2015年8月23日日曜日

映画『博士と彼女のセオリー』

2014年 監督:ジェームズ・マーシュ
製作国:イギリス
at ギンレイホール




イギリスの物理学者スティーヴン・ホーキングのお話。
大学時代に難病ALSを発症して余命2年と宣告される。
付き合い始めた彼女は彼を支え続けることを決意する。

この彼女が天使すぎる。
付き合い始めて間もないはずなんだけど、よくそんな決心したな。
敬虔なクリスチャンだからというのもあるだろうけど、多少は献身的な自分に酔っていたりもするんじゃないだろうかと思ってしまう。
演じたのがフェリシティ・ジョーンズっていう綺麗な人だったということもあり、それでも彼女の決心に天使すぎる、と言いたくなるのだけど。
まあ、結果的に天使じゃなかったが、部外者は誰も彼女を責められないよね。

スティーヴン・ホーキングの偉大さとかそこらへんの描写は少ない。夫婦の物語が主題だから。
いい人が多すぎるものの、なかなか面白かった。

映画『6才のボクが、大人になるまで。』

2014年 監督:リチャード・リンクレイター
製作国:アメリカ
at ギンレイホール




いつもどおり30分前に行ったら、もう外に並んでいる人たちがいる。
当然満席。こんなに込んでいるギンレイホールは久しぶりだ。

映画は6才の少年が18歳になるまでを追った成長記録。
12年間だけど俳優/女優の交代無し。
つまり12年に渡り毎年?少しずつ撮影したらしい。
誰か事故にでもあってしまったら一気にパーだよね。よく金出したな。

まあ面白かったけど、とにかく長い。
165分あったっぽい。
満席で館内は蒸し暑く、いつもは空席の隣におっさんが座ってしかも肘掛を独占するもんだから圧迫感で落ち着かない、っていうのもあって、120分くらいでもう疲れてしまった。
12年間を描くわけだから165分でも足りないのかもしれないけどさ。

主演はエラー・コルトレーン。
一本の映画で少年が成長していく姿を見るのはなかなか新鮮。
両親役にパトリシア・アークエットとイーサン・ホーク。
姉役にローレライ・リンクレイター。監督の娘らしい。(ちゃっかり娘の成長記録も撮ったということか)
身内びいきと言いたい所だけど、ローレライ・リンクレイターが結構味があってなかなかの存在感を放っていた。

駄目な男にばかり引っかかる母親とか、青年の恋とか夢とか、ありがちといえばありがちな話だけど、12年間の断片的なスナップショットは積み重なって効果を発揮してくる。
どうせ見るなら落ち着いた環境でじっくり見たかったな。

2015年8月9日日曜日

映画『アメリカン・スナイパー』

2014年 監督:クリント・イーストウッド
製作国:アメリカ
at ギンレイホール




これはカンフー映画だ。
ってドリル男が出てきたときに思った。
わかりやすいラスボスがいて、そのラスボスをやっつけるというカタルシスを得るまでつっきるストーリー。
戦争で精神を病むとかラスボス後のくだりはおまけで。
主人公側は正義、敵側は悪。

と、これが架空の国の架空の人物の話であったなら、手放しで喜んだかもしれないけど、主人公クリス・カイルは実在の人物だし、戦争はイラク戦争を描いている。
そうなると見方は全然違ってくる。
話の流れ上、9.11のあとにイラク戦争に突入しているような感じだから、憎き敵イラクみたいになっちゃっているけど、イラク、関係ないじゃん。
それにイラク戦争自体アメリカが難癖つけて勝手に開戦したのであって、そのアメリカの兵士がPTSDになろうが、知らんがな、と思ってしまう。
戦争で160人以上の敵を射殺した伝説のスナイパークリス・カイルの最初の殺人は、少年とその母親だったけど、戦争とはいえ少年や女を殺さなきゃいけないなんて、戦争ってひどいね、っていう感情よりも、こんな女子供までがアメリカを憎んでいる!って事のほうが先に来る。
敵国イラク側の描写もひどい。まるで残虐で低能で好戦的な野蛮人しかいないかのようだし、アメリカ兵士のイラク人に対する蔑視もひどい。(まあそのおかげで戦闘シーンを普通のアクション映画のように楽しめたりもするんだけど)

そんなわけで、右脳で楽しんで左脳でしらけるという不思議な感覚での鑑賞となった。
こんな映画、中東の人たちには見せられないよなと思いつつ、結末が奇跡的に皮肉な話になっていたので、見ても大丈夫かもと思ったりもする。

無音の黙祷のようなエンドロールが始まって、監督は誰だよ、って目を凝らしていたら、なんとクリント・イーストウッド。
まじか、心の中で悪態つきまくっちゃったけど、俺なんかこの映画を見誤ったのかもと不安になって人の意見を知りたくてネットで調べてみた。

まずウェイン町山
http://miyearnzzlabo.com/archives/22576
なんかアメリカで凄い論争になっているみたいね。
で、町山氏によると、これは戦争を賛美なんかしていない。英雄もいないし、ただ壊れゆく男を描いた話なんだ、なんでそれがわからないんだ、馬鹿ばっかりだ、と。
俺もその馬鹿の一人かもしれない。
いや、そりゃあ戦争を賛美していないことくらいは分かるけどさ、この映画を何も背景を知らずに見たとしたらさ、9.11で多くの命が失われて、テロ許すまじ、ってことで戦争(なぜかイラク戦争)が始まって、その聖戦の中で多くの兵士たちが傷つき倒れ、生き残った兵士もPTSDにかかり、なんにもいいことないのに正義の国アメリカは悪をたたくべく傷つきながら戦っています!っていうふうにしか見えない。
つまりイラク戦争を肯定し、アメリカの正義を訴え、アメリカ最高、アメリカ万歳、ってことでしょ。
壊れゆく男なんてアメリカ万歳に帰結するだけの1要素でしかない。
そんなに精神が病んでいく過程をじっくり描いているわけでもないしさ。

翻訳がよみづらいけどこんな記事もある。
http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2015/02/post-3dd2.html
これ読むと、アメリカで起こった論争って、論争というか一方的で、この映画に対する批判は一切許されないみたいな状況っぽい。
恐ろしいね。
あと、同ページからのアメリカのイラク占領の話。
ファルージャ(白リン弾が使用された)や、レジスタンスが潰された他の都市の大量殺戮、アブグレイブでの蛮行、ハディサの大虐殺、マハムディヤでの14歳のイラク人少女輪姦と彼女の家族の虐殺、“レブンワース10”として知られている、バグダッドのアメリカ軍人集団がおかした戦争犯罪、ハムダニアで海兵隊員が行った殺人、“巻き添え殺戮”として知られるバグダッド空爆や、他の無数の残虐行為を、イラク占領は生み出した。

イラク国民にむけられた暴力行為や破壊行為は、アメリカ軍がイラクで日常的に行っているのだが、氷山の一角だけしか一般には知られない。これは植民国家“反乱鎮圧作戦”の本質だ。世界中の非常に多くの人々が十分過ぎるくらい理解している通り、アメリカ軍・諜報機関は、地球上における暴力行為とテロの主要勢力だ。
記事書いたのアメリカ人だと思うけど「アメリカ軍・諜報機関は、地球上における暴力行為とテロの主要勢力だ」と言ってしまうところが凄い。

ファルージャを調べたらこういうのが引っかかった。
ファルージャ総攻撃の実態

あと、今頃知ったけど、9.11陰謀説なるものもあるんだね。Wikiにもある。
アメリカ同時多発テロ事件陰謀説
真偽のほどはおいておいて、こういう説を唱える人ってどういう気持ちなんだろう。
大統領の人気取りとか経済復興だとかそんな理由で自国民を3000人も犠牲にするやつが世界のTOPだったということに戦慄した上で説を唱えているのだろうか。


イーストウッド自身は『とにかくイラク戦争には反対だ』とはっきり言っているらしい。
PTSDを描きたかったにしても、イラク戦争を題材にし、かつ観客を楽しませるためかイラク戦争をスリリングなアクション映画かのように描いてしまったら、戦争の悲惨さを伝えてもなんだかしらけてしまう。
イーストウッドの意図は知らないが、想像するに、イーストウッドは単にアメリカの一兵士の視点から淡々とこの戦争を描きたかったのではないだろうか。
原作となったクリス・カイルの手記からは、もっとファシスト的で過激な人物像が浮かび上がるらしいが、この映画ではそこを薄めている。
そういう操作はするけど、基本的にはありのまま描く。
一兵士とそれをとりまく人々から見れば、イラク戦争は悪を打ち砕く聖戦であり、イラク人は嫌悪すべき卑劣な野蛮人。
こういう一方的なアメリカ視点で描いて一平凡市民達のアメリカ万歳のような姿勢を貫くことで、批判とかイラク戦争を見つめなおすきっかけとなることを期待していたのかもしれない・・し、していないのかもしれない。

映画『おやすみなさいを言いたくて』

2013年 監督:エリック・ポッペ
製作国:ノルウェー/アイルランド/スウェーデン
at ギンレイホール




戦場カメラマンのレベッカ(ジュリエット・ビノシュ)は紛争地帯を飛び回る生活を続けている。
たまに帰る家には、優しくイケメンの夫と二人の娘が待っている。
一見幸せそうな家族だが、夫や娘たちは、レベッカがいつ命を落とすかということに常におびえており、精神的に疲れ果ててしまっている。
それを知ったレベッカは、もう紛争地帯には行かないで家族と暮らすことを決意するのだったが。
っていう話。

見ていればわかるけど、レベッカはかなりやばいやつだ。
自分は崇高な仕事をしているという自負に基づいて、理解しない家族に当り散らさないところが救われると思っていたけど、難民キャンプのシーンを見たらそんなのすっ飛ぶ。
娘の安全は守られていたのかもしれないが、母親として側にいないでどうすんだ。
がんがん踏み込んで写真をとりまくるレベッカも、たまたまどっかの軍が助けに来たからよかったものの、あのままだったら確実に殺されていたよね。
その後国連軍が介入してきたのは写真のおかげみたいな流れになっているけど、証拠として判別できる程度の遠くからの写真一枚で十分だし、写真なんか無くても報告だけでもいいよね。

人にカメラを向ける行為って昔からさんざん議論がなされていると思うけど、この映画を見ていると、人の悲しみとか苦しさに平和な国の人間が無遠慮に土足で踏み込んでいくような印象しか受けなかった。
撮られた写真が世界に公開されて自分たちの生活がいい方向に変わるかも、なんて撮られる側は一ミリも考えていないはず。
娘が発表会で、最初は躊躇したけどだんだん抵抗はなくなった。なぜなら彼らは撮られたがっていると感じたから。みたいなことを言っていた気がするけど、大きな勘違いだ。
彼らが怒らないのは生きるのが苦しくてそれどころじゃないから。紛争地帯で、世界に訴えたい、知ってほしい!と思ってカメラに納まる人がいったい何人いるんだろうか。

でも、まあなんだかんだいってもつまらなかったわけじゃなくて、なかなか面白かったんだけどね。
ジュリエット・ビノシュは家庭と仕事の狭間に立たされる葛藤やら狂ったような使命感とか自然に表現して見ごたえがある。
で、そのジュリエット・ビノシュより目立っているのが長女ステフ役のローリン・キャニー。
この子凄いわ。
ビーバーっぽい口元がキュートで、なにより目がきれい。
そのきれいな目が悲しみや不安やあきらめ等、さまざまな感情をまっすぐに訴えてくる。
これが映画デビューらしい。

2015年7月29日水曜日

映画『はじまりのうた』

2013年 監督:ジョン・カーニー
製作国:アメリカ
at ギンレイホール




音楽を扱った映画って基本的にうるさいから嫌いなんだけど、これはめちゃくちゃ面白かった。

とあるバーで女性がギターの弾き語りをしているシーンから始まる。
そしてそれに熱視線を送る浮浪者っぽい男!こわっ。
時はさかのぼってこの浮浪者っぽい男と女性シンガーがこのバーに来るまでの経緯が描かれる。しゃれおつな構成。
男はかつての名プロデューサーで、女はデビューになんの興味も無いシンガーソングライター。
男は女を説得してその気にさせ、デモテープどころかいきなりアルバムを作り始める。強引。

音楽って楽しいよね、という気分にさせてくれる映画。
恋愛とか家族とか夢とかちょっと変な方向に行きそうな思春期の娘とか、いろいろとじわじわくる要素も詰まっている。
そんで、仕事上のパートナーという位置づけの、親子ほど年の離れたグレタとダン、つまりキーラ・ナイトレイとマーク・ラファロの2ショットがどこ切り取っても絵になるんだな。
なんなんだろう、恋人設定のキーラ・ナイトレイとアダム・レヴィーンの2ショットはありきたりすぎていたって普通なのに、キーラ・ナイトレイとマーク・ラファロの2ショットは輝いている!、と思う。
恋人でもなんでもない仕事上のパートナーって役だけどね。

娘役のヘイリー・スタインフェルドは『トゥルー・グリット』のマティ・ロス役の子か。
大分成長したんだな。この子の独特な顔立ち好きだな。
妻役の人って髪で少し顔が隠れて見ている時はいまいちわからなかったけど、キャサリン・キーナーだった。


映画始まる前にドアの前で並んでいるときにこの映画の主題歌「Lost Stars」が漏れ聞こえてきて、文庫本読みながらなんか懐かしい曲が流れているなと思った。
デヴィッド・ボウイじゃないし、なんだっけなぁ、と少し考えてやめたんだけど、なんか普通にこの映画用に書き下ろされた曲だったっぽい。
前回ギンレイに来たときに館内で流れていたのかなぁ。

YouTubeにあった「Lost Stars」。
まずはキーラ・ナイトレイ版。
しっとり聴きいる歌のうまさで、声もいい。


アダム・レヴィーン版。
マルーン5って1曲も聞いたことないんだけど、アダム・レヴィーンって人めちゃくちゃ歌うまいね。

映画『ビッグ・アイズ』

2014年 監督:ティム・バートン
製作国:アメリカ
at ギンレイホール




実話が元らしい。
60年代にアメリカで大ブームになった、目の大きな女の子の絵。
それを描いたウォルター・キーンは一躍時の人となり、巨大な財を築くのだけど、実はその絵を描いているのは彼の妻のマーガレットだった、という話。

ストーリー的にはラストに来るであろう夫との対決以外に山場はないんじゃないかと思っていたけど、満遍なく面白かった。
新しい夫との素敵な(?)出会いに始まり、一緒に屋外でスケッチするシーンは後の展開へと繋がり、絵が売れ始めてからマーガレットがゴーストであることを黙認してしまうくだりとか、夫ウォルターのプロモーターとしての辣腕ぶりとか、マーガレットの憔悴具合とか、ラストにいくまでの過程が十分面白い。
笑いもふんだんだし。
ただ、過程が面白ければラストはどんだけすかっとするんだろうと思いきや、それほどではない。
ラスト近くのシャイニングばりの狂気を見せられても、丹念に描かれた過程シーンによりウォルターというキャラクターに少なからず親しみを持ってしまっているから。
嫌な奴ではある。人間のクズではある。でも面白いんだよウォルターは。
ラストの一人の立ち回りなんて悲しさとおかしさがまじってなんともいえない感情になる。

映画の一番最後に、本物のマーガレットと、マーガレットを演じたエイミー・アダムスの2ショット写真が映される。
これ見て涙出そうになった。
実話に基づくといわれてもどこか作り物という意識があるところに、本物が急にリンクされるとぐっとくる。
なんだっけ、『最強のふたり』も確か最後に本物の人たちの写真が映っていたけど、あの時はそんなに心動かされなかったな。
これはばあちゃんだからだろうか。
まだ存命だったんだ、というのと、びっくりするくらいのいい笑顔しているから。

主演はエイミー・アダムス。
夫のウォルター役にだいぶ年は離れているけどクリストフ・ヴァルツ。『おとなのけんか』とかジャンゴとか、比較的クールな役でしか見たこと無かったから新鮮。
脇役だと
記者役にダニー・ヒューストン。
なんか偉い批評家っぽい人役にテレンス・スタンプ。
向かいの画廊の主人にウェス・アンダーソン作品でおなじみのジェイソン・シュワルツマン。
あと、幼少期の娘役の子が、かわいいのかかわいくないのかよく分からない顔立ちでつまりかわいかった。デラニー・レイ。
少女期で役者が変わったら普通にかわいくなくなっちゃったけど。

2015年7月12日日曜日

映画『0.5ミリ』

2013年 監督:安藤桃子
製作国:日本
at ギンレイホール




明日から出張だし『百円の恋』は113分もあったのにこの『0.5ミリ』は196分もあるし、5時間近くも安藤サクラを見続けるってどうなんだろう、と思って今回ギンレイに行くのを躊躇していたけど、見てよかった。
196分は確かに長い。でもけずれそうなエピソードは無い。
予告編見たときは、おしかけヘルパーするじいさんが何人か入れ替わるみたいだから一人くらいけずって120分以内に収めろよと思ったけど、すべてのエピソードを経てこそのあのラストなので、196分、かなり首が痛くなって疲れたものの満足した。

主演安藤サクラ。
この子の演技しているのに演技していないように見える自然な感じが恐ろしい。才能という意味で。
茂(坂田利夫)に初めて話しかかるときの
「おじいちゃんなにやってるんですか~?」
からの一連の流れは、なにかこう暗くも明るくも無い女が無理に人懐こい声で話しかけているような、もしくはヘルパーとしての職業柄の事務的な声色というか、または生きるために切羽詰った決意を内包しているために声音が演技っぽくなっているというか、、とにかく安藤サクラ演じるサワという女がこの場面この状況この心情でしゃべったらこうなる、というのを安藤サクラはさらっと実践している。
単純に自然な人懐っこい声を出せないという素なのかもしれないけどさ。
調べてみると安藤サクラはどの映画でも演技が絶賛されているみたい。

あと、圧巻だったのは津川雅彦の長回し。
7,8分くらいの独白シーンで、不安で不穏な空気を漂わせながらの台詞回しには引き込まれる。

坂田利夫が出演している映画を見るのはこれが初めてだけど、何この人、ものすごい名役者じゃん。
特に哀愁漂うおっさんとか愛嬌のあるおっさん演じさせたら日本一だな。

安藤サクラの夫って柄本佑なんだね。
ということは、この映画、実際の家族が大いに関わっているんだな、
まず、監督の安藤桃子は安藤サクラの実姉でしょ。
で、佐々木健役の柄本明は安藤サクラの義理の父親。
浜田役の角替和枝は安藤サクラの義理の母親。
フードスタイリストとして参加している安藤和津は安藤サクラの母親。

その他出演者も書いておく。
織本順吉、木内みどり、井上竜夫、ベンガル、浅田美代子(この人も凄い女優だよな)、東出昌大(どこに出ているかわからなかったけどカラオケ店員だったっぽい)、土屋希望。
なかなか豪華。
しれっといれた土屋希望だけど、俺も誰か知らない。この映画がデビュー作で、他には出ていない模様。
そもそも男か女かわからなくて、調べてみたら女性っぽい。失礼しました。
それにしても、検索すると埼玉の高校の野球部員として紹介されていたり、つぶれる寸前のお菓子屋かなんかのブログにベテラン店員として紹介されていたりと謎が多い。
公式ページによるとこの子の父親と安藤桃子が知り合いという縁からスカウトされて出演したらしい。
もう女優はやらないのかな。

映画『百円の恋』

2014年 監督:武正晴
製作国:日本
at ギンレイホール




ニートっぽいけどニートじゃない家事手伝い女、一子(安藤サクラ)は、とあるきっかけで家を出て一人暮らしをはじめる。
仕事やら恋やらボクシングやら、と生まれてはじめての事を経験しながら成長していく物語。
って書くとたいして面白そうでもないけど、意外とかなり面白い。
ドラマティックな成功譚ではなくて地味な成長譚だけど、みなぎる社会の底辺感の中、静かに燃えるくじけない闘志が胸を打つ。
笑ったり怒ったり嫌な気分になったりHAPPYになったり、ひっきりなしに楽しませてもくれる。
それとなんといってもボクシングシーンが泣ける。

脚本は脚本賞“松田優作賞”の第1回グランプリになった作品らしい。
監督武正晴作は初めて見たけど結構好きなタイプかもしれない。
予告編にもあるこけるシーンとか、こういう地味なシーン好きだ。

2015年6月28日日曜日

映画『カフェ・ド・フロール』

2011年 監督:ジャン=マルク・ヴァレ
製作国:カナダ/フランス
at ギンレイホール




1969年と現代の二つの時代における、まったく関係のない家族の物語が交互に描かれる。
現代パートでは、DJのアントワーヌ(ケヴィン・パラン)が若い恋人ローズ(エヴリーヌ・ブロシュ)と、前妻との間にできた二人の娘とで楽しく暮らしている。
前妻とはソウルメイトというくらいお互い離れがたい存在だったが、若い子に走った、という単純な理由でなく、若さは関係なくてローズには前妻以上の運命を感じているかららしい。
過去パートでは、ダウン症の息子ローラン(マラン・ゲリエ)を一人で育てる美容師ジャクリーヌ(ヴァネッサ・パラディ)の物語が展開される。

この二つの時代の物語、まったく関係ないことはないだろうと接点を探してみても、過去パートのダウン症の子供ローランが現代パートのアントワーヌとイコールになりえないし(アントワーヌはダウン症でないし両親がいるし年齢も合わない)、住んでいる地域も違うしで、まったく接点が無い。
冒頭の空港のダウン症っぽい集団が、後々なんか絶対つながると思って記憶の隅にとどめていたけど、それもあまり関係なかった。
ストーリー上の唯一のつながりは、現代パートのアントワーヌの前妻キャロル(エレーヌ・フロラン)が過去パートのローランの夢をよく見ること。
まじでなんも繋がりないじゃん、という感じだけど、これが最後にばしっとつながる。
アントワーヌが若い恋人ローズを選んだ理由とか、前妻キャロルがいまだにアントワーヌを引きずっている想いとか、すべてがばしっと解決、というか決着する。
こんなの誰も予測できないよー。

あと、ダウン症の子供って生まれたときからわかるのだろうか。

映画『薄氷の殺人』

2014年 監督:ディアオ・イーナン
製作国:中国/香港
at ギンレイホール




ひんやりとした空気感の映像に差し込む電飾のほのかで刺激的な明かり。
人物や物のちょっとした動きが映像をひきしめ変化させ、飽きることなく永遠に魅了していく。
音の使い方も効果的で、いらだたしげに転がり続けるビンの音とか、趣味の悪い色合いの空間で静寂を突如突き破る無慈悲な銃声とか、もう映像に真っ向から対決するくらいの勢いで主張してくる音の使い方って本当大好き。
※ただ、雪を踏む音は個人的に苦手なのであまり聞きたい音では無い(きゅきゅっと気が引き締まるのでそれなりにアクセントにはなったけど)

めちゃくちゃ面白かったわ。
ストーリーも面白かったし。
「長いトンネルを抜けると雪国であった」シーンでは親切なおっちゃん、と思いきや自分のぼろいカブを置き土産に人のバイクを勝手に乗っていってしまうというギャグシーンなんかもある。
カブの持ち主調べればすぐばれそうな気もするけどそこは中国。
屋外スケート場で借りたスケート靴のままスケート場の外までしれっと滑り続けていってしまう自由な神経も中国。

配役は皆、ストーリーにも映像の雰囲気にもびっくりするくらいマッチしている。
主演のリャオ・ファンのちょっと駄目人間ぽいところも見える渋いかっこよさ。
グイ・ルンメイの影のある寡黙な美しさ。
クリーニング店店主役ワン・ジンチュンの善人でも悪人でもないごく一般的な「人間」っていういやらしさ。

調べてみたら主演女優のグイ・ルンメイは『藍色夏恋』(2002)の子だ。少し大人っぽくなったけど全然変わらん。


それにしてもすごい監督が出てきたもんだ。
まだ三作目で、しかも結構な寡作。
次回作はいつになるんだろう。

あと、タイトルは「白昼の花火」の方がよかったんじゃないかな。
ラストは圧巻で泣きそうになった。