2019年5月19日日曜日

映画『ジュリアン』

2017年 監督:グザヴィエ・ルグラン
製作国:フランス
at ギンレイホール




「どちらかがウソをついてますね」みたいなサスペンス風を予告編では強調しているけど、予告編見てなんとなく分かる通り、父親が強烈なDV男。
離婚調停でDVの証拠が不十分なのか、共同親権が認められてしまい、11歳のジュリアン(トマ・ジオリア)は隔週の週末に父親アントワーヌ(ドゥニ・メノーシェ)と過ごさなければいけなくなる。
息子に会いたがるくらいだから、息子に対する愛情はある。
だけどもアントワーヌはちょっとした怒りの感情すら抑えることができない。

ちょっと録音でもしておけば接近禁止にできそうだけど。
終始緊張感が漂い、母と子供の恐怖が伝染してくる。
父親の方もなんというか悪意があるわけじゃなくてただ家族と一緒にいたかっただけなんだよね。
社会不適合者というか自制心の効かなさと思いやりの無さで無意識に自ら希望を台無しにする哀れな男。

予告編がよろしくなくて、衝撃の結末とか大傑作とか散々煽るからなんかびっくりするような展開が待っているのかと思ってしまう。
だから、あれっ?終わり?みたいな感じだった。
予告編見ていなかったらサスペンスよりかは家族ドラマ社会ドラマとして多少見ることができたかもしれない。

映画『マチルド、翼を広げ』

2017年 監督:ノエミ・ルボフスキー
製作国:フランス
at ギンレイホール




オープニングで校舎から出てきたマチルド(リュス・ロドリゲス)が歩きながら横を向いた瞬間に映像が静止して文字が浮かぶ。
一瞬で再開してその後もスタッフの文字が出るけど、ところどころスローにしたりなんかして結構好きかもと期待が膨らむ。
で、見終わった感想としては、面白かった気もするが微妙だった気もする。

9歳のマチルドは母親(ノエミ・ルボフスキー)と二人暮らし。
学校では特に友達もいないはみ出し物。
それゆえに担任が母親を呼び出して三者面談をするが、どうも母親の言動がおかしい。
母親は精神が病んでいるらしい。
面談ではマチルドのほうが保護者かのようだ。
という親子の関係性や置かれた状況を冒頭数分であっという間に描ききるのはすごい。
両親は離婚している。
養育能力が欠如した母親と幼い娘を放って置くなんてひどい父親(マチュー・アマルリック)に思えるが、マチルドは父親とはしょっちゅう連絡をとって仲がいい。
離婚の原因は不明で、精神を病んだ妻に耐えられなかったか、もしくは別れたことで妻の精神が病んだのか。
マチルド視点では離婚の原因など知る由もないしどうでもいいのだろう。
大好きな母親と一緒に暮らすことのほうが今現在一番大事で一生懸命だから。
そういう母と娘、母の苦悩や娘の孤独を描いた物語。

それほど大きな展開があるわけでもないので、途中から骸骨のシーン等少しうつらうつらしてしまう。
フクロウが喋るとかいうファンタジーっている?って思ってあまり乗れなかったけど、途中でこれはマチルドの孤独が生んだ架空のお友達と気づいてからは面白くなる。
友達の意見というよりマチルドの本音や心の声が発せられる。
溺死したオフィーリアのイメージがマチルドに重なったり、自分を埋葬してみたりとかは言いたいことはわかるけど、それよりもマチルドと母親とのやりとりをもっと見たかった気もする。
歌のシーンで母親が寄り添ってしまうシーンとか泣ける。

監督脚本で母親役でもあるノエミ・ルボフスキーの実体験をもとにしているらしい。

以下ネタバレ

大好きな母親で自分に惜しみなく愛情をそそいでくれるけど時折母親の考えていることがわからない。
しょっちゅう振り回されてばかりいるけどそれでも一緒にいたい。
池から這い出ることができないような檻に閉じ込められる圧迫感や孤独を感じながらも健気に生きる9歳の少女を誰もが愛するだろう。
だからラストで役者が変わったときにはぁ?ってなる。
だいぶ似た雰囲気の女優さんだったけど、それでも他人じゃん。
ラストのやりとりが秀逸で感動的なだけに「お前誰だよ」っていう感情を押し殺すのに必死だった。
成長させなくてもよかったんじゃないかなぁ。

エンドロールの主題歌何気なく聞いていたら
I'll be a mama
I'll have a daughter
って変化したところで泣きそうになる。
アレラ・ダイアン2003年の『oh! my mama』っていう曲らしい。

2019年5月12日日曜日

映画『炎の城』

1960年 監督:加藤泰
製作国:日本
BSプレミアム録画


炎の城 [VHS]

明から帰ってきた若殿王見正人(大川橋蔵)は、父親が死に叔父が領主となり、母親はその叔父の妻となっていることを知る。
平和主義者の父と違って叔父は野望の塊のような男。
父の死に疑問を持つ正人は身の危険を感じ、気狂いの振りをしながら父の死の真相を掴もうとするのだが、、、もう泥沼。

ハムレットが原案。
ストーリーは、誰かも確かめないで刺すなよ(師景だとしても今までの努力?が無に帰すし刺すなよ)とか、いや入水しなくてもとか、決闘後のあの人って無駄死になんじゃ?とか、ラストって。。とかいろいろあるけど、概ねは楽しめる。
雪野(三田佳子)の兄祐吾(伊沢一郎)のキャラクターはまっずぐな熱い男でありながら結構ひどいことも平気でやったりとして敵役の造形として面白い。

大川橋蔵の演技はオーバー気味なもののそのオーバーな感情表現に素直に魅入るのもいいし、B級見るように笑ってもいい(駄目?)。
大河内伝次郎は相変わらずセリフが聞きづらいが字幕表示してみていたので問題なし。
三田佳子は綺麗。
高峰三枝子はあまり目立たないけど演じる母君の苦悩がつらい。

加藤泰にしてはカメラがよく動く。
でも程よい長回しや差し色等の控えめな色彩バランスは楽しい。

調べてみると加藤泰はこの映画を「壮烈なる失敗作」と言っているらしい。
主にはラストシーンで会社側の意向により悲劇ものになりそこねたところを言っている模様。
あと、DVD化されていないみたいで、VHSめっちゃ高い。

2019年5月5日日曜日

映画『日日是好日』

2018年 監督:大森立嗣
製作国:日本
at ギンレイホール




予告編にもあるけど樹木希林のこのタイトルの読み上げ方っていかにも樹木希林って感じでいいよね。
二十歳の大学生典子(黒木華)はひょんなことから従姉妹の美智子(多部未華子)とともに茶道を習い始める。
お茶の先生役に樹木希林。

典子が茶道の才能に溢れていて、何気なく始めたのにめきめき頭角を現して大会で優勝しました!とかそういうストーリーじゃない。
才能というかセンスがあるのは後から入ってきた女子高生(山下美月)で、典子の方はそんなにセンスない。
まあ、形から入ってあとで心が付いてくる世界では継続が重要なんだろうし上達の速さはたぶん些事。
おっちょこちょいと言われる典子が茶道を好きなり、茶道を通した「気づき」が人生の悲喜こもごもに寄り添っていく支えていく物語。

なにで見たか忘れたけど映画においてモノローグの多用はださいという通説があったと思う。
心象とか状況とか、映画なんだから言葉で説明しないで映像や演技で表せよ、言葉で説明しちゃったら小説から想像力を奪っただけの作品になっちゃうじゃん、とかそんな理由だと思われる。
ただ個人的には別にモノローグは嫌いじゃないし、むしろ説明してくれてありがとうなんだけど、この映画見ていたら「うっせーな、おい」と思ってしまった。
「掛け軸は字を読むんじゃなくて絵として眺めればいいんだ(どや)」
「ある日些細な音の違いがわかるようになった(どや)」
等々、中学生か!と思うようなことを私って感受性豊かでしょとひけらかすように言われ続けるとうるさくもなる。
「日日是好日」の額が前半の浅い理解から、後半で人生を経た上で新たな意味を持って再度映し出されたときに、おおーってなったのに間髪入れずにモノローグ(セリフだったかも)で説明が入るもんだから、「ここも説明するんかい!」って心でつっこんでいたら何におおーってなったのかも忘れてしまった。

原作は森下典子のエッセイ『日日是好日 「お茶」が教えてくれた15のしあわせ』。
エッセイが原作ならモノローグも多くなっちゃう、かな。

これは確か90年代初頭くらいからの話だったと思うが、最近『1987、ある闘いの真実』のキム・テリを見てから80年代あたりの女性ファッションや髪型が好きで、だからかわいい多部ちゃんが見れて満足した。

映画『モリのいる場所』

2017年 監督:沖田修一
製作国:日本
at ギンレイホール




画家熊谷守一の晩年の暮らしを描いたフィクション。
Wikiだと文化勲章の内示を辞退したのは本当らしいが。
30坪にも満たないが木々が鬱蒼と生い茂る庭をこよなく愛し、毎日庭に出て虫や自然を観察するのを日課にしているモリ(山崎努)。
高名画家には来客が絶えずいつも賑やか。
って話。

沖田修一っぽい温かみのある作品だけど、どうも作り物めいて見えてしまうのはなんだろうか。
庭を愛する老人だと『人生フルーツ』をどうしても思い出してしまう。
傑作『人生フルーツ』がドキュメンタリーな分だけ、対比で『モリのいる場所』がそう見えてしまうのかもしれない。
それと、どうもコメディに寄せすぎていて、少しあざとい気もする。
タライのシーンは丁寧に前フリがあったものの、笑うよりかまじびっくりしたわ。

主演山崎努と樹木希林。
三上博史すごい久しぶりに見たけど、こんなキワモノ俳優だったっけ。
他には 加瀬亮、光石研、吹越満、池谷のぶえ、きたろう、林与一、嶋田久作等が出演している。


このドキュメンタリーも面白い。

2019年5月4日土曜日

映画『人情紙風船』

1937年 監督:山中貞雄
製作国:日本
BSプレミアム録画


人情紙風船 [DVD]

江戸の長屋が舞台。
粋な男髪結新三(中村翫右衛門)は隠れて賭場を開いたりして地元のヤクザ衆に目を付けられている。
長屋の隣人の浪人者海野又十郎(河原崎長十郎)は亡くなった父の知人である毛利三左衛門に士官の口を頼もうとするが毛利は海野を厄介者扱いする。
で、なんやかんやあってまじかって話。

めちゃくちゃ面白いというわけではないけど、傑作と呼ばれるだけあって確かに面白い。
早くも遅くもないストーリー展開のくせに一つ一つがシンプルに的確で、がっちり嵌まる心地よさがある。
それぞれ追い詰められていく新三と海野の対比も面白い。
新三が命がけの豪胆さでヤクザの親分(市川笑太郎)を追い返すところは屈指の名シーンだ。
町人の新三が武士に劣らない気概を持っている分、海野の不器用さや鈍臭さが実に悲しい。

画面構成も静と動のバランスが、えー、なんというかやっぱり的確、という言葉がいいかな。
例えば、白子屋から叩き出されてぼこぼこにされる海野→そこから新三を追いかけ始めて走り去ったやくざ衆のあとの一瞬の静けさ→新三を追いかけるやくざ衆→追い詰めた新三とやくざ衆のやりとり→静けさの中むっくり起き上がる海野
この時起き上がる運のの画面奥の店先では吊るされた無数の何か(何かわからん)が風でひらひら揺れているのね。
冒頭からして雨の夜からの晴れた朝、そして長屋に入っていく役人達が水たまりを避けてくねくね動くのもいいよな。
長屋の庭木なんかもよく風で揺れていたりするけど、この風ってたまたまなのか意図的なのかは知らない。
あと、海野が完全に突き放されて雨の中立ちすくむシーンでは、静止からとぼとぼ歩き出す海野の背後を忠七が猛スピードで白子屋に駆け込むところを重ね、次のストーリー展開につなげるところもかっこいい。
あからさまに静と動を対比させてどうだ!みたいな感じじゃなく、画面内でわちゃわちゃいろんなもの動かしてどうだ!って感じでもない。
さりげなく的確に動きがあるってところがもうセンスとしかいいようがない。

海野役の河原崎長十郎は河原崎長一郎のお父さんだな。
あとヤクザ衆の若頭的立ち位置の男がなんか加東大介に似ていると思ったら加東大介だった。市川莚司は加東大介の旧芸名らしい。


ちなみに山中貞雄は昔(調べたら2000年だな)ビッグコミックスペリオールで「沙堂やん」っていう山中貞雄を扱った漫画を読んで初めて知って、それからずっと気になっていた。
で、2011年に録画したやつを令和1本目として選んでやっと見た次第。
アナログ放送時代には現存する3本を録画していたはずだけど(結局未見)、デジタルになってからはこの遺作1本しか録画してなかったみたいだな。
他のも見たい。

2019年4月30日火曜日

映画『雨上がりの駅で』

1996年 監督:ピーター・デル・モンテ
製作国:イタリア
DVD


雨上がりの駅で [DVD]

バーや犬の散歩のバイトをしながら女友達や男の家を泊まり渡る根無し草のコラ(アーシア・アルジェント)。
ある日犬の散歩の雇い主から、痴呆症を患った父親を尾行して父親が迷子になったら知らせてほしいと頼まれる。
老人コジモ(ミシェル・ピコリ)とコラの付かず離れずのロードムービー。

タイトルロール中のミシェル・ピコリ、階段に座り込んで買ったばかりのスリッパやネクタイを確認するだけなんだけど、その所作だけでもう引き込まれる。
あまりセリフがないのにあのにじみ出る優しさと悲しみはなんなんだろう。
そしてアーシア・アルジェント。
三白眼の力強い瞳が美しくて儚い。
この力強さと儚さの同居が役柄に合っていることも加わって神がかった存在感を残していて、時にはっとするほど美しい。
どちらかというと美人だけど決して美人女優じゃないのにな。
あまり笑わないしぱっと見表情豊かに見えないかもしれないけど、こんなに魅力的で繊細な表情をする女優を他に知らない。喜怒哀楽の表情が豊かなだけの女優がアホに見えてくる。
映像に映えるという点では当時のアーシア・アルジェントは最強だろう。
この映画が名作なのはミシェル・ピッコリとアーシア・アルジェントによるところが大きくて、アーシア以外の女優だったら「ふーん」で終わったかもしれない。

公開当時、今はなき銀座テアトル西友で観たんだけど、ラストシーンでぼろぼろ泣いてエンドロール終わっても胸がいっぱいで暫く席から立ち上がれなかった。
映画見てこれほど感動したのは後にも先にも他になかった気がする。
なのでブログのタイトルに役名使うくらいのお気に入り作品なんだけど、感動したのは若かったからで、今見ても別に面白くないんじゃないかという気がしていた。
いやぁ~取り越し苦労。今見ても名作だった。

この映画あんまり有名じゃないしネットで見ても評価はそんなに高くないみたいだな。
たぶんストーリーがあまり説明がなく細かい部分が分かりづらいってのも理由だろう。
俺もいまだに細かいところよく分っていない。
でもそんなのどうでもいいくらいにアーシア・アルジェントとミシェル・ピコリさえ見ていればラストで泣ける。

演出的にはビクトル・エリセに近い(やべぇ怒られそう)。
ビクトル・エリセ好きにビクトル・エリセは3本しか長編撮ってないと言われるけど実はこれもビクトル・エリセが撮ったんだよと言って見せたら5割以上の人が信じるんじゃないだろうか。(イタリア語であることに疑問を持たない前提で)
ピーター・デル・モンテは今何してるんだろう。


<ストーリー補足とか不明点(ネタばれ含む)>

母親は事故か自殺でコラが幼い頃に亡くなっている。
そのことがコラと兄の二人に暗い影を落とす一因になっている。
愛されなかったことから愛を拒絶とか将来に希望を持てないとかそんな影。
兄はソーシャルワーカーにお世話になっている模様。

駅まで送るのも拒否した兄が妹の列車をずっと車で追いかけ続けたのは謎。
なんかわからんが前に進もうとしたのか。
兄がコジモを置いてけぼりにしたのも謎。
コジモに誰かと勘違いされて親しくされて離れがたくなったがこのままではまずいと思ったか。
あのブローチみたいなやつがキーっぽいが前のシーンで出てたかな。

コラの飛び降りは全てが嫌になった自殺だけど、母親のトレースであり、入水による浄化の儀式にもなっているのかな。
過去を受け止めてちゃんと前を向き出すきっかけ。
陶器工場の主任っぽいおばさんが一人椅子に座って頭をゆすったのは謎だけど、なんか過去に娘を自殺で失ったとかそういうトラウマがあったに違いない。

列車に向かって手を振る男女4人組はカップルに続けて田舎の仲のいい四人組の幸せそうな風景をコラに見せただけかと思っていたけど、今見返すとこの4人ってローマにいるコラの友達っぽいな。
友達の幻が列車に手を振っているのって、やっと人とちゃんと向き合えるようになったコラに手を振っているのかな。
まだ嫌になった状態ならバイバイしているのかも。
バイバイであれば絶望であり、その後の写真裏の「旅の道連れ」が効いてくる。

あと妊婦のいるところに車でやってきたのはたぶん雇い主の夫で、この時は他人同士だったからその後一気に恋仲になったと思われる。
そもそもそんな不倫話いるのかって気もするが、走り出す列車から首だけ出す雇い主が可愛そうだけど意外と名シーン。

2019年4月28日日曜日

映画『万引き家族』

2018年 監督:是枝裕和
製作国:日本
at ギンレイホール




父:治(リリー・フランキー)
母:信代(安藤サクラ)
祖母:初枝(樹木希林)
息子:祥太(城桧吏)
母の妹:亜紀(松岡茉優)
拾ってきた子:ゆり(佐々木みゆ)

「次々と明かされていく、家族の秘密」って宣伝的には謳い文句にしたいんだろうけど、是枝作品なのでそういう驚き的なものにドラマチックな展開を付与して明かすような脚本じゃない。
家族の関係は何気ない一言やシーンでしれっと判明する。
ドラマは主幹である家族の関係性にこそあればよく、秘密はこの関係性の間に揺らいでいる一要素でしかないから。
寄り添い生きる家族の、思いやりや利己性、信頼と不信、強いのかもろいのか分からない絆、そういう繊細な関係性が静かに熱い物語。
映像はしっとりして名シーンが多く、細野晴臣の音楽も主張しすぎずいい感じだし、役者達の抑制された自然な演技はぐっとくるしで、すべてが高水準で面白かった。

特に安藤サクラはすごいな。
朝ドラで「萬平さ~ん」とかいってニコニコしている安藤サクラに「これじゃない感」のフラストレーションが溜まっていたけど、一気に解消したわ。

映画『カメラを止めるな!』

2018年 監督:上田慎一郎
製作国:日本
at ギンレイホール




広い建物内で声が響きまくって聞きづらいし、無駄すぎる変な無言の間があるし、急にカメラ目線だし、途中からゾンビをぐわんぐわんズームしてださいし、斧を偶然拾うの棒読みだし、斧持って叫んでいるシーンが異様に長いし等々書ききれないくらいへんてこなシーンが多く、ワンカットの凄さ以外には何も面白いところがなかった。
苦痛すら感じるくらいで、途中一人劇場から退席したのも納得できる。
なんかあっという間に終わってなんじゃこりゃと思っていると続きが。。。
マニアックなとんでもB級映画としてヒットしたのかと勘違いしてしまった。

なかなか面白かった。
それにしても個性的でクセの強い俳優が多いなぁ。コメディに映える。

2019年4月14日日曜日

映画『パッドマン 5億人の女性を救った男』

2018年 監督:R・バールキ
製作国:インド
at ギンレイホール





「も~どこまでいっちゃうの~って」
ギンレイで並んで待っているときに見終わって出てきた女性二人組がこんなこと言って通り過ぎていった。
鑑賞して、本当どこまでいっちゃうの~だった。

昔ながらの慣習が残るインドの村で、嫁が好きすぎる筋肉おじさんラクシュミ(アクシャイ・クマール)は妻のために生理用ナプキンを買い求める。
これがくそ高い。
こんなの自分で作れんじゃねと思って綿を使って自作してプレゼントするが、やっぱり吸収率はよくなく、汚してしまったと妻に責められてしまう。
インドでは生理はダブーで、期間中はなんか離れたところで生活し、女性は使い古した汚い布で凌ぐという状態。
そんなんだから男性が生理について語ったり携わったりするなんてもってのほか。
しかしこの汚い布が原因で病気になる女性が後を絶たず、妻大好きラクシュミは妻のために生理用ナプキンの試作に没頭していく。

ミュージカルシーンはほとんど無いものの、冒頭の音楽から最高だ。
そして脚本(実話に基づき脚色を加えているとのこと)が抜群に面白い。
笑い、怒り、悲しみ、喜び、いろんな感情に溢れた上、古い慣習(ガヤトリ)と新しい女性(パリー)との対比に恋愛要素まで盛り込んできやがる。
ラストのスピーチは前半長くていらなくないかと思ったけど、後半の加速は前半あってのもので、なかなか圧巻の感動スピーチになっている。
安価なナプキン作っただけの男の話かと思いきや、本当どこまでいっちゃうの~、だ。

後にちゃんと購入していると思うけど、長い試作期間中に材料のセルロース・ファイバーはサンプルだけじゃ絶対足りないよな。