検索パソコンで検索してみたらこの図書館にはほんとに1冊も彼の著書が無くなっていた。
知っている景色が変わっていることよりも寂しい気分になる。

映画『怒れ!力道山』

1956年 監督:小沢茂弘
BS2 録画


面白かったぞ。
力道山が子供好きで非常に紳士的な男で。
プロレスはショーじゃありません。八百長もありません。エンターテインメントに特化した特殊なスポーツです。
力道山も映画の中でショーと言われた事に憤慨しているし。
子供達のため、悪を粉砕するために、どうしてもラッキー・シモノビッチに勝たなければならないというシチュエーションがラストの試合を興奮で包む。
といってもどう考えても力道山が勝つ事が決まっているのだけど。
それでもストーリー上プロレスも含めて結構楽しめる。
恩師である代議士大橋と親交のある赤岩という人物が実は悪どい人物だと知った力道山は、大橋に進言しに行く。
しかし大橋にレスラーごときが政治の世界に口出すとは身の程を知れ!政治家はお前達が考えているよりもっともっと高い観点から物事を見ている!などと言われてやりこめられてしまう。
ああ、意思の疎通ができない。自分は無力だ。
しかし落ち込む力道山に飛び込んできた知り合いの記者からの話で、落ち込んでいた気持ちが怒りに変わる。
(展開のテンポがいい上に面白い、っていう例を挙げようとして書いたんだけどこれじゃ分かんないか)

銃で撃たれても試合に出てしまうとはさすがプロレスラーだ。
反則を繰り返すはだしの悪役ラッキー・シモノビッチに怒った植木基晴はシモノビッチに襲い掛かる。
シモノビッチに人形のように軽々放り投げられてしまう。ひどいやつだ。怒れ力道山!
子供がレスラーにぶつかっていくほど熱狂的にプロレスを見れるっていう時代があったんだなぁ。

掃き溜めの鶴のような小宮光江さんが綺麗だ。ふっくらしていて気が強くて美しい。
有馬稲子や岸恵子と比べても見劣りしない美貌の女優だけどネットで調べてみてもあんまし情報が得られない。

大橋役に早川雪洲。
小児麻痺の友人に会わせるべく力道山を呼んで来た元気で小生意気な顔した貫一君は、植木基晴。千恵蔵の実子。
田代百合子が新聞記者。新聞社の名前は「マイチョウシンブン」だ!新井英樹が「ザ・ワールドイズマイン」で「マイチョウシンブン」を登場させたのはこの映画を見たから、ということはまずなさそう。
他、いろいろ。

実際の力道山は凶暴な人だったらしい。三面記事によく「力道山また暴れる」と記事が載っていたとのこと。
高田延彦と永田裕志を足して割ったような顔してるんだね。
力道山は1963年に赤坂のナイトクラブで暴力団員に錆びたナイフで腹部を刺される。
1週間後に死亡。
死因は麻酔医が気管内挿管に失敗したかららしい。

2004年9月16日木曜日

懐かしさ

映画の後、図書館で「ぴあ」でも読もうかと久しぶりに大学に寄ってみる。
夜の外堀公園を歩いて正門に行くとなにやら工事中みたく壁が立ちふさがっている。壁沿いに学生会館の方に向かっては入れるようなので一応進んでみる。
通路を歩いていると夜目でよく見えないがBOX棟が封鎖されているみたいだった。
学生会館は明かりが灯っていて、中に入ろうとしたら、昔置いてあった自販機もなにもかも撤去されてがらんどうだった。
少し恐ろしくなって正門の外に出る。
別の入り口から構内に入る。
図書館は普通にやっていた。
中に入ると、受付がなくなっていて、代わりに改札機みたいな無機的な機械が置いてある。
ライブラリカードを通して入るらしい。近くに学生に向けて、地下1階でカードを発行するように、とか書かれている看板がある。
たぶん僕の持っているカードじゃ入れないのだろうな。試してみる気もカードを発行する気もなれず、帰る。

蒲田から自転車で帰る途中信号待ちをしていると、蒲田行きのバスがのんびりと信号を左折する。
人気(ひとけ)のない暗い夜道。乗客の一人もいないバスの車内が幻想的に青白く光っていた。

映画『みなさん、さようなら』

2003年 監督:ドゥニ・アルカン
at ギンレイホール


みなさん、さようなら

ガエル(マリナ・ハンズ)よりかはナタリー(マリ=ジョゼ・クローズ)の方が好きだな。
セバスチャン(ステファン・ルソー)は婚約者を想い、よくとどまった。

老齢のレミは今病床についている。息子のセバスチャンはロンドンのやり手証券マン。カナダに住む父とは仲が悪い。
それというのも、大学で歴史学を教えていた父は非常に女ぐせが悪かったから。
真面目なセバスチャンはそんな父のだらしなさが納得いかない。

しかし病気の父のためにセバスチャンは婚約者のガエルを連れて父のいるカナダに戻る。
父のため、病院の経営者や組合を買収して広い個室を用意してやったり、世界に散らばっていた父の昔の友人や愛人を呼び寄せたりと、驚くべき迅速な行動力を見せるセバスチャン。
デヴィッド・ドゥカヴニーをさらに甘い顔にしたようなセバスチャン。
セバスチャンを演じたステファン・ルソーはカナダでお笑い界のブラッドピットと呼ばれるコメディアンらしい。

元愛人や友人が病室に来るとひたすら下品な話が繰り返される。少し眠ってしまった。

レミは幸せな死に方したな。死ぬっていうのが、ああ、こうやって友人達の顔を見ている自分の意識が数分後には完全に消滅してしまうんだ、と思うと恐ろしいもんだ。
死に行く意識で初恋の太腿がレミの脳裏に過ぎるのは美しい上に感動的。泣くまではいかなかったけど。

『ビッグフィッシュ』では息子は結局父の生き方に染まったけど、セバスチャンはどうなるんだろう?
ベリーショートの神秘的に美しい容姿を持ったナタリーをほっとけるのか?
父の最期のひとときを一緒に過ごした事で父に感化された、ということはまずなさそうだけど、血は確実に受け継いでいるし。
信念か、血か。いや、どうでもいいや。もうただマリ=ジョゼ・クローズが魅力的すぎて、ひたすらまいっちゃったな。

セバスチャンを演じたステファン・ルソーは、なんでも金で解決する無表情な男を演じているが、嫌味ったらしいどころかその愛くるしい顔ひとつで笑わせてくれる。
幼そうでいてしっかりやり手の証券マンに見えるところが凄い。

レミの生徒役にロマン・デュリスに似た奴がいたな。友情出演かと思ったけどクレジットもないし、見間違いか。

映画『ビッグ・フィッシュ』

2003年 監督:ティム・バートン
at ギンレイホール


ビッグ・フィッシュ コレクターズ・エディション

サンドラ(アリソン・ローマン)よりかはジェニファー(ヘレナ・ボナム=カーター)の方が好きだな。
エドワード(ユアン・マクレガー)は妻を想い、よくとどまった。

老齢のエドワードは今病床についている。息子のウィルはここ3年ばかり父親と口をきいていない。
それというのも、話し上手の父は身長3M以上はあるだろう大巨人と旅をしたとか、魔女のガラスの目を通して自分の死に方を見たとか、蜘蛛や木々が襲いかかってくる危険な山道を抜けると夢のように幸せな村があった、等々ファンタジックなお話を幾百も持っていて、ウィルは幼少期は面白かったが大人になった今ではとても信じられない話ばかりで父の真の姿が全く見えないことに戸惑っていたのね。
息子から見たら父はただのほら吹き男だったのさ。どこまでが事実でどこからがホラか。真面目なウィルにはその曖昧さが納得いかない。

父の話は全て映像化されている。大巨人や魔女に狼男にビッグフィッシュ、一夜にして庭に敷き詰めた水仙とか。
これがファンタジックかつロマンチックで結構面白い。
ラストのシチュエーションが劇的にファンタジー話の意味を解き明かしている。
いい夫だよエドワードは。それだけにジェニファーが寂しい。