2011年3月20日日曜日

映画『夜のピクニック』

2006年 監督:長澤雅彦
BS-TBS 録画


夜のピクニック [DVD]

夜ピク。
前に恩田陸の『夜のピクニック』が面白かったって話を誰かとしていたときに、「ああ、夜ピクね」って言っていた人がいて、確かに略したらそうなるけども、本当にそんな通称あるのだろうか。。。

恩田陸の原作を読んだのは1年前くらいで、それからずっとこの映画版が気になっていた。
キャストを調べていると甲田貴子役に多部未華子。
おお、一瞬思いがけない感じもしたがなんてぴったりなキャストなんだろう。
友達には貫地谷しほりや松田まどか。
榊杏奈役は加藤ローサ。
母親は南果歩。
高見光一郎役は柄本佑。
後は役者名見ただけではよく知らなかったので調べてみると、重要な西脇融役の石田卓也も戸田忍役の郭智博も遊佐美和子役の西原亜希も、顔写真見ると皆ぴったりすぎて却って恐ろしくなってくる。
監督長澤雅彦ってところに一抹の不安を感じながらもそこは無視すると、このキャスティングで面白くないわけがないだろう、と期待は膨らむ一方だった映画をやっと見ることができた。

結論から言うとあんなに期待していたのに、むーん、という感じ。
映画を観ながら小説の面白さを思い出していたからいいものを、原作読まないで見ていたら散りばめられたたくさんのエピソードやキャラクターがどれも中途半端で乗れないまま見終わってしまうのではないだろうか。
一番の誤算は西脇融の人物像で、恩田陸の小説の少年達は皆そうなんだけど、繊細で驚くほど聡明なところが魅力的なのに、これじゃあただの幼稚なゴリラだ。
戸田忍との友情もなんだかうそ臭い。
恋愛要素を入れたかったのかもしれなけど、オリジナルキャラを入れるくらいなら主要人物をもっと丁寧に描いて欲しかった。

冒頭の長回しはよくできているけど、カメラの動きがなんか気持ち悪いしなんのための長まわしなのかもよくわからない。
甲田貴子の小さな賭けの説明にモノローグを使わない代わりに、アニメで妖精みたいな奴を登場させて説明していたけど、工夫しているというよりいきなり登場するアニメーションに違和感を感じてしまう。
音楽も節操無く使いすぎてうるさいし。
ああ、そういえばKISSのようなメイクの看護士が登場するシーンで曲はブラック・サバスのParanoidって混ぜすぎだろう。

文句ばっかり書いたけど、少女達を演じた女優達は良かったな。
多部ちゃんは本当に面白い女優さんだ。
可愛いのか可愛くないのかよくわからない風貌はどこを切り取っても、演技していてもいなくても存在感抜群で映える。
ちょっと浮き気味などということは歯牙にもかけずに、貫地谷しほりの素なんじゃないかと思うはじけっぷりも和む。
西原亜希は初めて見たけど眉毛がきりっとして綺麗な子だ。
松田まどかは結構背が高かったのだな。
加藤ローサはちょっとしか出ない。私服姿の加藤ローサと西原亜希のツーショットはまぶしすぎてくらっときた。

戸田忍役の郭智博君は『花とアリス』のぽけーっとした宮本先輩だったんだな。

2011年3月13日日曜日

大震災

一応報告しておくと怪我もなく無事です。

もう本当にとんでもないことになっていますね。
東京では11日の夜は多くの人が遠い家に向ってひたすら歩いていて、不謹慎ながら何か大勢でイベントやっているみたいで楽しいなどと思っていましたが、帰って津波のニュース等見ている内に、事態は相当深刻な事になっていると漸く知りました。
特に、死者は数十名というニュースを見ている時に入ってきた、仙台の荒浜で警察官が200から300人の遺体が打ち上げられているのを確認したというニュースは相当ショッキングでした。
光景を想像したくないけど想像してしまう。
まるで戦争のような光景じゃないですか。
この現代の日本で!
津波が全てを破壊しつくした後の、まだ水の残る誰もいない静寂の中で大量の遺体が横たわっているなんて、実際に目撃したら一生いつ何時でもフラッシュバックしそうです。

今は一人でも多くの命が救われることを祈っています。

12日(土)は何もする気が起きずに、ずっと家にいました。
でも今日はちょっと迷いどころで、今日ギンレイホールに行かないと今回のプログラムがもう見れなくなってしまうのですね。
被災して憔悴しながら今も救助/支援を待っている人達や、懸命な救助活動をしている方々、こんな時に自分は暢気に映画かよと思いつつ、家にいても電気使うだけで何もいいことないし、結局見てきました。
外に出ると今日は凄く陽気な天気で、まるで何も起こっていないかのような変わらぬ日常がありました。

被災地への支援活動や救助活動が落ち着いてくると、今度はこの震災によって受けた経済的打撃が深刻な問題になると思います。
国民全員につらい時代が始まりそうですが頑張りましょう。
富士山が噴火しないか心配です。

映画『クロッシング』

2009年 監督:アントワーン・フークア
at ギンレイホール


クロッシング [DVD]

なかなか重厚なドラマだった。
イーサン・ホークとドン・チードルとリチャード・ギア。
麻薬捜査官と潜入捜査官と警官という何の接点もない3人の刑事の群像劇。
接点の無い独立したような話を一つ一つ思い出すとたいした話じゃないなと思うけど、犯罪多発エリアなので全体として緊迫感に溢れ、同一の時と地域で直接は交わらない3人の固有の物語が同時進行していく妙は群像劇そのもので面白い。
命をかけて働いていても報われるどころか人生の行く先はどんどん暗くなっていく。
何のために働いているのか。何が、誰が悪なのか。全ての境界は曖昧で鬱屈している。
ラストを阿呆なくらいに定型的な解釈をすると、理由は何であれ法を踏み外した者と踏み外さなかった者で結末が変わる。

リチャード・ギアはあんまり好きな役者じゃないけど、この年でばりばりの濡れ場を演じているのには感心する。

エレン・バーキン(が演じる役柄)がぶん殴りたいくらいむかつくわー。

映画『ノーウェアボーイ ひとりぼっちのあいつ』

2009年 監督:サム・テイラー=ウッド
at ギンレイホール


ノーウェアボーイ ひとりぼっちのあいつ コレクターズ・エディション [DVD]

予告編を見たような見ていないような曖昧な記憶でどんな映画かも分からず見ていたら、始まって結構経ってから「レノン!レノン!・・・ジョン!!」っていう呼びかけで、あ、ジョン・レノン、って思い出した。
ビートルズ結成前のジョン・レノンの、10代の頃を描いた映画。

Wikipediaのジョン・レノンのページ見ていると、もう全くこの映画の通りだ。
ジョン・レノンのリーゼント姿なんて想像もつかなかったし、札付きの不良だったなんて全く知らなかった。
そもそも曲と顔は知っていてもビートルズ以降のジョン・レノンという人についてもほとんど知らないけども。


ああ、やっぱりどうも集中できない。

2011年3月6日日曜日

映画『巴里のアメリカ人』

1951年 監督:ヴィンセント・ミネリ
BS2 録画


巴里(パリ)のアメリカ人 [DVD]

『フラッシュダンス』があまりに物足りなかったので、エンドロールもそこそこにもっと「映画観た」と思えるような映画を続けて観ようとHDDレコーダーの録画リストを物色していたら、『巴里のアメリカ人』があった。
どうせお気楽ムービーを作るならMGMミュージカルのように徹底的にやらなきゃ駄目でしょ、ってことでダンスつながりということもあって『巴里のアメリカ人』を見ることにする。
むぅ、ちょっとお気楽すぎたかもしれない。。。

ジーン・ケリーが踊りだすまでが長い。
タップダンス無しかと思ってちょっと焦った。
それにしてもジーン・ケリーのタップダンスシーンが少ない。
と思ったら最後にながーいミュージカルシーンがある。18分あるらしい。
この壮大なミュージカルシーンに向けてそれまでは抑えていたのか!
長々続くお気楽ストーリーも全てはラストのミュージカルシーンのための布石に過ぎない。
アイデアマンだがガタイのいい肉体派の気のいいあんちゃんジーン・ケリーが画家って!
しかも早く生まれすぎた才能ある若手画家っていう設定にばりばりの違和感を感じても、布石なので我慢しよう。

ジーン・ケリー演じるジェリーの友人役で、自称コンサートピアニストのアダムという人物が出てくる。
アダムはよくピアノを弾いているんだけど、弾いているふりだと思ってよく見ていたら、これが本当に弾いているようで、しかも上手い。
キートンの即席百人芸のパロディーのような見所シーンでは、ガーシュウィンのヘ調の協奏曲第三楽章をこれでもかと軽やかに弾きこなしている。
ピアノが弾ける俳優っていうレベルじゃない気がして、一体何者だろうと思ったら有名なピアニストで作曲家らしい。
オスカー・レヴァント。
『巴里のアメリカ人』はそもそもガーシュウィンの「パリのアメリカ人」であり、ガーシュウィンの曲が歌曲も含めてふんだんに使用されている。
オスカー・レヴァントはガーシュウィンの親友だったことから本作への出演が決定したとのこと。
ただ親友ってだけじゃなくて、ラプソディ・イン・ブルーやヘ調の協奏曲を有名にしたのは彼の功績が大きいらしい。
俳優としても結構映画に出ていて『バンド・ワゴン』なんかにも出演していたらしい。全然記憶に無い。

バレリーナとして巡業中にジーン・ケリーにスカウトされたというレスリー・キャロンを中心にバレエの動きを取り入れたダンス、そして歌と上述のオスカー・レヴァントの独演やジーン・ケリーとの共演、「パリのアメリカ人」の音楽にのせてめくるめく展開するラストのミュージカルシーン。
ストーリーはくそだったけどこう書きながら見直していると結構見所がたくさんあるなぁと思えてきた。

カフェでの最初のミュージカルシーンでは、シーンの最後の方でジーン・ケリーの帽子が落ちてしまって、それをキャッチしようとする仕草が入っている。
カットしなかったのは少し長めのカットだから撮り直すのが面倒だったのかな。

映画『フラッシュダンス』

1983年 監督:エイドリアン・ライン
BS2 録画


フラッシュダンス [DVD]

夢を追う少女が柔らかな陽光に包まれて輝いている。
特にもじゃもじゃの髪の毛が。

アイリーン・キャラの主題歌はあまりに有名で、ラストのダンスシーンもテレビ番組などで何度も見たことがある。
そんな有名作だが少しも面白そうじゃないので今まで見なかったけど、ストリートダンスが結構入っているらしいので見てみた。
しかしストリートダンスなんて1分くらいしか無いじゃん。
じゃあ何を楽しめばいいのか?
だるんだるんのシャツから顕になった肩とか、レオタードの股間やヒップを執拗に映すのを見て、これはエロ映画かもしれない、と思ったけど、ヒロインのジェニファー・ビールスは脱がないしベッドシーンも思いっきりはしょられる。
脱がなくてもエロいことはエロいのだが、レストランでロブスターをこれ見よがしにちゅぱちゅぱ喰っているのはエロというか下品だ。
結局最後まで楽しめず。

唯一面白かったのは、境界の懺悔室でセックス依存症かなんかのヒロインが「セックスのことがどうしても頭から離れません 神様はそんなことありませんね」と言った時に、神父がにやっと笑うんだよ。
このにやっがどっちのセリフを受けてのものか分からないが、とにかく意味深で挑発的な感じ。
この映画はヒロインの、むさい男達に混じって溶接工として働いたり、ダンサーという夢に向って頑張っていたり、恋人の嘘にヒステリックに(豪快に)怒りをぶつけたり、少女がエロ丸出し、っていう女性像は当時としては珍しかったのかもしれない。
また、まだそんなに有名ではないブレイクダンスを取り入れたり、今でこそ珍しくもなんとも無いが劇中に軽快なポップスやロックをがんがん流したり、っていうのも含めると、この監督は新し物、新しい概念好きなのかね。
だとしたら懺悔室で懺悔を聞く神父を「にやっ」により一介のエロおやじに貶めるのは意図的でやはり挑発的だ。

ああ、そういえばハロウィンのシーンで、戻ってきたリッチーをピエロ姿のヒロインが肩を抱いてなぐさめるのはいいシーンだったな。

2011年3月4日金曜日

3月INFO

BS2 3月3日(木) 午後1:00~2:36
フラッシュダンス 1983年・アメリカ
〔監督〕エイドリアン・ライン
BShi 3月9日(水) 午後10:00~午前0:12
許されざる者 1992年・アメリカ
〔製作・監督〕クリント・イーストウッド
BS2 3月16日(水) 午前0:15~2:17(15日深夜)
神童 2007年・日本
〔監督〕萩生田宏治
BS-TBS 2011/03/16(水) 21:00-23:24
夜のピクニック (06日)
BS2 3月17日(木) 午前0:00~2:33(16日深夜)
天平の甍 1980年・日本
〔監督〕熊井啓
〔音楽〕武満徹
BS2 3月18日(金) 午前0:10~2:09 (17日深夜)
クワイエットルームにようこそ 2007年・日本
〔監督・原作・脚本〕松尾スズキ
BS2 3月19日(土) 午後3:10~4:41
スリープ・ディーラー 2008年・アメリカ/メキシコ
〔監督・脚本〕アレックス・リベラ
BS2 3月20日(日) 午後3:05~4:57
クローンは故郷をめざす 2008年・日本
〔監督・脚本〕中嶋莞爾
BS-TBS 2011/03/23(水) 21:00-23:24
バッテリー (06日)
確か主題歌熊木杏里

ヒッチコックも3,4本ある。

ほとんど載せていないけどアカデミー賞受賞作品特集は今月も結構ある。

今月は邦画もめずらしく多め。

2011年3月3日木曜日

映画『霧の中の風景』

1988年 監督:テオ・アンゲロプロス
BS2 録画


テオ・アンゲロプロス全集 DVD-BOX III (霧の中の風景/蜂の旅人/アレクサンダー大王)

ああ、やっぱり暗い。
11歳の少女ヴーラと5歳の弟アレクサンドロスは、ゲルマニーア(ドイツ)にいるというまだ見ぬ父親を探しにドイツ行きの国際急行に乗り込む。
無賃乗車なのですぐ降ろされてしまうが。
叔父から、父親がドイツにいるという話は母親の嘘であり父親なんかいない、という事実を信じられないまま聞きながらも、二人は家に帰らずにドイツに向って旅を続ける。
夜中に知らない街にぽつんと放り出されても動じることない二人を見ていると、金も無いのに飯はどうするんだ?どこに泊まるんだ?という疑問が当然生まれてくる。
誰か優しい人が救いの手を差し伸べてくれるのだろうか?
しかし二人の前に現れるのは、トラクターに引きずられてそのまま放り出された瀕死の馬や、背後で無関係に騒がしく通り過ぎていく結婚式の集団だけだ。
この異様なショットの後にすぐ翌日(山中の寂しい道路を二人が歩いているシーン)に切り替わるので、ああ、男でも女でもない聖的な存在の子供達が、人間の基本的な営みを超越してギリシャを旅しながら彼らを中心に詩的な映像が綴られていくのね、と勘違いしてしまった。
だからヴーラがあんな目に合うなんて想像もしなかったしショックも大きい。
その衝撃はいつまでもちくちく痛みとして残り、ラストも悲しい解釈しかできない。
超越した存在なら暗いもくそもないのだが、詩的でありながらあまりに現実的でもあるため、悲しくて美しい。

映画を見ていてカメラを意識することってあまり無いのだけど、これは結構気になる。
走り去る列車を固定カメラで映すシーンでも、それが列車が小さくなるまで長々と映されると、その列車に乗った姉弟がもう手の届かないどこか遠くに行ってしまうような寂しさがこみ上げてくる。
しかし次のシーンではカメラは車内の二人を映し出すのだ。
カメラに国境や距離は関係ない。
そんなカメラが映し出す世界は、瀕死の馬とか雪に大人が呆けるシーンとか海辺の旅芸人の超長まわし360度パンとかバーに紛れ込んだ鶏の静謐とか宙を舞う石造の手首とか、異様なショットがちょいちょい挟まって現実離れしているのだけど、ストーリーも映像もこんなに切なくて悲しい映画はめずらしい。
アンゲロプロスの映画の中でもこの映画は、詩的な叙情性とストーリー性とのバランスがよくて一番好きかもしれない。

ヴーラ11歳っていうのはgoo映画のページから取ったけど、ヴーラ役の少女の実年齢はもう少し幼い気がする。
妙に大人びた顔をしていて不思議な感じのする子だ。

ラストの解釈は一般的にはどうなんだろうとネットで調べてみたけど、ラストということでネタばれになるのかあまり書いてないなぁ。
それよりも旅芸人の青年がホモだったという記述に驚いた。
確かにヴーラが青年の下を離れた理由がよく分からなかったのだけど、ホモならばなんとなく辻褄が合う。
でもやっぱりいやだな。青年との別れがつらくて何も言わずに旅立ったって方がいいっしょ。

2011年2月26日土曜日

映画『トロッコ』

2010年 監督:川口浩史
at ギンレイホール


トロッコ [DVD]

お前なんだよ、そのロンゲは、このくそガキが!
って感じだったけど、髪切ってからはむしろかっこよくさえ思えてくる。ガキのくせに。

原作は芥川の『トロッコ』らしいが、原作というか着想という感じだろう。
舞台は台湾になっている。
8歳の"あつし"と6歳の"とき"は母の夕美子に連れられて台湾に行く。
どうもあつし達の父親が死んだらしく、その遺灰を父親の実家に届けに行くところらしい。
母は日本人だけど父は台湾人。
父の実家には日本語を流暢に話すおじいちゃんがいた。
で、なんだかんだでトロッコが出てくる。
父を亡くした親子と父の家族の物語だけど中心は長男あつしの成長譚になっている。

ストーリーも演出もさして面白いというわけではないのだが、映像に安定感があってつまらなくはなかった。
音楽の音が大き過ぎるのが邪魔だったけど。

今回のギンレイのプログラムは子供が主役の映画つながりだと思っていたら、確かにそれはそうなんだけど、傷ついて飛べなくなった小鳥、っていうのも共通している。
一方は傷も癒えて大空に飛び立って行き、もう一方はそのまま死んでしまう。
小鳥がそのまま子供達を表しているとすると、死んでしまうというのは暗喩としては、傷と死の記憶を有しながら生まれ代わる、ってことになる。
傷の深さと前に進もうともがく意思の強さという点でどちらが印象的かは言うまでも無い。

母親役の尾野真千子はなかなか綺麗な人だった。
役だけど怒ると鬼のように怖い。
初めて見る女優さんだと思ったら『萌の朱雀』のあの少女だった。
大きくなったなぁ。

ああ、撮影がリー・ピンビンになっている。
なるほど、退屈しなかったわけだ。

映画『冬の小鳥』

2009年 監督:ウニー・ルコント
at ギンレイホール




歌う少女を厳しくても誰よりも子供思いな寮母がちらちら見つめるシーンでぽろぽろ涙出てきて、少女が笑顔を見せる所をピークに止まらなかったのだけど、やっと落ち着いたと思ったらラストで嗚咽っていうのかね、少女の顔見ていたら声を出して泣きそうになってしまった。
やばい、今公式ページで写真見ていただけで涙出てくる。

今回のギンレイのプログラムは一方が面白そうでもう一方は面白くなさそう、と位置づけていて、こちらは面白そうな方。
面白いどころかもう稀に見る傑作だった。
そもそも子役というものが大嫌いなので今回は見送ろうかと思ったくらいなのだけど、本当見てよかった。

父親が大好きな9歳の少女ジニ(キム・セロン)は、ある日父親と泊まりの旅行に出かける。
しかし連れて行かれたのはカトリック系の児童養護施設だった。
「ずっと一緒にいるよ」と言った父はジニを置いて一人去っていく。
自分は孤児じゃない、いつか父が迎えに来てくれる、と寮母やシスター、他の子供達に反発し続けるジニだったが。。。

ジニから絶えずあふれ出すのは感情というか激情で、小さくて華奢な体が器として小さすぎると言わんばかりに凄まじい力の想いが外に漏れ出していく。
狂気に似た感情は基本的に切ないのだけど、冒頭の父に向けるうざいくらいの愛情表現を見ていると、大人になったら空恐ろしい女になるんじゃないだろうか、とも思ってしまう。
別れ話でも持ち出そうものなら。。。

ジニを演じた子役のキム・セロンはそんなに可愛いというわけではないのだが、子役嫌いの僕でも嫌悪せずに見れる演技というか狂気というか。
死の儀式の後に来る再生の、あの透き通った表情には孤独の切なさと前向きさが詰まっているのだけど、それが聖性すら感じさせるから凄い。
雑誌のモデルとか幼い頃から活躍しているらしいが、映画出演はこれが初めてらしい。

冒頭のジニと父親の仲睦まじいシーンは全てジニが中心で、父親の顔が一切映らない。
無名の役者でも使っていてそのまま顔なしで進むのかと思いきや、養護施設でのジニとの最後の別れの時に漸く顔が映し出される。
あっ、と思うのは(ネタばれ?になってしまうが)映し出された父親がなんとソル・ギョングなんだよね。
ちょい役な上にこの一瞬しか顔が映らない役にソル・ギョングを起用する、というのは豪華なのかなんなのか。
ジニの最愛の想い人である父親の顔が溜めに溜めた後にちょっとしか映らない事で印象的になるけれど、印象的というよりソル・ギョング!という驚きの方が強い。
いや、驚きによってより印象的になるとも言えるのか。
そう思えば、少しやつれた顔で複雑な想いを秘めてジニを最後に見つめるあの視線はソル・ギョングならではな気もする。
素で人生の深みが詰まったような顔しているからな。

監督のウニー・ルコントは自身9歳の時にフランスの家庭に養女として引き取られているらしい。
ちなみにパトリス・ルコントとは何の関係も無い模様。


DVDが出てないみたいなので予告編貼り付けてみた。
公式ページにある集合写真の壁紙が最高にいい写真なのでDVDパッケージの代わりに貼り付けようとしたけど、とりあえずパソコンの壁紙にしたらそれで満足したのでやめた。