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2009年10月11日日曜日

映画『恋のエチュード』

1971年 監督:フランソワ・トリュフォー
BS2 録画


恋のエチュード〔フランソワ・トリュフォー監督傑作選10〕 [DVD]

久しぶりに昔のフランス映画を見た気がする。
そのせいか手触りのある発色をするフィルムの生の感覚に一瞬どきっとする。
青白さが怖いのかなぁ。

トリュフォーとジャン=ピエール・レオのコンビの1971年作品。
ドワネルものではない。
マザコン気味のフランス青年クロード(ジャン=ピエール・レオ)の家に母親の友人の娘が訪れる。
この娘アン(キカ・マーカム)はイギリス人で、ロダンに心酔して彫刻家を目指している。
クロードとアンは交際を始めるのだが、アンは妹のミュリエル(ステイシー・テンデター)とクロードを引き合わせたいらしい。
ということで暇なクロードは姉妹が暮らすイギリスの田舎町にホームステイする。
母と姉妹の女だけの家に迷い込んだクロードは毎日姉妹と楽しく暮らすのであった。
深窓の令嬢といった感じの処女姉妹。
そうこうしているうちにクロードはミュリエルに求婚する。
しかしクロードの母親が猛反対。
結局クロードとミュリエルは1年間離れ離れに暮らし、1年経ってもまだ恋が続いているようなら結婚を認めようという話になる。
ミュリエルの恋心は離れたことで一層燃え上がる。
しかしクロードの方はさばさばしていて熱が冷めてしまう。いや、冷めたというか母親の圧力で冷めさせられたというか。
やがてアンが再びフランスに訪れる。ミュリエルと会うのは禁止されているが、アンと会うのは禁止されていない。
クロードとアンは友人づきあいを再開するのだが、次第に恋心が燃え上がって関係を持つ。

崖、海、花に美人姉妹。
桃源郷のような生活を経た後にやってくる苦悩と喜び。
喜びも悲しみも全てが悩ましいくらいに静かに輝いていて、132分もあるけどあっという間に過ぎてしまう。
ラストシーンの何気ない静寂も泣きそうになる。

いつも思うのだけど、ジャン=ピエール・レオは表情が薄いのか何考えてるか分からない怖さがあって、そこが魅力的でもあるのだけど、やっぱり彼が女にもてる役をやっているのはなんとなく違和感がある。
ただ、彼が淡々としていればしているだけ、そのコントラストで女優の表情や魅力がくっきりと輝きを増すのがまた面白い。
この作品に関しては3者がそれぞれ胸に熱い想いを秘めているのだけど、なかなか表出しないし、表出しても暫くすると引っ込んだりする。
3人とも何考えてるか分からないところがあるのだけど、クロードの揺らぎはどちらかというと刹那的に爆発する気まぐれの類で、一方姉妹の方は二人とも抑制による分からなさになる。
姉妹の抑制による感情の揺らぎやせつなさは微細な表現になるのだけど、クロード役のジャン=ピエール・レオが無職透明であればあるだけ彼を鏡として姉妹が輝くことになる。

2008年6月1日日曜日

映画『夜霧の恋人たち』

1968年 監督:フランソワ・トリュフォー
BS2 録画


アントワーヌとコレット・夜霧の恋人たち〔フランソワ・トリュフォー監督傑作選2〕

ドワネルシリーズの3作目。
ナイーブでトンマでユニーク。一歩間違えれば変質者。

兵役についていたドワネルは度重なる脱走や命令不服従により模範兵の申請むなしく退役処分に。
まずは女だ。
街中を疾走して女を捜す。
もうそのまま襲い掛かりそうな雰囲気。
結局は店の前に立っていた娼婦を見つけて事を成す。
夜、恋人クリスティーヌに会いに家を訪れるが不在。でも両親に引き止められて夕食を一緒にする。
両親に気に入られているっていうのがドワネルっぽい。
ということは『アントワーヌとコレット』みたいに当の恋人はドワネルを友人のような見方をしているんじゃないかと思うが、やっぱりそんな感じ。

恋人の両親の紹介でホテルのドアマンになるが、程なく私立探偵の策略で不倫中の部屋を開けてしまいクビになる。
クビになっちゃったからとりあえず飲みに行くと、先ほどの私立探偵がいて少し話をする。
この私立探偵のせいでクビになったのに恨み言一つ言わないドワネル。
なにこのいい人ぶりは。
そして探偵から探偵の仕事についての高説を聞いた後、では、とあっさり別れてしまう。
だが、探偵は思いとどまってドワネルを引き止め、自分のいる探偵社に入社させる。
いきなり今度は探偵になったドワネル。
全部成り行き。
ドアマンは人の紹介で就いた仕事なのでクビになるといろいろばつが悪そうだが、そんなの気にしない。
紹介してくれた恋人の両親にも普通に今までどおり会って、就いたばかりの探偵の仕事でジョークを言い合ったりするし。
この打算のない精神の自由さがとても気持ちいい。

2008年4月20日日曜日

映画『逃げ去る恋』

1978年 監督:フランソワ・トリュフォー
BS2 録画


逃げ去る恋〔フランソワ・トリュフォー監督傑作選4〕

あれ、回想シーンで『大人は判ってくれない』や『アントワーヌとコレット』が出てくるのだけど、見たことない回想シーンがある。
いくつか飛ばしているっぽい。
おお、『夜霧の恋人たち』と『家庭』が飛んでる。
『逃げ去る恋』は最後じゃん。まあいいやと思って見続ける。もう引き込まれちゃっているし。

ドワネルが恋人といちゃついている。
そしてこの恋人とは別に妻と息子までいるらしい。
と思ったらこの妻とは協議離婚の最中だった。
なんか飛ばした間にいろいろドラマがあったっぽい。
恋人も妻もいい女なのね。
そこに加えて偶然今や弁護士となったコレットと再会する。
3人の女。
でも逃げ去る恋だよ。3人の女の心はドワネルに向かなくなっている。
でもまあ一人とはよりをもどしてハッピーエンドだけど。

なんか今まで見た2本のドワネルものと感じが違う。
なんだろうと思うとドワネルが実によく喋るのね。
「いつも自分本位でちっとも変わっていないわ」「二時間も自分の話ばかりして」と言われる始末。
表情に暗い影を落とす少年、青年は大人になってちょっと変人のよく喋る男になった。
駄目な主人公だがよく喋ってかつ美女によくもてる、ってウディアレンじゃん。
設定が似ていても作品は全然違うけど。

どうも今までのドワネルものの集大成のようでこれはやっぱり順番に見ておけばよかったかなと少し後悔。
コレットと元妻が初めて会ってベンチで話すシーンがあるのだけど、過去の作品でそれぞれヒロインを務めた二人が会うっていうシチュエーションとかもっと面白かったはず。
二人は会ってお互い敵意を見せるわけでもなく。だって二人にとってドワネルはもう過去の人だから。
過去の人なんだけど「嫌い」というよりなんだか二人の会話にはドワネルに対する母親のような温かい眼差しが含まれているのね。
愛されているというか悲しいというか。
ちなみに『大人は判ってくれない』に出ていたドワネルの母親の恋人なんていうのも出てくる。

映画『アントワーヌとコレット』

1962年 監督:フランソワ・トリュフォー
BS2 録画


アントワーヌとコレット・夜霧の恋人たち〔フランソワ・トリュフォー監督傑作選2〕

2年くらい前にアントワーヌ・ドワネルものをいくつか録画していて、全部見てやろうと思ってまずはこれ。
『二十歳の恋』という5カ国の監督が撮ったオムニバス映画の一編らしい。
トリュフォーのものだけBS2で流すってことは他のは面白くなかったのかなと思って調べてみると、アンジェイ・ワイダも一編撮っているらしい。
そしてなぜか日本からは石原慎太郎。
なんだろう。経緯は知らないが『狂った果実』の原作脚本家として評価されたのかなぁ?

『大人は判ってくれない』のドワネル君が17歳に。
今じゃレコード工場でせっせと働く一人の社会人。
ある日コンサート会場で美しいコレットを発見する。
ベルリオーズの幻想交響曲そっちのけで後ろの席からちらっちらコレットを見つめるドワネル。
その後何度かすれ違った後、ドワネルはやっとコレットと話をすることができ、二人は友達になる。
本やCDを貸してあげたりしているうちにコレットの両親にいたく気に入られて夕食に度々招かれるようになる。
しかし、家族と親密になっても当のコレットはというと少しも進展せず。キスもさせてくれない。
焦るドワネル。

冒頭から遊び心が面白い。
ラジオの歌声から始まり、クラシック、そのクラシックはタイムカードの現実的なチーンという音で一瞬でかきけされ、ロッカールームではタイムカードの音を使った電子音楽みたいな音、それもロッカーを閉めたとたんにかき消されて続いてシャンソン、と目まぐるしいのに楽しい。
そんな軽快な感じでドワネルの初々しい恋が描かれていき、ラストは同時にふられたような3人の後姿が少しおかしげな哀愁を漂わす。

映画『あこがれ』

1958年 監督:フランソワ・トリュフォー
BS2 録画


あこがれ・大人は判ってくれない〔フランソワ・トリュフォー監督傑作選1〕

短編って怖いな。映画作家の力量がもろに出るし。
トリュフォーが『大人は判ってくれない』で長編デビューする前に撮った26分の短編。

小学校高学年くらいの少年達が若い女性を遠くから追いかける。
若い女性ベルナデッドは美しく、そして肉感的だった。
自転車で小路を爽やかに駆け抜ける彼女のスカートはひらひらと躍り上がり、肉感的な脚が惜しげもなく露になる。
思春期に入りかけの少年達のめざめ。
少年達はベルナデッドを追いかけ、ベルナデッドとその彼氏とのデートを遠くからひやかす。
ベルナデッドは少年達のあこがれであり、恋人であり、憎しみの対象でもあった。

エロティックで爽やかで。そして遊び心が楽しい短編。
ちなみにベルナデッドの恋人役にジェラール・ブラン。

2008年4月6日日曜日

映画『終電車』

1980年 監督:フランソワ・トリュフォー
BS2 録画


終電車〔フランソワ・トリュフォー監督傑作選6〕

ドイツ占領下のパリ。
女優で座長でモンマルトル劇場の支配人のマリオン(カトリーヌ・ドヌーヴ)は、新作『消えた女』の上演に向けて忙しい日々を過ごしていた。
マリオンには夫ルカがいた。ルカは高名な演出家でモンマルトル劇場の支配人だったが、ユダヤ人であったために国外に逃亡している。
と思わせておいてルカは実は劇場の地下室に潜んでいたのだった。
そのことを知っているのはマリオンだけ。
マリオンは毎日ホテルに帰るとみせかけて、地下室のルカを訪問していた。

ナチス、ユダヤ、ときて戦争物かと思いきや、メロドラマ。いや、メロドラマじゃなくてカトリーヌ・ドヌーヴ。
そう、カトリーヌ・ドヌーヴなんだよ。
ストーリーも演出も全てがカトリーヌ・ドヌーヴという一人の女優のために用意されたと思われる映画、だからカトリーヌ・ドヌーヴ。

冒頭、街頭で男がある女を熱心に口説いている。
男は怪奇劇の役者ベルナール(ジェラール・ドパルデュー)でこの話の中心人物。
でも女のほうはただの脇役。
メロドラマの中心になるのはベルナールとカトリーヌ・ドヌーヴ演じるマリオンとその夫のルカの3人だが、ベルナールとマリオンの出会いには恋愛の兆しすら見えない。
ベルナールとマリオンはモンマルトル劇場の支配人と新しい劇に出演する男役が仕事として出会う、というただそれだけの関係しか匂わせない出会い。
むしろ、冒頭の口説いていた女性が実はモンマルトル劇場で美術を担当する女性で、モンマルトル劇場と契約したベルナールと偶然にも再会するというシチュエーションの方が恋の話の予感がする。
ベルナールはこの女性を口説き落とすことに夢中になっているし。
ベルナールとマリオンの間にあった感情は後半ではっきりと明かされるまで気づかない。
新作劇の初演成功で思わずマリオンがベルナールにキスした瞬間から、あれっとは思うのだけど。
明かされればそういえばマリオンがベルナールを盗み見していたシーンや触れられることを拒否したシーンの意味がしっくりくる。
それにしてもこの強引とも言える展開がなんか感動的なのね。
マリオンは地下室の夫をユダヤ人狩りから守るために匿いつつ、夫の代わりに劇場の切り盛りもしていかなければいけないという状況でベルナールへの感情をおくびにも出さないでいる。
でもマリオンの夫ルカは劇場の地下で新作劇の稽古の音を聞いているだけなんだけど、それだけでマリオンの気持ちに気づいている。
マリオンがベルナールに想いを募らせ押し殺しているモンマルトル劇場の舞台の地下には夫がいる、というシチュエーションがもう面白いよね。
マリオンの感情が明かされる瞬間は夫ルカのピンチで盛り上がったシーンが山を越してふっと安堵した瞬間で、ふいに明かされる事実は息つく暇なく今までの展開を別領域に押し上げて別種の山場として押し寄せてくる。
こっからは怒涛の展開。
ラストの仕掛けは「やられた」と思うと同時に解き放たれたカトリーヌ・ドヌーヴの魅力にさらに「やられた」って感じになる。

2007年3月11日日曜日

映画『ピアニストを撃て』

1960年 監督:フランソワ・トリュフォー
BS2 録画


ピアニストを撃て〔フランソワ・トリュフォー監督傑作選5〕

トリュフォーの長編2作目。
劇中に何度も流れ、そして冒頭とラストを飾って違った印象を与えてくれるあのピアノ曲は最高だな。
うきうきするように軽快なんだけどそこはかとなく哀愁も漂って。
深夜の町中で車に追われて逃げる男が登場する。
おお、なんかB級っぽい。
脇道にそれたところで男は電柱にぶつかって倒れてしまう。
追いつかれちゃうじゃん。
と、一人の男が近寄ってきて、倒れた男の頬を叩いて起す。
ああ、捕まったと思えば起してくれた男はただの通りすがりの紳士で、逃げていた男はこの初めて会った紳士とのんびり歩きながら結婚と女性について話し出す。
紳士と別れた後、男はまた走って逃げ出す。
なんでしょう、この脈略の無さというか必然性の無さは。
この後も様々な形で現れる逸脱「逸らし」が軽妙でそして最高に洒脱。笑えるし。

主役のシャルリという人物が面白い。
元有名なピアニストだが、今は場末のカフェでピアノを弾いている。
内気でうぶかと思いきや、親しくなった女性に対してはなんだか強気。
思いに反した行動を選択してしまうことでいつも大事なものを失っていく。
世間を遠ざけ、人を遠ざけ、暗い影と深い孤独に包まれているのだけど、それは過去の傷からじゃなくて、この人の持って生まれた性質っぽい。
過去の傷はこの性質をより深くさせるはずだが、あまりに繊細すぎて崩壊を避けるためか、どこか超越したところがある。
この超越は上辺だけ客観的に見れば薄情。
しかしその実は果てしない孤独。
全てが流されるまま過ぎていき、裏社会にも否応無く巻き込まれるだけで何の解決のアクションも起さない。
流されて大事なものを失ってその傷を抱えきることもできずにただピアノを弾いていく。

主演シャルル・アズナヴール。
軽妙な鼻歌を聞かせてくれる。

2005年6月21日火曜日

映画『隣の女』

1981年 監督:フランソワ・トリュフォー
BS2 録画


隣の女

ファニー・アルダンは遡ってもルコントの『リディキュール』(1995)までしか見ていないので、若い頃の出演作は始めて。
当時30歳そこそこのファニー・アルダンなのだが今と全然顔が変わっていない。
この人美人なのか美人じゃないのか微妙な顔立ちっていうのは今も昔も変わらないんだな。でもエキゾチックで凄い魅力的だという部分は若い頃の方がやっぱり強い。

映画のほうは不倫物なんだけど、狂おしいまでの感情が醜さと隣り合わせのまま非常に美しく描かれる。
感情は激しく、そして撮り方は冷静に。
恋愛映画はヒロインが相当タイプじゃないとほとんど興味ないのだけど、この映画は別格で恋愛映画のベストに選びたいくらいに狂おしい。
草葉に隠れて一人泣き崩れるファニー・アルダンの嗚咽につられて思わず泣いてしまう。

2004年9月20日月曜日

映画『突然炎のごとく』

1961年 監督:フランソワ・トリュフォー
BS2 録画


突然炎のごとく

恐ろしく展開が速い。ジェットコースター並に。常に刺激的で。
5,6年前に見たときは初っ端からずーっとうとうとして見ていたけど、今回は眠くならなかった。
だが展開の速さを頭で捕捉出来なくなってきた1時間後くらいから飽きた。

映画だから動くのは当たり前なんだけど、見ていてこんなに動きを意識させる映画も珍しい。(相米慎二の初期作品のような動きの焦点が画面のいたるところで無尽に発生しているのとは別のアプローチで)
画面に映っていないところでいろんな人が動いている。
例えばテレーズが煙草で機関車をやってくれているシーンで、テレーズの行進に合わせてカメラがぐるっと一回転する。もとの位置に戻ると立っていたはずのジュールは既に揺り椅子に座っている。
また、山荘の2階のバルコニーからテラスを見下ろしているカトリーヌとジムが映し出された後、カメラはテラスに移る。テラスではジュールと娘が遊んでいる。すると階下に下りるそぶりの全く無かったジムとカトリーヌが突然ジュールのいるテラスに飛び出してくる。間髪いれず可愛い娘は放り投げられ・・・
うーん、説明するのむずい。もう一例だけ書いておこう。
テラスのテーブルでジュールと娘が遊んでいる。
→窓から顔を出したカトリーヌにジュールが呼ばれる。
→ジュールは立ち上がって窓でなく入り口(画面向かって左方向)に向かって歩く。
→入り口からカトリーヌ、そしてジムが出てくる。
→カトリーヌ、ジュール、ジムの三人がテラスの入り口で言葉を交わす。
→カトリーヌは向かって斜め右に歩き去り画面から消える。
→ジュールとジムの二人はカトリーヌとは反対方向に歩き出す。
→歩きながら言葉を交わす二人をカメラが追う。
→二人が行き着いた先は先ほどジュールと娘が座っていたテーブル(食卓)で、そこには既にカトリーヌが着席している。
→ジムは椅子が無いためテラスの端にあった椅子をテーブルまで運んでから座る。
・・・えっ?だからなんなんだろ。書くとどうってことないな。
この流麗でコンパクトな動きが面白いんだけど。
ジムとジュールはカトリーヌに対して秘密の話をするためにカトリーヌと別方向に歩いたのだけど、最初上半身しか映らないからどこに向かって歩いてるんだか全然わかんなかったところでああテラスの縁沿いをぐるっと歩いていただけなのね、っていう驚きと、そうなるとわざわざ遠回りした二人の動きがカトリーヌにはいぶかしいものになるはずが、二人の会話など自分とは無関係だとでも言わんばかりに既に席について食卓を整えているカトリーヌと、この山荘には新参者ゆえテーブルに椅子がないジムとか、まあいろんな細かい要素が一連の流麗な動きになっているのね。

なんだかんだ言ってもそもそもジャンヌ・モローがどうしても老けて見えちゃって、よくのれなかった。
あと、Gコードで録画したというのに最後2分映ってないし。