2011年12月18日日曜日

映画『人生、ここにあり!』

2008年 監督:ジュリオ・マンフレドニア
製作国:イタリア
at ギンレイホール




1983年のミラノ。
労働組合員のネッロ(クラウディオ・ビシオ)は熱血漢だがその型破りな手腕により組合から追い出されてしまう。
そして新たにネッロが行き着いた先は精神病院の元患者達で構成される協同組合だった。
手紙の切手張りなど、慈善的に与えられた仕事を無気力にこなすだけの組合員に対し、ネッロは床張りという本格的な仕事を彼らに持ちかける。
釘を打ち出す機械でガンマンごっこしたりして常に危なっかしいけど、寄木張りという意外な才能を発揮して大成功する。
ただしその大成功は映画のせいぜい中盤くらいに起こるので、もうひと波乱待ち受けているのだが。

悲しみと笑いが程よく配合されて軽快に話が展開するので面白い。
実話に基づく映画らしい。

というよりなにより、ネッロの恋人サラを演じたアニタ・カプリオーリが美しい。
美しいというほど美人な顔立ちというわけでもないけど、段々気になりだしたらもう彼女に釘付けになる。
1973年生まれらしいがそんなに映画には出ていないみたいだ。残念。

映画『未来を生きる君たちへ』

2010年 監督:スサンネ・ビア
製作国:デンマーク/スウェーデン
at ギンレイホール




重厚なドラマって胡散臭かったり重いだけで面白くなかったりするけど、これはかなり面白かった。

医師のアントン(ミカエル・パーシュブラント)はアフリカの難民キャンプで医療活動に従事し、たまに?デンマークに帰ってくる。
妻とは別居中で、息子のエリアス(マルクス・リゴード)は学校で陰湿ないじめにあっている。
そして母親を失ったばかりの転校生のクリスチャン(ウィリアム・ヨンク・ユエルス・ニルセン)は、いじめられているエリアスを助けたことで二人は友達になる。
物語はアントンを中心にして難民キャンプと平和なデンマークの街が交互に描かれ、二つの土地でアントンはぞれぞれある選択を迫られる。
選択というか行動かな。
人は理不尽な暴力に直面したときにその人間性を問われることになる。
人間性という言葉が曖昧なように、何が正解なのかは難しい。
暴力に対して暴力で対抗するか、それとも非暴力の信念を貫いて「あいつは人間のクズだ」と裏で罵倒して溜飲を下げるか。
問題の解決、という意味合いではいずれにしても根源的な解決に繋がる確実な方法は分からない。
暴力は復習の連鎖を生み出す可能性をはらみ、非暴力は暴力者を野放しにすることでもあり、実際暴力おやじの息子もまた暴力者だから未来にも繋がらない。
っていうお話。

面白いのは難民キャンプと平和な街をアントンという一人の医師によってスムーズに繋いでいるところ。
これが両者が独立しちゃっていたら、平和な街の問題なんてちっぽけでくだらなく見えてしまう。
二つの土地では「悪」のレベルが段違いだけど、アントンの視点が媒介になることで、いじめっ子や確実にいそうな暴力おやじという存在が陰ることなく、紛争地帯で精神の麻痺した殺人鬼集団と相乗して並び立っている。

僕は高所恐怖症じゃないけど、何度も登場する高所が金玉縮み上がるほど不安定で怖い。
一歩先に死がある高みから悠然と街を見下ろす転校生のクリスチャンが次第に神が乗り移ったような狂気に走っていく。
初め弱弱しい感じの少年だったのが、肩をいからせて世界中の怒りをその小さな身体に宿すような狂気に。
この狂気は、母の死に直面して悲しみの中死を受け入れるのではなく、死を存在しないもののように拒絶することで怖いもの知らずになるような狂気であって、心理武装した心の内側では誰よりも死を恐れている。
そんなクリスチャンの狂気に対して、がちゃ歯で愚鈍そうな顔したエリアス君の優しさが際立ってくる。
なんていい奴なんだ。
エリアス君の体は死や恐怖よりも強い思いやりで作られている。

2011年12月11日日曜日

熊木杏里TOUR 2011「and ... Life」 IN 東京国際フォーラム

熊木杏里のコンサートに行ってきた。

開場準備に時間がかかっているとかで大分またされ、開場が遅れた分開演時間もずれて17:20過ぎから漸く始まる。

幕が開く前からいきなり大音量で歌声が聞こえる。
アカペラで「hotline」のサビ。
しかも第一声からファルセットの高音が掠れて変な声になっちゃっている。
こっちまで恥ずかしい感じがしながら幕が開いてピアノに向う熊木杏里が登場する。
幕が開いた後も何度も高音に失敗しているので、どうも最初に声が掠れたのはたまたまじゃなかったらしいと気付いて愕然とする。
今年の頭のコンサートでは音を外しまくっていたけど、ついに高音すら決定的に出なくなってしまったのか!

2曲目「Hello Goodbye & Hello」。
楽しみにしていた曲の一つだが、歌いだしのファルセットが悲しいほどに全然声になっていない。。。
ただ、音程は今年の頭ほど外すことはなく、いつも通りたまに外す程度なので聞きやすい。

3曲目「ひみつ」。
なんか高音もそんなに失敗しなくなってきた。

MCで事務所移籍の話をしていたと思ったら気付いたら曲紹介になっていて「私をたどる物語」。
あまり高音が無いせいか、凄く安定していてしかも今まで聞いた中で最高の歌唱の「私をたどる物語」。

この辺から裏声の高音を失敗する回数もかなり減ってきて、音程も安定しているので一曲一曲が充実した時間になっていく。

中盤辺りで新しいアルバムの中で一番好きな「クジラの歌」が入る。
温まって調子も出てきたところで最高の位置だな。
初めドラムが原始的なリズムを刻みだして、会場になんとなく異様な雰囲気が漂う中、もしやこれはとドキドキしていると耳慣れたイントロが流れ出して確信に変わる瞬間の喜び。
そして肝心の歌も、これがまたぞくぞくするほど圧倒的で素晴らしかった。
(高音も1回くらいしか失敗しなかったし。。)
熊木杏里は地声とファルセットの繋ぎが驚くほどスムーズだし基本的には歌が上手いのだけど、むらがあって上手くいかない時はお遊戯会のように下手くそだったりする。
逆に上手いときは会場全体が呼吸を忘れたかのように歌声だけが切なく澄み渡る瞬間がある。
1曲目でむらがあるとかいう以前に今日はもう駄目かもなんて思ったものの、お気に入りの曲でこんな最高の歌を聴けたのは本当来てよかった。
恐ろしい子!

何曲も歌ってからMCで「これから後半戦ですよ。立ってみる?」という恐る恐るとした呼びかけに何人かぱらぱら立ち上がる。
恐ろしい子!
立っている人がいると見えなくなるし、立ち上がろうか迷っていると、演奏が始まるのを合図として渋っていた観客が綺麗に揃って皆立ち上がる。
座席のある会場での熊木杏里のコンサートでスタンディングなんて予想だにしなかった。
クラシックのコンサートで観客が立ち上がって手拍子しだしたらびっくりするのと同じ感覚。
最近では手拍子要求すら無くなって平穏だったのに、いきなりスタンディングとはなんという飛躍をするのだ。
恐ろしい子!
ただ、まあずっと座っているのも疲れるので新鮮で楽しかった。
曲は全く頭に入ってこなかったけど。
これから毎回スタンディング要求が来そうな予感がする。
座るタイミングが無くてラストの曲まで3曲連続でスタンディングで手拍子していた。


高音が残念だったものの、全般的には今まで行った熊木杏里のライブの中でも満足度はかなり高かった。

※毎回思うけど舞台からの強烈なサーチライトが直撃して太陽拳のように何も見えない時があって、一体何のための演出効果なんだと思う。




2011年12月6日火曜日

12月INFO

12月7日(水)午後1:00~3:23  BSプレミアム
「キリング・フィールド」1984年・ イギリス
〔監督〕ローランド・ジョフィ
12月9日(金)午後1:00~2:37  BSプレミアム
「黒い罠」1958年・ アメリカ
〔監督・脚本〕オーソン・ウェルズ

えーっと、11月が豪華すぎた分、12月はこんな感じかな。
他にエリザベス・テイラー主演映画が3作ほどあったりするけど。

2011年12月4日日曜日

映画『アリス・クリードの失踪』

2009年 監督:J・ブレイクソン
製作国:イギリス
at ギンレイホール


アリス・クリードの失踪 [DVD]

二人の男が黙々と手際よくなにやら作業している。
男達は一人の女性を誘拐する。
用意していたマンションの部屋のベッドに手足を縛りつけた後、裸にひん剥いてジャージに着替えさせる。
女性の裸を前にしても一切性的な感情を起こさずに黙々と予定通りに作業する二人。
職人だねぇ。
実はこういう違和感が伏線になっているのだけどもちろん気付かない。
犯罪のプロのような二人も実は。。

見終わってそういえば登場人物が3人しかいなかったと気付く。
舞台はほとんど部屋の中とはいえ、ちゃんと外のシーンもあるのに、まるで広大な世界に3人しか存在していないかのように誰もいない。
金に対する欲望に基づいた心理合戦のようなものを想像していけど、欲望にぎらぎらしたところは皆無で、じゃあ何があるかというと、家族とか友情とか恋人とかいう人間関係に横たわる愛と呼ばれるものがあって、それをまるでちゃかしているようなブラックユーモアで浮き出すことで、閉塞された世界(社会)でもがく果てしない孤独が対立的に新たに浮上してくる感じかな。

不要なものはすぱっと、かつスタイリッシュに省略し、必要最小限の要素だけで展開するけど、程よい緊張と脱力の波が面白い。

映画『この愛のために撃て』

2010年 監督:フレッド・カヴァイエ
製作国:フランス
at ギンレイホール


この愛のために撃て [DVD]

看護助手のサミュエル(ジル・ルルーシュ)は、突然何者かに襲われ、気絶している間に妊娠中の最愛の妻を誘拐されてしまう。
犯人からの指示は、バイク事故で入院中のある男を病院から連れ出せというものだった。

フレンチフィルムノワールとかサスペンス、というよりアクション映画だな。
序盤は肩慣らし風にのんびり進むが、事件が勃発してからはノンストップで一気に最後まで突っ走る。
85分と短いながらも、短いからこその惜しみなく駆け抜けるスピード感が爽快に面白い。
短くても登場人物は殺し屋とか髭の警部とか段々魅力的になってくるからよくできている。

フランスのフィルムノワールとかアクション映画によく出てくる腐った警察を見ていると、本当フランスには行きたくねぇと思う。。。

妻役のエレナ・アナヤは女性に嫌われそうな顔をしている。
ジル・ルルーシュはブルース・ウィリスでも目指しているのだろうか。

2011年11月20日日曜日

映画『水曜日のエミリア』

2009年 監督:ドン・ルース
製作国:アメリカ
at ギンレイホール


水曜日のエミリア [DVD]

『ブラック・スワン』よりこっちのナタリー・ポートマンの方が好きだ。
スケートのシーンを見ているとまだ少女だった頃の『ビューティフル・ガールズ』を思い出す。

新人弁護士のエミリア(ナタリー・ポートマン)は上司のジャック(スコット・コーエン)と恋仲になる。
ジャックは既婚者だけど、妻との関係も冷え切っていたため、ジャックの離婚後に二人は晴れて結婚する。
ジャックの連れ子のウィリアム(チャーリー・ターハン)を加えた3人(ウィリアムは週の半分だけ)で始まる新しい家族。
しかしジャックとエミリアの間に生まれた子供はわずか3日で突然死してしまう悲劇に見舞われ、継子のウィリアムとも心がすれ違ってばかりで、エミリアは次第に追い詰められていく。

ウィリアム君は好奇心旺盛でどんどん知識を吸収していく伸び盛りの子供、悪く言えばこまっしゃくれたガキなのだが、根は純粋な彼の悪気のない言葉がエミリアを傷つけていく。
演じたチャーリー・ターハンが可愛らしいだけのガキじゃなくて、ナタリー・ポートマンと張り合うくらいの機微のある演技を見せてくれる。
ユーモアがあるというか軽口をたたきまくるエミリアと、大人びていてもただのガキであるウィリアムの、両者の内面にくすぶる不安やいらつき、戸惑い、怒り等の負の感情が、二人の演技によりなかなか見応えのあるものになって面白い。

演出も、意地になってたどたどしくスケートを滑るウィリアムの後姿の愛しさとか、両者の関係性の波のあるゆるやかな変化が効果的でよくできているなと思う。
エミリアにはある秘密があったのだが、その告白はちょっと唐突な印象だったかな。
予告編でラストの重要なセリフがネタばれしているのの、それでもラストはほろりと来る感じ。

映画『ブラック・スワン』

2010年 監督:ダーレン・アロノフスキー
製作国:アメリカ
at ギンレイホール


ブラック・スワン 3枚組ブルーレイ&DVD&デジタルコピー(ブルーレイケース)〔初回生産限定〕 [Blu-ray]

バレエ白鳥の湖の主役を演じるにはオデット(白鳥)とオディール(黒鳥)の二役を踊り分ける実力が必要になる。
元ダンサーの母親と二人三脚でバレエに全てを捧げてきたニナ(ナタリー・ポートマン)は、その真面目さと清純さで白鳥だけなら他者を寄せ付けない実力を持っていたが、黒鳥を演じるための魔性が決定的に欠けていた。
女たらしのフランス人監督トマス(ヴァンサン・カッセル)はニナの意外な一面に期待して彼女を主役に抜擢するのだが、ニナはプレッシャーと不安から精神が不安定になっていく。

突然の大きな音とか、いーってなる不快な音とか使う映画はあまり好きじゃないんだけど、この映画は本当意図的に嫌がらせかと思うくらい神経を直接引っかいてくるような音の使い方をしてくる。
この不快感がラストにくるであろう爽快感をどれだけ増幅させるのだろうと少し期待もしてみたけど、それほどでもなかったな。
そもそも神経に来る様な不快感は映像だけで表現すべきであって、音でやっちゃったら簡単だし安易でつまらない。
とはいえ刺激があるせいか全体的につまらなくはなかったけど。

ナタリー・ポートマンが好演している。
バレエシーンはさすがに無理だろうってことでほとんどバストショットだらけだが、明らかにボディダブルと分かるよりかはいいのかもしれない。
圧巻のバレエを見たい気も無くはない。でもナタリー・ポートマンの演技、表情が補ってくれる。
それにしてもバストショットだらけといっても、ところどころは引きがあって、意外と本人が踊っているように見えるのだがどうなってるんだろう。
調べてみると、ナタリー・ポートマンは幼少期に少しバレエをやっていて、かつこの映画のために10ヶ月に及ぶ集中トレーニングを受けていたらしい。
とはいえそれだけでバレエダンサーになれるわけが無いのだから、ボディダブルもちゃんといたらしい。

ベス役はウィノナ・ライダーだったんだね。
エンドロール見るまで気付かなかった。

監督のダーレン・アロノフスキーは『レスラー』の監督さんだ。
確かに人生や命をかけて舞台の一瞬に挑む主人公の姿はダブるし、『レスラー』もえぐいシーンがあった気がするが、同じ監督だと言われるまで気付かない。
『レスラー』の方が好きだな。

2011年11月17日木曜日

映画『トゥルー・ヌーン』

2009年 監督:ノシール・サイードフ
製作国:タジキスタン
BSプレミアム 録画




上サフェドビ村の娘ニルファは、下サフェドビ村のアジズとの結婚を控えていた。
ニルファは気象観測所でロシアからやってきた主任キリル(ユーリー・ナザロフ)の元で助手をしている。
ロシアもロシア人もよく思っていない住人達だが、キリルはその人柄と知識で一部の住人から大きな信頼を得ている。
最近ロシアと手紙も無線も繋がらなくなり、ロシアにいる家族と連絡が取れない状況に気落ちしていたキリルは、娘のように可愛がり次期主任に推薦しようとしているニルファの結婚を素直に喜んでいた。
そんな人々の人生が息づく長閑な村で、ある日突然軍隊により鉄条網による国境線が引かれ、何世代にも渡って普通に行き来していた上サフェドビ村と下サフェドビ村は分断されてしまう。

いいやつばかりじゃないけど~
わるいやつばかりでもない~
素朴な生活と生命力の前では、いいやつとかやなやつとかいう概念などちっぽけだ。
彼らの生活を脅かすのはもっと強大な力、国とか軍隊のように人で構成されていながらも人間性を失った無機的なものになる。
素朴な住人達を見ていると、ハッピーエンドであってくれと願うのだが。。

雄大だと思われる自然は殊更強調して撮影されることもなく、セリフも少なめで全てが慎ましい。
慎ましいながらも、セリフやシーンの展開で時折並々ならぬ緊張感が走るので引き込まれていく。

本物の村人だと思われるエキストラの力強い無表情さが印象に残る。
主役のキリルの表情豊かな大きな優しさを頂点とすると、エキストラの無表情さとの隔たりに多少違和感があるが、キリルはロシアから来た外国人であるわけだし、主な登場人物達、ピルナザールの素直な感情表現やニルファの美しく優しい微笑み等が両者の中間地点で中和してくれる。

音楽を結構多用していて、ちょっとうるさいかなと思っていたけど、エンドロールの音楽はちょっとたまげた。
劇中バイクのシーンでも使われていた音楽だが、ラストのあの展開の後でこの音楽がまた流れるのは衝撃だ。
音楽を使いすぎているのは映画の音楽にあまりこだわりの無い監督だからなのだろうと思っていたけど、実はその逆で常人には計り知れないセンスの持ち主なのかもしれない。


タジキスタンで18年ぶりに製作された映画らしい。
ということは間違いなくタジキスタン映画は初めてだな。
中央アジアの映画は全て面白い!と声を大にして叫びたい衝動を常日頃抑えてきてよかったよかった。
タジキスタン映画観たことないのかよ!と突っ込まれて危うく恥かくとこだったぜ。

ああ、でも調べてみるとフドイナザーロフはタジキスタン出身で、名作『少年、機関車に乗る』はタジキスタン/ロシアの合作、『コシュ・バ・コシュ/恋はロープウェイに乗って』もタジキスタン/スイス/日本の合作になっている。(ちなみに『ルナ・パパ』はドイツ/オーストリア/日本)
そして、この映画の監督ノシール・サイードフはフドイナザーロフの助監督をしていたらしい。

2011年11月10日木曜日

映画『ピノイ・サンデー』

2009年 監督:ウィ・ディンホー
製作国:台湾/日本/フィリピン/フランス
BSプレミアム 録画



※この貼り付けた予告編すごいな。ストーリーの9割はネタばれしている。

何気なく見始めたら最初から最後まで最高に面白かった。

フィリピンから台北に出稼ぎにやってきたダド(バヤニ・アグバヤニ)とマヌエル(エピィ・キソン)の二人。
異国の地で門限の厳しい寮生活を送りながら、家族のため、自分のために毎日明るく働いていた。
陽気で女好きだが少しももてないマヌエルと、ジャイアンみたいな風貌だが声が女々しくて笑える真面目なダド、っていう二人のやりとりや生活を見ているだけで面白いのだが、温まってきたところで真っ赤な高級ソファーを仲間に加えてロードムービーになっていくのだからさらに面白くなる。

ロードムービーの主要役者が人間でないといけないという決まりは無い。
ペットだっていいし無機物だっていいわけだ。
そして無機物の中でも赤いソファーという発想が秀逸で、真っ赤な存在感と腰掛ければどんな場所でもホームにしてしまう機能性がすごく楽しい。
出稼ぎのフィリピン人が台湾の路上をホームに変えていく不思議。
捨てられ、交通事故に合い、縛られ、沈められ、となかなかの役者ぶりも見せてくれる。

どのシーンも好きだけど、特に最後の二人の歌と、バスの遠景ショットでのバスケのシーンがよかったな。
名作です。

ダドを演じたバヤニ・アグバヤニはフィリピンで有名なコメディ俳優らしい。
コメディアンに見えないけど、そう言われると弱弱しい声の「Happy Birthday」で爆笑したのは自分の地声の面白さをフルに活かした彼の技術によるものだったのかな。
オーバーアクションで少し単調な演技も、コメディ俳優と言われると段々しっくりくる。

2011年11月5日土曜日

映画『ヤコブへの手紙』

2009年 監督:クラウス・ハロ
製作国:フィンランド
at ギンレイホール


ヤコブへの手紙 [DVD]

終身刑で模範囚のエリカ様、じゃなくてレイラは、恩赦により釈放される。
行く宛てのないレイラは勧められるままに片田舎にある盲目の老牧師ヤコブのもとにやってくる。
レイラの仕事は、牧師の家に毎日届けられる悩み相談の手紙を読み上げ、ヤコブの代わりに返事を書くことだった。
しかし心を閉ざしているレイラは届いた手紙の一部を捨ててしまったりするのだった。

75分しかないのでちょっと長い短編のような感じ。
3,4人くらいしかいない登場人物とか、フィンランドの自然の撮り方とか、セリフとか、いろんな要素が程よく抑制されて、すっきり濃密な作品になっている。

いつも清潔な風体の牧師が、失意中は威厳も何も無い股引姿で外に出てきて、まるで呆けた老人のようではっとする。
裸足でぬかるんだ土を踏む姿が印象的。
牧師を演じたヘイッキ・ノウシアイネンは、実際は64歳くらいだったらしい。

もう一人の主人公レイラを演じたエリカ様似のカーリナ・ハザードは、ジャーナリスト、作家、教師、翻訳家、メディア研究者等、多彩な活躍をする才人らしい。
男の一人や二人素手でいってしまいそうな体格でのふてぶてしい厭世的態度は、彼女がかけた仮面の姿だった、っていうのをすんなり演じている。
女優もできちゃって多彩に多才だな。
とんでもない美女に生まれてたらどうなっちゃってたんだろう。

※エリカ様=宍戸江利花様ね

映画『BIUTIFUL ビューティフル』

2010年 監督:アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ
製作国:スペイン/メキシコ
at ギンレイホール




バルセロナで不法移民のブローカー等をしているウスバル(ハビエル・バルデム)は末期がんにより余命2ヶ月と宣告される。
よくある余命物だけど、残り少ない人生を謳歌し尽すとか、失っていた絆を取り戻すとかいう展開にはならない。
ウスバルは躁鬱病の妻と別れて幼い子供二人を男手一つで育てている。
犯罪にも手を染めているが生活は少しも裕福じゃない。
つまり毎日を生きるのに精一杯なのだ。
彼には頼れる人がいない。
自分がいなくなった後の子供達が心配だ。
せめてお金を残そうとするのだが、ウスバルの余命が少ないことなど関係なしに回る現実は残酷な表情を見せる。

裏社会に生きるウスバルだが、ゆっくり丹念に描かれていく彼の優しさが次第に愛しくなってくる。
メキシコに亡命後すぐに亡くなり一度も会ったことのない父親に想いを寄せ、不法移民の中でも特に父親のいない母子に目をかける。
自分が最後に父親として子供にしてやれることは何だろう。
絶望とやりきれない悲しみが通奏低音のように流れているけど、旋律の愛情は深くて温かい。
スペイン、って感じだ。

主演はハビエル・バルデム。
やっぱり凄い役者さんだ。
あまり病人に見えなかったけどそんなことはどうてもいいや。この存在感があれば。
しかも今までこの人のことをカッコいいと思ったことはなかったけど、初めてカッコいいと思った。
(たまに真田広之に似ている瞬間があった)
『宮廷画家ゴヤは見た』ではただのむっつり顔の気持ち悪い変態神父だったのに。


ところで、最近夜中何度も目が覚めるんだよね。
前は休日は12時間くらい余裕で寝ていたのに。
今日は朝方5度寝くらいして面倒になったので9時に起きた。
目が覚めるとはいえ眠いことは眠いので、ちょっと心配していた通り、案の定前半うつらうつらしてしまった。
しかも映像が暗くてよく見えないところが結構あって、あまりセリフで多くを語らない映画だからストーリー解釈はかなり微妙な状態。
特にイヘが気になってしょうがない。
調べていると、天井に浮遊していたのはイヘだったとか、「戻ってきましたよ」と言ったのはアナだったとかいう事実も出てくる。
また機会があったら見てみよう。

2011年11月3日木曜日

映画『冬休みの情景』

2010年 監督:リー・ホンチー
BSプレミアム 録画




1階建ての黄土色の建物だけが収まる殺風景な街角のショットから始まる。
建物の角はぴったり電柱と重なり、建物の奥かもしくは建物にはブルーの斜め縞のあるへんてこな塔も見える。
まるで1枚の水彩画のようだが、実写だ。
だだっ広い道路をおっさんが一人過ぎった後、二人の少年がフレームの両側からそれぞれ出てきて、ローテンションで他愛の無い言葉を交わしていると、さらにもう一人少年が入ってくる。
と、ここまでの間、バックには「ブオーシ アイ 八百坪」っていうど根性ガエルの「ピョコン ペタン ピッタンコ」のようなリズムの宣伝句がどこかのスピーカーから永遠に反復されている。
さらには曇った空から雷なのか花火なのかよく分からない轟きも聞こえてくる。

何週間か前、平日の仕事終わりにねっころがって見始めたのだけど、始まって30秒でくそ眠くなったのでその日は断念した。
このオープニングを見る限り、かなり好みだし面白そうだったので十分に睡眠を取っているときにじっくり見ようと。
で、今日は比較的たっぷり寝たので大丈夫だろうと思って見始めたら、3分くらいで限界が来て2時間ほど昼寝してからまた見始める。
昼寝までしたのに見ているとまた眠くなってくるので、しょうがないからねっころがるのをやめて胡坐かいて最後まで見た。

全体的に面白かったような微妙なような、不思議な感覚の後味がする。
舞台は内モンゴルで、終わろうとしている冬休みの情景が淡々と描かれていく。
何か事件が起こるわけでもなく、これといったストーリーがあるわけでもなく、主人公がいるわけでもなく、正しく「情景」が映されていく。
しかもありふれた日常のほのぼのする情景じゃなくて、日常のようでいながらなにもかもが異常にも見えるという情景。
登場人物は9割かた無言無表情で突っ立っているか、無言で座っているし、しかもまず笑わない。
アキ・カウリスマキのような、無言でもここは笑いどころと分かるはっきりしたユーモアがあるわけではないので、鬱屈した閉塞感無気力感が漂う。
(数少ないセリフや無言ってだけで結構笑えるところもあるが)
長回しも多いがほとんど静止していてびっくりするくらい動きが少ない。

さらに音楽や音が異常さを加速させる。
冒頭の繰り返される宣伝句(「国際ブランドメーカー直売」と言っているらしい)も不思議だし、外のシーンで鳴り響く音もよく分からない。
花火の音のように聞こえるが、説明は一切ない。
そして夜のシーン等で何度か挿入される歌がまた変。
女性の鼻歌のようだが、途中で寝息のように「ん?」「ぅん?」と男の声とともに掛け合いが入る。ちょっと怖い。

眠いとかなんとか文句ばっかり書いているみたいだが、別にそんなに批判しているわけじゃない。
ストーリーやセリフだけでなく、映画で一番重要な動きすらも(静止の多用により)抑止することで、却って一挙手一同の些細な変化に神経がいって面白い。
普通ならつまらなくなるところ、静止がちゃんと絵になっているから退屈はしない。眠くはなるが。
ラストも衝撃的なくらいびしっと決まっている。

監督は芸術家肌の若い人なんだろうな。
ベテランは一部を除いてまずこういう自分の作家性を盲信した作品を撮らないだろうし、興行成功が確実に望めない映画は撮らないだろう。

2011年11月2日水曜日

11月INFO

11月1日(火)午後1:00~2:34  BSプレミアム
「天空の草原のナンサ」2005年・ ドイツ
〔監督・脚本〕ビャンバスレン・ダバー
11月6日(日)午後10:02~11:45  BSプレミアム
「にあんちゃん」1959年・ 日本
〔監督・脚本〕今村昌平
11月7日(月)午後1:00~2:51  BSプレミアム
「ベリッシマ」1951年・ イタリア
〔監督・脚本〕ルキノ・ヴィスコンティ
11月8日(火)午後1:00~2:43  BSプレミアム
「海の牙」1947年・ フランス
〔監督・脚本〕ルネ・クレマン
11月9日(水)午後1:00~3:17  BSプレミアム
「ダントン」1982年・ フランス/ポーランド/西ドイツ
〔監督・脚本〕アンジェイ・ワイダ
11月10日(木)午後1:00~3:30  BSプレミアム
「サクリファイス」1986年・ スウェーデン/フランス
〔監督・脚本〕アンドレイ・タルコフスキー
11月13日(日)午後10:02~11:29  BSプレミアム
「人情紙風船」1937年・ 日本
〔監督〕山中貞雄
11月14日(月)午後1:00~3:18  BSプレミアム
「ライムライト」1952年・ アメリカ
〔製作・監督・脚本・音楽〕チャールズ・チャップリン
11月14日(月)午後10:00~11:57  BSプレミアム
「グーグーだって猫である」2008年・ 日本
〔監督・脚本〕犬童一心
11月15日(火)午後10:00~11:59  BSプレミアム
「ブレードランナー ファイナル・カット」2007年(オリジナル1982年)・ アメリカ
〔監督〕リドリー・スコット
11月17日(木)午後1:00~2:22  BSプレミアム
「ロープ」1948年・ アメリカ
〔監督〕アルフレッド・ヒッチコック
11月23日(水)午後1:00~2:39  BSプレミアム
「ミツバチのささやき」1973年・ スペイン
〔監督・原案・脚本〕ビクトル・エリセ
11月24日(木)午後1:00~2:36  BSプレミアム
「エル・スール」1983年・ スペイン/フランス
〔監督・脚本〕ビクトル・エリセ
11月30日(水)午後10:00~午前0:14  BSプレミアム
「切腹」1962年・ 日本
〔監督〕小林正樹

この泣きそうなラインナップ。
目玉はタルコフスキーとビクトル・エリセ。
あとここ数年結構放映されているけど山中貞雄。
小林正樹もめずらしいといえばめずらしい。
チャップリンもそういえばめずらしいな。

HDDレコーダーの空き容量が先月より増えるどころか減ったのでやばい。

2011年10月23日日曜日

映画『軽蔑』

2011年 監督:廣木隆一
at ギンレイホール


軽蔑 ディレクターズ・カット [DVD]

原作中上健次。
なぜ今映画化なんだろうな。
原作は未読。

冒頭鈴木杏がポールダンスをしている。
どうやらトップレスのポールダンサーの役らしい。
といっても脱ぐわけないからそんな役はどっちらけだなと思っていたら・・・まさかねぇ。あの花ちゃんが。
鈴木杏がそこまで気合を入れたこの映画、そこそこ面白かった。

新宿歌舞伎町でふらふらしているギャンブル好きのカズ(高良健吾)は、借金を帳消しにしてもらう条件でポールダンスバーを襲撃する。
元々このバーに出入りして、そこのトップダンサーの真知子(鈴木杏)に惚れていたカズは、この襲撃に乗じて真知子を連れ出し、二人はカズの故郷へと向った。
「五分五分だからね」という関係を築こうとした二人だが、地元の名家の跡取りであるカズとポールダンサーという家柄の違い、そしてカズの過去から今に至る放蕩の数々が二人を追い詰めていく。

映画全体として長回しが多い。
長回しは好きな方だけど、こうも何も起こらない長い空白の時間を多用されると疲れる。

高良健吾と鈴木杏の二人が好演している。
なんだけど、主演よりも印象に残る脇役が二人いる。
一人はカズの祖父の元愛人で、カフェ「アルマン」を経営している千代子という婆さん。
おっとりしているけど狂気を秘めた目が只者じゃない雰囲気をかもし出しているこの女優さん、エンドロールで名前見てやっと気付いたけど、なんと緑魔子ちゃんだったんだね。
もう一人はそのアルマンの常連らしいがカズをこよなく愛する千代子によって邪険に席をどかされるスーツ姿の銀行員(忍成修吾)。
店でこんな扱い受けたらショックすぎるのだが、この銀行員は全く動じない。
その上真知子に対して。。。
ただのエキストラだと思っていたのに全く人物が謎すぎて恐怖すら感じる。

カズの母親役で出ている根岸季衣は10年ぶりくらいに見た気がするが、フィルモグラフィーを見ると普通に活躍していたんだな。

バックに二人のスタイル抜群金髪女性を従えて小柄な鈴木杏が堂々とセンターでダンスする姿は公開処刑のようだ。
ストーリーや演出に全体的にえっと思うところも多いが、魅力的な役者さん達が結構出ているのでそこそこ楽しめる。

=====
後ろの席のたぶんおっさんが10分に1回くらいこつこつ席を蹴ってきていらっとした。

映画『東京公園』

2011年 監督:青山真治
at ギンレイホール




予告編を見ると三流トレンディドラマの映画化かと思ったりもするが、監督は青山真治。
青山真治は『Helpless』しか見ていないのでそんなに知っているわけじゃないけど、『Helpless』が最高に面白かっただけに期待半分不安半分。
(ああ、そういえばテレビドラマ『私立探偵 濱マイク』も見てたや)

カメラマン志望の志田光司(三浦春馬)は日々公園に出かけていき、写真を撮っている。
子供を連れた綺麗な奥さん(井川遥)に心惹かれて、思わず隠し撮りのように撮影していると、歯科医師の初島隆史(高橋洋)に見咎められる。
後日初島に呼び出された光司は、各地の公園に出没するあの奥さんの写真を撮って欲しいと依頼される。
と、別にそこからミステリーな展開になっていくわけではないのであしからず。
光司は親友のヒロ(染谷将太)と一緒に住んでいる。
ヒロは過去になんらかの理由で亡くなっているらしい。
と、しれっと明かされて、つまり幽霊なわけだが、別にここからホラーな展開になっていくわけではない。
光司には父親の再婚によって小学生の時に突然できた9歳歳の離れた姉(小西真奈美)がいる。
その姉の紹介でバイトしているバーのマスターはダンディなゲイ(宇梶剛士)。
そして幼馴染の友達の富永美優(榮倉奈々)はしょっちゅう光司の家に遊びに来る。
恋愛物だとすると、綺麗な奥さん含めてこの4人の誰かということだが。。。

全部見終わってからあの予告編をもう一度みると分かるけど、もう完全に騙された。予告編の編集は悪意すら感じるぜ全く。
異常も日常も同じレベルに羅列されて渦巻き、いびつで異常だけど限りなく日常に近いこの世界を「恋愛物」と一つに括っちゃったら乱暴だ、と思いつつも「恋愛物」で括って落ち着いちゃうくらいの懐の深さもあるんだよなぁ。
じゃあこの映画は何なのと言うと、テーマとしては劇中島田雅彦が言うセリフがぴったりくるかもしれない。
「東京の中心には巨大な公園がある。東京はその公園をとりまくさらに巨大な公園だ。憩い、騒ぎ、誰かと出会ったりもする。僕たちのための公園、それが東京だ」

一つ一つのカットはいたってシンプルなんだけど非常に面白い。
印象に残るのをぱっと思い出すと、人のほとんどいない海浜公園に吹き荒ぶ風の音とか、序盤で光司と初島が公園で別れた後の歩き去る二人の後姿とか、会話する二人をそれぞれ正面から捉えた切り返しとか、マスターと光司がほぼ同時にグラスを置く仕草とか。
(・・・なんか小津っぽいが、正面のバストショットは視線がずれないし同時の所作もぴったり一致するわけではない。小津映画はほとんど見ていないし理解力も乏しいのでぼろが出る前にやめておこう。)

この映画の中の人間関係にしろ、映画そのものにしろ、「見つめる」というのも一つのテーマになっている模様。
もう何十年も前からたくさんの人に論じつくされていると思うけど、無言でカメラを人に向けるほど無遠慮かつ無愛想な事は無い。
撮影者の顔はカメラでほとんど隠れるので、見つめ返されて傷を負う事無しにひたすら一方的に相手を凝視するのだから。
後半凄いシーンがある。
カメラを向けて迫るのがどんな暴力よりも破壊的で、どんな視線よりも相手をえぐる凝視になる。
・・・小西真奈美が美しい。

小西真奈美が美しいといえば、将来に漠然と不安を抱く受動的な大学生(大学生なんて皆そんなもんだ)の光司を取り巻く女性達(女優達)が皆素敵で豪華。
独特な顔立ちだが最も美しい瞬間を見せた姉(小西真奈美)。
出番は少ないものの、全てを見通していながら少しも揺らがない包容力を持った奥さん(いくつになっても綺麗な井川遥)。
そして深い悲しみを秘めながら天真爛漫で素直な笑顔を見せる富永(榮倉奈々)。
・・・榮倉奈々が可愛い。

ラストもまた凄いんだな。
あのべたべたしない恐ろしく平穏な日常はぞくぞくする。

基本的に面白かったのだけど、不満点を言えば、長い(119分)のと、気心の知れた間柄でおどけた感じに時折敬語が入るのが感覚的に80年代くらいの若者な気がしてむずがゆかった点。


最近一段と視力が落ちて、久しぶりに真ん中よりちょっと後ろの席に座ったら眼鏡かけていても細かいところがよく見えない。
そのショックと、自然と前傾姿勢になったせいで左肩が異様に凝ってしまい、いらつきが溜まっていったため、映画が長いのは面白ければなんら問題ないはずなのにちょっとつらかった。

2011年10月15日土曜日

映画『デリー6』

2009年 監督:ラーケーシュ・オームプラカーシュ・メヘラー
BSプレミアム 録画


ミュージカルのないインド映画。
結構金かかっているのかな。凝ったCGも使用されているし。
世界一の映画大国だけあって映画作りすぎてスタッフの技術力が無駄にゴージャスになっているのかもしれない。

インド人のローシャンはNY育ち。
がんで余命短い祖母の「最期は故郷のオールドデリーで過ごしたい」という願いを叶えるために、二人でインドにやってくる。
初めて見るインドは驚きに溢れていた。
道路を埋め尽くす車に人や馬や牛、わらわら湧いてくる親族や知り合い、人懐こく押し売りのように(?)近づいてくる人々。

この、インド人だけど異邦人であるローシャンが見た不思議なインド、っていうのを基本スタンスにして約100分。
この映画は141分の大作なので100分といったら7割くらいか。。
その間大きなストーリー展開はないものの、警官の横暴、賄賂、ヒンドゥー、ムスリムの宗教の混在、対立、低カーストへの差別、物乞い、親の意思による強制結婚、恋愛、歌、CGの幻想シーン、とこれでもかといろんな要素が詰め込まれている。
そして、ラスト、まさかあのすかしたかっこつけの色男があんなことになるとは。
いろいろ詰め込まれた低熱テンションのカオスが、最後にうまいこと爆発して綺麗に収束する感じ。

面白いことは面白かったのだが、もう少しシンプルな熱気が欲しかった気もする。

今少し見返してみると結構歌だらけだな。
エィマサッカリーマサッカリー ンーマタッカリーマタッカリー。

2011年10月8日土曜日

映画『アイス・カチャンは恋の味』

2010年 監督:アニュウ
BSプレミアム 録画




「アイス・カチャンは恋の味」と10回唱えてみるといい。
歯磨いているときも仕事中もトイレで踏ん張っているときも、ふと「アイス・カチャンは恋の味」というフレーズが頭を過ぎることになるだろう。
○○は恋の味なんて使い古されたフレーズなのに、○○にアイス・カチャンというよく分からないが可愛らしい単語が入るととても素敵な響きになる。
アイス・カチャン。マレーシアのかき氷だそうだ。
タイトルバックで表示されたタイトルは「初恋紅豆氷 ICE KACANG PUPPY LOVE」だった。
初恋かき氷とでも訳すのかな。

自分の事を闘魚と名乗る男勝りのヒロインと、闘魚に想いを寄せる青年ボタック(=坊主の意味)の物語。
マレーシア映画。

映画の内容は、予想と違って結構POPなノリになっている。
香港系の騒々しい笑いと、ドラマ「トリック」のような僕の苦手なすかしたゆるい笑いとの中間のようなノリ。
ノリはPOPだけどあまり裕福でない層の人達の物語なので、妬み嫉み、DV、死、夜逃げ等、ちょいちょい暗い要素も織り込まれる。
ただ、少しも暗くなることは無く、全ては淡い初恋の痛みに収斂していくから見事だ。
闘魚とボダックの関係だけでなく、彼らの幼い頃からの仲間(ケンカ仲間)達も単純でストレートな想いを見せてくれる。
宝くじ胴元の息子マーとその妹、ボダックの妹、白馬の王子、マーの子分のやせのっぽ。
彼らの恋は基本的にコミカルに描かれるが、その幕引きは意外と切ない。

東京03の飯塚に似ていて、馬鹿みたいにぼーっとしたボダックを演じたアニュウは歌手らしい。
というか監督もしてんじゃん。
見終わってから知ると結構びっくりする。
他にも主要キャストは皆有名歌手らしい。
そして見ればわかると思うけど皆結構年いっている。
歌手としての活躍を知っている上で見たらさらに面白いのだろうな。
ゲイリー・ツァオなんかもうコメディアンだしアンジェリカ・リーに股間踏みつけられているし。
アンジェリカ・リーも魅力的だがフィッシュ・リョンが可愛い。

2011年10月2日日曜日

映画『127時間』

2010年 監督:ダニー・ボイル
at ギンレイホール




分割画面によるUNIQLO CARENDARのような早回しでスタイリッシュに始まる。
ロッククライミング大好きの青年アーロン・ラルストン(ジェームズ・フランコ)は週末に一人でブルー・ジョン・キャニオンへやってきた。
広大な大自然を満喫するアーロンだったが、狭い断崖を軽快に降りている途中で落石の岩に腕を挟まれて動けなくなってしまう。
知恵を絞ってなんとか脱出しようとするが、岩は何をやってもびくともせず、砕くことも削ることもできない。
乏しい食料とわずかな水のみで着々と過ぎ去っていく時間の中、過去の出来事が後悔とともに過ぎっていく。

映倫G(どなたでもご覧になれます)。
予告編を見る限り、彼が最後にどうするのか見当は付く。
デジタルビデオカメラに残っている水着の女の子を映像を見て、自然に左手がするすると下に向うアレの事ではない。
そのアレじゃなくてもちろんあのアレの事だ。
隣の隣に座っていた女性の人は両手で顔を覆っていたと思ったら、そのまま屈みこんで完全拒否状態に。
最終的には席を立って出て行き、問題のシーンが終わった頃にとことこ席に戻ってきていた。
恐怖の映倫G(どなたでもご覧になれます)。
プールのシーンとかどうなってんだろう。特殊メイクでどうこうできる話じゃないからCGなのかなぁ。

映画の大半が岩に挟まれて身動きの取れない状態でのシーンなのに、ラストの予見もあってかスリリングで面白い。

実話らしい。

映画『ザ・ファイター』

2010年 監督:デヴィッド・O・ラッセル
at ギンレイホール


ザ・ファイター コレクターズ・エディション [Blu-ray]

マサチューセッツ州ローウェルには、あのシュガー・レイ・レナード(・・有名ボクサーらしい)からダウンを奪って地元で伝説的英雄になったディッキー・エクランド(クリスチャン・ベール)がいた。
ディッキーは今では弟ミッキー・ウォード(マーク・ウォールバーグ)のトレーナーをしている。
兄はアウトボクサーで弟はインファイター。
そして性格も正反対。
底抜けに陽気だが破滅的な兄ディッキーは完全な麻薬中毒で、過去の栄光にすがりついて順調に転落中の男。
一方真面目な弟ミッキーは実力はあるらしいが、トレーナーなのに練習時間にやってこない兄や金の亡者に成り下がっている母親に振り回されて負け続きになっている。
母親や兄のお気楽さにより10Kgも体格差のある相手と闘わされて殺されかけてから、ミッキーは自分のボクサーとしてのこれからについて真剣に考え始める。

もっととことん暗くして家族の物語になったら面白そうだけど、一応サクセスストーリーになっている。
実話らしいのでしょうがない。まるで映画みたいに成功しちゃったんだから。

ラストに実際の兄弟の映像が流れるのだけど、兄がクリスチャン・ベールが演じたまんまの陽気さで面白かった。

ボクシングシーンはまじにやっている。
製作にも携わっているマーク・ウォールバーグは3年もの間トレーニングを続けて準備していたという入れ込みよう。
ダーレン・アロノフスキー監督が降板してデヴィッド・O・ラッセルに代わったり、兄ディッキー役のブラッド・ピットが降板したり、と結構紆余曲折を経て製作された映画らしい。

マーク・ウォールバーグは昔から猿顔だったけど、年を取るごとに悪化している気がする。
もうゴリラにしか見えない。

2011年10月1日土曜日

10月INFO

10月3日(月)午後1:03~2:48  BSプレミアム
「アイス・カチャンは恋の味」2010年・ マレーシア
〔監督・脚本〕アニュウ
10月4日(火)午後1:02~3:24  BSプレミアム
「デリー6」2009年・ インド
〔監督・脚本〕ラーケーシュ・オームプラカーシュ・メヘラー
10月5日(水)午後1:03~2:35  BSプレミアム
「冬休みの情景」2010年・ 中国
〔監督・脚本〕リー・ホンチー
10月6日(木)午後1:05~2:28  BSプレミアム
「ピノイ・サンデー」2009年・ 台湾/日本/フィリピン/フランス
〔監督・脚本〕ウィ・ディン・ホー
10月7日(金)午後1:05~2:49  BSプレミアム
「キャプテン アブ・ラーイド」2007年・ ヨルダン
〔監督・脚本〕アミン・マタルカ
10月9日(日)午後10:02~午前0:08  BSプレミアム
「お引越し」1993年・ 日本 
〔監督〕相米慎二
10月11日(火)午後1:05~2:29  BSプレミアム
「トゥルー・ヌーン」2009年・ タジキスタン
〔監督〕ノシール・サイードフ
10月12日(水)午後1:05~2:53  BSプレミアム
「シャングリラ」2008年・ 中国
〔監督・脚本〕ティン・ナイチョン
10月13日(木)午後1:00~3:14  BSプレミアム
「胡同(フートン)のひまわり」2005年・ 中国
〔監督・脚本〕チャン・ヤン
10月16日(日)午後10:02~11:41  BSプレミアム
「おかあさん」1952年・ 日本
〔監督〕成瀬巳喜男
10月23日(日)午後10:02~11:56  BSプレミアム
「秋刀魚の味」1962年・ 日本 
〔監督・脚本〕小津安二郎

NHKアジア・フィルム・フェスティバルの2009年と2010年の上映作を何本かやる。
フィルムフェスティバルの作品に外れは無いので全部観なくては!
さらに、相米慎二や成瀬巳喜男、小津などもありかなり盛りだくさん。
自分が録画しようとしているやつだけ書いたので、他にもマジッド・マジディの「運動靴と赤い金魚」とか「ミリキタニの猫」等もある。
10月やべ~。

そして何気なく11月の放映予定も見ていたら、10月の興奮をも吹き飛ばしてしまうような衝撃のラインナップでちびりそうになった。
待望のタルコフスキー(一本)だけでも興奮するのに、さらにはビクトル・エリセ(二本)もある。
そして昔アナログで録画したけどデジタルテレビでは見る気になれずに保留にしていた山中貞夫(一本)。
小林正樹(一本)にチャップリン(一本)まである。
滅多に放映しない作品ばかり。
11月は仕事なんかしている場合じゃない。

2011年9月25日日曜日

映画『街の灯』

1931年 監督:チャールズ・チャップリン
at ギンレイホール


街の灯 [DVD]

1931年だから丁度トーキー時代が始まったくらいか。
一応サイレントだけど効果音や音楽だけは付けているらしい。
ホイッスルのギャグとかサイレントでも表現はできるけど分かりづらいしね。

もう完全にストーリー映画だな。
ギャグはストーリーの流れを崩さない程度に差し挟まれる。
ギャグは楽しいことは楽しいのだが、どうも爆発力が無い。
『犬の生活』や『キッド』と比べるど劇場内も比較的シーンとしていた。
でも、ボクシングのシーンだけは例外で、これは本当に笑えた。

分かりやすいストーリーと、どこか哀愁を感じる笑い。
86分と長いので途中で少しだけ飽きてきて、少し微妙感が漂ったけど、ラストシーン見たらぶっ飛んだ。
久しぶりに映画見て泣いたわ。
「見えるようになった?」と言うチャーリーの臆病だけど優しさに溢れたつぶらな瞳にまいってしまう。
調べてみるとラストシーンには賛否両論あるらしいが、チャーリーのこの表情が見れるだけで十分じゃないか。

2011年9月18日日曜日

映画『ダンシング・チャップリン』

2011年 監督:周防正行
at ギンレイホール


ダンシング・チャップリン(DVD) [DVD]

2部構成になっていて、第二部がチャップリンを題材にしたバレエ、第一部がその製作過程、練習過程のドキュメンタリーになっている。

根本的に勘違いしていて、第二部のチャップリンのバレエはこの映画のために作られたのだと思っていた。
しかし実際はローラン・プティの振り付けで91年に初演された演目らしい。
そこらへんの混乱で第一部に出てくる人達が何の練習しているのか?ローラン・プティは何の映像を見ているのか?何をもめているのか?見ているときはよくわかんないところも多々あったが、それでも多国籍に言葉が飛び交う練習風景や、立場を踏まえた上での意見の主張、プライドのぶつかり合い、出演者関係者へのインタビュー等々、なかなか見応えがあって面白い。

今調べてみると、ルイジ・ボニーノのために振付けられた「ダンシング・チャップリン(原題:「Charlot Danse avec Nous(チャップリンと踊ろう)」)」は、初演の頃から唯一この作品でチャップリンを演じることを許されたダンサーとして一貫してルイジ・ボニーノが演じてきたのだが、ルイジ・ボニーノももう還暦を過ぎ、このままでは幻の作品になってしまうと危惧した周防監督が映画化を希望したことから始まったらしい。
残したいなら公演されているバレエ「ダンシング・チャップリン」を撮影すればいいんじゃない?(実際撮影された映像は無いのかな)と思うけど、周防正行は映画監督なので映画になった。

映画になったといってもバレエの舞台を映画として撮ると一体どうなるのか?そもそも映画としてって何だ?
何を映そうが映画館で上映したら映画じゃね?とも思うが、バレエとなるとバレエはバレエなんだな。
一つの確立した舞台芸術なので。
セリフを入れてストーリー展開しちゃったらバレエじゃなくなって、バレエ「ダンシング・チャップリン」を残したいという当初の意図からも外れてしまう。
だからバレエそのものを撮る。
でも舞台での一発本番じゃなくてスタジオでのシーンごとの撮影を行い、それを生かして舞台や記録映像ではなしえない舞台上からの演者のアップの映像を入れてみる。
肉体表現で全てを表す芸術を尊重して壊さない程度に、映画っぽい(?)要素/技術を入れるだけ入れてみた、という感じか。
それはそれで普通にバレエ観るより面白いのかもしれないが、変にアップで撮られてもPerfumeのライブDVDを見てよく思うように「俺は全体が見たいんだ!!」と叫びたくなったりもする。
なんか一部で舞台裏、二部でバレエという構成にした時点で映画としては十分で、二部は観客ありの完全にバレエそのものの公演を撮影した記録映像にしちゃってもよかったんじゃないかと思う。
まあ、僕がバレエに興味なくて一度もまともに見たことがないので、この機会に映画とはいえバレエの公演をじっくり見たかったから、ってだけかもしれないが。

二部のバレエの演出でラストだけはちょっとはっとした。
この瞬間だけルイジ・ボニーノがバレエダンサーじゃなくて一気に映画俳優に変身するのね。
映画的演出とはいえバレエの世界にどっぷり漬かっていたところでいきなり完全な映画の世界に引き寄せられる。
バレエと映画がせめぎ合いつつもバレエが圧倒的に存在を主張していた中、思いがけずぐるっと反転して映画になってしまうから面白い。
しかもこの一本道を歩く姿って写真かなんかで見た記憶があるけどたぶんチャップリンの何かの映画のシーンだよね。
それまでバレエ様様でバレエありきな感じだったが、そういえば元々はチャップリンの映画じゃないか。
バレエから再び映画に引き戻して何が悪い。大元もこの作品も映画なんだから。
文化、芸術、国籍、いろんなものがぶつかり合ったり飛び越えたり変容したり、っていう多態性重層性は面白さの醍醐味だよなぁ。

草刈民代は何年か前に引退していたような気がするが、これが正真正銘のラストダンスらしい。
世界で活躍する草刈民代っていうけど、実際草刈民代って世界ではどれだけ有名なんだろう。
世界で本当に評価されている日本人を日本人はほとんど知らない。(活躍の場が世界だからだろうか)
だから日本人に広く名の知られている草刈民代は怪しいと思っていて、この映画も監督の妻だから起用されているんでしょと思っていたけど、ルイジ・ボニーノと仲が良かったり、ローラン・プティが「彼女は知的で美しいダンサーだ」みたいなコメントをしていたり、と実は世界でも有名な人なのかもしれない。
でも帰ってWikipediaで調べてみたけど、そんなに華々しい経歴ではないよなぁ。いまいちわからん。

映画『キッド』

1921年 監督:チャールズ・チャップリン
at ギンレイホール


キッド (2枚組) [DVD]

映画のストーリーで泣くことはほぼ無いのだけど、チャップリンと引き離されるジャッキー・クーガンを見たら音楽の盛り上がりもあってうるっと泣きそうになる。泣かなかったけど。
ほほえましいギャグを織り交ぜつつ、どこか哀愁を湛えたストーリーが非常に分かりやすい。

ラストだけはよく分からなかったのだけど、調べてみると一緒に引き取られたってことだったのね。


さて、『犬の生活』『キッド』と初期の代表作を見ただけでまだ入り口に入った状態ながら、今の時点で判断してみると、どちらかというとキートンの映画の方が僕の好みかもしれない。
チャップリンの映画は異常に完成度が高くて確実に面白いのだけど、スラップスティックコメディにしてはしっかりしたストーリーが現実的すぎる。
キートンの場合は、あの無表情のまましれっと繰り広げられる超人的アクションや、問題解決の非常識で至極単純な発想等々、現実離れしてとびぬけてでかいスケールは世の中全て単純で簡単だと思ってしまう楽しさと破壊力がある。
どちらも映画として面白いのだけど、好みでいうとキートン、という話。

映画『犬の生活』

1918年 監督:チャールズ・チャップリン
at ギンレイホール


ラヴ・チャップリン ! コレクターズ・エディション BOX 1 [DVD]

チャップリン、キートン、ロイド。僕はどちらかというとキートン派かな。
っていう映画通ぶったセリフをしたり顔で吐きそうになりつつも押しとどまったのは、自分の脳みそが空っぽなのがばれるのを恐れたという以前の大問題として、そもそも僕はキートンの映画しか見たことがなかったから。。。
ハロルド・ロイドもチャップリンもいつか見ようと思いつつ叶わなかった(=NHK BSで放映されなかった)ところで、今日ギンレイに行く前に時間と上映作品を調べたら意外にもチャップリンの映画をやっている。
周防監督様様だな。

まずは『犬の生活』。
ああ、最初から最後まで純粋に面白かったな。
印象としては質の高いギャグを散りばめつつも、ギャグ以上にストーリーに重点を置いている感じ。
サイレントでほとんど説明が無いのにストーリーが非常に分かりやすい。
目を凝らして映像から流れを読み取ろうと躍起にならなくても自然に入ってくる。
こりゃあ確かに愛されるわけだ。

屋台の主人の目を盗んで巧みにパイを失敬するやり取りは、ドリフのコント等でよく見てきたけど、原型はこれだったのか。
屋台の主人はチャップリンのマネージャーもしていた異父兄らしい。
だからかどうか知らないが、息のあった軽妙で絶妙なやり取りはかなりの見物になっている。(笑えるというより感心する)

じいさんばあさんのフィルムセンターと違ってギンレイの客層は比較的若いので、サイレントで笑い声はあまり聞こえないのではないかと思っていたけど、場内のそこかしこから爆笑する声(しかも若い女の子達の声が大きい)が聞こえてきてちょっと驚く。
そういえばこれだけ笑い声が聞こえるのに、どこかのシーンで僕が思わずプッと笑ったらその時は他に誰も笑っていなくて悲しかったな。

チャップリンのペーソスを含んだ作風はこの映画から始まったらしい。

2011年9月13日火曜日

9月INFO

9月2日(金)午後1:00~2:35  BSプレミアム
「吸血鬼ノスフェラトゥ 恐怖の交響曲」 1922年・ ドイツ
〔監督〕F・W・ムルナウ
9月7日(水)午後1:00~3:12  BSプレミアム
「チャイナタウン」 1974年・ アメリカ
〔監督〕ロマン・ポランスキー
9月11日(日)午後10:02~午前0:18  BSプレミアム
「利休」 1989年・ 日本
〔企画・監督・脚本〕勅使河原宏
〔音楽〕武満徹
9月20日(火) 午後10:30~11:52  BSプレミアム
「フォーン・ブース」 2002年・ アメリカ
〔監督〕ジョエル・シュマッカー
9月21日(水)午後1:00~3:17  BSプレミアム
「アウトロー」 1976年・ アメリカ
〔監督〕クリント・イーストウッド

9月はどうもしょぼい感じ。(録画したかったのは前半に集中していたのだけど悉く録り逃した)
その分来月はNHKアジアフィルムフェスティバル系なのか知らないが面白そうなアジア映画がたくさんあるので今月のうちにHDDレコーダーを整理しておこう。
来月は突然のヌードで世界中を震撼させた田畑智子がデビュー作にして映画界の至宝となった相米慎二の「お引越し」もある。

2011年9月10日土曜日

映画『毎日が夏休み』

1994年 監督:金子修介
BSプレミアム録画


毎日が夏休み デラックス版 [DVD]

大島弓子の同名漫画を『1999年の夏休み』の金子修介が映画化。
主演佐伯日菜子のナレーションが最初はうざかったのだけど、このおとぎばなしに慣れてくると、80年代風少女のセリフ回しで語られる中学生にしては大人びている(まるで他人事のような)思考や、少し棒読みだけど溌剌さに満ち溢れているナレーションが面白くなってくる。
「冗談じゃねぇよ。あたしゃこれでも登校拒否児ですからね。文部省特選映画なんざ見たくねぇ。」

「今日も元気に登校拒否だ」で家を出たスギナ(佐伯日菜子)と、母の再婚相手の成雪(佐野史郎)は、昼間の公園でばったり出会う。
義父もまた、会社を辞めてふらついていたのだった。
「一流企業における17年間というエリート生活は心の苦痛を表現しないキャラクターを形成した」義父の成雪は娘を連れて再就職に動き出す。

丁度「ずっとあなたが好きだった」とか「誰にも言えない」の頃に当たるのかな。佐野史郎は。
表情の無い元エリート会社員の役なのでドラマのイメージのままに見ると結構怖いかもしれない。
役柄はちょっと常識とずれているが心優しい男なんだけど。

じぐざくのスロープを佐野史郎が自転車で必死こいて下るシーンはいいな。
下りきるまでカメラが引きのままだったら泣いていたかもしれない。
それにしてもこのスロープはどこにあるんだろう。凄い面白いので行ってみたい。

ラストは何かすっきりするようなしないような、あっという間、という感じだった。
それなりに盛り上がった後でのラストではあるのだけど。
普通学校に戻るじゃん。義務教育中なんだし。
学校というもの自体を否定しているよな。
いじめられていた子は唯一の友達スギナが戻ってくるのを待っていただろうに。
意地の悪い人達しかいないような学校なんて百害あって一利なし。サヨウナラ。
確かにそんな学校に通うより、同等かそれ以上の教育を受けた上に美化された仕事という冒険によって貴重で充実した少女時代を過ごしたことだろう。
この全てが順調に運ぶおとぎ話のようなお話だからこそ、穏やかな日差しの中での気持ちのいい午睡が、爽やかさと共に不穏さをはらんでいる。
夢落ちならまだしもなんかとんでもないどんでん返しが待っているような。
映像も眠っているスギナのアップから引いていく時に、地震のように少し画面が揺れたりするし、セミの声だけのなんともいえない静寂の間とか、何か不安を掻き立てるような要素に見えてしまう。
たぶん素直に見れば爽やかで片付けられるだろう。
うん、素直に見よう。これは爽やかなおとぎ話なんだと。

大人びているスギナが、義父を父というより恋人のように見ている気がするのも気になるところ。

いくつになっても美しい風吹ジュンが、髪型のせいか老けて野暮ったく見えた。
高橋ひとみは綺麗だった。

2011年9月3日土曜日

映画『キッズ・オールライト』

2010年 監督:リサ・チョロデンコ
at ギンレイホール


キッズ・オールライト  オリジナルバージョン [DVD]

つまらないコメディかと思ってぼけーっと見ていたら、意外となかなか面白い映画だった。
レズビアンのニック(アネット・ベニング)とジュールス(ジュリアン・ムーア)には、18歳の娘ジョニ(ミア・ワシコウスカ)と15歳の息子レイザー(ジョシュ・ハッチャーソン)がいる。
精子バンクを利用して一人ずつ子供を生んだらしい。
ちょっと変わっているといえば変わっているが中身は普通の家族になっている。
各々が小さな不満を蓄積させているっていう普通の家族。
ジョニが18歳になったのを契機に、子供達が母親達に内緒で遺伝子上の父親に会いに行くところから家族の関係が動き出す。
父親ポール(マーク・ラファロ)は独身で人気レストランのオーナーをしていた。
自由気ままに生きているといった感じで、決して悪い奴ではない。
悪い奴じゃないんだけど。。。

コメディタッチなので、情事も笑って見ていたが、まさかそんなシリアスになるとは。
コメディに隠されていてもその裏では着実に暦とした家族ドラマが進行している。

それにしてもポールが哀れすぎるよなぁ。
この家族との間に発生する関係性も始まりは全て受身だったのに、翻弄された挙句にぼろ雑巾のように捨てられた哀れな犬のようだ。
自業自得とはいえ、コメディで楽しく展開していたじゃないか。
大きな罰を受けるのは他人のポール、いや、他人であって他人じゃないポール。ややこしい。

家族の関係性も血のつながりでみるとややこしい。
子供達にとって一方は産みの親だけど、もう一方は血のつながりは全く無い。
子供達は血のつながりのない方の親には、どこかよそよそしさがあるように見えたりもするし、親も自分が産んだ子の方をどちらかというとより可愛がっているようにも見える。
見えるってだけでストーリー上それが明確に表面化/問題化するわけじゃないから普通の家族設定でもいいようにも思えるけど、この関係性の微妙な複雑さが各事件が与える家族一人一人の心情にアクセントを加えている、のだろう。
というかせっかくなのでそう見よう。
養子だったら両親とも平等に血のつながりが無いし、子供の出来ない夫婦が人工授精で産んだ場合はどちらかが子供二人と全く血のつながりがなくなる。
一番近いのは男が女二人に子供を産ませた挙句捨てたか失踪したかでいなくなり、捨てられた女二人がそれぞれの子供達と一緒に家族を形成している、というありえなさそうなパターンかな。
そうなると父親は薄情な奴としてこの家族に恨まれるので、今度はポールという遠くて近い特殊な関係性が生々しくなってしまう。
ん~、書いていて思ったがどうでもよくなってきた。

レズビアンの人によると、バイセクシュアルなら別だが、レズビアン(それも何十年もの間)が男性と寝ることは有り得ないそうだ。
「レズビアンものはストレートの女性が演じているから醒める」というセリフでなんとなく納得してしまうゲイポルノを見ながらのセックスシーンも、有り得ない、と。

ジュリアン・ムーアの体の染みはどんどん広がっているのかな。

映画『ブルーバレンタイン』

2010年 監督:デレク・シアンフランス
at ギンレイホール




つまらない恋愛物かと思ってぼけーっと見ていたら、意外となかなか面白い映画だった。
恋愛物というと、二人が困難を乗り越えつつ最後に結ばれてハッピーエンドというパターンだけど、結婚した後にはその後何十年と続く結婚生活というドラマが待っていることを忘れちゃいけない。
恋愛映画の主人公達がハッピーエンドの後にもハッピーが死ぬまで続くのかというと、たぶん7割方離婚しているだろう。
『ジュリエットからの手紙』のあの二人なんか2年くらいで破局しているぜ。絶対。
結婚までにどれほどの困難があろうが、結婚した後に待っている困難の方が何倍も難しい。
なぜ難しいって、結婚前の困難は盲目に愛し合う二人を引き離す外的要因の困難だけど、結婚後の困難は当の二人の間で発生する問題だから。
人間と人間、他人と他人が一緒に生活を共にするわけだから、いくら惹かれあっていようが、そこには繊細な人間関係が常に横たわっている。
小さなすれ違いはやがて修復不能な大きな亀裂になることだってある。
自分の根源的な生活習慣の中に存在している人間関係はそれほど繊細で難しい。

そんな夫婦間のわずかなずれを丁寧に描写しながら、過去の二人の初々しい出会いの物語を何度も効果的に挟みつつ描いているのがこの映画。
結婚した途端性格が一変したとかいうわけでもなく、夫はちょっとやくざっぽくなっても決して妻に手を上げないし、妻は妻で変わらず真面目に夢を持って働いている。
明らかにどっちが悪いとも言えないまま、結婚する前と大きく変わらないはずの二人の関係が修復不能になっていく様は残酷とも言える。

主演は『ラースと、その彼女』『きみに読む物語 』のライアン・ゴズリングと、『ブロークバック・マウンテン』ミシェル・ウィリアムズ。
青みがかかった未来部屋の無機質な空間で緊張感と弛緩が波のようにうねる二人のやりとりは圧巻だった。

2011年8月21日日曜日

映画『ジュリエットからの手紙』

2010年 監督:ゲイリー・ウィニック
at ギンレイホール


ジュリエットからの手紙 [DVD]

イタリア、ヴェローナには、『ロミオとジュリエット』のモデルとなったジュリエットの生家がある。
ここには世界中から恋の悩みを綴った手紙が届けられているらしい。
ニューヨークで雑誌の調査員をしているソフィ(アマンダ・セイフライド)は婚前旅行で婚約者とイタリアにやってきて、このジュリエットの生家で50年前の手紙を見つける。
それが縁で手紙の書き手クレア(ヴァネッサ・レッドグレーヴ)とその孫チャーリー(クリストファー・イーガン)と3人でクレアの初恋の相手を探す旅に出る。

予告編を見るとソフィとチャーリーがいい感じになっていくようだが、ソフィには婚約者がいる。
さてはこの婚約者がひどい奴だったりするのかと思いきや、陽気で滅茶苦茶いい奴なのね。
しかも婚約者を演じているのはガエル・ガルシア・ベルナル。
ガエル・ガルシア・ベルナル対クリストファー・イーガンでガエル君が負けるはずないのだが・・・

なかなかテンポよく古典的に盛り上がる恋愛物。
この映画を見て韓流スターとの「本当の恋」を夢見て夫と離婚するおばちゃんが増えないか心配。

ヒロインのアマンダ・セイフライドは個人的にはあまりタイプじゃないのだが世間では今注目の女優さんらしい。
マカロニスターフランコ・ネロとヴァネッサ・レッドグレーヴは実際夫婦だったんだね。


映画『英国王のスピーチ』

2010年 監督:トム・フーパー
at ギンレイホール


英国王のスピーチ コレクターズ・エディション [Blu-ray]

こんなに混んでいるギンレイホールは久しぶりだ。
キムタクとかジョニー・デップ主演の映画を流しているとき並の人気ぶり。
コリン・ファースはそんなに人気だったんだねぇ。

人がいっぱいすぎて見る前から疲れてしまった。
アカデミー賞だかなんだか知らないが本当どうでもいいし、あまり期待していたわけでもなかったせいか、配給会社のロゴの時点で猛烈に眠くなってきた。
ハイテンションのアクションやコメディじゃないので、もちろん出だしはゆっくりで、そうなると眠気が覚めるタイミングは一向にやってこない。
たぶん全体の4分の1はうとうとして寝ていたと思う。

さて、ということで特に書くことが無い。
練習により上達して最後には大きな舞台が待っている、という王道なエンターテイメント性を持っているので最初からじっくり観れば盛り上がって爽快に楽しめる、はず。
ヘレナ・ボトム=カーター世代の僕も最近ではヘレナ・ボナム=カーターに慣れてきた。

2011年8月15日月曜日

映画『ワンダフルライフ』

1999年 監督:是枝裕和
BSプレミアム 録画


ワンダフルライフ [DVD]

中国の公民館みたいな場所にぞろぞろと爺さん婆さん達がやってくる。
すると、なにやら個人面接が始まり、職員が言うには、「もう状況はお分かりになっていると思いますが、あなたはもうお亡くなりになりました。」
一週間だけ滞在するこの三途の川の一歩手前のような世界で、死者達は自分の人生の中で一番印象に残っている大切な思い出を一つ選び、それを職員達が可能な限り再現する。
死者達はその再現された思い出一つを胸に抱えて、あの世へと旅立つのだという。

観たいなと思いつつ先延ばしにしている内、いつのまにか12年前の映画になってしまったのか。
ストーリーもよく知らないまま見始めたので、このファンタジーな設定は少し衝撃だったけど、設定よりも驚くのは、ドキュメンタリー手法と物静かな展開のおかげで、本当にドキュメンタリーを観ているような錯覚に陥ること。
脚本上どこまでセリフが用意されているのかは知らないが、結構役者自身の本当の思い出が語られているんじゃないかと思える。
人物達のリアルさに対して、彼らがいる世界はありえない非現実的な世界なのだから、作品全体として対極のものが同居している不思議な世界だ。
舞台となる面接会場も、大正時代の建物、または日本じゃなくてアジアのどこかの建物、というような国籍も時代も不明なものになっている。
明らかに不思議な建物、不思議な世界というわけではなくて、やはりどこかにある(あった)だろう現実的な建物なので、その微妙に曖昧な建物がさらに現実非現実の境目の緩さを重層的なものにする。

基本的に自然光だけで撮っているのかな。
喋っている途中で太陽が雲から現れて光源が強くなって顔がくっきり映ったかと思えば、また雲に隠れて部屋全体が薄暗くなったり。
こういうありのままの変化が非常にいい。しかも死後の世界で。

さて、小田エリカです。
なんということでしょう。小田エリカ。
なんで知らなかったんだろう。小田エリカ。
凄くいい雰囲気を持った女優さんじゃないですか。小田エリカ。
どんなに有名な活躍をしているのかと思って調べてみたら、どうもパッとしていないらしい。
でも青山真治の映画にも出ているな。
そこそこ活躍しているのか。
滅茶苦茶美人というわけじゃないけど、きりっとした眉が涼やか。
香川京子さんの若い頃に比べると小田エリカを選ぶでしょう。
香川京子さんの若い頃を演じた石堂夏央となら迷うけど。

ラストシーンは泣ける。
泣く理由が自分でもよく分からないのだが、とにかくラストシーンからエンドロールに移るときにこみ上げてきて泣いてしまったのだからしょうがない。
毎週何人もの人達の人生を垣間見て、送り出していく。(なんて濃い職業だろう)
そして一人一人の人生の重みが通り抜けていくのと同時に、何も変わらないはずだった職員の中でも出会いと別れが訪れる。
不思議な世界で起こる出来事は現実世界と何も変わらない。
別れの辛さが前向きな歩みの意思へと変化するのが自然に美しいと思える。
壮大な時の流れの中、数多の人の人生が過ぎっていく世界で、この単純ともいえる変化に全てが凝縮されているようで感動したのかもしれない。
いや、今見返してみると単にエンドロールへ行く切り方が絶妙だったからっていうだけかもしれない。

死者の中でも、セスナでの飛行を想い出に選んだ男がなんか強烈だった。
自分の知識を楯に暗に相手の無知を非難する言動がリアルすぎる。
そしてちょっと表情に狂気があって怖い。

作品上どうでもいいことだけど、以下疑問点をいくつか。
・この世界で死んだらどうなる?
・この世界は太陽も月もあり、季節も存在しているようだが、地球上のどこかにあるのか?生者には見えない?
・飯は?
・職員は現実世界との行き来ができるようだが、家族とはお盆しか会っちゃいけないルールがある?偶然会ったら?
・死んでこの世界に来て、一週間でまた死ぬって何で皆普通に受け入れられるのか?この世界で生きていくことを選べるならそうしたいじゃん。ただ、終わることの無い無間地獄が続くだけとも言えるが。
・この世界には一体何人の人が住んでいるのか?職員以外にも撮影スタッフや役者っぽい人達までいるし。
・年を取らない世界で子供は生まれるのか?

たった12年の間に由利徹、原ひさ子、谷啓と逝去し、昔見たドラマで主演の深田恭子よりも断然可愛いと思っていた吉野紗香はなんか変なことになり、小田エリカはテレビドラマなんかですっぽんぽんになり、さらに小田エリカはエリカと改名してアジャ・コングとかぶる、という時の流れをひしひしと実感する。

ちょい役で木村多江や篠崎誠が出ているらしい。
木村多江は楽団の練習で一瞬映るのを見つけたけど、篠崎誠はどこに出ていたんだろう。あまり顔を知らないけどさ。

「自分の人生の中で一番印象に残っている大切な思い出」か。
うーん。ぱっと思い浮かばない。

2011年8月7日日曜日

映画『津軽百年食堂』

2011年 監督:大森一樹
at ギンレイホール


津軽百年食堂 (小学館文庫)

桜が満開です。
オリラジの二人を主演に据えた映画。
どちらかというと藤森が主人公なのかな。

弘前で100年続く大衆食堂の初代を中田、3代目の息子を藤森が演じる。
二人とも映画初主演らしいが、結構普通に見れる。
青森出身でも無い二人がなぜに主人公?とも思うが、話題づくりにはもってこいだったからだろう。
実際誰が演じても大した違いもなさそうな役だし。

映画全体としてなんだか普通にまとまりすぎていて、面白いんだかつまらないんだかよく分からない。
なのでよく思い出せない。
ヒロインの福田沙紀にもあまり興味がないしな。
ああ、そういえば野村宏伸を久しぶりに見た。

監督は『ヒポクラテスたち』の大森一樹。

映画『まほろ駅前多田便利軒』

2011年 監督:大森立嗣
at ギンレイホール




アウトロー、は言い過ぎだけど、ちょっと社会からはみ出し気味に便利屋を営む若者二人の物語。
っていうと高校生や大学生なんかが喜んで飛びつきそうだ。
実際僕も昔こういう映画が大好きで、阪本順治が撮った傷だらけの天使とか大好きだったな。
ただ、この手のストーリーは「俺達ってかっこいいだろ?」みたいなすかしてガキくさい雰囲気をかもし出すものが多いから、無条件に喜んでいた昔と違って単純に楽しめなくなってきている。

この映画も予告編を見る限りあまり期待していなかったのだけど、いやあ、面白かった。
破天荒すぎず、真面目すぎず。いい塩梅。
惜しげもなくゆったり間を撮った撮影のリズムが不穏な空気を漂わせながらもなぜか安心する。

主演は瑛太と松田龍平。
松田龍平は今まで無表情で棒読みな印象が強かったのだけど、この映画では役柄もあいまってか彼の持っている雰囲気が凄く魅力的になっている。
いい役者さんだったんだな。
あの飄々とした感じは何度も父親とだぶる。
それを踏まえて「なんじゃこりゃー!」だもんな。
父親の雰囲気に加えて、父親よりも壊れやすそうな危うさがあって、それが松田龍平の特異な武器だろう。
瑛太の方もあまり意識したことなかったけどこの人はごく自然体になんでもできる。
この配役は見事。
ジャニーズ系とか森山未來とか松山ケンイチとか、後誰だ?とにかくそういう寒くなりそうな人達を使わないところが嬉しい。

脇役も豪華かつそれぞれほんのり胡散臭さを潜ませながら驚くほどはまっている。
本上まなみ、柄本佑、大森南朋、松尾スズキ、麿赤兒、高良健吾、岸部一徳。
あと、若そうだけどあまり可愛くなくてパッとしない子、でもどこかで見たことあると思いながら大分してからはっと気付いた鈴木杏。

知らなかったのだけど大森南朋は麿赤兒の子供だったんだね。
しかも監督の大森立嗣も。

2011年8月5日金曜日

8月INFO

8月3日(水) 午後1:00~3:58  BSプレミアム
「若者のすべて」1960年・ イタリア/フランス
〔監督・脚本〕ルキノ・ヴィスコンティ
8月9日(火) 午前8:00~9:11  BSプレミアム
「遠くの空に消えた」2007年・ 日本
〔監督・脚本〕行定勲
8月10日(水) 午後1:30~3:30  BSプレミアム
「ワンダフルライフ」1998年・ 日本
〔監督・脚本〕是枝裕和
8月21日(日) 午後10:02~11:29  BSプレミアム
「狂った果実」1956年・ 日本 
〔監督〕中平康
8月28日(日) 午後10:02~11:37  BSプレミアム
「毎日が夏休み」1994年・ 日本 
〔監督・脚本〕金子修介
8月29日(月) 午後1:00~2:43  BSプレミアム
「オズの魔法使」1939年・ アメリカ
〔監督〕ビクター・フレミング
〔出演〕ジュディ・ガーランド、レイ・ボルジャー

小林正樹の人間の條件シリーズを全部やる模様。
昔高田馬場のACTミニシアターにエリック・ロメールの映画を見に行ったら1週間間違えていたみたいで、エリック・ロメールじゃなくてこの人間の條件をやっていた。
スタッフの人に長いけど名作ですよと勧められたけど帰った。
っていうのを思い出した。
録画しようかどうしようか。

2011年7月24日日曜日

映画『SOMEWHERE』

2010年 監督:ソフィア・コッポラ
at ギンレイホール


SOMEWHERE [DVD]

あれっ、天使がいるよ。
娘役の子がやばいね。
中性的(子供なので)で神秘的な可愛さ。
こんな子が娘だったら毎日定時で帰る。
どこで見つけたんだろうと思ったらダコタ・ファニングの妹で既に何本も映画に出ていた。

スティーヴン・ドーフが演じる映画スターがセレブで自堕落で空虚な生活を送っているところに、前妻の娘のクレオ(エル・ファニング)がやってくる。
父と娘の本来普通にあるべきだった日常が、愛しさを滲ませながら淡々と描かれていく。
娘役が破壊力抜群だからな。父の心境が変化しないわけが無い。

淡々とっていうのが本当淡々となので途中うとうとしてしまった。
それもあってか、プールサイドで日向ぼっこする二人のシーンがラストシーンの気配を色濃く漂わせたとき、同時にもたげた「ここで終わるとはなかなかいい映画だったかもしれない」という感想と微妙な興奮が数秒後にはプールサイドのシーンと共にあっという間に過去に置き去りにされていく悲しさ。
別離があって「俺は空っぽの人間だ」と言わしめ、だだっ広い荒野を黒のフェラーリがむなしい爆音と共に行く当ても無く周回し続ける冒頭のシーンがラストシーンへと繋がって行くのだけど、なんかそんなストーリー上まとめなくてもいいじゃん。今更。ぶひ。

つまらなくはなかったけど滅茶苦茶面白いというわけでもなく、ただエル・ファニングが順調にいい女へと成長してくれることを祈りたい。

映画『アメイジング・グレイス』

2006年 監督:マイケル・アプテッド
at ギンレイホール


アメイジング・グレイス [DVD]

長いなぁと思ったけど118分なんだな。
18世紀のイギリスで、奴隷制度の廃止に一生をささげた青年政治家のお話。

事前に見た予告編の印象では、まずストーリーとして、正義漢の青年が堕落した政治家という分かりやすい悪を相手に奮闘し、時折挫折しながらも最後には栄光の勝利を勝ち取る、っていう期待感のあまり湧かない話っぽくて、さらには
「首相として忠告する」「友としては?」「思う存分やれ ( -_-)フッ」
っていうセリフを聞いたら、もうとんでもなくつまらない映画なんじゃないかと思えてくる。
それでも期待感を維持したのは、予告編で本田美奈子が歌う「Amazing Grace」が流れて、久しぶりに聞いた歌声と歌唱に我を忘れて引き込まれたから。

イギリス映画で本田美奈子の歌が使われるなんて、この監督は結構やるなぁ。
本編のどこで流れても号泣する準備はできでるぜ。
と思って本編に望んだのに、本田美奈子の歌、流れないじゃん。。。
日本の予告編にだけ使われていたらしい。
がっくりきたショックで映画の内容は忘れた。
アルバート・フィニーとかマイケル・ガンボンが出演していた。

2011年7月10日日曜日

映画『ソウル・キッチン』

2009年 監督:ファティ・アキン
at ギンレイホール




勝手にロシア映画だと思っていたけど、ドイツ映画だったらしい。
ノリが良くて、久しぶりに力に溢れた映画を見た気がする。

ギリシャ系移民のジノス(アダム・ボウスドウコス)はハンブルクでレストランのオーナーシェフをしていた。
レストランといっても常連客頼みの大して美味しくない庶民派レストランで、税務署からは滞納分の督促を迫られている状態。
私生活でも彼女が仕事で上海に行ってしまい、その上自分はヘルニアを患ってしまう。
さらには仮出所したギャンブル好きの兄イリアス(モーリッツ・ブライブトロイ)を従業員として雇う羽目になるわ、スカウトしたシェフのせいで頼みの常連客までいなくなるわで、破滅への下降線を辿っていく。
絶望の一歩手前なんだけど、どこか飄々とした明るさと笑いで展開していくから楽しい。
絶望せずに生きる力さえ持っていればなんとかなるんじゃね?
っていうコメディタッチによるあっけらかんとした思想(本人達はいたって真面目だけど)がその通り「なんとかなる」ような、そう簡単にはいかずにさらにひどい状況になるような。
絶望と幸せの浮き沈みは全て笑いっていう生きる力で並列化されて、生きてさえいれば全ては些末な出来事に思えてくる。

兄役のモーリッツ・ブライブトロイはフィルモグラフィを見ると『ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア 』『ラン・ローラ・ラン 』『ルナ・パパ』『es [エス]』等々、有名どころが出てくるから結構メジャーな俳優さんっぽい。

映画『わたしを離さないで』

2010年 監督:マーク・ロマネク
at ギンレイホール


わたしを離さないで [DVD]

キーラ・ナイトレイよりキャリー・マリガンが好きだ!

田園地帯に外界から隔離された寄宿舎があった。
ここではたくさんの子供達が暮らしていたが、彼らの運命は生まれたときから決められていて、18歳になったら"提供"が始まり、通常3回程度の"提供"の末、"終了"を迎える。
舞台は70年代くらいから始まるので、ノンフィクションに思えて一瞬戸惑ったが、技術的にも倫理的にもありえないのでフィクションなのだろう。
原作はカズオ・イシグロの同名小説で、ブッカー賞最終候補作らしい。

この子供達の自分の運命を受け入れる物分りの良さは一体何なんだろう。
誰も抵抗しない不思議。
他にもトミーの選んだ彼女とか不明な点は多々あれど、恋愛映画として見れば面白い。
短い命と決まっているからこそ、感情に重みが出てくる。
どうせ短いんだからと感情のままに生きれば後に押しのけた物の反動の痛みに苦しみ、抑制すれば消えない感情の奔流に苦しむ。
短い命をめいいっぱい生きようとしても一人で生きているわけではないから思い通り行くものでもない。
いろいろテーマがありそうだが、それらの要素を簡単にふまえつつ上手くまとめて恋愛映画に収束している感じ。

見終わった後カップルが感想言っているのを(聞こえてしまうので)聞くともなしに聞いていると、女性の方は原作を読んでいるらしく、原作だとこうだったけど映画でははしょられている等々文句を言っていて、男性の方は原作は未読のようだが最後30分前くらいのあのシーンでなんかもう冷めちゃったとかなんとか言っていた。
僕はそれなりに普通に見ていたけど、見る人が見たら不満な点がいろいろあるらしい。

とりあえずキャリー・マリガンがいい。
あと寄宿舎の校長先生がシャーロット・ランプリングなのね。
シャーロット・ランプリングの冷酷なのか温もりがあるのか分からない底の見えない深い目が存在感抜群だった。

2011年7月4日月曜日

7月INFO

7月5日(火) 午後1:00~2:46  BSプレミアム
フロント・ページ 1974年・アメリカ
〔監督・脚本〕ビリー・ワイルダー
7月6日(水) 午後1:00~2:38  BSプレミアム
Gガール 破壊的な彼女 2006年・アメリカ
〔監督〕アイバン・ライトマン
「超人的なパワーを誇るスーパー・ヒロイン“Gガール”と、しがない会社員男性との恋愛騒動を描いたロマンチック・コメディー」でユマ・サーマン主演。
7月7日(木) 午後1:00~2:41  BSプレミアム
団塊ボーイズ 2007年・アメリカ
〔監督〕ウォルト・ベッカー
〔出演〕ジョン・トラボルタ、ティム・アレン、マーティン・ローレンス、ウィリアム・H・メイシー、ピーター・フォンダ
痛快コメディらしい。団塊ボーイズ。
7月10日(日) 午後10:02~11:52  BSプレミアム
乳母車 1956年・日本
〔監督〕田坂具隆
昔フィルムセンターで見て面白かった記憶がある。裕次郎主演。
7月11日(月) 午後10:00~午前0:12  BSプレミアム
チャイナタウン 1974年・アメリカ
〔監督〕ロマン・ポランスキー
めずらしくポランスキー映画がぽつんと。
7月12日(火) 午後10:00~11:22  BSプレミアム
ロープ 1948年・アメリカ
〔監督〕アルフレッド・ヒッチコック
ヒッチコック特集でもないのにレアなものをやりよる。
7月17日(日) 午後10:02~11:40  BSプレミアム
雨月物語 1953年・日本
〔監督〕溝口健二
ブルーレイに焼いておきたい。
7月21日(木) 午後1:00~2:47  BSプレミアム
恋愛睡眠のすすめ 2006年・フランス/イタリア
〔監督・脚本〕ミシェル・ゴンドリー
〔出演〕ガエル・ガルシア・ベルナル、シャルロット・ゲンズブール
映画自体はくそつまらなさそうなんだけど、この配役だけが興味をそそる。
7月25日(月) 午後10:00~11:44  BSプレミアム
カサブランカ 1942年・アメリカ
〔監督〕マイケル・カーティス
7月27日(水) 午後10:00~11:55  BSプレミアム
ガス燈 1944年・アメリカ
〔監督〕ジョージ・キューカー
7月31日(日) 午後10:02~午前0:24  BSプレミアム
誰も知らない 2004年・日本 
〔製作・監督・脚本〕是枝裕和
おお、見てなかったから嬉しい。

2011年6月26日日曜日

映画『トゥルー・グリット』

2010年 監督:ジョエル・コーエン,イーサン・コーエン
at ギンレイホール


トゥルー・グリット スペシャル・エディション [DVD]

製作総指揮スティーヴン・スピルバーグ
監督コーエン兄弟
主演ジェフ・ブリッジス
で、西部劇!
ババーン
という感じだが、面白かったような面白くなかったような。。

なんというか、せまっ苦しいんだよね。
西部劇のくせして広大な荒野がほとんど映らないし。
あと恐怖感が一切無い。
どこからともなく現れて襲ってくるインディアンがいるわけでも無いし、むしろストーリー的には主人公達は敵を追う追跡者側だから、誰かに狙われる心配が一切無い。
基本的にはのうのうと敵を追跡するわけだし。
見えない所(丘の上とか崖の上)からいきなり狙い撃ちされて逃げ惑ったり命を落としたりする敵がむしろ可哀想だ。

でも、まあ退屈はしなかった。

テキサスレンジャーのラビーフ役でマット・デイモンが出ている。
『リプリー』(1999)以降見ていなくて、もう俳優やめたのかと思っていたけど、フィルモグラフィーを見ていると普通に活躍していたんだな。
たまたま出演作を見ていなかっただけらしい。
あ、『ブラザーズ・グリム』(2005)見ていた。

ジェフ・ブリッジス、マット・デイモンと並んで主役を張っていたのが、撮影当時13歳だったというヘイリー・スタインフェルドで、この子がなかなか魅力的な顔をしている。
基本的に野暮ったい感じの顔だけど、少女ゆえか、美人と不細工の間を不安定に行き来していて面白い。
たぶん大人になったら美人になるのだろうな。

映画『ハロルドとモード/少年は虹を渡る』

1971年 監督:ハル・アシュビー
at ギンレイホール


Harold and Maude [DVD] [Import]

なんか今の映画にしては映像が古い。
ファッションも古いし、それに冒頭に流れる主題歌や、偽装自殺で人を驚かす事を趣味にしている少年等、雰囲気はアメリカンニューシネマっぽい。
ギンレイではごくたまに古い映画を放映するから、過去の有名作かなんかを何かのきっかけで流しているのかな、と思う。
後で調べてみると、公開当時はあまり話題にならず、興行面も振るわずに闇に葬られながらも、映画ファンにカルト的な人気を持つ傑作アメリカン・ニューシネマを連続公開する「ZIGGY FILMS '70S '70年代アメリカ映画伝説」というプロジェクトがあるらしく、『ハロルドとモード/少年は虹を渡る』はその第2弾として2010年に38年ぶりに公開されたらしい。

で、その「傑作」を見た感想だけど、僕はもう全然駄目だった。
だって10分に1回くらいの頻度で歌が流れるんだもん。
冒頭の歌から嫌な予感はしていたけど、ここまで頻繁に歌が流れると、ちょっと頭おかしいんじゃないかとさえ思う。
音楽が無かったらいくらか面白かったと思うが、傑作とまではいかない。
ストーリーは面白いんだけど。

主演のハロルド君を演じたバッド・コートは長身だが年齢不詳の童顔で、不思議な魅力がある。
(個人的な話だが大学の先輩に似ていた)
ウェス・アンダーソンの『ライフ・アクアティック』に出演していたらしく、記憶に無いので調べてみたら、おお、確かに彼だがおっさんになったなぁ。

もう一人の主演のモードを演じたルース・ゴードンは79歳という設定だが、60代くらいにしか見えない。
実年齢を調べてみると当時75歳くらいらしい。
若いです。

「ZIGGY FILMS '70S '70年代アメリカ映画伝説」の第一弾はロバート・アルトマンの『バード★シット』という作品でこちらも主演がバッド・コート。
こっちは面白そうだ。

2011年6月19日日曜日

映画『ブロンド少女は過激に美しく』

2009年 監督:マノエル・デ・オリヴェイラ
at ギンレイホール




あまり知らないのだけどオリヴェイラの作品ってラストはいつもこんな感じなのかな。
ちょっとした不自然が静寂の中異常なほど不安定に存在を主張して、眩暈とともに吸い込まれていくと弾かれるようにぷつっと終わってしまう。
こんなに強烈で印象的なラストはオリヴェイラの映画でしか見たこと無い。
オリヴェイラで過去に見たのはミシェル・ピコリ目当てにたまたま見た『家路』の1作のみだけど、『家路』もラストにびびった記憶がある。

ストーリーは、列車の中から始まる。
なにやら彼女とやむを得ず悲劇的に別れてしまったらしい男が、苦悩を吐き出すように彼女との間に起こった事を隣の席の見知らぬ婦人に語るという形式で進んでいく。

全体的な印象として、無駄がないな、と思う。
カメラは無駄にがちゃがちゃ動かないし、フレーム内に映るものはシンプルで無駄がない。
無駄が無い無駄が無いなんて言っていると、堅苦しいとか殺風景とか思うかもしれないが、情報量を切り詰めた映像はちらっと背後に映るだけの小道具や暗喩に目を光らせる必要も無いからそれだけ見やすいということだし、シンプルということは制限の無い自由な余白に溢れているということでもある。
(そもそも巷に溢れる最近の映画は阿呆みたいに情報を詰めすぎなんだ)
情報量を切り詰めちゃったら普通なら何がなんだかわからなくなっちゃうところだけど、シーンの羅列が不安定な動的要素をはらみながら破綻すること無く映画の面白さ怖さを見せてくれるから凄い。

話を聞く役の列車の隣席のおばさんは盲目という設定なのかと思った。
話をする主人公の男の顔ではなく、斜め前の中空を焦点の合わない目で見つめていることが多いから。
そこで気付くのだけど、このおばさんと主人公の男に限らず、視線と視線ががっちり交錯する瞬間がほとんどない。
はっきり映らないかもしくは不自然に微妙にずれる。
「不安定な」という印象はこの視線のずれによるのかもしれない。
例えば狭い借り部屋への来客シーンで、客用に用意した椅子は何故かベッドに座る主人公に対してそっぽを向いた位置に置かれる。
明らかに不自然なのに客はそのまま座るので、二人が正面きって相対することが無いのだが、会話は何故か自然に成立している。
はっきり映らないという点では、2階の窓から向かいの建物の窓への視線、切り替えしてその逆。
下から見上げる窓、窓から見下ろす道路。
上下左右の自由な拡がりでありながら極めて曖昧な距離感を持った空間を挟んで、人と人は互いに気付いて見つめあったり(見つめ合っているように見えたり)気付かずにそっぽを向いて別の「何か」を見ていたり。
登場人物達は一体何を見ていたのだろう。
カメラが一人称の視点になれば、その人物の見ているものが分かるが、代わりに他の人物の視線はどこを見ているか分からない。
これはカメラが同時に二人の視線を一つのショットで映す事が不可能だからしょうがない。
しかも「一人称の視点になれば」と言っても、それが一人称の視点とはっきり証明することだって本来できないじゃないか。
ショットの切り返しによって男が女を見た、女が男を見た、と思っているだけで実は二人は全然別のものを見ていた可能性だってある。
となるとカメラが映しているものって一体なんなんだろう。
カメラはなんでも映せるようでいて、実際は何も映せない。
観客は映画を見た、見ている気になっているが実際は何も見ていない。
映画固有の映画言語みたいなもので、シンプルなショットの連続だけでも分かった気になる。
明らかに不自然なはずなのに分かった気になる。
微妙なずれや不自然さは、普通は気にしないこの何も見えていない部分、それはどこまでも深そうな闇のような触れてはいけない部分に抵触していて、恐ろしいやら面白いやら。

全く何言っているのだか分からなくなってきた。
美しいブロンド少女が片目をその綺麗なブロンドの髪で覆い隠して、片目だけでじっと見つめる視線がエロい。

映画『ショパン 愛と哀しみの旋律』

2002年 監督:イェジ・アントチャク
at ギンレイホール


ショパンとサンド~愛と哀しみの旋律

展開が早すぎて結局なんなのかよく分からないな。
126分もあったくせに。
乗りそびれた列車は乗客を振り落としながら超特急でラストまで突っ走ります。

ショパンとジョルジュ・サンドの事は当たり前の知識として持っている前提で見る映画なのか。
一応ショパンの伝記物ではなくて、ショパンとジョルジュ・サンドの恋に焦点を当てたストーリーらしい。
かといって恋愛物とは言いがたいので、じゃあなにかというと、なんだろう。。

ジョルジュ・サンドが何をきっかけかもよく分からないままいきなりショパンに猛烈にアタックし、気乗りで無かったはずのショパンも気付いたらなぜかサンドに心を奪われている。
若いショパンがこのおばちゃんの一体どこに惹かれたというのか。
チープにフラッシュバックされる母の面影をサンドに投影したのか。
とりあえず惹かれあったのだということにして気を取り直しても、やっぱりこれっぽっちも気分が乗らない。
いい年して物凄いマザコンのサンドの息子のモーリス君が二人の恋を邪魔するのだけど、そういう障壁によって何か盛り上がるわけでもなく、ただ尋常じゃなく甘ったれたガキであるモーリス君という人間に対する苛立ちしか湧かないので本当どうでもいい感じになってくる。

主役はショパン、サンドのどっちだろう?
子供達と恋人の板ばさみに苦しむサンドの苦悩という点で、サンドの方に傾いている気がする。
ショパンを演じた役者は優しい顔の美青年だったけど、役柄としては影が薄い。
かといってサンドの苦悩も本当どうてもいいので、どっちだっていいや。
強いてあげるなら苛立ちはしたけどモーリス君の甘ったれぷりが強烈で面白かったのでモーリス君かなぁ。

ちなみに、ショパンが題材ということでピアノ曲が結構流れるのだが、映画によるなんらかの付加価値があるというわけでも無いので、もし音楽を堪能したいのであれば映画館じゃなくてコンサートホールに行くといい。

2011年6月7日火曜日

6月INFO

6月12日(日)午後10:02~11:43  BSプレミアム
キューポラのある街 1962年・日本
〔監督・脚本〕浦山桐郎
6月13日(月)午後1:00~3:20  BSプレミアム
メリー・ポピンズ 1964年・アメリカ
〔監督〕ロバート・スティーブンソン
〔出演〕ジュリー・アンドリュース
6月27日(月)午後1:00~2:29  BSプレミアム
運動靴と赤い金魚 1997年・イラン
〔監督・脚本〕マジッド・マジディ
6月28日(火) 午後1:00~2:48  BSプレミアム
チベットの女 イシの生涯 2000年・中国
〔監督・脚本〕シェ・フェイ
6月29日(水) 午後1:00~2:58  BSプレミアム
ボスタ! 踊る幸福の赤いバス 2005年・レバノン
〔監督・脚本〕フィリップ・アラクティンジ

他、有名ミュージカル数本とかバットマンシリーズ特集とかある模様。
眠い。寝る。

2011年6月5日日曜日

映画『君を想って海をゆく』

2009年 監督:フィリップ・リオレ
at ギンレイホール




17歳のクルド難民のビラル(フィラ・エヴェルディ)はイランから4000Kmの距離を歩いて、フランス最北端の街カレにやってきた。
途中トルコ兵に捕まる等、平坦ではない道程。
目的地はイギリス。
イギリスに家族で移民した彼女を追いかけて。

しかしイギリスまで後一歩のところでイギリスに渡る手段を失い、カレに足止めされてしまう。
残る方法は、、、ドーバー海峡を泳いで渡る。。。

フランスの難民問題を扱った作品だけど、ぐっとくる人間ドラマになっているので堅苦しく構える必要は無い。

市民プールで泳ぎの練習を始めたビラルは、子供老人相手の冴えないおっさん指導員にコーチを申し込む。
このおっさんシモン(ヴァンサン・ランドン)は実は元水泳のメダリストで、昔は華々しく活躍していたが今では市民プールの指導員、かつ離婚調停中という男。
離婚調停中の妻は難民のためにボランティア活動をしているが、シモンにとって難民など無関心だ。
そんなシモンがビラルの水泳のコーチになっただけでなく、ビラルを家に泊めてやったりするのは妻へのアピール以外のなにものでもない。
そんな動機だったシモンも、次第にビラルに息子に対するような愛情を持ち始める。
難民の手助け、ましてや家に泊めるなんてフランスでは重罪らしい。
危険を承知の上でシモンはビラルの手助けを続けていった。

なんかストーリーの9割を書いてしまった気がする。
いや、予告編でもこの程度のことは紹介されている。
それでも最後まで少しも飽きずに見れるのは、描写が簡潔なのに一つ一つが雄弁に人物やその背景を物語っているからだろう。
無口なビラルの内側に渦巻く思慮深さを押しのけるほどの情熱と若さが、シモンの裏に潜む無気力、絶望にやんわりと浸透していく様が、劇的でなく、むしろ淡々と描かれていくのはなかなか見応えがある。
あ、110分もあったんだ。80分くらいかと思った。

妻役のオドレイ・ダナは若くて綺麗な人だ。
目に力がある女優さんはいいよなぁ。
確かにこんな妻と離婚することになったら絶望もする。
おお、ヴァンサン・ランドンの妻役だから40くらいかと思ったら30そこそこじゃん。
30そこそこだと思うとちょっと老けてるかな。

難民を泊めていると密告する隣人のドアマットには「WELCOME」と書かれていて、「ようこそ」と訳がちゃんと出ていた。
難民を全て受け入れたりしたら国の財政は大打撃を受けるだろうし治安への不安もある。
だからといってここまで過酷な取締りや、難民への差別意識はどうだろうという感情を抱かせておいての密告隣人の「WELCOME」だから、まあ皮肉だ。
ってことなんだけど、「WELCOME」がクローズアップされるのはそもそもこの映画の原題が『WELCOME』だから。
隣人だけじゃなくもっと広い範囲でWELCOMEという皮肉。
『WELCOME』だけじゃ客を呼べないと思ったのか邦題はこんなんなっちゃっているけど、こんな三流ドラマみたいな邦題なら原題の方がWELCOMEって何?と想像力が働いて断然興味湧くと思うけど。

フィリップ・リオレ監督は『マドモアゼル』と『灯台守の恋』を見ているが、今のところはずれがないな。

映画『愛する人』

2009年 監督:ロドリゴ・ガルシア
at ギンレイホール


愛する人 [DVD]

3人の母親の物語。
母性のものには弱いと思っていたけど、特に泣けはしなかったな。
なかなか面白く見ていたはずだが一週間も経つとすっかり記憶から抜けてしまった。(書いているのは6/13)
公式ページを見て少しずつ思い出してきた。
そうそうナオミ・ワッツが主演。
この人もう40超えているんだなぁ。
高級マンションのベランダで隣人に見せ付けるようにバスローブを半分はだけるのがエロい。

中心になる人物が3人いて、一人は上述のナオミ・ワッツで、あとはアネット・ベニングとケリー・ワシントンになる。
アネット・ベニングはまだまだ若く美しい。
3人がそれぞれ様々な「母」という役を演じている。
ナオミ・ワッツは生まれてすぐ養子に出された後、養母の元を離れて天涯孤独のような生き方をしている美人敏腕弁護士エリザベス役で、アネット・ベニングは14歳の頃に娘を出産した後、母親の意向?もあって娘を養子に出した後、30数年もの間覇気の無い死んだような人生を送ってきた女性カレンの役。
このカレンが養子に出した子がエリザベス。
ケリー・ワシントンは子供が出来ないために養子を貰おうとしている女性ルーシーの役。
ルーシーがエリザベスの養母で、ルーシーのシーンは30数年前なのだと思っていたけど、どうもそんなに昔には見えないから、あれっと思っていると、3人とも同時代に生きている女性だった。
カレンとエリザベスは交わらないけど母と娘という密接な間柄なのに、ルーシーだけ赤の他人で宙に浮いている感じで、ルーシーって何なの?って思うが、そこはちゃんと劇的に繋がっていく。

サミュエル・L・ジャクソンが演じる上司とかカレンの新しい恋人とか、いくらか優しいおっさん達だけど、それ以外の男は皆自分勝手でなんか情けない。
母に対する子供も皆女性だし、この親子という関係性の物語にもうちょっと男性が深く絡んできてほしいところ。
いや、個人的に僕が見たかったのは母と息子という関係だったのかもしれない。(マザコンではないです)
自分が男だからというのもあるけど、母性っていったら娘より息子に対しての方がなにかと強いと勝手に思っているので。

全てが解き放たれたような柔らかな光に包まれたラストもいいし、全体的に堅実な演出、ストーリー展開でのめりこんで見ていたと思うが、見終わってすぐ消化不良気味に母性物の最高傑作だと思う『オール・アバウト・マイ・マザー』を無性に見たくなってきた。

盲目の女の子が可愛かった。名前が分からない。

ナオミ・ワッツの妊婦姿の生々しさはよく出来ているなと思っていたら実際に妊娠中に撮影したらしい。

2011年6月4日土曜日

5月の話

この1ヵ月程の事を書いておくかな。

4/29(金)
休ませてもらえたのでGW10連休になる。
どうしよう、どこに行こうか。
それともHDDレコーダーをせっせと整理するか、いろいろ悩んで昼前にAmazonで「ペルソナ4」というゲームを購入する。

4/30(土)
発送の連絡メールもまだこないので今日は届かないだろうということでギンレイホールに映画を見に行く。
帰りにポストを見たらやっぱりまだ届いていない。
でも発送したというメールは14:22に届いていた。

5/1(日)
朝、下に降りてうきうきしながらポストを見たが、何も入ってない~。
昼過ぎに飯を食いに行った帰りにポストを見たらやっと到着。
プレイ開始!

・・・

5/8(日)
あれから朝起きて寝るまで、ご飯喰う以外ひたすらゲームしたがまだクリアには遠い模様。

5/22(日)
平日も仕事から帰ってやっていたのにまだクリアしていない。
今日見ないとギンレイのプログラムが終わってしまうので、泣く泣くギンレイに映画を見に行く。

5/25(水)
仕事場のビルの階段を登っていたら、2階にこのビルには似つかわしくない超ミニスカのギャルがいて、「駅の向かいの・・・こっちのビルじゃないんですか?」となにやら携帯で誰かと話している。
ギャルの脇を通り過ぎて階段を登り続けていると、右足のぼろぼろのサンダルがなにかに引っかかってバランスを崩し、危ない、と踏ん張ろうとした右足をしこたま階段にぶつけたと同時に前のめりに階段に手を着いて倒れてしまった。
靴下履いただけの足でコンクリートに渾身の力でトゥーキックしたもんだから右足の指全体が尋常じゃなくじんじん痛む。
ギャルがまだそう離れていない場所にいるもんだから、何事もなかったかのように装ってそのまま上っていったけど、まじいてーー。
運動神経が上の下くらいの僕がこんなへまをするとは、年を取ったかギャルに動揺したか。。

痛みも暫くすると引いて、何事もなく仕事していたけど、煙草吸いに歩き出すと痛みがぶり返してくる。
何度か歩いたり座ったりを繰り返していると、座っていても常時じんじん痛んでくる。
触ってみると右足の親指がごつごつと膨らんで硬くなっている。

定時で早々に帰宅したけど、まともに歩けない。
右足の親指が痛いので右足が少しも踏ん張れず、左足を出す歩幅が異様に狭くなくなる。
必死に家にたどり着いて恐る恐る靴下を脱いで見ると、親指がまだら模様に赤黒く変色している。
さらによく見ると親指の人差し指側の側面なんか一面赤黒い。
なんか、やばくね、これ。
交通事故で重体の人の体ってこんな感じに赤黒くなっているよなぁ。
親指の8割方が赤黒く変色しており、もう二度と元に戻らないんじゃないかと思えてくる。

たぶん突き指なので、とりあえず冷やすか、と風呂桶に水張って氷ぶち込んで部屋の中に持ち込み、右足を浸してみる。
風呂桶は右足をぺたんと付けるほどの幅はないので爪先立ちみたいな無理な姿勢でいたら腿の辺りがつって泣きそうになった。

それでも無理な姿勢のままゲームを続けていたけど、なんか心配になってきたのでネットで調べてみる。
骨折や後遺症が残る可能性もあるので必ず整形外科に行くことみたいに書いてあるなぁ。
親指が壊死しているんじゃないかというくらい赤黒いので明日病院行こうかな。
冷やすのにはビニール袋に氷水を入れて患部に当てるのがいいらしい。なるほど。
さっそく実践してゲームを続ける。
明日にはいくらかよくなってるんじゃね?

5/26(木)
よくなるどころかさらにどす黒くなっている気がする。。。
病院嫌いで面倒なのでとりあえず出社する。
早めに出たのにびっこ引きながらゆったり歩いていたからいつもより通勤時間が長くなる。
今まで風のようにすたすた無表情に歩いていたのに、足の親指やられたくらいでこんなに歩けなくなるとは。
傍から見るとびっこ引いて歩いているけど階段はすたすた上っていくから、なんだあいつみたいな感じだろうか。
階段は親指に負担がかからないので。

5/28(土)
ゲームも大詰めで、クリア目前。
朝起きて昨日から自動録画するようにしたドラマ「マジすか学園2」を見た後、そういえば「マジすか学園」の最終回を見ていないと思ってネットで探して見ていたら1話目も見てないなぁと思って、結局順を追って「マジすか学園」「マジすか学園2」と全部見てしまった。
仕事と飯以外は何を差し置いてもゲームに費やしていたのに、クリア目前のためちょっと気が緩んだのか。
いや、そもそもドラマが超面白かったのだ。

元々AKB48をよく知らない頃(今もよく知らないが)、「マジすか学園」を3話くらい飛び飛びで見ていて、このあまり可愛くない普通の子がマエダかぁなどと思ったのと、なちゅって子の声がうるさいと思った程度だったのだが、1話目から見ると意外とドラマが面白い。
毎回敵が出てきて、倒すたびに仲間になったりする。
そして敵は回を追うごとに強くなる、っていうジャンプ漫画のようなチープなノリが楽しく、大詰めのマエダとサドのバトルなんか泣きそうになる。
演技も展開も演出も全てがチープだからこそ漫画っぽいノリがかっちりはまって感動する。

「マジすか学園2」の方は見始めたのが4話目からだし、1もそんなに見ていなかったので登場人物が学ラン以外さっぱり分からず、それでもなんか面白いから見ていたのだけど、こうして1から見てみると背景が分かってきてやばいくらいハマってきた。
シブヤとかゲキカラさんとか1の時から出演していたんだね。

最近NHKのMUSIC JAPANに出ていたSKE48が歌う「1!2!3!4! ヨロシク!」を見て、メロディーと振り付けに惹かれていたのだけど、ゲキカラさんはAKBじゃなくてSKEの人だった。
ああ、確かにこんな卵型の顔した女の子がSKEにいた気がする。
あと、眼光鋭いセンターもSKEの人らしい。
YouTubeでSKEのMVを見ていると、ドラマではあんなに強面なのに笑顔いっぱいのアイドル然としているのが不思議であり、そしてあまりのギャップに興味が湧いてくる。
AKBはその戦略がAKB商法などと揶揄、批判されているけど、このドラマに関しては純粋に上手いなぁと思う。
AKBやSKEをよく知らない人はドラマから入ると一気にファンになるかもしれない。

1!2!3!4!ノリッノッリー



5/29(日)
夜、ゲームをやっとクリアした。
買う前に調べていたら「ペルソナ4」はプレイ時間80時間程度を想定、と書いてあった気がするが、200時間を大きく超えてるじゃないか。
ああ、時間がもったいない。
・・・そのまま2週目を開始しようかという誘惑を断ち切ってPS2の電源を切った。

突き指した右足の親指はいくらかよくなってはいるがまだ赤黒く、神経がやられているのか歩くとぴりぴり痛むので、すたすたとは歩けない状態。
右足の親指が地面に接しないようにして歩くと、小指の方に体重を乗せる形になるのだが、そのせいで今度はふくらはぎの右側面あたりを傷めてしまった。
病院は行っていない。

6/3(金)
6/1から出勤先が恵比寿から門前仲町になる。
Google Mapで調べると、家からは電車で行くよりも歩いた方が少し早いっぽいので歩いて通っている。
親指は大分よくなっていて、見た目不自然じゃないくらいは歩けるようになった。

今日は全社有給消化日だとかなんとかで休み。
新しいところはネットが繋がらないので何年もやっていなくてうろ覚えのC++の文法を頭に叩き込むのに費やす予定、だったのにYouTube見ていたら全然勉強できず。
「マジすか学園2」のセンターこと松井珠理奈はまだ中学生らしい。
小学生の頃の映像もあったけど、どう見ても高校生か大学生だ。
恐ろしい子がいるもんだ。
他、おたべ役の横山由依とかドラマに出ている子を調べまくって大分詳しくなったところで約束があったので飲みに行く。

6/4(土)
半年ぶりに床屋に行って来る。
さっぱり。
5/22にギンレイで見た映画の感想を書く。
C++の勉強を全然していない・・

2011年5月22日日曜日

映画『クレアモントホテル』

2005年 監督:ダン・アイアランド
at ギンレイホール


クレアモントホテル [DVD]

一人の上品な(格好をした)おばあちゃんが、高級とはいい難いクレアモントホテルにやってくる。
長期滞在型のホテルらしいが、部屋はビジネスホテルのように狭い。
おばあちゃんはなぜこのようなホテルにやってきたのか、何のために一人で滞在するのか。
理由は忘れた。

このおばあちゃんサラ・パルフリー(ジョーン・プロウライト)はホテルに滞在中に道端でこけて、その近くにたまたま住んでいた青年ルードヴィック・メイヤー(ルパート・フレンド)君に助けられる。
このメイヤー君がありえないくらいの好青年で、メイヤーとサラの二人は友達づきあいを始める。
若い美青年がなぜ見も知らぬおばあちゃんと友達になるのか。
小説家の卵のメイヤーは一応小説の題材や経験のためにサラと付き合い始めている、ということだが、ただそれだけじゃなくて恋愛に似た感情すら二人の間に漂う。
さみしいばあさんとお友達になったのは慈善事業であって、かつ自身の小説の題材にでもなれば、というような打算的な要素があるにはあるが、それだけじゃただの嫌な奴になっちゃうからね。
恋愛感情は好青年メイヤーを好青年のままにしておくのにうってつけだ。
ただ、後半メイヤーには若い彼女ができてしまうのだが。。。

恋愛感情じゃなくてお友達ってことでもまあいい。
いずれにしろこのばあさんに「お友達になりたい」とひと目で思うような魅力があるかというと、うーんと思う。
ばあさんを演じたのはジョーン・プロウライト。
名女優らしい。撮影当時70を当にすぎている。
フィルモグラフィーを見ると何作か出演作を見ているがあまり記憶に無いなぁ。
こんな感じの顔した男の俳優がいると思うのだけど誰か思い出せない。

ありえないくらいの好青年を演じた美形の俳優はルパート・フレンドという人で、今大注目の俳優さんらしい。

映画『しあわせの雨傘』

2010年 監督:フランソワ・オゾン
at ギンレイホール




雨傘工場の社長婦人スザンヌ(カトリーヌ・ドヌーヴ)があるきっかけで社会進出し、社会における女性の自我に目覚めていくことで巻き起こるPOPなコメディー。

ババン役の太った俳優はどこかで見たことあるって程度に思っていたら、中盤になってやっと「あ、ジェラール・ドパルデュー?」・・・とハッと気付いた。
そう気付いたら正しくジェラール・ドパルデューにしか見えないのだが、なんだこのでっぷり具合は。
肉襦袢でも着込んでいるのだろうか・・

舞台は1977年で、カトリーヌ・ドヌーヴとジェラール・ドパルデューの二人がディスコでダンスしているシーンなど見ていると、二人が実際に過ごしてきた年代を年を重ねた今、今の年齢そのままに再び生きているようで面白い。


『シェルブールの雨傘』は未見なのでよく知らないが、本作はたぶん何も関係無いと思われる。
原題は『POTICHE』(飾り壺)だし。

2011年4月30日土曜日

映画『レオニー』

2010年 監督:松井久子
at ギンレイホール


レオニー [DVD]

レオニー。誰?
レオニー・ギルモア。イサム・ノグチの母親。
ドウス昌代の『イサム・ノグチ 宿命の越境者』を元に母親のレオニーを主役にして映画化。
公式ページを見ると、完成までに結構な年月と苦労があった模様。
ただ、レオニーの生涯というかイサム・ノグチはこんな風に育ったんだ、ということを知る事ができてありがとう、といった感想が先にくる。

レオニーを演じたのはエミリー・モーティマーで、このサトウタマオみたいな目をした女優さんが苦手なのでどうも乗れなかった。
うーん、よく見ると小林幸子にも似ているな。
イギリスの小林幸子ことエミリー・モーティマー。

しかしエミリー・モーティマーはまあいいとして、問題は中村獅童だ。
またもや好みの問題になるが、中村獅童が苦手。
役者の中には浅野忠信のように佇んでいるだけでも絵になる特異な役者がいる、と以前どこかで書いたけど、中村獅童に関しては映るだけで全てを胡散臭くするという意味で特異な役者だろう。
ああ、本当胡散臭いわぁ~。
映像も他の役者も全て胡散臭くする特異すぎる能力。

イサム・ノグチの役者は赤ん坊含めて5人くらいだったかな。
日本に渡ってくる前後の子役がかわいらしいアメリカの子供という感じだったのに、茅ヶ崎に引っ越す辺りからウェーブのかかった髪型はそのままに顔だけはのっぺりした可愛くない子役に変わっているので笑ってしまった。
イサム・ノグチが生まれる前までのシーンで、本当にしつけーなーと思うくらい執拗にインサートされる壮年期のイサム・ノグチ役は舞踏家の勅使河原三郎が演じている。
物言わず黙々と蚤を打つ舞踏家の姿がイサム・ノグチのイメージに最も重なる。

レオニーは結構有名どころと交流があって、津田塾大学の創始者津田梅子とアメリカで知り合いになっているし、日本では小泉八雲の子供達の英語教師をしたりしている。

あまり乗れずに見ていたけど、ラストは不覚にも涙流しそうになってしまった。
死者が穏やかな顔で現れるっていうのはどんな映画でも泣けるよなぁ。

武満徹のフルート曲で『巡り~イサム・ノグチの追憶に』というのがある。
高校生の時図書館で借りたCDで聞いたきりなのでまた聞きたいな。

映画『ルイーサ』

2008年 監督:ゴンサロ・カルサーダ
at ギンレイホール




前の席のおばちゃんが姿勢よすぎてスクリーンが隠れていらいらする。
おばちゃんが途中寝始めて首がかくっとなった後は快適だったのに、目覚めたらまた姿勢正しやがってからに。
映画自体も音楽が無駄に多すぎてつかれてしまった。
銀残しの映像の雰囲気もいいし、冒頭まだ夜も明けきらない早朝にルイーサがアパートから出たところからバスに乗るところまでの歩くシーンが凄く好みで、期待に胸が膨らんだのだけどなぁ。
カメラを斜めにした構図とかも段々うっとおしくなってくる。
前の席のおばちゃんのせいか、この映画自体のせいかわからないが、とりあえずあまり集中して見れなかった。
つまらなくはなかったけど。

ブエノスアイレスが舞台。
一人暮らしで唯一の家族は猫のティノというルイーサは、毎日同じ時間に出勤、定刻で帰宅という規則正しい生活を続けていた。
ある日猫が死に、堅実に二つ持っていた職も一気に失う災難に見舞われる。
あと一年で定年だったというのに。
貯金はわずか20ペソ程度。
これからどうやって暮らしていけばいいのか。
というより彼女にはこれから先のことよりも、愛猫の火葬費用の300ペソをいかにして稼ぐかしか頭にない。
この年で初めて乗った地下鉄で見た様々な物乞いの人達をヒントに、ルイーサは地下に潜って小銭稼ぎを始める。

バス通勤で地下鉄に乗った事が無いってどんだけ決まりきった同じ日常を過ごしてきたのだろう。
堅物であることに間違いは無いが、遥か過去に夫と子供を同時に失ってからというもの、生きる希望のようなものを失っているという原因もある。
無味乾燥な全く同じ日常を何十年も規則正しく続け、かつ周りの人を遠ざけて一切受け入れなかったルイーサが、唯一の家族であった猫や仕事を失って何も無い絶望のどん底に落ちてからどう変化していくか。
先の見えない絶望は続いていくのだろうが、一人じゃないということが小さいながらも強い希望となって差し込んでくる。

ルイーサ役のレオノール・マンソはブエノスアイレス生まれで、ベテランの女優さんらしい。
険しい顔をしているが若い頃は美人だったのだろうな。
オラシオ役のジャン・ピエール・レゲラスは2007年に亡くなられている。

2011年4月29日金曜日

5月INFO

5月1日(日)午後10:00~11:50  BSプレミアム
ウホッホ探険隊 1986年・日本 
〔監督〕根岸吉太郎
5月2日(月)午後10:30~午前0:00  BSプレミアム
地獄門 デジタル・リマスター版<初公開>1953年・日本
〔監督・脚本〕衣笠貞之助
5月3日(火)午後10:00~11:49  BSプレミアム
新・平家物語 デジタル・リマスター版 1955年・日本
〔監督〕溝口健二
5月4日(水)午後10:00~午前0:05  BSプレミアム
浮雲 デジタル・リマスター版<初公開> 1955年・日本
〔監督〕成瀬巳喜男
5月9日(月)午後1:00~2:41  BSプレミアム
十一人の侍 1967年・日本
〔監督〕工藤栄一
5月23日(月)午後1:00~2:36  BSプレミアム
ある子供 2005年・ベルギー/フランス
〔製作・監督・脚本〕ジャン・ピエール・ダルデンヌ、リュック・ダルデンヌ

BSプレミアムになってサイトが新しくなってそして見づらくなった。

前半は昔の邦画がたくさん。
後半は2005年前後の映画がたくさん。

2011年4月24日日曜日

映画『白いリボン』

2009年 監督:ミヒャエル・ハネケ
at ギンレイホール




モノクロだし1950年代くらいの映画のデジタルリマスターなのかと思ったら2009年作。
ミヒャエル・ハネケか。
一本も見た事無いや。

長年関係を持ってきた情婦に対して「お前は口が臭い」とか「若い女を想像してお前を抱くのに疲れた」とか、さんざん衝撃の暴言を吐いた後、「黙って死んでくれ」って言う映画。
「黙って」というところに実は隠された意味があると後で分かるのだが、それにしても衝撃だ。
捨て台詞に使えそうだな。「黙って死んでくれ」。

第一次世界大戦直前のドイツ北部にある村での出来事。
村のドクターの家の門付近に針金が張られ、馬に乗ったドクターが落馬して大怪我を負う事件が発生する。
誰が何のために行なったのか不明なまま、この事件を皮切りに次々に不可解な事件が連続する。
中には偶然の事故や犯行意図も犯人も明確になる事件もあるけど、多くは犯人がはっきり明かされないままラストを迎える。

村を支配しているのは男爵一家で、それと同等くらいの権力者にプロテスタントの牧師一家がいる。
男爵一家の下には家令一家がいて、さらに小作人一家がいる。
それからドクター一家や独身の若い教師がいて、物語自体はこの教師が老齢になった後の昔語りという形式で進んでいく。
登場人物が多い。
大量にいる子供達も誰が誰の子供なのか分からなくて混乱する。
字幕も背景の白色に重なってよく読めなかったりするので、字幕に集中していたら映像が見れない。
そんな悪循環の上にはっきり犯人が分からないラストだから大量のはてなマークです。

犯人を示唆するヒントはたくさんあって、もう一回くらい見たらもうちょっと詳細に各事件の犯人を想定できるかもしれない。
でも犯人によって解釈が異なってくるとはいえ、謎解きの物語というわけでもないので、犯人探しはそれほど重要じゃない。
重要なのはこの一見平和そうに見えるのどかな村の、大人達の独りよがりなエゴイズムと、その犠牲者の子供達に育つ残忍狡猾な悪意にある。
間接的な復讐と天誅気取りの履き違えた正義と差別。
村を襲った謎の事件は、第一次世界大戦という大きな「事件」にかき消されてうやむやになる。
いや、うやむやというか、この村の出来事が第一次世界大戦、そしてナチスへとシームレスに移行していくような感じだ。

モノクロにしたら面白くなっちゃうから今の時代の監督がカラーで勝負しないで安易にモノクロにするのは卑怯だと思っていたけど、この映画に関してはまあ許せるかもしれない。
のどかな村の中に重く垂れ込める見えない悪意と緊張感がモノクロの映像によって上手く表現されている。
カラーフィルムをデジタル処理でモノクロ変換しているらしい。
そのせいかモノクロの発色がいいというか緻密というか、くっきりした映像になっている。

ちなみに登場人物による賛美歌はあるけどバックミュージックが一切無い。
クレジットタイトルやエンドロールも無音。
下手に音楽使うよりも一切無い方が確実に面白くなるもんだ。

映画『Ricky リッキー』

2009年 監督:フランソワ・オゾン
at ギンレイホール




赤ん坊に羽が生えた。
部屋の中を飛び回る赤ん坊のこの秘密をひた隠しにしていたが、ある日スーパーで赤ん坊が飛び立ってしまい大騒ぎになる。
マスゴミが大量に押し寄せてきて。

なんか題材としてファンタジーでつまらない予定調和の家族物という臭いがするけど、監督はフランソワ・オゾン。
ラストはハッピーエンドなのかよく分からない。
そして映像もストーリーも生々しい。
羽根、といっても始めは鶏の手羽先のような形で、それがピクピク動くからグロテスクといっていい。
しかし何より生々しいのは母親で、その性格といい緩み始めた肉体といい、少しもファンタジーじゃない。
7歳の娘リザと暮らすシングルマザーの母親は、娘に愛情を注いでいるようでいながら、男が出来た途端娘の事なんかこれっぽっちも考えていないビッチな母親になる。
娘がいる家で男とやるなよ~。
リザは父親がいないせいか大人びていて、そもそも母親は最初から娘を二十歳くらいの自立した子供のように扱っていた素振りもある。
でもいくら大人びていようが子供は子供なんだから、日課だったスクーターの二人乗りでの送り迎えがバス通学に変わり、男と母親が楽しそうにスクーターに二人乗りして、娘に見向きもせずにバスの脇を通り抜けていくのは痛々しい。
母親のリッキーに対して目覚める異常なまでの母性愛も意識の底でリザを孤独にしている。

平凡な家庭、といっても幸せさを恥ずかしげも無く振りまく家庭じゃなくて、家族の一人一人が孤独を抱えているそこら中にいる平凡な家庭、なのね。
だから3人ががっしり抱き合う瞬間の温もりが胸に響く。
あれっ?やっぱハッピーエンドなのかな。
リッキーという一人の人生(命)が出汁に使われたものは本当に命に見合うだけの価値があるのか?
以前『幸福な食卓』という邦画で老けた高校生の命がどうでもいい家族の再生物語のダシでしかなかった事にしらけてしまったけど、『Ricky リッキー』ならば家族の繋がりはそこまで重要なものなんだよと言われても納得できるかもしれない。
いいようにモンスターを厄介払いしたご都合主義だとも言えるかもしれないが、それは予定調和なファンタジー物語の場合に言えることであって、この生々しい映画には当てはまらない。

リザ役のメリュジーヌ・マヤンスは可愛らしいのだが、ホラー映画に出てきそうな子だなぁ。
実際最初の登場シーン、家の暗い廊下にとことこ現れるシーンは一瞬ホラー映画かと思ったし。

2011年4月21日木曜日

映画『天はすべて許し給う』

1955年 監督:ダグラス・サーク
BS2 録画


ダグラス・サーク コレクション DVD-BOX 1(初回限定生産)

なんだこの大甘なメロドラマは。
甘すぎてメロメロだ。
恋愛物はヒロインが魅力的じゃないと少しも楽しめないのだが、ヒロインはなんと大学生の子供がいる母親。おばさんじゃん。。。
なのになんだろう、面白かった。

上流階級の未亡人キャシー(ジェーン・ワイマン)が、その美しさから数々のおじさんやじいさん連中に言い寄られるのだが、若くハンサムな庭師のロン・カービー(ロック・ハドソン)と恋に落ちるという物語。
ロンは金や地位に無関心で「自分に正直」に生きる男で、彼の生き方に惹かれたという形。
恋愛物に付きものの障害としては、年の差、生活格差、世間の風評、子供達、とてんこ盛り。
ロンのキャシーへの想いがいつ冷めるのだろうという無用な冷や冷や感もあるし。

ヒロインは若くして結婚したという設定だから、子供が大学生といってもまだ40前くらいなのだろう。
品があって美しく、ドレスから露出する肌はアメリカ人とはとても思えないくらい綺麗で瑞々しい。
おお、演じたジェーン・ワイマンは1914年生まれだから40超えているなぁ。

息子達からのクリスマスプレゼントでロンがやってくるのだと思ってにやにやしていたらとんだ肩透かしをくらう。孤独を決定付けるような残酷なプレゼントだ。
そしてまさかあと一歩のところであんな事故が起きるなんてねぇ。
全く最後まで楽しませてくれます。

2011年4月17日日曜日

映画『フェイシズ』

1968年 監督:ジョン・カサヴェテス
BS2 録画


フェイシズ HDリマスター版 [DVD]

恐ろしく異様で恐ろしく生々しい。
クレジットタイトルも無く始まる冒頭は、なんてことないシーンのはずなのに、ざらついた感触の緊張感に溢れているから戸惑う。
手持ちカメラで撮られる奔放で自由すぎる構図と、執拗な顔のアップ。
なんだこれはと思っていると、なにやら登場人物達が映画の中で映画を見始め、そのタイトルがFACES。

中年(というか初老のおっさん?)二人が友人らしき高級娼婦ジーニー(ジーナ・ローランズ)の家で馬鹿騒ぎしている。
馬鹿騒ぎが本当に馬鹿っぽい。
よっぱらい、しかもおっさんのよっぱらいの少しも笑えない馬鹿騒ぎを長々見せられて一体何が面白いのかと、映像の異様さに惹きつけられながらも少々うんざりしていると、段々馬鹿騒ぎの中に生々しい欲情や嫉妬等の感情が顔を覗かせてくる。
「ジーニー 君は幾らだ?」

ストーリーの概要としては、ある仲よさげな夫婦の関係が冷え切って、でもまだ細い糸で繋がっているような1日半の出来事。

映画は笑い声に溢れている。
楽しいから笑う。おどけて笑う。ジョークが面白くて笑う。自分で言ったジョークが面白くても笑う。
しかし少しも笑えない。
登場人物達はどんだけ笑いの沸点が低いところにあるのだろう。
登場人物の誰しもが馬鹿みたいに笑い続けている。
しかし自分の笑いのセンスを疑う必要は無い。
だって登場人物達も本当に可笑しくて笑っているわけじゃないのだから。
馬鹿みたいに笑いながらも心はひどく冷めている。
だから楽しげな雰囲気が一変して冷めた空気になったり、大きな笑い声がそのまま怒声へと澱みなく変化したりする。
笑い声は全てカモフラージュなのだ。
笑い声の衣を剥ぎ取ったら冷めた現実が生々しい顔して現れてくる。
カメラはそこを逃さない。
FACESだけあって表情のアップが多いのだけど、時折その表情がえぐるように痛い。
「ジーニー 頼みがある。 ふざけてないで自然に振舞え」

そういえば唯一チェック(シーモア・カッセル)が噛み付くように不敵に笑っている姿は笑えたな。

ジーナ・ローランズのかっこよさはもちろん、妻役のリン・カーリンも魅力的な女優さんだった。

ラストの階段のシーンは名シーンだなぁ。

この映画はジョン・カサヴェテスが自宅を抵当に入れて自主制作し、出演者もスタッフもノーギャラだったそうだ。
撮影の大半はカサヴェテスの自宅で撮影され、撮影期間6ヶ月、編集期間3年間と相当な時間を費やしている。
ニューヨーク・インディーズの雄と敬愛されるジョン・カサヴェテスだが、インディーズとかインディペンデント映画とかいまいちなんだかよく分かっていなくて、低予算とかそんな程度くらいにしか考えていなかったけど、本当に撮りたいものを撮るためにやかましい映画会社に頼らず自らの資産を投げ打って映画を製作するってことだったんだな。
『フェイシズ』によりハリウッドでインディペンデント映画というジャンルが確立されたと言われているらしい。
ジョン・カサヴェテスはその後もインディペンデント映画を撮り続け、彼の財産は全て映画制作のために費やされたというから凄い気合だ。
・・・今更こんなこと書いても恥ずかしいが『グロリア』すら観ていないジョン・カサヴェテス初心者なもので。

2011年4月10日日曜日

映画『人生万歳!』

2009年 監督:ウディ・アレン
at ギンレイホール


人生万歳! [DVD]

かつてノーベル賞候補にもなった物理学者のボリス(ラリー・デヴィッド)は、今では妻とも別れてダウンタウンで一人暮らしする偏屈じじい。
ある日ボリスは南部から家出してきた若い田舎娘メロディ(エヴァン・レイチェル・ウッド)を拾う。
尺取虫なみの知能とボリスに揶揄されるメロディは、いつの間にかボリスの家に居座り、終いにはあろうことかボリスと結婚までしてしまう。
メロディもそうだけど、メロディを追いかけてきた趣味の悪い母親とか保守的で駄目駄目な父親とか、NYと厭世家ボリスの毒気に当てられてか、洗練されたり開放的になったりと劇的に変化するのが楽しい。

ボリス役はウディ・アレンが演じていればもう少し面白かったはずだけど、もうおじいさんすぎて駄目かな。
なんでもこれが40作品目になるらしい。
というころは3分の1くらいは見ているはずだが、ウディ・アレンのいろんな映画が頭の中でごっちゃになってしまって、ウディ・アレン映画の中でも異質な『インテリア』くらしか思い出せないところがつらい。
10数本程度とはいえ、あまり多く見るものじゃないのかもしれない。
脚本自体は70年代中頃に執筆されたものらしい。

エヴァン・レイチェル・ウッドはスタイル抜群で、ロングの髪でユニクロをうろついている時なんか品格さえ漂う美しさ。
あれ?『レスラー』でミッキー・ロークの娘役だった子らしい。あんなに不細工だったのに。。。
げげっ!調べてみるとマリリン・マンソンと付き合っていただの婚約しただの出てくるなぁ。

映画『エリックを探して』

2009年 監督:ケン・ローチ
at ギンレイホール


エリックを探して [DVD]

エリック・ビショップ(スティーヴ・エヴェッツ)はバツ2で二番目の妻の連れ子二人と一緒に暮らしている。
この義理の息子二人には舐められっぱなしのつまりは冴えないオヤジだ。
一番目の妻との間にも娘が一人いて、大学生らしき娘には赤ん坊がいる。
この赤ん坊の子守の都合で一番目の妻と数十年ぶりに会うことになるのだが、彼は未だに一番目の妻に想いを寄せており、数十年たっても変わらぬ素敵な元妻を遠くから認めたエリックはそのまま会わずに逃げ出し、パニック状態のまま交通事故に合う。
たいした怪我でもなかったが、精神的な落ち込みようが半端じゃなかった。
そんな時彼が最も尊敬するサッカーのスーパースター、エリック・カントナが突如現れる。
「すべては美しいパスから始まる」
カントナが、そしてエリック・ビショップの多くの仲間達が、さりげなく彼の人生を後押ししていく。

ケン・ローチって今まで二本(『ケス』『麦の穂をゆらす風』)しか見ていないのでよく知らないのだけど、『ケス』のサッカーシーンで大爆笑したのを鮮明に覚えている。
日常の風景の中に潜むユーモアが時折破壊的に面白い。
そしてそういった日常に突如割り込んでくる異物、例えば紛争とかエリック・カントナとか。
異物が日常を侵食してきても、遠い世界の話でなくそれが日常のようにリアルな体験として感じられるのは描き方が上手いのだろう。
『エリックを探して』はほのぼのとしたコメディで、深刻な題材の多いケン・ローチには珍しい作品らしい。
じゃあ重い話が無い分、日常のユーモアが終始爆発して腹がよじれちゃうんじゃね?と思いきや、爆笑できるシーンもない上、その質感のある日常の風景がたまに長ったらしく感じてしまった。
でも、まあ爆笑はしなくても全体的に楽しくて面白かった。

2011年4月9日土曜日

映画『スパルタンX』

1984年 監督:サモ・ハン・キンポー
BSプレミアム 録画


スパルタンX デジタル・リマスター版 [DVD]

映画って大体1回観たら終わりで、ごく稀に面白かったからもう一回見ようとか、何年後かに思い出して再見したりってことはあるけど、こと『スパルタンX』に関しては数十回は見ている気がする。
そんなことするのはもちろん小学生の頃の事であって、最後に見たのは少なくとも十年以上は前だろう。
それでもさすがに何十回と見ているとほとんどのシーンを覚えているもんだ。

僕が繰り返し見ていたのは、民放で21時から放映していたものをビデオテープに録画したものだった。
長年気になっていたのは、民放でやっていたやつだから結構カットされているんじゃないか、いや間違いなくカットされているだろう、ということで、ノーカット版をいつか見てみたいと思いつつ早数十年。
おお、見たこと無いシーンが結構ある。
シルビア達がいきなりナース姿で救急車に乗っている意味不明も、カットされていたシーンを見たらつじつまが合う。
それと福星シリーズでおなじみのリチャード・ウンとジョン・シャムが出ていたとは知らなかった。
録画ビデオではごっそりカットされていたから。

でも、カットされていたシーンを見ることができたという感動よりも衝撃だったのは、吹き替えの方が数倍面白いという点。(ストーリーは結構どうでもいいっちゃいいし)
映画の吹き替えって演技が大仰だし役者がうそ臭くなるしで嫌いなんだけど、ジャッキーチェン映画だけは特別だ。
それは子供の頃から石丸博也さんとか、水島裕さんの声に慣れ親しんでいるからというのもあるだろうが、なによりこの個性的な表現力が素晴らしいから。
俳優とは全くの別人なのに、個性と個性が同じ大きさでぶつかりあって一人の人間を形成しているんだから面白いもんだ。
いや、そんな声優陣の凄さは何もこの映画で初めて思ったわけじゃない。
じゃあ何で吹き替えの方が数倍面白いと衝撃を受けたかというと、今回字幕で見たセリフと、過去に吹き替えで聞いて記憶しているセリフが全然違うのね。
字幕の方がたぶん正確な訳なんだろう。
では正確でない吹き替え版のセリフって一体どんだけ適当な訳なんだよと思うが、話の筋が逸脱するほど異なるってわけじゃなので、考えられるのは訳者か声優が自由にもっと面白いセリフに作り変えているような気がする。
そして確実に吹き替え版のセリフの方が面白い。
一番記憶に残っているのは、城に潜入するときにジャッキーがサモ・ハン・キンポーに言うセリフ「耳で羽ばたけダンボ」って当時子供のくせにダンボを知らずに後年になってやっとああこれがダンボかと認識した思い出深いセリフが字幕では「何とかしろ」だ。
サモ・ハンが探偵の初依頼を受けるときの「中国人名探偵全身これ知恵の塊!」と水島裕さんがユーモラスに言っていたセリフも字幕では「中国人にお任せを!」とシンプル。
小さくプリントされた電話番号の紙を受け取って「なめたらいかんぜよ!」というセリフは字幕では「トリックか」と何の面白みも無い。
「スパルタン号開店!」は「開店だ」とローテンション。
「春巻きが お気に召してなにより ではおやすみ」は「とんでもない お気持ちだけ 頂きます」。
冒頭のトレーニングシーンでジャッキーが「おしまい、っと」って呟くのも楽しかったのに、字幕版は字幕すら表示されない。
いや、これ音量でかくするとジャッキーは特に何も喋っていないな。
石丸さんのアドリブだろうか。

もう書き出してみると吹き替え版のセリフが愛しくさえなってくる。
そしてこのセリフは声優達の表情豊かな声で表現されるわけだから、そりゃあ楽しい。
今度ビデオ引っ張り出して吹き替え版をまた見てみよう。
確かもっと名台詞がいっぱいあった気がするし。

そうそう、三沢光晴の入場曲がスパルタンXなんだけど、こんな曲あったっけ?と今までピンとこなかった理由がやっと分かった。
『スパルタンX』の日本劇場公開版では音楽が差し替えられていたらしい。
『拳精』とかもオリジナル主題歌「チャイナガール」に差し替えられていたらしいし、当時は自由だなぁ。
『スパルタンX』といえばこの差し替えられた音楽の方が馴染み深く有名らしい。
オリジナル音楽+日本語吹き替えを繰り返し見てきた僕にとっては、オリジナルの音楽以外考えられないけど。
差し替え音楽はキース・モリソン(木森敏之)作曲っていうのは興味をそそる。

2011年4月8日金曜日

映画『ヤング・マスター/師弟出馬』

1980年 監督:ジャッキー・チェン
BSプレミアム 録画


ヤング・マスター/師弟出馬 デジタル・リマスター版 [DVD]

以前2回くらい観ていて、最後に見たのはそんなに過去じゃない気がしていたけど、このブログに書いてないからもっと前だったのかな。

ジャッキー・チェンがゴールデン・ハーベスト社に移籍後の第一作目にあたるらしい。
前半のシリアスさから一転して武館を出た後のジャッキーが凄く生き生きしている。
もう別人だろうというくらいキャラクターが変わって陽気な男に変身。
香港映画によくある疲れる笑いがほとんどなく、何度見ても素直に笑える。

修行シーンはなく、ジャッキーは最初から一定以上の強さを持っている。
しかしボスはジャッキー映画史上最強の男だ。
このボスの最初のカンフーアクションは何度見ても衝撃的なかっこよさ。
力強く、早送りしているみたいに素早く、そしてなにより無駄の無い洗練された動きが美しい。
水をかぶって生気を取り戻した後、振り向いて睨みつける動作の繰り返しもかっこいいしね。
こんな最強の男にちょっと強いくらいのジャッキーが敵うわけもなく、予想どおりフルパワーでボッコボコにされる。
ユン・ピョウやシー・キエンと楽しく遊んでいる内に映画はもうクライマックスだし、この圧倒的な実力差に直面したところで修行しなおしている暇もない。
じゃあどうやって勝つのかというと、そこには勇気と感動の仕掛けが待っているのですよ。

ラスボスのウォン・インシクは韓国合気道の師範らしい。
『ドラゴンロード』でもちょっと印象薄いがラスボスだった。

2011年4月6日水曜日

4月INFO

BSプレミアム 4月4日(月) 午後10:00~午前0:21
東京物語 デジタル・リマスター版 <初公開> 1953年・日本
〔監督・脚本〕小津安二郎
BSプレミアム 4月5日(火) 午後1:00~2:33
バトルクリーク・ブロー 1980年・アメリカ
〔監督・原案・脚本〕ロバート・クローズ
BSプレミアム 4月6日(水) 午後10:00~午前0:04
トウキョウソナタ 2008年・日本/オランダ/香港
〔監督・脚本〕黒沢清
BSプレミアム 4月7日(木) 午後1:00~2:43
師弟出馬 1980年・香港
〔監督・脚本〕ジャッキー・チェン
BSプレミアム 4月8日(金) 午後1:00~2:46
スパルタンX 1984年・香港
〔監督〕サモ・ハン・キンポー
BSプレミアム 4月12日(火) 午後10:00~午前0:13
エネミー・オブ・アメリカ 1998年・アメリカ
〔監督〕トニー・スコット
BSプレミアム 4月17日(日) 午後10:00~11:41
めし 1951年・日本
〔監督〕成瀬巳喜男
BSプレミアム 4月22日(金) 午後1:00~3:26
チャーリー 1992年・アメリカ
〔製作・監督〕リチャード・アッテンボロー

4月から衛星放送の2波化で、BS2とBShiが無くなってBS1とBSプレミアムの2チャンネルになった。

バトルクリーク・ブローはジャッキー・チェン主演の映画なんだけど、こんな映画あったんだねぇ。
スパルタンXは何度も録画し忘れているので今回は絶対録画しておこう。
エネミー・オブ・アメリカは昔新橋文化で見たとき、最初から最後まで何も考えずに一気に見れて面白かった記憶がある。
成瀬巳喜男は山田洋次監督が選んだ日本の名作100本とかいう特集の中の一本。
東京物語はさっそく録画し忘れた。
ああっ!!バトルクリーク・ブロー今日じゃん。録画し忘れた!

2011年3月27日日曜日

映画『ソフィアの夜明け』

2009年 監督:カメン・カレフ
at ギンレイホール




ブルガリア映画って初めて見た。
ブルガリアでは年に7,8本くらいしか映画が作られていないらしい。
そういう国ほど面白い映画が作られるもので、この作品も例外でなくかなり面白かった。

木工技師の男や、スキンヘッドにしてギャングの集団に加わる少年や、トルコ人家族、と一瞬群像劇なのかと思うが、主役は木工技師の男イツォ(フリスト・フリストフ)になる。
38歳のイツォは美術学校の出身で、木工技師をしながら創作活動も続けている。
過去に薬中になっていて今は治療中だが、今度はアル中になりかけている。
若い恋人ニキがいて、一応大事に思ってはいるようだが、時に厭世的になって全てが鬱陶しくなってしまう。
そんなイツォとギャングの少年(実はイツォの弟)とトルコ人家族が一堂に会したある夜の事件以降、イツォの心に小さな希望が芽生えてくる。

特に美男子というわけでもなく、40近いやさぐれたおっさんなのにこの存在感はなんだろう。
役者という人達の中には浅野忠信のようにただ佇んでいるだけでも映えるという、反則的な生まれながらの映画俳優がいると思うのだけど、フリスト・フリストフは紛れも無くそういう人種だと思う。
フリスト・フリストフは監督のカメン・カレフの幼馴染で、これが俳優デビュー作らしい。
そもそもこの映画自体、フリスト・フリストフの人生がモデルになっており、弟とかトルコ人の美女ウシュルは架空の人物だけど、イツォはフリスト・フリストフという人そのもので、彼が自分自身を演じている。
だから彼は実際は木工技師で俳優じゃないんだね。
全く凄い才能だ。
渋くて優しい声も印象的だし。
そして非常に書きたくないが、突出した人ほど夭折しやすいのか、撮影終了間際に不慮の事故で亡くなってしまったらしい。

少し唐突に訪れるラストシーンが元々意図していたラストかどうかは分からないが、映画史上に残るであろう(残って欲しい)名シーンになっている。
電灯がふっと消える以外は大きな変化は無く、フリスト・フリストフがただ歩いているだけなのに、映像が刻一刻と息づいていく。
鬱々とした感情も今日を生きる希望も、なにもかもが静かに冷えた夜明けの空気に押し包まれて。
この美しいラストシーンはフリスト・フリストフの最後の姿でもあるわけだから、そう思うと悲しいながらもまた感慨深い。

映画『彼女が消えた浜辺』

2009年 監督:アスガー・ファルハディ
at ギンレイホール


彼女が消えた浜辺 [DVD]

郵便ポストの内側から見た景色は一体どんな景色なのだろう、と一度は考えそうでいて意外と考えない事が冒頭のクレジットタイトル中に描写される。
郵便ポストの投函口は、そこに手紙を入れれば国内、はたまた国外にまで届くという、世界に通じる魔法の窓だけど、内側から見れば一転して当然ながら狭くて暗い閉ざされた空間でしかない。
唯一投函口から差し込む光だけが淡く揺らぐ暗い固定空間で、近づき遠のく足音や車の音、そして様々な想いを乗せた手紙がカサっと落ちる音にただ無力に耳を澄ます。
外側からは世界に繋がる魔法の窓だった投函口は、閉ざされた内側から見ると小さな窓から近くて永遠に届かない世界を切実に覗くことになる。
単純にポストの内側の景色が面白いってだけでいいと思うけど、意味づけするならば、ポストの内側からの景色は人間の視線そのものだとか 視点が変われば世界や解釈は一変するとか、ポストの内側がイランの現代の生活風俗を暗喩しているとかそんなことになるだろうか。
そしてクレジットタイトルの終了と共にその投函口の光はトンネルの光(出口の光だったかな)へと変わり、トンネル内を走る車から身を乗り出して大声で叫ぶ男女が映し出される。
トンネルを抜けたらなんとやら。

そうそう、イラン映画なんだよね。
クレジットタイトルの文字がアラビア文字っぽいのでイスラム圏のどっかの国だとは思ったがイランだったとはちょっと意外。
富裕層と思われる若い夫婦3組とガキが3人と、離婚したばかりのアーマド、そしてエリという女性が加わったグループがカスピ海沿岸のリゾート地に泊まりで旅行に出かける。
で、子供が一人溺れて大騒ぎになって、そして気付いたらエリがどこにもいなくなっている。
警察の取調べでエリの本名を聞かれても誰も知らない。
彼女は何者だったのか?誰かが何かを隠している。
というミステリーではないけどミステリータッチに展開する人間ドラマ。

ほとんど夫婦とはいえ複数の男女が泊まりで旅行に出かけるって、まるで欧米の若者みたいだ。
そして彼らのはしゃぎっぷりが取ってつけたようにひどく浮いて見える。
おどけて踊りだした男をグループが温かい笑みで見つめているシーンで、別荘の管理人の息子らしい太った少年だけがにこりともしない冷めた視線で彼らを見つめているのが、観客の気持ちの代弁でもあり、こういったグループがまだ一般的ではないことを表しているようにも思える。
不倫とか婚外交渉は鞭打ち100回、非ムスリムだったりしたら死刑が宣告されるという国だし。
泊まりの旅行といっても皆でジェスチャーゲームに興じたりして健全なもんだ。

何かこう浮いた感じが続くのだけど、エリが失踪してから段々崩れていく。
良くも悪くも隠れていた本来の姿が表出してくるのだ。
前半の悪ふざけが状況を悪化させたりする中、各登場人物の立場や考え方に基づいた心理が悲しいほど複雑に交錯して、そしてその背後には深く根付いたイスラム戒律やイラン女性の人権問題も見えてくる。
イランの政治、宗教、文化、人権等々、今までのポストの内側のように閉ざされた世界と外の開けた世界とをどう折り合いを付けていくか、その道程の困難さが推し量られる。

乗り気じゃなかったとはいえ自由への一歩を踏み出した結果がこれだ。
結果だけ見れば自由を求めなければよかったのにという話だが、なにもかも忘れて無邪気に凧揚げをするエリの楽しそうな笑顔が忘れられない。

イランでは若い女性の間ではフェミニズムが浸透していて活動も少しずつ盛んになってきているらしい。

2011年3月26日土曜日

映画『バッテリー』

2006年 監督:滝田洋二郎
BS-TBS 録画


バッテリー 特別編 (初回生産限定版) (あさのあつこ書き下ろし小説付) [DVD]

『バツ&テリー』じゃない。『バッテリー』だ。
浅野温子じゃない。あさのあつこのベストセラーが原作。
この全く興味を惹かない映画をなぜ見たかというと、主題歌が熊木杏里なんですね~。
『春の風』。
確か初の映画主題歌だったと思う。

映画自体はまあそこそこ面白かった。
豪腕天才CGピッチャーの原田巧(林遣都)とキャッチャーの永倉豪(山田健太)というバッテリーの友情と、巧の家族の物語。
野球だけど野球の方はバッテリーの二人が中心で他のナインは名前どころか顔すら分からない。
それでも野球がやっぱりメインになっていて、野球を通じて少年や家族が成長していく。
きっと原作ではそういう過程がもっと丁寧に描かれているんだろうな。

途中からヒロインのような子が出てくる。
ヒロインと呼ぶにはあまりに中途半端なキャラクターで見せ場も無いし、大沢あかねのような目をして取り立てて可愛いというわけではないのだけど、この子が非常に気になる。
なぜだろうと考えてみると、とにかくこの子は色が白い。
病的な白さではなくて、純潔清廉な白さでまぶしい。
健康的とはいえその白さは自然に囲まれた田舎の中学校には似つかわしくなく、掃き溜めに鶴(といったら周りの子に失礼だが)のように異質に際立っている。
だってランニングしているテニス部員のシーンなんか、皆陽に焼けているのに一人だけ異様なくらい真っ白だしね。
微妙な可愛さと田舎臭い声と圧倒的に存在を主張する白さがリアルに中学校のマドンナという感じで凄くよかっただけに、中途半端な役柄が惜しい。
蓮佛美沙子という子。
検索してみると今は大分大人びているな。

主役の林遣都はこれがデビュー作らしい。
こちらも色が白い。

主役二人が中学に上がりたてという設定はまあ許せるとしても、ライバルの横手二中の二人は中学3年どころか大学生かもしくはおっさんじゃないか。
実年齢はどんなもんだろうと調べてみると
渡辺大:1984年生まれ
関泰章:1980年生まれ
・・・なんか却って清清しい。
渡辺大は渡辺謙の息子らしい。

2011年3月20日日曜日

映画『夜のピクニック』

2006年 監督:長澤雅彦
BS-TBS 録画


夜のピクニック [DVD]

夜ピク。
前に恩田陸の『夜のピクニック』が面白かったって話を誰かとしていたときに、「ああ、夜ピクね」って言っていた人がいて、確かに略したらそうなるけども、本当にそんな通称あるのだろうか。。。

恩田陸の原作を読んだのは1年前くらいで、それからずっとこの映画版が気になっていた。
キャストを調べていると甲田貴子役に多部未華子。
おお、一瞬思いがけない感じもしたがなんてぴったりなキャストなんだろう。
友達には貫地谷しほりや松田まどか。
榊杏奈役は加藤ローサ。
母親は南果歩。
高見光一郎役は柄本佑。
後は役者名見ただけではよく知らなかったので調べてみると、重要な西脇融役の石田卓也も戸田忍役の郭智博も遊佐美和子役の西原亜希も、顔写真見ると皆ぴったりすぎて却って恐ろしくなってくる。
監督長澤雅彦ってところに一抹の不安を感じながらもそこは無視すると、このキャスティングで面白くないわけがないだろう、と期待は膨らむ一方だった映画をやっと見ることができた。

結論から言うとあんなに期待していたのに、むーん、という感じ。
映画を観ながら小説の面白さを思い出していたからいいものを、原作読まないで見ていたら散りばめられたたくさんのエピソードやキャラクターがどれも中途半端で乗れないまま見終わってしまうのではないだろうか。
一番の誤算は西脇融の人物像で、恩田陸の小説の少年達は皆そうなんだけど、繊細で驚くほど聡明なところが魅力的なのに、これじゃあただの幼稚なゴリラだ。
戸田忍との友情もなんだかうそ臭い。
恋愛要素を入れたかったのかもしれなけど、オリジナルキャラを入れるくらいなら主要人物をもっと丁寧に描いて欲しかった。

冒頭の長回しはよくできているけど、カメラの動きがなんか気持ち悪いしなんのための長まわしなのかもよくわからない。
甲田貴子の小さな賭けの説明にモノローグを使わない代わりに、アニメで妖精みたいな奴を登場させて説明していたけど、工夫しているというよりいきなり登場するアニメーションに違和感を感じてしまう。
音楽も節操無く使いすぎてうるさいし。
ああ、そういえばKISSのようなメイクの看護士が登場するシーンで曲はブラック・サバスのParanoidって混ぜすぎだろう。

文句ばっかり書いたけど、少女達を演じた女優達は良かったな。
多部ちゃんは本当に面白い女優さんだ。
可愛いのか可愛くないのかよくわからない風貌はどこを切り取っても、演技していてもいなくても存在感抜群で映える。
ちょっと浮き気味などということは歯牙にもかけずに、貫地谷しほりの素なんじゃないかと思うはじけっぷりも和む。
西原亜希は初めて見たけど眉毛がきりっとして綺麗な子だ。
松田まどかは結構背が高かったのだな。
加藤ローサはちょっとしか出ない。私服姿の加藤ローサと西原亜希のツーショットはまぶしすぎてくらっときた。

戸田忍役の郭智博君は『花とアリス』のぽけーっとした宮本先輩だったんだな。

2011年3月13日日曜日

大震災

一応報告しておくと怪我もなく無事です。

もう本当にとんでもないことになっていますね。
東京では11日の夜は多くの人が遠い家に向ってひたすら歩いていて、不謹慎ながら何か大勢でイベントやっているみたいで楽しいなどと思っていましたが、帰って津波のニュース等見ている内に、事態は相当深刻な事になっていると漸く知りました。
特に、死者は数十名というニュースを見ている時に入ってきた、仙台の荒浜で警察官が200から300人の遺体が打ち上げられているのを確認したというニュースは相当ショッキングでした。
光景を想像したくないけど想像してしまう。
まるで戦争のような光景じゃないですか。
この現代の日本で!
津波が全てを破壊しつくした後の、まだ水の残る誰もいない静寂の中で大量の遺体が横たわっているなんて、実際に目撃したら一生いつ何時でもフラッシュバックしそうです。

今は一人でも多くの命が救われることを祈っています。

12日(土)は何もする気が起きずに、ずっと家にいました。
でも今日はちょっと迷いどころで、今日ギンレイホールに行かないと今回のプログラムがもう見れなくなってしまうのですね。
被災して憔悴しながら今も救助/支援を待っている人達や、懸命な救助活動をしている方々、こんな時に自分は暢気に映画かよと思いつつ、家にいても電気使うだけで何もいいことないし、結局見てきました。
外に出ると今日は凄く陽気な天気で、まるで何も起こっていないかのような変わらぬ日常がありました。

被災地への支援活動や救助活動が落ち着いてくると、今度はこの震災によって受けた経済的打撃が深刻な問題になると思います。
国民全員につらい時代が始まりそうですが頑張りましょう。
富士山が噴火しないか心配です。

映画『クロッシング』

2009年 監督:アントワーン・フークア
at ギンレイホール


クロッシング [DVD]

なかなか重厚なドラマだった。
イーサン・ホークとドン・チードルとリチャード・ギア。
麻薬捜査官と潜入捜査官と警官という何の接点もない3人の刑事の群像劇。
接点の無い独立したような話を一つ一つ思い出すとたいした話じゃないなと思うけど、犯罪多発エリアなので全体として緊迫感に溢れ、同一の時と地域で直接は交わらない3人の固有の物語が同時進行していく妙は群像劇そのもので面白い。
命をかけて働いていても報われるどころか人生の行く先はどんどん暗くなっていく。
何のために働いているのか。何が、誰が悪なのか。全ての境界は曖昧で鬱屈している。
ラストを阿呆なくらいに定型的な解釈をすると、理由は何であれ法を踏み外した者と踏み外さなかった者で結末が変わる。

リチャード・ギアはあんまり好きな役者じゃないけど、この年でばりばりの濡れ場を演じているのには感心する。

エレン・バーキン(が演じる役柄)がぶん殴りたいくらいむかつくわー。

映画『ノーウェアボーイ ひとりぼっちのあいつ』

2009年 監督:サム・テイラー=ウッド
at ギンレイホール


ノーウェアボーイ ひとりぼっちのあいつ コレクターズ・エディション [DVD]

予告編を見たような見ていないような曖昧な記憶でどんな映画かも分からず見ていたら、始まって結構経ってから「レノン!レノン!・・・ジョン!!」っていう呼びかけで、あ、ジョン・レノン、って思い出した。
ビートルズ結成前のジョン・レノンの、10代の頃を描いた映画。

Wikipediaのジョン・レノンのページ見ていると、もう全くこの映画の通りだ。
ジョン・レノンのリーゼント姿なんて想像もつかなかったし、札付きの不良だったなんて全く知らなかった。
そもそも曲と顔は知っていてもビートルズ以降のジョン・レノンという人についてもほとんど知らないけども。


ああ、やっぱりどうも集中できない。

2011年3月6日日曜日

映画『巴里のアメリカ人』

1951年 監督:ヴィンセント・ミネリ
BS2 録画


巴里(パリ)のアメリカ人 [DVD]

『フラッシュダンス』があまりに物足りなかったので、エンドロールもそこそこにもっと「映画観た」と思えるような映画を続けて観ようとHDDレコーダーの録画リストを物色していたら、『巴里のアメリカ人』があった。
どうせお気楽ムービーを作るならMGMミュージカルのように徹底的にやらなきゃ駄目でしょ、ってことでダンスつながりということもあって『巴里のアメリカ人』を見ることにする。
むぅ、ちょっとお気楽すぎたかもしれない。。。

ジーン・ケリーが踊りだすまでが長い。
タップダンス無しかと思ってちょっと焦った。
それにしてもジーン・ケリーのタップダンスシーンが少ない。
と思ったら最後にながーいミュージカルシーンがある。18分あるらしい。
この壮大なミュージカルシーンに向けてそれまでは抑えていたのか!
長々続くお気楽ストーリーも全てはラストのミュージカルシーンのための布石に過ぎない。
アイデアマンだがガタイのいい肉体派の気のいいあんちゃんジーン・ケリーが画家って!
しかも早く生まれすぎた才能ある若手画家っていう設定にばりばりの違和感を感じても、布石なので我慢しよう。

ジーン・ケリー演じるジェリーの友人役で、自称コンサートピアニストのアダムという人物が出てくる。
アダムはよくピアノを弾いているんだけど、弾いているふりだと思ってよく見ていたら、これが本当に弾いているようで、しかも上手い。
キートンの即席百人芸のパロディーのような見所シーンでは、ガーシュウィンのヘ調の協奏曲第三楽章をこれでもかと軽やかに弾きこなしている。
ピアノが弾ける俳優っていうレベルじゃない気がして、一体何者だろうと思ったら有名なピアニストで作曲家らしい。
オスカー・レヴァント。
『巴里のアメリカ人』はそもそもガーシュウィンの「パリのアメリカ人」であり、ガーシュウィンの曲が歌曲も含めてふんだんに使用されている。
オスカー・レヴァントはガーシュウィンの親友だったことから本作への出演が決定したとのこと。
ただ親友ってだけじゃなくて、ラプソディ・イン・ブルーやヘ調の協奏曲を有名にしたのは彼の功績が大きいらしい。
俳優としても結構映画に出ていて『バンド・ワゴン』なんかにも出演していたらしい。全然記憶に無い。

バレリーナとして巡業中にジーン・ケリーにスカウトされたというレスリー・キャロンを中心にバレエの動きを取り入れたダンス、そして歌と上述のオスカー・レヴァントの独演やジーン・ケリーとの共演、「パリのアメリカ人」の音楽にのせてめくるめく展開するラストのミュージカルシーン。
ストーリーはくそだったけどこう書きながら見直していると結構見所がたくさんあるなぁと思えてきた。

カフェでの最初のミュージカルシーンでは、シーンの最後の方でジーン・ケリーの帽子が落ちてしまって、それをキャッチしようとする仕草が入っている。
カットしなかったのは少し長めのカットだから撮り直すのが面倒だったのかな。

映画『フラッシュダンス』

1983年 監督:エイドリアン・ライン
BS2 録画


フラッシュダンス [DVD]

夢を追う少女が柔らかな陽光に包まれて輝いている。
特にもじゃもじゃの髪の毛が。

アイリーン・キャラの主題歌はあまりに有名で、ラストのダンスシーンもテレビ番組などで何度も見たことがある。
そんな有名作だが少しも面白そうじゃないので今まで見なかったけど、ストリートダンスが結構入っているらしいので見てみた。
しかしストリートダンスなんて1分くらいしか無いじゃん。
じゃあ何を楽しめばいいのか?
だるんだるんのシャツから顕になった肩とか、レオタードの股間やヒップを執拗に映すのを見て、これはエロ映画かもしれない、と思ったけど、ヒロインのジェニファー・ビールスは脱がないしベッドシーンも思いっきりはしょられる。
脱がなくてもエロいことはエロいのだが、レストランでロブスターをこれ見よがしにちゅぱちゅぱ喰っているのはエロというか下品だ。
結局最後まで楽しめず。

唯一面白かったのは、境界の懺悔室でセックス依存症かなんかのヒロインが「セックスのことがどうしても頭から離れません 神様はそんなことありませんね」と言った時に、神父がにやっと笑うんだよ。
このにやっがどっちのセリフを受けてのものか分からないが、とにかく意味深で挑発的な感じ。
この映画はヒロインの、むさい男達に混じって溶接工として働いたり、ダンサーという夢に向って頑張っていたり、恋人の嘘にヒステリックに(豪快に)怒りをぶつけたり、少女がエロ丸出し、っていう女性像は当時としては珍しかったのかもしれない。
また、まだそんなに有名ではないブレイクダンスを取り入れたり、今でこそ珍しくもなんとも無いが劇中に軽快なポップスやロックをがんがん流したり、っていうのも含めると、この監督は新し物、新しい概念好きなのかね。
だとしたら懺悔室で懺悔を聞く神父を「にやっ」により一介のエロおやじに貶めるのは意図的でやはり挑発的だ。

ああ、そういえばハロウィンのシーンで、戻ってきたリッチーをピエロ姿のヒロインが肩を抱いてなぐさめるのはいいシーンだったな。

2011年3月4日金曜日

3月INFO

BS2 3月3日(木) 午後1:00~2:36
フラッシュダンス 1983年・アメリカ
〔監督〕エイドリアン・ライン
BShi 3月9日(水) 午後10:00~午前0:12
許されざる者 1992年・アメリカ
〔製作・監督〕クリント・イーストウッド
BS2 3月16日(水) 午前0:15~2:17(15日深夜)
神童 2007年・日本
〔監督〕萩生田宏治
BS-TBS 2011/03/16(水) 21:00-23:24
夜のピクニック (06日)
BS2 3月17日(木) 午前0:00~2:33(16日深夜)
天平の甍 1980年・日本
〔監督〕熊井啓
〔音楽〕武満徹
BS2 3月18日(金) 午前0:10~2:09 (17日深夜)
クワイエットルームにようこそ 2007年・日本
〔監督・原作・脚本〕松尾スズキ
BS2 3月19日(土) 午後3:10~4:41
スリープ・ディーラー 2008年・アメリカ/メキシコ
〔監督・脚本〕アレックス・リベラ
BS2 3月20日(日) 午後3:05~4:57
クローンは故郷をめざす 2008年・日本
〔監督・脚本〕中嶋莞爾
BS-TBS 2011/03/23(水) 21:00-23:24
バッテリー (06日)
確か主題歌熊木杏里

ヒッチコックも3,4本ある。

ほとんど載せていないけどアカデミー賞受賞作品特集は今月も結構ある。

今月は邦画もめずらしく多め。

2011年3月3日木曜日

映画『霧の中の風景』

1988年 監督:テオ・アンゲロプロス
BS2 録画


テオ・アンゲロプロス全集 DVD-BOX III (霧の中の風景/蜂の旅人/アレクサンダー大王)

ああ、やっぱり暗い。
11歳の少女ヴーラと5歳の弟アレクサンドロスは、ゲルマニーア(ドイツ)にいるというまだ見ぬ父親を探しにドイツ行きの国際急行に乗り込む。
無賃乗車なのですぐ降ろされてしまうが。
叔父から、父親がドイツにいるという話は母親の嘘であり父親なんかいない、という事実を信じられないまま聞きながらも、二人は家に帰らずにドイツに向って旅を続ける。
夜中に知らない街にぽつんと放り出されても動じることない二人を見ていると、金も無いのに飯はどうするんだ?どこに泊まるんだ?という疑問が当然生まれてくる。
誰か優しい人が救いの手を差し伸べてくれるのだろうか?
しかし二人の前に現れるのは、トラクターに引きずられてそのまま放り出された瀕死の馬や、背後で無関係に騒がしく通り過ぎていく結婚式の集団だけだ。
この異様なショットの後にすぐ翌日(山中の寂しい道路を二人が歩いているシーン)に切り替わるので、ああ、男でも女でもない聖的な存在の子供達が、人間の基本的な営みを超越してギリシャを旅しながら彼らを中心に詩的な映像が綴られていくのね、と勘違いしてしまった。
だからヴーラがあんな目に合うなんて想像もしなかったしショックも大きい。
その衝撃はいつまでもちくちく痛みとして残り、ラストも悲しい解釈しかできない。
超越した存在なら暗いもくそもないのだが、詩的でありながらあまりに現実的でもあるため、悲しくて美しい。

映画を見ていてカメラを意識することってあまり無いのだけど、これは結構気になる。
走り去る列車を固定カメラで映すシーンでも、それが列車が小さくなるまで長々と映されると、その列車に乗った姉弟がもう手の届かないどこか遠くに行ってしまうような寂しさがこみ上げてくる。
しかし次のシーンではカメラは車内の二人を映し出すのだ。
カメラに国境や距離は関係ない。
そんなカメラが映し出す世界は、瀕死の馬とか雪に大人が呆けるシーンとか海辺の旅芸人の超長まわし360度パンとかバーに紛れ込んだ鶏の静謐とか宙を舞う石造の手首とか、異様なショットがちょいちょい挟まって現実離れしているのだけど、ストーリーも映像もこんなに切なくて悲しい映画はめずらしい。
アンゲロプロスの映画の中でもこの映画は、詩的な叙情性とストーリー性とのバランスがよくて一番好きかもしれない。

ヴーラ11歳っていうのはgoo映画のページから取ったけど、ヴーラ役の少女の実年齢はもう少し幼い気がする。
妙に大人びた顔をしていて不思議な感じのする子だ。

ラストの解釈は一般的にはどうなんだろうとネットで調べてみたけど、ラストということでネタばれになるのかあまり書いてないなぁ。
それよりも旅芸人の青年がホモだったという記述に驚いた。
確かにヴーラが青年の下を離れた理由がよく分からなかったのだけど、ホモならばなんとなく辻褄が合う。
でもやっぱりいやだな。青年との別れがつらくて何も言わずに旅立ったって方がいいっしょ。

2011年2月26日土曜日

映画『トロッコ』

2010年 監督:川口浩史
at ギンレイホール


トロッコ [DVD]

お前なんだよ、そのロンゲは、このくそガキが!
って感じだったけど、髪切ってからはむしろかっこよくさえ思えてくる。ガキのくせに。

原作は芥川の『トロッコ』らしいが、原作というか着想という感じだろう。
舞台は台湾になっている。
8歳の"あつし"と6歳の"とき"は母の夕美子に連れられて台湾に行く。
どうもあつし達の父親が死んだらしく、その遺灰を父親の実家に届けに行くところらしい。
母は日本人だけど父は台湾人。
父の実家には日本語を流暢に話すおじいちゃんがいた。
で、なんだかんだでトロッコが出てくる。
父を亡くした親子と父の家族の物語だけど中心は長男あつしの成長譚になっている。

ストーリーも演出もさして面白いというわけではないのだが、映像に安定感があってつまらなくはなかった。
音楽の音が大き過ぎるのが邪魔だったけど。

今回のギンレイのプログラムは子供が主役の映画つながりだと思っていたら、確かにそれはそうなんだけど、傷ついて飛べなくなった小鳥、っていうのも共通している。
一方は傷も癒えて大空に飛び立って行き、もう一方はそのまま死んでしまう。
小鳥がそのまま子供達を表しているとすると、死んでしまうというのは暗喩としては、傷と死の記憶を有しながら生まれ代わる、ってことになる。
傷の深さと前に進もうともがく意思の強さという点でどちらが印象的かは言うまでも無い。

母親役の尾野真千子はなかなか綺麗な人だった。
役だけど怒ると鬼のように怖い。
初めて見る女優さんだと思ったら『萌の朱雀』のあの少女だった。
大きくなったなぁ。

ああ、撮影がリー・ピンビンになっている。
なるほど、退屈しなかったわけだ。

映画『冬の小鳥』

2009年 監督:ウニー・ルコント
at ギンレイホール




歌う少女を厳しくても誰よりも子供思いな寮母がちらちら見つめるシーンでぽろぽろ涙出てきて、少女が笑顔を見せる所をピークに止まらなかったのだけど、やっと落ち着いたと思ったらラストで嗚咽っていうのかね、少女の顔見ていたら声を出して泣きそうになってしまった。
やばい、今公式ページで写真見ていただけで涙出てくる。

今回のギンレイのプログラムは一方が面白そうでもう一方は面白くなさそう、と位置づけていて、こちらは面白そうな方。
面白いどころかもう稀に見る傑作だった。
そもそも子役というものが大嫌いなので今回は見送ろうかと思ったくらいなのだけど、本当見てよかった。

父親が大好きな9歳の少女ジニ(キム・セロン)は、ある日父親と泊まりの旅行に出かける。
しかし連れて行かれたのはカトリック系の児童養護施設だった。
「ずっと一緒にいるよ」と言った父はジニを置いて一人去っていく。
自分は孤児じゃない、いつか父が迎えに来てくれる、と寮母やシスター、他の子供達に反発し続けるジニだったが。。。

ジニから絶えずあふれ出すのは感情というか激情で、小さくて華奢な体が器として小さすぎると言わんばかりに凄まじい力の想いが外に漏れ出していく。
狂気に似た感情は基本的に切ないのだけど、冒頭の父に向けるうざいくらいの愛情表現を見ていると、大人になったら空恐ろしい女になるんじゃないだろうか、とも思ってしまう。
別れ話でも持ち出そうものなら。。。

ジニを演じた子役のキム・セロンはそんなに可愛いというわけではないのだが、子役嫌いの僕でも嫌悪せずに見れる演技というか狂気というか。
死の儀式の後に来る再生の、あの透き通った表情には孤独の切なさと前向きさが詰まっているのだけど、それが聖性すら感じさせるから凄い。
雑誌のモデルとか幼い頃から活躍しているらしいが、映画出演はこれが初めてらしい。

冒頭のジニと父親の仲睦まじいシーンは全てジニが中心で、父親の顔が一切映らない。
無名の役者でも使っていてそのまま顔なしで進むのかと思いきや、養護施設でのジニとの最後の別れの時に漸く顔が映し出される。
あっ、と思うのは(ネタばれ?になってしまうが)映し出された父親がなんとソル・ギョングなんだよね。
ちょい役な上にこの一瞬しか顔が映らない役にソル・ギョングを起用する、というのは豪華なのかなんなのか。
ジニの最愛の想い人である父親の顔が溜めに溜めた後にちょっとしか映らない事で印象的になるけれど、印象的というよりソル・ギョング!という驚きの方が強い。
いや、驚きによってより印象的になるとも言えるのか。
そう思えば、少しやつれた顔で複雑な想いを秘めてジニを最後に見つめるあの視線はソル・ギョングならではな気もする。
素で人生の深みが詰まったような顔しているからな。

監督のウニー・ルコントは自身9歳の時にフランスの家庭に養女として引き取られているらしい。
ちなみにパトリス・ルコントとは何の関係も無い模様。


DVDが出てないみたいなので予告編貼り付けてみた。
公式ページにある集合写真の壁紙が最高にいい写真なのでDVDパッケージの代わりに貼り付けようとしたけど、とりあえずパソコンの壁紙にしたらそれで満足したのでやめた。